03:衣食住の保証と顔
「キャンディス、お前、本当にユベール王子を……、いや、今はユベール元王子か。とにかく、彼をもらったんだな」
騎士隊の詰め所でロブに問われ、キャンディスは「何を今さら」という気持ちで首肯した。
あれから話を聞いた同僚に事実なのかと問われたことは多々あったが、他でもないロブはあの場に居たではないか。一部始終を隣で見て、そしてユベールを連れて帰宅するキャンディスを見送ってもいる。
だというのに改めて確認してきた意図が分からない。それもキャンディスがユベールを預かってから三日経った今になって。
「今更どうしたんですか」
「いまだに信じられないんだ。いや、疑ってるわけじゃないし、お前がそういう突拍子もないことをする奴だというのも理解してる。だがなんというか、もう一度確認だけはしておこうと思ってな」
「念入りですね。でも何度確認してもユベール様をもらいましたよ。今も家に居ます」
騎士としての仕事があるキャンディスと違い、今のユベールは何者でもなく、何も課せられていない。
かつて彼が背負っていた王子という肩書も、それに連なる役割も、全てはあの日に剥奪されたのだ。今はただ静かにキャンディスの家の自室に籠っている。
必要最低限の時以外は部屋から一歩も出ず、声をかけても簡素な返事だけ。まるで人の目を恐れているかのようだ。
そう話せばロブが眉根を寄せた。元より厳つめの顔に僅かに憐れみの色が混ざる。
「そうだよな、ユベール様もお辛いだろうな……。いくら自らの行動ゆえとはいえ、あぁもはっきりと女に逃げられて一気に全て失うなんて……」
「それは分かるんですが、部屋から出ないのは困りものですね」
「確かに、心配ではあるな」
「部屋に籠られては顔が見られません」
これは参ったとキャンディスが話せばロブが更に眉根を寄せた。
憐れみの色は一瞬にして消え去り今度は呆れの色が入れ替わる。
「確かにお前はそういう奴だな」
「そういうわけで、私は帰ってユベール様と話し合ってきます。今日こそあの良い顔を拝まないと!」
思い立ったら即! という勢いでキャンディスが勢いよく立ち上がり、椅子に掛けていた上着をひっつかんだ。
「では失礼します!」とそのままの勢いで詰め所から出て行く。その際にしれっと「後をお願いします」と「お疲れ様でした」と告げておくのも忘れない。
その勢いにロブが肩を竦めれば、居合わせた騎士達が労いの言葉を掛けてきた。
「あいつ、ロブ上官に仕事押し付けて帰りましたね」
「あぁ、見事な流れで押し付けていったな。でもそれでひとまずユベール様の件が落ち着いてくれるなら良いさ」
「ところで、キャンディスがあれだけ顔に拘るのって、あいつの顔に傷があるから……」
言いかけ、言葉を止める。
それに対して溜息交じりだったロブも眉根を寄せ「さぁどうだろうな」と返答をぼかした。
◆◆◆
ロブに仕事を押し付けて……、もとい、託して、キャンディスは真っすぐに家へと帰った。
扉を開ければ奥から小走り目に駆け寄ってきたのは家政婦のリアだ。
年はキャンディスの両親よりも上。故郷の村から共に王都に移り住んでおり、家政婦として雇ってはいるが家族のような存在だ。
「キャンディス、今日は帰りが早いわねぇ」
「ロブ上官がユベール様と話し合うべきだからと快く帰してくれました。それでリア、ユベール様は?」
「それが……」
リアがちらと天井を見る。その先、二階にある一室、そこに籠るユベールの事を考えているのだろう。今日もまた部屋から出てこなかったという意味だ。
この家に来てからユベールは必要最低限の時以外は部屋から出てこない。
食事にも降りて来ず、部屋の前まで食事を運びせめて食べてくれと告げると、しばらくすると皿が空になっている。それはキャンディスが仕事に出ている間も変わらないらしい。
今のユベールの心境を想えばそう簡単に人前には出られないだろう。
「でもこのままじゃ何も変わらないし、やっぱり私がちゃんと話をする必要がありますね」
「そうね。傷ついた心を癒すには愛が必要だから、ちゃんと話し合わないと」
いったい何に納得したのか、リアがうんうんと頷きながらキャンディスの肩を叩いてくる。その表情はどことなく嬉しそうだ。
どうにもリアは今回の件を勘違いしている節がある。
彼女の中では、ユベールは悪い女に騙されて、追放されかけたところをキャンディスが救いだした……、という事になっているようだ。
「違うと言えば違うんだけど、かといってどう違うかと問われると答えるのも難しい……。大まかに言えばその通りなんだけど」
「ほら、早く行ってきなさい。傷付いた心を癒すには愛が一番、強く抱きしめて熱いキスの一つでもしなさいよ」
「え、えぇ……、キスってそんな」
なんで今そんな話を、とキャンディスが狼狽えるもリアは話を聞かず、更に背中を押して二階に追いやろうとしてくる。
そろそろ老いを感じる年齢のはずだがこういう時の力は妙に強い。
彼女相手に本気で抗うわけにはいかず、ぐいぐいと押されるままに階段を登った。
そうして足を止めたのは一室の扉の前。
今まで空き部屋だったそこはまだプレートも何も無いがユベールの部屋である。数度ノックをして入室の許可を求めれば小さな声で「どうぞ」と聞こえてきた。
「失礼します。ユベール様、少し話が…………」
ゆっくりと扉を開けて中の様子を窺う。
まだベッドと小さな棚しか置かれていない殺風景な部屋。ベッドの上に座っているのは部屋の主のユベールだ。
寝るでもなく起きて何かをするでもなく、日がな一日そこに座り続けていたのだろうか。
「戻ってきたのか。今日は早かったな」
「顔が良いですね、ただいま戻りました。あー、本当に顔が良い。それで話をしたいんですが、あ、その角度で見る顔も麗しいですね」
「とりあえず落ち着け」
「失礼しました。数日ぶりなものでつい。……そう、数日ぶりですよ」
キャンディスがユベールの顔を正面から見るのは三日ぶり。彼をここに連れてきて以来だ。
以降はずっと部屋に籠られ、日中家を出ているキャンディスはまともに顔を合わせていない。
「ご気分が晴れないのは分かりますが、それでも顔を見せて貰わないと困ります」
「一人でひっそりと死ぬとでも思っているのか? 心配するな、さすがに人様の家で死んだりなんかしないさ。ただ今は一人で静かに」
「心配という意味の『顔を見せてくれ』というのもありますが、私が貴方の顔を見たいという意味での『顔を見せてくれ』でもあります」
はっきりと断言するキャンディスの言葉を聞き、ユベールが一瞬言葉を失い……、次の瞬間「そうだったな」と溜息交じりに呟くと盛大に肩を落とした。
「俺の顔を見ていたいんだったな」
「そうです。良い顔を見ていたいんです。だからユベール様をもらう事にしたのに、日がな一日部屋に引き籠られては話が違います。これは契約不履行。私には良い顔を要求する権利があります!」
「権利か……。まぁ、衣食住の保証をして貰ってる以上、俺も何かを返さないといけないな」
「それが顔です!!」
ユベールの顔こそ己が求めていたものだとキャンディスが訴えれば、力無く座っていたユベールが肩を竦め、ゆっくりとベッドから降りた。
深く息を吐きぐっと体を伸ばす動きにはどこか晴れ晴れとした様子があり、その仕草も、表情も、キャンディスの目に美しく映る。
とりわけこちらを見て苦笑する顔の麗しさと言ったらない。深緑色の瞳が細められ、形良い口の端を上げる。
「あーっ、顔が! とても顔が良い! 数日ぶりの麗しい顔!」
「はいはい、分かった。これからは部屋に籠らずちゃんと顔を見せれば良いんだろ」
さっそく部屋を出るつもりなのか、ユベールが部屋の扉へと向かう。つまりそこに立つキャンディスに近付いてくる。
はっとキャンディスが息を呑んだ。堪らず胸のあたりをぎゅっと掴む。
「麗しい顔が近付いてくる……! 呼吸が止まりそう!」
「相変わらず大袈裟な奴だな」
「…………」
「……キャンディス?」
「ひゅっ…………」
「顔の良さに見惚れるのは良いが呼吸はちゃんとしろ!」
ユベールが声を荒らげれば、それを聞いたキャンディスの意識が戻り、止まっていた呼吸が再開された。
息が止まっていたのは一瞬のことだ。だが一気に苦しさが押し寄せ、思わず呼吸が乱れてしまう。胸を押さえて短い呼吸を繰り返す様はまるで運動をしたかのようだ。
……実際には麗しい顔が近付いて来ただけの事なのだが。否、キャンディスにとっては『だけ』で済まされる話ではない。
「あ、危なかった……、ユベール様の顔が良すぎて、息をすることを忘れてしまいました……」
「顔を見せると決めたが、しょっちゅうこんな反応されるのは嫌だな」
早く慣れてくれよ、と話すユベールに対して、キャンディスは堂々と「慣れないほどの顔の良さですよ」と答え、二人で部屋を後にした。
その後はリアも交えて三人で夕食を摂ったのだが、リアは嬉しそうにユベールを迎え入れ、そしてキャンディスと目が合うと「やったわね!」と言いたげに目配せをしてきた。
もしや強く抱きしめて熱いキスをしたと思われているのだろうか……。
これだけは訂正しておいた方が良いのかと考えたが、リアと話すユベールは楽しそうで、その表情を見ているとまぁ良いかと思えた。