39:麗しの宰相様と近衛騎士隊長様
件の事件から十日後、王宮敷地内の一角に二人の男が立っていた。
宰相スティーツと近衛騎士隊長バロック。見目の良い二人が真剣味を帯びた表情で話をする光景に、通りがかった女性がほぅと熱い吐息を漏らし横目で眺めながら通り過ぎていく。
普段ならば愛想笑いの一つでも浮かべる彼等だが、今だけは一瞥もせずにいた。
「しかし、別の人格だの未来が分かるだの……。信じられないな」
いまだピンとこないもどかしさからか、雑に頭を掻きながらバロックがぼやく。
それに対してスティーツもまた涼やかな表情のまま気持ちは分かると頷いた。さすがに頭を掻くような豪快な動きこそしないが、溜息交じりの吐息は深い。指先で眼鏡の位置を正すのは彼が考え込んでいる時に見せる癖だ。
「私も同意見です。……と言いたいところですが、レベッカ様が嘘を吐いているとは思えません。それもよりにもよってミモア・ミルネアと同じ嘘を吐くなんて有りえない話です」
「だよなぁ。だけど人の中に他人が入るって言うのはどうも……。それもレベッカ様だろ?」
眉根を寄せて話すバロックに、スティーツが話をしようと口を開き、だが出かけた言葉を飲み込むと周囲を横目で見回した。
あまり聞かれたくない話題なのだろう。そうして周囲に人が居ない事を確認すると、ここだけの話だと言いたげに「その件ですが」と幾分声を潜めて話し出した。
「過去のレベッカ様は随分と我が儘で横暴な性格だったようです」
「あのレベッカ様が?」
尋ね返すバロックの声には疑問の色が濃く出ている。元より奇妙な話題に対して怪訝な表情を浮かべていたが、それがより顕著になる。
「今回の件、にわかには信じ難い話でしたので私の方でも少し調べてみました。といってもフォルター家に昔から仕えている者や、幼少時のレベッカ様を知る者に話を聞く程度ですけれど」
相手は公爵家だ。それもレベッカは次期王妃である。
緘口令が敷かれているわけではないが、踏み込みすぎると公爵家への無礼や侮辱と取られかねない。とりわけ令嬢の過去を、それも本人や公爵家夫妻があまり語りたがらない過去を調べるのだから、下手すれば社交界から爪弾き者にされる恐れもある。
レベッカへの侮辱としてソエルの反感でも買おうものなら終わりだ。王都での躍進どころか王宮勤めの地位さえ危うくなる。
そう考えて、調べるといっても程々に、浅く、軽く、もしもレベッカ達に知られても問題ない程度に抑えておいた。
「真実より保身ですから」
はっきりとした断言。
この潔さは一般的にはどうかと思えるものなのだが、聞いているのはバロックだけで、彼からの返事は「それは当然」である。
「それで、話を聞いた結果は?」
「話を聞くにかなり質の悪い性格だったようです。我が儘で周りの迷惑なんてお構いなし、勉強もマナー練習も何もかも気分次第で放棄し遊んでばかり……。既にユベール様との婚約は決まっていたようですが、とうてい次期王妃になれる器では無いかと。公爵家も、社交界の目を恐れて田舎村に住まいを移していたようです」
声量こそ押さえているもののスティーツの口調ははっきりとしており、遠慮もなにもない。彼が聞いた話ではそれ程までに過去のレベッカは酷かったのだ。
この話にバロックが眉根を寄せた。元より男らしく体躯もあって威圧感を与える男が、表情を渋くさせる事で更に威圧感を増す。
だがこんな表情になるのも仕方ない。今のレベッカからはまったく想像出来ないからだ。
だが想像できないからこそ、この信じ難い話に信憑性が出てくる。
「それでまったくの別人が入れ替わって、今のレベッカ様ってことか」
「そういう事になります。話だけならばやはり信じられませんが、ここは事実と受け入れるべきでしょう。……私達も似たようなものを目の当たりにしていますからね」
「俺達も? ……あぁ、ミレーナ・エルシェラか」
一人の令嬢を思い出し、バロックがその名前を口にした。
ミレーナ・エルシェラ。エルシェラ伯爵家の次女。
我が儘で自己中心的で自分が一番じゃないと癇癪を起こす『困った』等という表現が温い迷惑な令嬢。
周囲を羨む性格で、誰が相手だろうと誰が見ていようとお構い無し、必死になって制止する姉の言葉も無視して「ずるい」「私の方が」と連呼する。以前に夜会の会場でスティーツと踊ったキャンディスに対しても「ずるい」と言っていた。
他にもあちこちでやらかしており、バロックも彼女のことは『面倒な令嬢』として把握している。いかに家柄が良くとも近付きたくないと思えるほどだ。
だがミレーナは夜会からしばらくして心を入れ替えたように性格が変わってしまった。
己の行動を恥じ、マナーを学び、そしてスティーツに対してどころか田舎出の騎士でしかないキャンディスに対しても真摯に謝罪をしたのだ。彼女の口癖である「ずるい」も今はすっかりと成りを潜めていると聞く。
その変化は、改心したというより人が変わったという方が合っている。
それこそ、ミレーナ・エルシェラの中に別の人間が入り込んだかのように……。
「もしかしたらミレーナ・エルシェラも……、正しくは彼女の中に入った『今のミレーナ・エルシェラ』も、己が辿る人生を知っていたのかもしれませんね」
「俺が冗談半分に言った。『お姉様、公爵家の方と婚約なんてずるい。私にちょうだい!!』ってやつか。確かに昔の性格のままだったら言ってただろうな」
「姉の婚約を横取りしようとし、公爵家の怒りを買って痛い目を見る。ミレーナの中に入った人物はそんな破滅の未来を知っていて、それを回避するために行動をした。その結果ミレーナは善良な令嬢となり、姉妹の仲も改善されてめでたしめでたし。……というのは有りえない話じゃありません」
「確かに考えられる。……まぁ、そもそもの『ひとの中に他人が入る』っていうのがやっぱり信じられない話なんだが、いつまでもぐだぐだ言ってられないしな」
信じられない話だ。だが信じるほかない。
公爵家令嬢であり次期王妃であるレベッカの話を否定するわけにはいかないし、否定したところで「ならどう考えているのか」と問われれば説明のしようもないのだ。
そもそも、ミモア捜索に関してならばまだしも『人の体に他人が入る』という件に関しては、自分達の意見を求められるとも思っていない。
結局のところ、スティーツとバロックはミモア捜索こそ任されていたが当事者ではなく、信じなくとも、否定しようとも、彼等の話に加わる事は出来ないだろう。無理に口を挟めば悪印象を抱かれかねない。
とりわけ王都での躍進を望む二人からしたら、今一つ理解しきれぬ話であろうとも優先すべきは権力者の判断である。彼等が「そうだ」と言うのなら「なるほど、そうでしたか」と返して終わりだ。
真実より保身。なにより躍進。
今回の件でミモア捜索をやり終えた功績を認められるのであれば、疑問なんて目を瞑って評価と褒美を受け取るに限る。
そうあっさりと結論付け、 スティーツが上着から懐中時計を取り出し「そろそろ行きましょうか」と建物の入り口へと歩き出した。
だがふと足を止め、改めるようにじっとバロックを見つめた。涼やかで知的な男の視線に疑惑の色が混ざる。
「ところでバロック、貴方さいきん見合い相手と食事をしたり話をする時間を作っているそうですね。今までは家名しか見ていなかったのに……。まさか……」
「俺は別に他人と入れ替わったわけじゃないからな」
そんな話をしながら歩く二人に、居合わせた女性達が「いったい何を話していらっしゃるのかしら」「素敵ね」と遠目から熱い視線を送っていた。