33:雪の朝の再会
ミモア・ミルネアは何かしらの行動を取ろうとしている。
そのためには王宮や公爵家の動向を知る必要があるが、フレノア国にいるミモアが集められる情報には限りがある。
両国間の関係は敵対こそしていないが友好というわけでもなく、それも間に一つ国を挟んでいるため、探りを入れるのは容易ではない。
だからミモアはユベールに連絡を入れた。かつての第一王子の知識は捨てるには惜しいし、ユベールが動けば王宮内の動きを知る事も不可能ではない。
落ちぶれた彼を憐れんで手を差し伸べる者がいるかもしれないし、そこを起点に手を広げることも可能だ。
「……ユベール、久しぶりね」
雪が降り注ぐ中、鈴の音のような声で名を呼ばれ、朝の買い物からの帰路に就いていたユベールはそちらへ向くと同時に言葉を失った。
建物の影、人通りの多い市街地でありながらも人の目が届かない場所。そんな暗がりに立つのは暗がりの似合わぬ少女。
「ミモア……」
ユベールが呟くようにその名を呼んだ。掠れた声と共に吐いた呼吸が白くふわりと上がる。
かつては何度も愛を込めてこの名を呼んだが、今は信じられないという驚愕の色しかない。名前を口にした瞬間、心臓がドクリと不自然に跳ね上がったような気持ち悪さを覚えた。
冬の早朝、それも雪が降っている中だというのに寒さは感じず、今が寒いのかどうかも分からなくなる。大振りの雪に身を震わせながら小走り目に人が行き交う中で、なぜか自分と目の前の暗がり、そしてそこに立つ少女だけが薄い膜で隔離されているように思えた。
なぜここにミモアが居るのか。
いつ国内に戻ってきたのか。
どうして自分に声を掛けてきたのか。
頭の中で疑問が溢れかえり、どうすべきか適した判断が出来ない。
躊躇っているのを感じ取ったのかミモアが再び「ユベール」と呼んできた。
「会いたかったわ、ユベール」
「……そう、だな。あぁ、俺も会いたかったよミモア」
「あの時、貴方を置いていってごめんなさい……。本当は一緒に逃げたかった。でもあの時は私も必死で……。それで、貴方が酷い目にあってると聞いてどうしても助けたくて」
「酷い目……」
「人を売買するなんて有りえないわ。貴方を物のように扱うなんて許せない……」
ミモアがユベールの状況を憐れむ。顔を俯かせ、深く溜息を吐き、更には目元を指で拭う。
掠れる声で「ごめんなさい」と呟くのは、きっとあの日に見捨てて逃げた事と、助けに来たのが遅くなってしまったことを詫びているのだろう。
そんなミモアを見て、ユベールは心の中で「あぁ、本当に俺は闇オークションに掛けられたことになってるんだな」と達観した気持ちでいた。
ミモアの姿は悲壮感が漂っており、辛く胸が詰まりそうな空気を纏っている。
事情を知らぬ者ならばこれほど胸を痛めているのかと感じただろう。逆にミモアに憐れみを抱きかねないほど。かつての自分なら騙されて彼女を宥めていたかもしれない。
だがそんなミモアの態度のおかげで冷静さを取り戻せた。
冬の寒さ、降り注ぐ雪が肌に触れる冷たさ、行きかう人々の足音や会話。それらが一気に頭の中に流れこんでくる。
落ち着きを取り戻し、混乱していた頭の中が冴えてくる。
だからこそ考える。
訂正するのはまだ先で良い……。
「ミモア、そんなに謝らないでくれ。こうやって迎えに来てくれたじゃないか。それだけで俺は……辛い日々を忘れられる……」
胸元をぎゅっと掴み、ユベールが視線を逸らしながら告げた。
きっと痛々しい表情が出来ているだろう。ここにキャンディスが居れば「なるほどこれが闇オークションに掛けられる男の憂い顔」とでも言って堪能しそうだ。堪能しすぎるあまり記憶を失って昨日の昼頃まで戻りかねない。
そんなことを考えるぐらいには余裕で、そして今の自分は悲壮感と儚さを漂わせた表情が出来ていると自負する。
まさに『全てを失い闇オークションに掛けられ高額で競り落とされ、好事家に愛玩用として扱われる悲劇の元王子』だ。
元よりユベールをそうだと考えているミモアは端からこの演技を信じ、悲痛そうな声色でユベールの名を呼んだ。
「もう大丈夫よ、ユベール。これからは一緒に過ごしましょう」
「また、きみと居られるのか……?」
「えぇ、そうよ。でもそのためには私に協力してほしいの」
「……分かった。だが直ぐには動けない。そろそろ戻らないと怪しまれるだろう……。今夜、いつもの時間に『あの場所』で会おう」
ユベールの提案にミモアが頷く。そうして「また今夜ね」と、まるでかつて愛を語り合った仲のように優しい声で告げ、建物の影の奥へと入っていった。
暗がりの似合わぬ少女が、暗がりの中に溶け込むように消えていく。
その光景をユベールは目を細めて眺め、深く息を吐いた。白んだ息が寒い空気の中に浮かんで消えていく。
「ミモア、残念だけど、俺は顔は良くても性格はそこまで良くないんだ。……少なくとも、かつて愛したきみを騙せるくらいにはな」
そう囁くように話すと、家に戻るべく普段より足早に歩き出した。
ミモアには『そろそろ戻らないと怪しまれる』と告げておいた。
きっと彼女は、朝の買物を命じられて出たに過ぎず、それも外界で過ごせる僅かな時間と考えているだろう。決められた帰宅時間を守らないと好事家から酷い目に遭わされるとでも思っているのかもしれない。
僅かな自由しか許されぬ、それさえも制限をされた哀れな男……。それなら自分が差し出した救いの手に縋りつくに違いない、ミモアはそう考えているはずだ。
もっとも現実は大きく異なり、ユベールが家に入ると迎えたのは好事家ではなく……、
「おかえりなさぁい」
という、休みの日なのでソファで引っ繰り返っているキャンディスである。間延びした声のだらけ具合と言ったらない。
だがゆるゆると緩慢な動きながらに起き上がり「温かいものを淹れますね」とキッチンへと向かっていく。
リアは編み物をしており「おかえりなさい、寒かったでしょう」と労ってくれた。
二人の言葉にユベールはふっと柔らかな笑みを浮かべ……、そしてその笑みの麗しさに意識を失ったキャンディスを「お茶は後だ、行くぞ」とせっついた。