04:眼帯と楽しい音楽会
キャンディスの左目は黒一色の布の眼帯で覆われている。右目は青色の瞳、本来であれば同色の瞳が左目にあったのだが今はもう跡形もない。
眼帯の下は深い傷で目が塞がれており、更に傷の端は眼帯では隠しきれず露見している。頬の中央まで深々と走るように一本。眼帯を捲れば更に目の周辺に傷が広がっている。
誰が見ても痛々しいと思える傷痕だ。
初見の者はぎょっとして見ては失礼だと露骨に視線を逸らし、中には年頃の女性の顔にと憐れみの表情を浮かべる者すら居る。傷痕に見慣れた騎士隊の仲間達でさえ、普段は平然と向き合ってはいるものの、傷について触れる時は慎重に言葉を選んでいる。
「……っ」
ユベールが言葉を詰まらせたのは、部屋から出てきたキャンディスが眼帯を着けていなかったからだ。
左目を覆う傷痕。言葉を詰まらせる事すらも失礼だと思えるほどの痛々しさ。ユベールに気付いたキャンディスが彼の方を見るが、傷痕で覆われた左目は動かない。そもそも目が塞がれているのだから動きようもない。
「あ、すまない……」
咄嗟に反応したこともまた傷つけると考えたのか、ユベールが謝罪の言葉と共に視線を逸らした。だが謝罪の言葉を口にした直後に更に気まずそうにするあたり、謝罪することもまた失礼だと判断したのだろう。
不可抗力とはいえ見てしまい、そして反応してしまった。それを謝ったが謝ることも失礼ではないか。さりとて見なかったふりもできない……。と、考えを巡らせているのか彼の麗しい顔が困惑の色を強める。
そんなユベールに対してキャンディスはと言えば、「お気になさらず」とあっさりと返すだけだった。片手にはひらひらと黒い布を揺らしながら。
言わずもがな眼帯だ。ユベールがチラと眼帯に視線を向ける。
「……外していたのは傷が痛むからか?」
「いえ、別に今は傷みませんよ」
「それなら何か理由があって外しているのか?」
「理由と言うか……」
問われ、キャンディスは片手に持っていた眼帯を軽く持ち上げた。
黒一色の飾り気のない布。だがよく見ると一枚布の中でも黒さに違いがあるのが分かる。
柄ではない。これは……、シミだ。
「さっきお茶を零して、拭くものが無かったんで咄嗟にこれで拭いたんです」
そう答えれば、ユベールの眉間に皺が寄った。
傷痕を見てしまったという気まずそうな表情が次第に「えぇ……」というものへと変わっていく。引き気味の顔だ。それでも麗しいのだが。
「……それで拭いたのか」
「はい。手元に何も無かったので拭きました。あ、でもリアには言わないでください。知られると『また横着して』って怒って、しかも眼帯に可愛いアップリケを着けようとするんです」
「……そうか」
「というわけで、この件はご内密に。私はこれからリアに見つからないようこっそりと眼帯を洗濯物に混ぜる極秘任務に移ります」
「分かった。後でこっそり洗っておいてやる」
呆れを込めながらもユベールが片手を差し出してくる。これはきっと眼帯を寄越せと言う意味だろう。
それに対してキャンディスは「お願いします」と素直に眼帯を彼に渡し、ついでにポケットからもう一枚眼帯を取り出していそいそと顔に巻いた。
「ところで、私を呼びに来たんじゃなかったんですか? 何か用が?」
「リアがお茶を淹れてくれたんだ。それでキャンディスも呼んできてくれと頼まれた」
「お茶を? ちょうど良かった、飲もうと思ったところを零したんで喉が渇いてたんですよ。それにお腹も空いていました」
「食べ物があるとは言ってないんだが。……まぁ良い、何か用意してやる」
苦笑と共に肩を竦め、ユベールが階段へと向かう。
キャンディスもまたその後を追いつつ「タルトの気分です」と注文しておいた。もっとも、これに関しては「クッキーしかないから却下だ」という手厳しい言葉が返ってきた。
◆◆◆
「私とリアは同じ村出身なんです」
キャンディスがお茶を飲みながら話せば、向かいに座っていたユベールが「そうなのか」と返してきた。
テーブルには二人分のカップとティーポット、そして中央にはクッキーの載った皿。
ちなみに話題の中心であるリアは少し前に買物に行ってしまった。キャンディスとユベールも荷物持ちに同行しようとしたのだが「二人でゆっくりと過ごしなさい。心を癒すには美味しいお茶と愛の語らいよ」と断られて今に至る。
「元々リアは娘さんと過ごしていたんですが、数年前に結婚して家を出たんです。リアも最初は一人で村に残っていたんですが、祖父母の代に建てられた家は結構ガタが来てて」
夫を数年前に看取り、一人娘も嫁いでいった。残されたのは自分一人。
自分が亡き後はこの家に住む者はいない。ならば無理に直す必要はないのではないか。だが家にガタが来ているのも事実で……。
「どうしたものかと悩んでいて、そこを私が声を掛けたんです。王都に行くから一緒に来て家事を頼まれてくれないか……って。一人で村を出るよりリアと一緒の方が私の両親も安心できるって言ってました」
「なるほど。家政婦と聞いていた割には二人のやりとりが近いと感じたのはそのせいか」
「家のあれこれは全部任せてるし、給金も全額渡して管理してもらってるし、家政婦じゃここまでやってくれませんよね。だからどちらかというと家族と一緒に暮らしてるって感じです。小さな村だからみんな親族みたいなもんだし」
下手に王都で家政婦を探すより、見知った仲のリアに頼むほうが考えるまでもなく気が楽だ。
そうキャンディスが話す。ちなみにその際のユベールが口にした「自分で家事をする選択肢はなかったのか」という問いはさらりと聞き流すことにした。
これが以前の身の回りの世話はしてもらって当然の第一王子相手だったなら「貴方だって」と反論できるのだが、王子の肩書を失った彼は己のことはすべて己でこなし、部屋も常に綺麗に保ち、更に最近ではリアの手伝いどころか率先して家事をこなしているのだ。
存外に家事能力が高かったようで日に日に腕前が上がっている。
そんな彼に対して反論するのは分が悪い。そう考えてキャンディスは話題を変えようと周囲を探った。
「なにか、なにか別の話題を……。そうだ、ユベール様の顔の良さについて話し合いましょう!」
「嫌だ」
「その嫌がる顔もまた麗しいですね。それならスタイルの良さについてはどうでしょう。足が長いし、そもそも腰の位置が高いんですよね」
「それも嫌だ」
「あぁまったくもって素晴らしい。今はもうユベール様の顔やらスタイルやら以外に話すことなんて一切ありません」
「わかったわかった、そう必死になるな。家事についての話は終わりだ」
呆れを込めてユベールが話題を終える。
ついで彼は話題を探すように一瞬考えを巡らせ、ふと思い立ったように「そういえば」と話し始めた。
「さっきリアと同じ村出身と話していたが、どこなんだ?」
「アデル村です。遠いし辺鄙な場所にあるので馬車でまっすぐ向かっても二日はかかります。人口も少ないし、狭いし、なんにもない村ですよ。羊と人間の数が同じくらいです」
「そうか、それはかなり……」
田舎、と言いかけたのか、だがユベールはムグと一度口をつぐむと「長閑で良さそうだな」と言葉を改めた。
この言葉にキャンディスは眉根を寄せ「長閑ねぇ」とオウム返しだ。
長閑。たしかにそう言えるかもしれないが、あの村は長閑どころではない気がする。
故郷を悪く言うつもりはないし、故郷を愛している。いずれは自分も帰るつもりだ。だが胸を張って説明できる場所かというと……。
「まぁ、悪い場所ではありませんね。自然が広がっていて、夜になると空には数え切れないほどの星が輝いて、動物の鳴き声が聞こえて……」
ふと、キャンディスは言葉を止めた。
脳裏に故郷の景色が蘇る。
いかにも田舎村といった景観。夜になると家屋の明かりは灯るものの、それだって王都の明かりに比べれば細々としている。
そんな田舎村の夜。耳をすませば聞こえてくる生き物と自然の音。それと……
「八時になると村長がバグパイプを奏で始めます」
「なぜそうなる」
「きっちり八時から一時間演奏するんですよ。それに反応して動物達も鳴き始め、静かだった村が一瞬にして音で溢れます。もちろん私達も黙ってはいません」
「あぁ、そりゃ文句を言うよな」
「村民たちもまた楽器を手に各々音楽を奏でます。なので私の村では八時から一時間は音楽が響き渡ります」
ひときわ大きい村長のバグパイプ、各家庭から聞こえてくる音楽。それに共鳴して鳴き出す動物達……。
「ま、まぁ……、そういう習慣があっても良いんじゃないか? 音楽に長けた村なんだな。著名な音楽家がいたりするのか?」
「いえ、誰一人として音楽の教養なんてありません。みんな思い思いの音を出すし、誰一人合わせようともしません」
「村ぐるみなのに団結力の無さ……」
なんでそうなる、とユベールの顔に呆れの色が混ざり始める。
だがキャンディスはそんな彼の表情の変化に気付かず、アデル村の演奏会のことを想い出していた。
生まれてから毎晩聞き、一時期は子守唄代わりだった。そして成長すると自らもまた楽器を手に取り奏でていたのだ。
村を出て数年経つがいまだに鮮明に思い出せる。
もっとも思い出そうとも各々が毎晩勝手に奏でるため一度として同じ音楽になった試しは無いので、これというものを思い出しているわけではないのだが。そこは概念的なものである。
「田舎村なので音楽なんて上等の教養はありません。なので各々が手に入れた楽器をとりあえず弾きたいように奏でるんです。誰も譲らない、誰も合わせない、もはや何を演奏しているのかもわからない。そもそも誰一人として楽譜も持っていないし読めもしない。ただ己が奏でている音こそが至高の音楽だと信じて……!」
「どうして誰も止めないんだ」
「あの村で育つと、あれこそが音楽と思えてくるんです。自由と解放感に溢れた真の音楽。なんでしたら一曲奏でてさしあげましょうか」
「嫌だ、聞きたくない。やめろ立ち上がるな楽器を持ってこようとするんじゃない」
「そこまで拒否をしなくても良いじゃないですか。でもユベール様が楽器を手にしたらきっと絵になりますよ。いずれ一緒に奏でましょう」
きっと楽しいですよ、とキャンディスが誘えば、ユベールが苦笑と共に「いずれな」と肩を竦めて返してきた。