06:麗しの宰相様
夜会会場は華やかに飾られ、誰もが美しい装いで談笑を交わす。
中には警備の騎士もいるが彼等はキャンディスやロブみたいな末端の騎士とは違う。
騎士ではあるものの、この夜会に来賓としても来られるような家柄の者達だ。装いも騎士の制服ではありながら平時とは違う式典用の服を纏っている。
対してキャンディスは屋外の警備だからと通常時の制服だ。それと飾り気のない黒一色の眼帯。
明らかな場違い。それも連れ立って歩くのは社交界中で話題の公爵令嬢。誰もがキャンディスとレベッカに視線を向けてくる。
だというのにレベッカはキャンディスと共に会場に来られた事が嬉しいようで、どこか見たい場所は、誰か挨拶をしたい人はと聞いてくる。
「特に希望はありません」
「それなら食事は? ジャムを載せたクッキーはどう? 国内で有名なお店のジャムを用意したの。きっと美味しいわ。それか飲み物は? お酒もあるのよ」
「食事は家で済ませてきましたし、警備もあるのでお酒は飲めません」
「そう……。それならスティーツを呼びましょう。彼、貴女と話をしてみたいって言ってたの。せっかくだし一曲踊ってみたら?」
「スティーツ様と!?」
レベッカの口から出た人物の名にキャンディスがぎょっとして声をあげた。もちろんこれは「冗談じゃない」という意味だ。
だがこの場に味方は居らず、それどころか名を出したばかりのスティーツがどこからともなく現れるではないか。
濃い色合いの正装は知的な彼によく似合っており、周囲の女性達が彼の登場に一瞬にしてざわつきだした。うっとりと熱っぽい視線を向ける者も少なくない。
「レベッカ様、お呼びでしょうか」
「あら、そこに居たのね。ちょうど良かった。以前からキャンディスと話をしたいと言っていたでしょう」
レベッカが穏やかに笑って話す。その際にチラとキャンディスへと視線を向けてくるのはどういう事だろうか。
物言いたげな視線を受けてキャンディスもまた愛想良く笑って返した。
……ちょっと頬が引きつってしまうのは仕方ない。きっと慣れぬ場に落ち着かないか、もしくは噂の補佐官様を前に緊張しているとでも思ってくれるだろう。
「そんな、わざわざこんな所で話をするのは……。スティーツ様もお忙しいでしょうし」
「私は一度話をしてみたかったんです。レベッカ様、機会を設けてくださりありがとうございます」
スティーツが前向きな姿勢を見せればレベッカの表情がより明るくなった。
対してキャンディスの気持ちは『うんざり』の一言だ。それどころか目の前で繰り広げられる展開から、意識は既に逃亡し家に帰っている。
今頃自宅ではユベールとリアが夕食後の一時を過ごしているはずだ。
あの麗しいユベールの顔を眺めながらリアが淹れてくれた温かいお茶を飲む。キャンディスにとって至高の時間。
ユベールは整った顔とさすが元王族といえる優雅な仕草でお茶を飲む。形良い唇でカップに触れ、癖なのか少し伏し目がちに。
その一挙一動は美しく、見惚れて意識を失い淹れたての熱いお茶を飲んで何度火傷をしたことか。そうすると彼の麗しい顔に呆れの色が混ざってこれもまた良い。
今すぐに帰って自分もテーブルに着きたい。
ずば抜けた麗しさを持つ顔を眺めたい。あの顔を見れば今日の疲れなんて一瞬で吹っ飛ぶのに……。
「……キャンディス?」
「えっ、あ、はい」
ユベールの良い顔を思い出すあまり意識を他所にやっていたキャンディスがはっと我に返った。
恐ろしい。ユベールの顔は良すぎるあまりに離れていても意識を奪うのか……、と心の中で慄く。――後日その話を聞いたユベールはうんざりした顔で「遠隔でも効果があるのか」と返した――
「えーっと……、何の話でしたっけ。申し訳ありません、慣れない場で緊張しておりまして」
「気にしないでください。それよりレベッカ様も仰られていますし、一曲どうでしょう」
スティーツが片手を差し出してくる。その仕草はなんとも優雅だ。知的な顔付きとあわさって随分と様になっている。
近くにいた年若い令嬢達がほぅと吐息を漏らしたのが聞こえてきた。彼女達の瞳に羨むような色があるのは、普段スティーツが自らダンスに誘うなど無いに等しいからだ。
それどころか、女性から誘われたり知人を仲介して頼まれた際も「こういった事は苦手で、失礼をしたら申し訳ありませんから」とそつなく断ると聞いたことがある。
だが今夜は違う。スティーツが自ら手を差し伸べてダンスに誘った。
だがこれに対してキャンディスの胸は高鳴ることもなく「えーっと」と白々しく悩む素振りをしてみせた。
「ダンスは幼い頃に少しかじった程度なので、下手するとスティーツ様の足を踏んでしまうかもしれません」
だから、と暗に拒否の姿勢を示せば、その言葉で更に視線が注がれるのを感じた。
スティーツに誘われた事を羨む視線、そこに彼の誘いを断るなんてという非難の色が加わる。
応じれば嫉妬、断れば非難。なんとも酷い話ではないか。これはもう罠と言える。
スティーツがこの場に現れた時点で、否、レベッカに屋内に誘われた時に……、むしろ夜会の警備を任された時点で罠は発動されていたのかもしれない。なんてこった。
だがスティーツはそんなキャンディスの心情を知ってか知らずか、ふっと軽く苦笑を浮かべた。
凛々しい顔付きに柔らかな雰囲気が混ざる。
「宰相と言えどもそれなりに鍛えてはおります。足を踏まれたぐらいでどうという事はありませんよ」
「まぁ、それは……、そうかもしれませんね」
自ら断言している通り、スティーツは細身ながらもきちんと鍛えられている。
普段騎士隊長バロックと並ぶことが多いため細身な印象を受けるが、彼個人を見れば背も高くしっかりとした体の造りだ。それでいて男臭さのないスマートさ。
対してキャンディスは騎士とはいえ女で、体格は年頃の令嬢とさほど変わらない。故意に足を踏んでも怪我をさせる事も出来ないだろう。
「そうですけど……」
「それとも、私が相手では不満ですか?」
少しだけ眉尻を下げてスティーツが尋ねてくる。
それに対してキャンディスは正直に「この場全てが不満です」と言いかけ、声を発する前に慌てて口を噤んだ。
危ない、ここで下手な事を言えば嫉妬と非難の視線が更に増すし、この場全てが不満等と言えばたんなる無礼者になってしまう。
だからこそ逃げ道を探す。そつなくスティーツとのダンスを回避する術は……、と横目で周囲を窺い、楽団に視線を止めた。
「私、実は踊るよりも演奏する方が好きなんです」
「音楽の習いが?」
「えぇ、まぁ、独学ですが。どうでしょう、今度一曲お披露目しますので」
ひとまずこの場をやり過ごしたい。そして出来るならば『今度』も有耶無耶にしてしまいたい。
そんな事をキャンディスが考えるも、レベッカが「それは」と口を挟んできた。
「音楽は、ちょっと……。ほら、せっかくパーティーの場に居るんだもの、音楽のことはまた今度考えることにして、今はこの場を楽しまないと。ねぇスティーツ」
「確かにそうですね」
レベッカの提案にスティーツが乗り、再びキャンディスへと視線を向けてくる。誘いの言葉こそ口にしないがその瞳は物言いたげで、同時に、レベッカにここまで言わせているのだからという無言の訴えも感じさせる。
ここまで言われれば応じるほかないだろう。これ以上あれこれと難癖付けて断り続けても非難の視線が鋭さを増すだけだ。
「……では、一曲お願いします」
ならばとキャンディスは諦めの境地でスティーツの手を取った。
彼が穏やかに微笑む。そんな眩い笑みを前にキャンディスは僅かに目を細めた。
女性達の憧れの的である宰相様の微笑みに照れているとでも映るだろうか。
実際は、眼前の光景を目を細めることでぼやかせ、脳裏にユベールの美しい顔を想像していただけである。
あー、帰りたい。
帰ってユベール様の顔の良さを堪能したい。
そんなことを心の中で呟き、キャンディスはスティーツに手を引かれるまま会場の中央へと歩いていった。
会場の中央、緩やかな音楽に合わせてスティーツに手を取られながらダンスを踊る。
普段は「こういう華やかなことは苦手で」だの「不慣れなので失礼をしてしまうかも」と断っているくせに彼のリードは完璧で、ダンスなんて記憶の隅っこに残っている程度のキャンディスでさえ優雅にステップを踏めてしまう。
「ダンスがお上手ですね」
「立場的に覚えておかなくてはいけませんからね。それに、こういう機会を逃したくないので」
「機会、ですか」
「えぇ、まさか貴女と踊れるなんて思ってもいませんでした」
スティーツが穏やかに微笑む。
麗しい男の見目の良い笑み。知的で冷静な物腰の中にゆるやかに漂う柔らかさ。それでいて、眼鏡越しの瞳の奥には虎視眈々と獲物を狙う色が見え隠れする。
それに対してキャンディスもまた微笑んで返した。……出来るだけ愛想良く。片目を眼帯で隠した自分の微笑みがどれだけ様になっているかは分からないが。
そしてダンスを終えてお互い頭を下げて称え合う。
キャンディスは『よしうまいことやって会場から逃げよう。出来ればケーキを持って逃げよう』という思いを胸にそそくさとスティーツから離れようとし……、
「スティーツ様が踊ってる! 私、次はスティーツ様と踊るわ!」
という声に驚いて足を止めてしまった。