30:二通目の手紙
結局、ミモアが動かない事にはこちらはどうしようもない。
バロックやスティーツはミモア捜索を続けながらフレノア国の出方を探り、レベッカもまたミモアが己に恨みを抱いている可能性を考えて警戒を強める。元々多忙なレベッカはフレノア国の動向を窺いながら王妃教育に励み、未来の王であるソエルと共に外交や内政に務めているのだから立派なものだ。
だがキャンディスはまったくもってやることが無い。騎士としての仕事とミモアの件とは無関係なので普段通りの仕事を続けるだけだ。
平和な日常に戻り、いつも通りに過ごす。
朝はユベールの顔の良さを堪能し、仕事に行き、帰ってきてユベールの顔の良さを堪能する。非番の日は一日中堪能する。
堪能し過ぎて記憶を失うのはご愛嬌。
そんな生活を送っていたある日の朝、キャンディスは王宮内を歩いていた。
平時ならば一介のそれも末端に位置する騎士はあまり王宮内に足を踏み入れる事は無い。さすがに緊張はしないが、畏まった重苦しい空気は慣れず、なんとも居心地が悪い。
それでもと上質の絨毯が敷かれた通路を歩き一室の前で足を止めた。扉には札が掛かっており主人の名前が記されている。
近衛騎士隊長バロックの執務室。彼ほどの地位になると王宮に執務室を与えられるのだ。
「キャンディス・クラリッカです。失礼します」
声を掛けながらノックし、入室の許可を聞いて扉を開ける。
中に居たのはバロックとスティーツだ。二人が揃えたようにこちらを見てくる。
女性達に人気の美丈夫二人。これが世の令嬢や夫人であれば、きっと二人に同時に見つめられて胸をときめかせただろう。緊張して部屋に入れないか、もしくは夢心地で部屋に入るかだ。
もっとも、キャンディスは例外である。
なにせ彼等二人を纏めても敵わないほど顔の良いユベールを日々見ているのだ。今朝も仕事に出る前の日課として彼の顔を一分ほど見つめ「それじゃいってらっしゃ……、待て! 眼帯がクマのアップリケ付きだ!!」という会話をしてきた。焦る彼の顔も麗しかった。
そんな見目の良いユベールと生活を共にしているのだから、たとえ麗しの宰相と近衛騎士隊長が相手でもときめかない。
「失礼しました、顔が良いけど性格は難有りな男の集まりの最中でしたか」
「入室早々に失礼な奴だな。顔が良いが性格は難有り男の集まりなら、リーダーことユベール様が居ないとおかしいだろ」
「ユベール様は性格難有りじゃありませんよ。ただ単純すぎてミモアの真実の愛発言にコロっと騙されただけです」
キャンディスが主張するも、バロックとスティーツは呆れた表情を浮かべるだけだ。その顔も良いのだが、もちろんキャンディスの胸は一切ときめかず平常運転である。
二人もキャンディス相手に媚を売る必要も体面を取り繕う必要もないと割り切っているのか、面倒くさそうに「それで」と話を促してきた。素っ気ないを通り越して冷めた対応である。
仮に彼等に恋焦がれる令嬢達がこんな対応をされれば「嫌われているのかも」「何か失礼を働いたのかしら」と胸を痛めて悲しんだだろう。もっとも、世間の令嬢は彼等にとって利益になる存在なのでこんな対応をするわけがないが。
「それで、わざわざ喧嘩を売りに来たのか?」
「末端の騎士だってそんなに暇じゃありません。……まぁ、今日は仕事も無さそうだし何をしようかって皆で話してましたけど。でもちゃんと用件があってきたんです」
「用事? いったい何だ?」
バロックが尋ねてくる。
スティーツもまた疑問を抱いているのだろう、問うような視線を向けてくる。
そんな二人に対して、キャンディスは背筋を正して口を開いた。
「ミモア・ミルネアから二通目の手紙が届きましたので、ご報告に参りました」
騎士の報告らしくはっきりとした口調で告げれば、バロックとスティーツが一瞬言葉を失った。
「「それをさっさと言えよ」」
そんな二人の声を聞いた気がしたが、キャンディスはやはり気にもかけなかった。
◆◆◆
ミモアがユベールに対して何らかの行動をした場合、キャンディスを通じて連絡をするように言われていた。
出来る限り周囲に知られないよう、騒ぎを最小限に抑えておくようにも言い渡されている。おまけに、独断での行動はするなと釘を刺されてもいた。
キャンディスからしたら「独断で行動なんて面倒なことしませんよ」という気持ちなのだが、これは言わずに大人しく頭を下げて了承しておいた。
そういうわけで律儀にバロックの執務室に報告に行き、結果、彼と共にユベールの待つ自宅へと向かっている。
ちゃっかりとキャンディスがロブに対して「我が家にバロック様をお連れして直帰します」と告げたのは言うまでもない。これはつまり「家に帰ったらそのまま戻ってきませんお疲れさまでした。やったぁ合法で早退だ!」という意味であり、察したロブや仲間達もさして仕事はないからかお茶片手に「おつかれさん」だけだった。
「二通目の手紙が届いたのは今朝です。なので私が手紙を持って行こうとも思ったんですが、まずはバロック様の指示を仰ごうと思いまして」
「なるほど、それで報告に来たのか」
「独断で行動しただの後であれこれ言われるのも面倒ですからね。勝手に持ち出したなんて言われたら堪ったもんじゃないし、それなら誰かしらにご足労掛けさせた方が良いと考えました」
「本音が見え隠れどころじゃないな。もう少しどうにかならないのか」
「どうにもなりません」
はっきりとキャンディスが断言しながら歩く。
隣を歩くバロックは整った顔をうんざりとしたものに変えたが、しばらくするとあっさりと「そうか」とだけ返してきた。
元々彼の中でのキャンディスは『公爵令嬢に誰より近いくせに利益にならない騎士』なのだ。きっと失礼だろうと何だろうとその印象は上がりもせず下がりもせず、結果的に無価値なら態度もどうでも良いかと判断したに違いない。むしろここで言及して叱責した場合、回りまわってレベッカからの評価が悪くなるかも……、と、そんなことを危惧したかもしれない。
なにより、バロックが今気に掛けるべきは末端騎士の態度ではなくミモアからの手紙なのだ。
「事態が動いたと考えるべきか、それとも後手後手にならざるをえない現状を恥じるべきか」
「立場のある方って大変ですね。ご苦労様です」
「……ビックリするぐらいに他人事だな」
「ミモアに関しては私これっぽっちも興味ないんで」
キャンディスの口調はあっさりとしたもので、心から興味がないという気持ちが漂っている。興味があるのを嘯いている色も無ければ、さりとて嫌悪というほどの色もないのだ。
本当にどうでもいい。ミモアが今どこで何をしようが、何を考えていようが、なぜそこまで王妃の座やレベッカに固執するのかも。
「だけど……」と小さくキャンディスが呟いた。
「ミモアからの手紙を見るユベール様は辛そうで、あの顔は麗しくても見たくないんです。だから早々に解決してもらうための協力はします」
後半は真剣味を帯びた声でキャンディスが告げれば、聞いていたバロックが僅かに目を丸くさせた。意外とでも言いたいのだろうか。
そんな会話をしつつ市街地を歩き、向かったのはキャンディスの家。
「ただいま帰りましたぁ」とキャンディスが屋内に声を掛けながら扉を開ければ、パタパタと廊下を小走り目に近付いてくる音が聞こえてきた。現れたのは水色エプロンを揺らすユベールだ。
彼はキャンディスの隣にバロックが居ることを見て取ると、やはりと言いたげに表情を緊張交じりのものに変えた。
「忙しいだろうに、わざわざ家に来させてすまないな」
「いえ、こちらこそ早期に報告頂き感謝しております。手紙の検分と届いた時の状況について詳しくお聞かせ頂けますか」
「あぁもちろんだ。中に入ってくれ」
ユベールが中へと促せば、バロックも一礼して屋内へと入っていった。
キャンディスもそれに続く。……その途中、こそとユベールに耳打ちした。
「真剣な会話の時は、その水色エプロンは外した方が良いかもしれませんね。似合ってますけど、きっとエプロンを外した方がより絵になりますよ」
これを聞いたユベールが次第に顔を赤くさせ、そそくさとエプロンを脱ぎだした。