41:アデル村のキャンディスとユベール
王都での騒動から三年後。慌ただしく時間が過ぎていく王都とは違い、ゆっくりと穏やかに物事が進むアデル村。
そこから少し離れた先にある森の中を、キャンディスは一人で歩いていた。
深い森の、だがその深さに足を踏み入れる手前。
人の往来が頻繁なそこは行き来で踏みしめられた道が出来ており、獰猛な獣も寄ってこない。せいぜい小動物が木々の合間を駆け抜けていく程度だ。
その小動物も寒くなると姿を見せる頻度が減っていく。木の合間を飛ぶように掛けていくリスを見かけたが、今年リスを見るのはあれが最後になるかもしれない。また春がくれば一匹また一匹と眠りから覚めて草木の合間を駆けまわるだろう。
森の中を進むキャンディスの歩みに迷いはなく、道を確認することも草木に足を取られる事もない。
森と言えども慣れたものである。アデル村で育った者は幼少時からこの森と村を行き来するし、とりわけキャンディスは、あの日あの子を失ってから時間を見つけては何度もこの道を歩いていたのだ。
願うように、乞うように、何度も名前を呼んで。どこかから姿を現すんじゃないかと期待しながら……。
だが今となってはその期待は胸に無く、あの子の姿を探すことなく真っすぐに道を進んだ。
そうして開けた場所に出る。
まだ雪の積もっていないそこは青々とした草花が茂っている。風が吹き抜けると軽やかに揺れてなんて清々しい光景だろうか。
一面の雪に覆われた景色も綺麗だがこれはこれで美しい。
「もっと手に入りやすい花を好んでくれていれば良かったのに。わざわざ王都まで買いに行ったんですよ。この時期は特に値段も高いし」
美しい景色には似合わぬ庶民臭い文句を言いながら、キャンディスは持ってきていた花束を一角に置いた。
倒木が倒れた場所。土に還ったのだろう既に事故の痕跡は殆ど無くなっているが、さすがに片目を失う怪我をしたのだから忘れられるわけがない。
そっと置いた花束は以前にあの子が好きだと言っていた花だ。春先に咲く花なので時期的にはまだ早く、王都の品揃えの良い花屋でようやく入手できた。元々高価な花で、とりわけ季節外れの今は値段が上がっている。
そんな花を何もない地面に沿えて、深く息を吐いた。
「次は雪が積もったらまた来ますね。ここが足跡一つ無いくらい雪に染まったら……」
地面に置いた花束に話しかけ「またね」と別れの言葉を告げて来た道を戻っていった。
◆◆◆
「おかえり」
キャンディスを迎えたのはユベールだ。頬に傷が残っているがそれでも彼の顔は相変わらず麗しい。
そろそろ帰ってくると踏んでいたのか紅茶の用意をしてくれており、キャンディスが上着を脱いでテーブルに着くのとほぼ同時に湯気をあげるカップが差し出された。
それを一口飲み、ほぅと吐息を漏らす。向かいにユベールが座り彼もまた己のカップに紅茶を注いだ。
「リアは?」
「村の外れまで行ってる。キャンディスが出て行ってしばらくしてからロブ達が来たんだ。それの見送りと、村長に渡すものがあるって」
「ロブ上官、また来てたんですね。」
キャンディス達より一ヵ月遅れて、ロブも王都から故郷の村へと戻ってきた。一か月という微妙な期間、隣村という近さもあって、再会の感動は皆無だったのを今でも思い出す。
それも村に戻ってくるなり子供が出来たと報告し、今は妻子を連れて散歩がてらアデル村に遊びに来ている。
以前は「自分と妻は真実の愛とは言えない」と言っていたというのに、妻に寄り添い、子供を抱きかかえる姿は子煩悩であり妻一筋の男だ。「夫の良い所は稼ぎ」と断言していたという彼の妻も見て分かるほどに愛で溢れている。
「リンゴを手土産に持ってきてくれたが、渡す時に『よろしくお願いします』って言ってたからジャムにしておいてくれって事だろうな。あいつは俺に果物を渡せばジャムになって返ってくると思ってる節がありそうだ」
「あの村の人達みんなそうですよ。まぁ物々交換みたいなものですし」
肩を竦めてキャンディスが話せば、貰ったばかりのリンゴを一つスルスルと手際よく剥いていたユベールが苦笑を浮かべた。
明日は朝一からジャムを作ると話しているあたり、ジャム作成要員と考えられているのも満更ではないのだろう。
「ジャムを作ったら実家に持って行って良いですか? 確かリンゴのジャムは今年作ってないってお母さんが言ってたので」
「あぁ、持って行こう」
「そうしたらきっとオレンジのジャムをくれますよ。森に行く前に顔を出したらオレンジが玄関に置いてあったんです。きっとお母さんも明日は朝一でジャム造りですね」
キャンディスの両親も村の中で暮らしている。歩いて十分あるか無いかの距離だ。
家を訪問して顔を出す時もあれば村の中で偶然会うこともある。ユベールも彼等と親しくなり、先日はキャンディスが羊達の世話から戻ってくるとユベールとリアと両親がお茶をしていた。
家主抜きのお茶会に拗ねたのも記憶に新しい。――「どうして私を呼んでくれなかったんですか」と拗ねはしたが、ユベールがオーブンから焼きたてのクッキーを出したことですぐに機嫌は治った――
そうしてジャムについてを交えつつ明日の予定を話す。
朝一からジャムを作り、その後は羊達の世話。
物事が目まぐるしく変わっていく王都と違い、アデル村は時間も物事も緩やかに流れていく。
今日も明日も、そして明後日も、当分は同じことの繰り返しだ。だがその中でも小さな変化はあり、ユベールがあれこれと話す。
「ユベール様、村での生活も羊の扱いも随分と慣れましたね」
「そうだな。まぁ三年経てば自分のところの羊くらいは臆せず扱えるさ。……牧羊犬達にはまだ新入り扱いされてるけど」
「牧羊犬達のユベール様を見る目、あれは完全に子犬を見守る目ですからね。最初の冬に雪に足を滑らせて派手に転んだのがまずかったですね」
「ばっちり見られてたし、そのあと数日は足を引きずってたからな……。あれ以降、足場が悪い日は必ず一匹俺の後を付いてくる。今年こそは転ばずにやりきって、せめて牧羊犬と同じヒエラルキーに立ちたいところだ」
「犬と同じ……、いえ、なんでもありません。頑張ってください」
犬と同じで良いのか、という疑問はあるものの水を差すのも無粋だと判断し、素直に応援の言葉を口にしておく。
ユベールが「いずれは俺が従えるつもりだけどな」と自らフォローを入れ出すのは、きっと自分で言っておきながら牧羊犬と同列というのは思う所があるのだろう。
再来年、いや三年後には……、五年後には明確な序列を……、と『いずれ』が伸びていくあたり些か不安は残るが。
だがなんにせよ彼が仕事に慣れてきたのは良い事である。
「最初の年は子羊相手さえも恐る恐るって感じでしたもんね。それを考えれば上手くなってきましたよ」
「最初の年なぁ……。真冬に来たから寒いし雪道だし羊達は興味本位で俺を囲むし牧羊犬達は警戒するしで散々だったな。村の皆が支えてくれなければどうなっていたか」
「ユベール様が歩きやすいようにって、子供達がみんな朝一に村中を走り回って足跡を作ってくれたんですよね」
朝一に村中の子供達が駆け回り、ユベールが慣れない足取りで彼等の足跡を踏んでよたよたと歩いていく。
その光景を思い出してキャンディスが笑えば、ユベールが恥ずかしそうな表情で「今年はもう大丈夫だけどな」と訴えてきた。最初の年こそ覚束ない足取りのうえに牧羊犬達の目の前で派手に転んだ彼だが、さすがに今年の冬は新雪だろうと転ばずに歩けるという。
そんな彼の訴えにもキャンディスは笑みを強め、温かな紅茶にゆっくりと口を付けた。
◆◆◆
いつまでも明かりが消えぬ王都と違い、アデル村は日が落ちれば途端に村中が暗くなる。
外灯は無く、家と家との距離が遠いため家屋の明かりも点々としている。
誰もが日が落ちれば家に入り、よっぽどの事が無ければ外には出ない。そしてこんな田舎村では夜に外に出るようなよっぽどは殆ど起こらないのだ。
夕食を終えて食後の一時を各々自由に過ごす。
そんな中、ぱぺぇーと気の抜ける音が聞こえてきた。誰からともなく顔を上げ、各々手にしていた毛糸やら本やらをテーブルに置く。ソファに座ってうとうとと眠りかけていたキャンディスもはたと目を覚まして顔を上げた。
夜の八時だ。
もはや確認し合うまでもなく、しまってある楽器を取り出す。その間にもあちこちの家から音楽とは言えない音があがり、それに反応して動物達が鳴き声をあげる。
静かだった田舎村が突如騒がしくなったが、これは毎晩の事だ。
最初の年こそ「これが例の……凄いな……」と反応していたユベールも、今やすっかりと慣れて己の楽器をいそいそと調整している。
「ユベール様に教えてもらって私もリアも演奏がうまくなりました。きっとこの村で一番、いえ、王宮お抱えの楽団にさえも引けを取らないレベルですよ」
「そうだな。相変わらず俺の知ってる楽器から俺の知らない音ばかり出すが、うまくなった……、と言えないことも無いかもしれないな。うん。何事も自信をもって行うのが一番だからな」
呆れを込めた表情でユベールが話す。
その隣では一番に調整を終えたリアがぷぇぇと軽やかな音を奏で始めた。
「ほら、キャンディスもユベール様も、今はお喋りよりも演奏よ」
フルートからいったん口を放してリアが幼子に言い聞かせるように告げ、また音を奏で始める。
リアの言葉にキャンディスとユベールは顔を見合わせ、うんと頷き合うと同時に楽器を構えた。
キャンディスは以前と変わらぬバイオリン。ユベールはそれより一回り大きなヴィオラ。
二人同時に弓を添え、ゆっくりと引き……、
みぎじじじじ、となんとも言えない音を出した。
「……かつては王族としてそれなりに弾けていたんだけどなぁ」
とはヴィオラからヴィオラらしくない音を奏でるユベール。
アデル村に来て一年が経った頃から次第に奏でる音がおかしくなり、一年半が経ったとある夜についに不可思議な音を発してしまったのだ。それ以降は昔の感覚を思い出して演奏しようにもどうにも音が外れてしまう。
今となっては音階だのというレベルではない。
もっとも、音が外れたこの音こそアデル村の演奏には合っているのだが。
「たかが一時間、されど毎晩一時間。コツコツと積み重ねて辿り着いた演奏技術……。そう考えると感慨深いのかもしれないな」
「楽しければ良いんですよ。ユベール様だって楽しいでしょう?」
ねぇ、と問えば、ヴィオラを構えていたユベールが微笑んだ。
深緑色の瞳を細め、形良い口元が緩やかに弧を描く。傷痕はまだ痛々しいが、本人は既に痛みは無いという。ならばこの傷痕も彼の麗しさに拍車をかけるだけだ。
「楽しいよ」と返す言葉は心からの気持ちがこもっており、表情が、声が、幸せだと語っている。
彼の微笑みにキャンディスは目の前がチカチカと瞬くのを感じ……、「顔が良い!!」と感嘆の声を力強く漏らすと、構えていたバイオリンでぎにぃいいと愛のメロディを奏でた。相変わらずなその反応にユベールが笑みを強める。
そうして二人がちらと他所を見れば、リアが窓の外に半身乗り出して演奏している。
どうやらお隣さんも窓から身を出して演奏しているようだ。こういったセッションはよくある事。といってもお互いまったく相手に合わせようという意思は無いのだが、ただ顔を合わせて楽しく演奏していればいいのだ。
リアが外を見てる……、と考え、キャンディスは改めてユベールへと向き直った。彼も同じ事を考えたようで、一瞬目が合うと深緑色の瞳を僅かに丸くさせ、次いで照れ臭そうに笑った。その表情もまた麗しい。
そんな麗しいユベールの顔が近付いてくる。
ゆっくりと目を瞑りながら。
キャンディスもまた目を瞑り、彼からのキスを受け入れた。
そして彼の唇が離れていくのを感じてそっと目を開け……、
「鼻先まで迫る良い顔っ……! ……、あ、あれ、私、今なにをしてたんでしたっけ」
「また記憶を無くしたのか。いい加減に慣れて欲しいんだが……。まぁ良いか、これぞキャンディスだもんな」
「バイオリンを持っている……、ということはつまり演奏の最中だったんですね。でもなんでユベール様の麗しい顔が間近に?」
「それは……」
説明しかけたユベールが一瞬言葉を止める。
キャンディスがどうしたのかと問えば、彼は軽い咳払いの後に「何でもない」と返すとすぐさま答えた。
「キスをしようとしてたんだ。だがその直前でキャンディスが記憶を失った」
ユベールの説明にキャンディスはパチンと目を瞬かせた。
そうだったのか。それはムードも壊すような事をしてしまった。そう詫びれば、ユベールが「気にするな」と穏やかに微笑む。
「それなら改めてキスをしましょう。今度は多分記憶も失いませんよ」
「そうだな、次は頼むぞ」
そんなムードも何もない会話を交わし、目を瞑りキスをする。
柔らかく軽いキス。それが終わりキャンディスが目を開ければ、眼前にはユベールの顔。
さらと揺れる銀色の髪、嬉しそうに細められる深緑色の瞳。形の良い口元、すっと通った鼻筋。目尻から頬にかけての傷は痛々しいが、それがあっても尚、むしろ更に、彼は麗しい。
じっと見つめていると、ユベールが不思議そうに首を傾げた。その仕草も、角度を少し変えて見る顔も美しい。
「どうした、また俺の顔の良さに見惚れて気を失ったのか? 今は八時の演奏会の最中だぞ」
「いえ、記憶は失ってませんよ。ただユベール様の顔は相変わらず麗しいなと思いまして。そんな顔を毎日眺めていられる、それも一番近くで。しかも二回もキスをして……。なんて素晴らしい生活!」
「はいはい、そうだな。とりあえず今は演奏を……。に、二回って、記憶を失ってなかったのか!? ずるいぞ!」
騙されていたと知り、ユベールの顔が途端に赤くなる。
そんな彼の訴えにキャンディスは「赤くなった顔も綺麗ですね」と言ってのけた。みぎぎぎぎと軽やかな愛の音色を奏でながら。
「ユベール様の美しい顔も好きですが、私が記憶を失ったと思って二回目のキスをしようとするその分かりやすい性格も大好きですよ」
柔らかく微笑んでキャンディスが告げれば、ユベールが苦笑交じりに肩を竦める。
小さく息を吐いた後の彼の表情は、照れ臭そうで、そして穏やかで幸せそうだ。
「俺も、俺の顔も性格もすべて堪能してくれるキャンディスの事が大好きだよ」
そう答えて、彼もまたヴィオラの弓を操り、ヴィオラとは思えない音ながらに愛の音色を返してくれた。
「傷を癒すには熱い愛って言ったでしょう」とは、そんな二人のやりとりを嬉しそうに見守っていたリアの言葉。
…end…
『ざまぁ後の王子様もらいます〜だって顔が良いから!〜』
これにて完結です!
最後までお付き合い頂きありがとうございました!!
ユベールの顔が大好きなキャンディスと、主夫として開花していくユベールのお話、コメディだったりシリアス入ったりで書いていてとても楽しかったです。
少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
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