29:アデル村流の楽しい音楽会
心労が祟ったのか、家に帰るなりユベールが「少し休んでくる」と告げてきた。それも疲労を隠し切れぬ表情と声色で。
無理もない。かつて自分を騙した挙げ句に置いて逃げたミモアからの手紙、それを報告するために王宮へと出向き、更に王宮の一室には会いたくない面々が揃っていたのだ。
本来ならば王宮に行くのだって嫌だったはず。それでもかつての行いへの償いと清算、責任感だけで赴き、あの場の圧に耐え抜いた。
今は休ませてあげよう。
そう考え、キャンディスは「おやすみなさい」と一言掛けて、自室へと向かう後ろ姿を見送った。
◆◆◆
ユベールが部屋から出てきたのは数時間後、夜も遅くなり始めていた。
既にキャンディスはリアと夕食を済ませており、ユベールの分はいつでも温め直せるようにしておいた。
「……思ったより長く眠ってしまったな」
聞こえて来た声に、編み物をするリアの隣で毛糸玉をころころと転がしていたキャンディスはパッと顔を上げた。
ユベールがリビングに入ってくる。その顔色は普段通りのもので表情も穏やかだ。お腹を空かせているのか「俺の夕食は」と尋ねてくる。
そんなユベールの様子にキャンディスはほっと安堵した。良かった。ひとまず彼の気持ちは幾分晴れたようだ。
「夕食ならちゃんと取ってありますよ。今温めますから、お茶でも飲んで待っててください」
立ち上がりキッチンへと向かえば、リアもまた「それなら私がお茶を」とキャンディスに続いた。
ユベールが軽く息を吐き「ありがとう」と感謝を告げてくる。
その声には安堵の色があり、キャンディスも胸を撫でおろす気持ちでスープの入った鍋へと手を伸ばした。
そうしてユベールが遅くなった夕食を取り、食後のお茶をしている中、向かいに座って話をしていたキャンディスは徐に立ち上がった。
「どうした?」
不思議そうにユベールが見てくる。
座っているため彼は上目遣い気味になっておりさらに小首を傾げている。なんと麗しいのか。
「………っ! あ、あれ、いつのまに起きてきたんですか? 今から夕食を温めますね」
「また俺の顔が良いばっかりに……。夕食はもう食べた、今は食後のお茶をしてるだけだ。記憶を取り戻せ」
「はっ! そうでしたね、失礼しました。上目遣いで首を傾げるユベール様の顔が麗しかったので、つい記憶がなくなりました」
なんて失態を。とキャンディスか己の迂闊さを口にする。
だが「お恥ずかしい」とは言葉では言いつつも、そもそも恥とは思っていないし、もとを正せばユベールの顔が良いのが原因なのだ。むしろこれほどの顔を直視して記憶を失うのは自然の道理、なぜみんなが無事なのかが不思議でならないほどである。
それを語るも麗しいユベールはその整った顔に呆れと疑問の色を混ぜるだけで、「それで」と話を改めた。
「なんで突然立ち上がったんだ?」
「あぁ、そうでした。ユベール様に一曲お聞かせしようと思ったんです」
「……一曲?」
疑問の色を更に濃くしてユベールが眉根を寄せる。
だがキャンディスはその問いには答えず、部屋の一角に置いていたケースへと近付いた。中から取り出すのはバイオリンだ。
それをさっと優雅に構えてみせる。ラフな私服かつ一般家庭のリビングという環境ではあるが、その構え方はなかなか堂に入っている。
もっとも、少しでもバイオリンをかじったことのある者が見れば指の置き方も弓の持ち方もめちゃくちゃなのだが。
「音楽を聞けば気分転換にもなるでしょう」
「ま、待てキャンディス、今何時だと思ってるんだ」
「ご安心ください、お隣さんには夜に一曲演奏することは伝えて許可を貰っています。では!」
いざ! とキャンディスが弓を弦に添える。
ゆっくりと手前に引けば……
ぎうぅぅぅう
と音が鳴った。
「俺の知ってる楽器から俺の知らない音がする!!」
キャンディスの持つバイオリンが奏でる音にユベールが慄く。
だがキャンディスはそんなユベールの変化に気付かず、むしろ感動していると思い込み、期待に応えるべく更にと意気込んだ。
みぢぢぢぢ、ぎにぃぃぃ。と、お世辞にも音楽とは言えない奇怪な音が部屋に響く。
「なんでそんな清々しい表情でその音を出せるんだ! 待てキャンディス、とりあえず楽器を置いて……。リア、なぜリアまで楽器を……。待て!」
待てというユベールの静止の声もむなしく、リアが手にしていたフルートに口を添え……。
ぱぺぉ~~。
軽やかでありつつも不可思議な音を発した。
「こっちもこっちで俺の知ってる楽器から俺の知らない音が……。いや、今はそんなことより、二人ともひとまず楽器を置いてくれ!」
「遠慮しないでくださいユベール様、私達のこの熱い演奏を聞いて心を癒してください」
「癒される癒されないの話じゃない!」
しびれを切らしたユベールが強硬手段とキャンディスの腕を取った。
おおよそ弦楽器とは思えない音を出していたとはいえ演奏はしていたのだ、腕を押さえられては音は出せない。ぴたりと音がやめばつられてリアもフルートから口を離した。
けったいな音が響いていた部屋が一瞬にして静かになる。
そんな部屋の中、ユベールの顔をじっと見たキャンディスは表情を明るくさせた。
「ユベール様が元気になったようで良かったです。やはりアデル村の音楽は素晴らしいですね」
「……そうだな。おかげで元気にはなったよ」
苦笑混じりに返すユベールの表情はいつも通りだ。
それを見てキャンディスもまた笑って返した。
そんな二人を見守っていたリアが、
「やっぱり心の傷を癒すには愛ね」
としみじみと頷き、再びフルートでぷぴぁ~と愛のメロディを奏でた。