32:お疲れ気味の近衛騎士隊長様
手紙の内容から判断するにミモアがユベールを諦める可能性は低い。
国を去ったミモアにとって、今この国の状況、王宮や公爵家についての情報を得る手段は殆どなく、最有力候補がユベールなのだ。
かつての第一王子。同時に、かつてのレベッカの婚約者。ミモアが何を考えているのかは分からないが、何かしら考えているのだとすればユベールを捨てるのは惜しいはずだ。
「ユベール様が返事が出来ない状況にあると考えたのなら、次は別の方法で接触を図る可能性が高いです。何かあればまたご報告をお願い致します。キャンディス、その時は今回のように俺の執務室に来てくれ」
玄関先で真剣みを帯びた声色で告げてくるバロックに、キャンディスは「かしこまりました」と返した。
そうして彼が一礼して去っていくのを、ユベールと共に見送ろうとし……、ふと思い立って「待ってください」と声を掛けた。ほぼ同時にユベールもまたバロックを呼び止める。
二人から同時に呼ばれ、バロックが振り返り「何か?」と尋ねながら戻ってきた。
「今すぐにじゃなくて良いんで、一つ調べておいてもらいたい事があります」
「あぁ、俺もだ。忙しいところすまないが、出来るならば知っておきたい」
キャンディスとユベールの真面目な口調に、バロックが僅かに表情を硬くさせた。
「かしこまりました。出来る限りのことはします。それで、俺は何を調べればよろしいのでしょうか」
バロックが真剣味を帯びた声色で尋ねてくる。
それに対してキャンディスとユベールが同時に口を開いた。
「ユベール様がいくらで競り落とされたかです」
「俺がいくらで競り落とされたかだ」
……シン、と周囲が静まった。
否、実際には長閑な住宅街ゆえ静まる事はなく周囲は音で溢れている。家から聞こえてくる生活音、子供達の笑い声、草木が風に揺れる音……。
だが一瞬、静まったような気がしたのだ。少なくともバロックには周囲の音が一瞬にして消え去ったように思えた。
「……知りたいのか、キャンディス」
「知りたいです。むしろユベール様を愛玩用として競り落とした好事家として知っておかねばと思いまして」
「……知りたいんですか、ユベール様」
「正直に言えば興味はある。それに好事家に愛玩用として飼われた身として自分の価格は知っておいた方が良いだろう」
唖然とするバロックの問いに、キャンディスとユベールがはっきりと返した。
◆◆◆
王宮に戻り、仕事を終え、バロックが自宅へと戻ったのは夜と言える時間帯だった。
ミモアの件を任されてから帰りは遅いが、陛下から直々に任されているのだから仕方あるまい。メイド長が既に家族は夕食を済まして自室に居る旨を告げてくる。それもまた今更なことなのでさして何も言わず、食事を自室に運ぶよう命じておいた。
子供ではないのだ、今更一人で食事をする事をどうとも思わない。むしろミモア捜索が難航している今、一人で食事を摂れるのは有難くもあった。
たとえ家族と言えども詳しく話すことは出来ず、何をしているのか、それほど重要な仕事なのかと問われてもはぐらかすしかない。それが数ヵ月経てばさすがに家族も訝しんでくる。
ただでさえミモア捜索で心労が溜まっているところに、家族からの何とも言えない視線を浴びるのはご免だ。
それと……。
「旦那様と奥方様が、また縁談の申し出が来ていると仰っていました」
メイド長からの報告にバロックは眉根を寄せた。「またか」と聞かれないように小さく呟く。
この話題からも逃げられるのでやはり一人の食事の方が気が楽だ。
「釣書には目を通すが、動くのは今預かっている件を片付けてからにすると言っておいてくれ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げてメイド長が去っていく。
それを見届け、バロックは自室へと戻っていった。
食事をしながら釣書を眺める。一人なのではしたないと文句を言う者もいないし、そもそも騎士としての務めの最中は書類を片手に食事なんてざらにある事だ。
婚約を申し込んできたのは子爵家の令嬢。それと商家の娘からも来ていた。他にも……、と、手に取ったものを次から次へと眺めていく。
バロックは貴族の出ではあるが高位という程の家ではない。それも四男。物心ついた時には既に長兄が跡継ぎの勉強をしており、年齢的にも巻き返しは望めない。
だが跡継ぎではないが騎士としての地位は高い。それだけでも婚約の申し込みは多いだろうが、更に身長が高くなにより顔が良い。おかげで結婚相手は選び放題だ。
社交界においてはさして高くもない家柄の四男という絶妙な立ち位置に産まれた事に不満はあるが、見た目という加点が多いのでプラスマイナスを考えればプラスと言えるだろう。
「俺の出世と利益になりそうな相手を……」
自室に自分一人しか居ないので遠慮無しに打算的な事を口にする。
釣書で重視するのは相手の出自、考えるのは結婚後どれだけ生家が後ろ盾になってくれるか。そしてその際の威力。
高位の貴族というだけでは駄目だ。権威を主張する兄や発言権を持つ姉が居てはこちらのやり方に口を挟まれるかもしれない。理想は相応の家の一人娘、そんな相手が居れば喜んで婿にいこう。
仮にここにスティーツが居れば同感だと頷いただろう。
キャンディスが居れば「良い顔に産んでくれたご両親に感謝するべきですね」と嫌味の一つでも言って寄越すか。ユベールはさすがに何も言わないだろうが肩を竦めるぐらいはしたかもしれない。
「キャンディスとユベール様か……」
ふと日中のことを思い出した。
キャンディスとユベールの会話。
お互いの言い分を理解し、冗談に冗談で乗って返す。聞いているこちらとしては「本気で取り組む気があるのか」と呆れてしまうものだが、当人達は楽しそうだった。
意味のない、それでいて気心の知れた仲の応酬。あれぞ『他愛もない会話』と言える。
彼等は常にあんな会話を交わし、笑い、一つのテーブルを囲んでいるのだ。これから先もずっと……。
それは利益にはならないが、きっと心地良くて楽しい日々だ。
「……少しぐらいは性格を考慮しても良いかもしれないな。長く連れ添うなら気の合う相手の方が充実するし」
そんな事を独り言ちて、バロックは改めて釣書を眺めた。
それからしばらく後、バロックは頼まれたのだからとフレノア国においてのユベールが競り落とされたという金額をきちんと調べあげた。
「俺は何を調べているんだろう」という考えは幾度となく頭をよぎったが、それは騎士としての責任感で押し留めた。
自分は騎士だ。それも近衛騎士隊長。一度任されたことは何であろうと反故にするわけにはいかない……。そう己に言い聞かせたのは何度だったか。思い出せないし思い出したくもない。
そうして何とか調べあげた金額を伝えれば、キャンディスとユベールは顔を見合わせ、
「まぁ妥当といえば妥当な金額ですが、もう少し、いえ、あと桁の一つか二つぐらい上げてもいいんじゃありませんか? まったくぬるい考えですね、フレノア国で愛玩用にユベール様を買った好事家は」
「へぇ、俺の顔ってそんなに高額になるのか」
と、和気藹々と話していた。
片や金額に不満そうに、片や満更でもなさそうに。両極端な反応ではあるが、バロックからしたらどっちもどっちである。そもそも金額を知ろうとしていた時点でバロックからしたら理解出来ない話なのだ。
それでも二人に頼まれたことを果たした達成感を覚えながら、用意された紅茶を飲みつつ、作りたてだというオレンジジャムをクラッカーに乗せて堪能した。
それは、ミモアがユベールに接触し、全てを動かす騒動が起こって三ヶ月後。
王都から遠く離れた場所でのこと。