24:雨の日の来客
積もっていた雪も溶け、数日経つと名残も溶けて無くなった。
そんなある日、そろそろ夕刻に差し掛かる時間帯にドアノッカーを鳴らされ、夕食の下準備をしていたユベールとリアが揃えて顔を上げた。
「あら、お客さんかしら」
「俺が見てくる」
一言告げてユベールが玄関へと向かい、扉を開け……、そこに立つ人物を見て目を丸くさせた。
「突然の訪問、申し訳ありません。少しお話を伺いたく参りました」
玄関前に立っているのは近衛騎士隊長バロックだ。出てきたのがユベールだと判断するや畏まった挨拶と共に頭を下げる。
それに対してユベールは深緑色の瞳をカッと見開いた。
「雨っ!?」
ユベールが声を上げれば、バロックがビクリと肩を震わせた。
だが今のユベールは突如声を荒らげた事に謝罪をする余裕もなく、バロックが纏っている濡れた外套と、それと彼越しに見える外の景色に驚愕していた。
重々しい薄墨のような雲が空を覆い、しとしとと降り注ぐ……、雨だ。
「え、えぇ、俺が王宮を出たあたりから雲行きが怪しくなり、先程振り出して」
「すまないが話は後だ! とりあえず家にあがって待っててくれ!! リア、雨だ!家の中の窓を閉めてくれ! 俺は洗濯物を取り込んでくる!!」
屋内に声を掛けながらユベールが大急ぎで廊下を走っていく。
残されたバロックはと言えば、ひとまずこれ以上濡れるまいと玄関から家の中に入りつつも、奥までは入り込む気にはなれず「……お邪魔します」と誰にも聞こえないと分かっていても呟いた。
慌てて洗濯物を取り込み、まだ洗濯物を干したままの隣家に窓越しに「雨が降ってきてるぞ!」と声を掛け、立ち尽くしていたバロックをようやく家の中へと案内する。
取り込んだ洗濯物を畳むのと調理の続きをリアに任せ、ユベールは紅茶の手配とお茶請けを手早く用意してテーブルについた。
お茶請けはクラッカーと林檎のジャム。王宮関係者に出すお茶請けには些か地味だがここは一般家庭だ。
「待たせてすまなかった。それに変なところも見せてしまったな。日中は晴れてたから油断して、天気が悪くなっていたのは気付かなかったんだ」
恥ずかしそうにいそいそとエプロンを外しながらユベールが話せば、バロックが若干上擦った声ながらに「お気になさらず」と返した。
「俺の方こそ突然訪問して申し訳ありません。少しお話をお伺いしたくて……」
「ミモアの事だろう?」
まだ若干気圧された様子のバロックに対して、ユベールはあっさりと本題を口にした。
「ジャムを作ると聞きつけて貰いにくる奴を除けば、王宮勤めの騎士がわざわざこの家に来ることなんてミモア絡みでしか無いだろ」
「それはそうですが。……ジャム?」
「あぁ、気に入ったら持って帰ってくれ。それで、ミモアについて何を聞きたいんだ? 知っていることは全て話したはずだが」
ジャムの件はあっさりと流して今更な訪問の理由を問う。
ミモアについては婚約破棄騒動が起こってすぐに全て話すよう詰められており、その後は勘当されて今日まで蚊帳の外。今更ユベールが提供できる情報は無い。もちろん隠している事も無い。
そう話せば、疑っているわけではないのだろうバロックも頷いて返してきた。
「改めて情報を確認させて頂くだけです。ミモア・ミルネアは……」
「まさか他国の王子と繋がってるとは思わなかったな」
「ご存知でしたか」
「あぁ。キャンディスから聞いた。さすがに情報を漏らしただのと言ってくれるなよ?」
「分かっています。俺達も、ユベール様に伝わること前提で彼女に話しましたから」
直接ユベールに話をすればレベッカや両陛下から咎められる可能性がある。だからバロックはキャンディスに話をしたのだ。
彼女は騎士だし、婚約破棄騒動の場にも居た。報告の際には同行させている。関係者として情報を提供するのはおかしな話ではない。
なにより、たとえユベールに情報を流していたことを責められても、間にキャンディスを挟んでいればレベッカの怒りは逸らせる。
そう淡々とバロックが説明すれば、ユベールも同感だと頷いた。
「それで、ミモアの相手はフレノア国のリベルタ王子、確か第一王子だったよな」
フレノア国は国を一つ跨いだ先にある。そこの第一王子であるリベルタ・フレノアとミモアは繋がっていた。
ミモアは王宮から逃亡するや真っ先にフレノア国を目指したのだろう。更には第一王子の恋人として保護されているというのだから、どれだけ探しても見つからないはずである。
「昔からの知り合いだったらしいな。俺と一緒に居た時はそんな素振りは無かったんだが……」
「彼女をメイドとして雇っていた公爵家も、それどころかミモアの両親すらもこの件は把握していなかったようです」
「両親すらもか……。そういえば、ミモアは前に両親とは不仲だと言ってたな」
「はい。おかげで親族からはまったく情報を得られず困りました。ようやく所在が掴めたと思えばこの事態、国を跨いでいるだけあり大事になりかねずこちらも容易には動けないんです」
溜息交じりのバロックの口調は情報の提供と言うよりも愚痴に近い。
なにせ、ただでさえ捜索が難航しプレッシャーを感じていたというのに、ミモアは既に他国に渡っており、更にはその国の王子と繋がっていたのだ。
『まだ見つからないのか』というプレッシャーは『みすみす逃がして』というものに変わり、今となっては『なぜこうなるまで気付かなかった』と変化している。
事態は進展こそしたものの、バロックが率いる捜索隊にとっては立つ瀬が無くなる一方だ。さすがに近衛騎士隊長だって愚痴りたくもなる。
「馬鹿な王子がメイドに騙されて痛い目を見た事件から、まさか国を跨いだ問題になるとはな」
「……随分と達観してますね」
「さすがにここまでくるとな。まぁだが協力はもちろんするさ。ミモアについてだろ」
過去を思い出すようにユベールが視線を他所に向ける。
その際に「うぅ……」と呻いて胸元を押さえるのは、なんだかんだ言っても達観しきれていないからだ。
ミモアについてを思い出せば同時にかつての自分の言動も思い出され、脳裏に蘇るのは『真実の愛』の言葉。後悔やら反省やら自己嫌悪やら羞恥心やら何やらが一気に胸に押し寄せてくる。
「今夜は枕に顔を埋めて叫ぼう……」と小声で呟き、それでもせめてとミモアとの事について話し出した。
ユベールがミモアと出会ったのは、レベッカの父であるフォルター家当主に用があり公爵家を訪問した際のこと。
当時まだミモアはメイド見習いで、当然だが第一王子の給仕に着くわけがない。
だがミモアはユベールの前に現れた。それも、公爵家当主も他のメイドも居ないタイミングで。掃除用具を片手にうっかりと部屋に入ってきてしまったのだ。
ミモアは部屋に第一王子が居ることに驚き、自分が部屋を間違えた事に気付くと慌てて詫びだした。
何度も頭を下げ、慌てているため説明もままならない。口調も「ごめんなさい!」「私うっかりしていて!」と、公爵家に仕えるメイドとは思えないものだった。
仮にレベッカや公爵家の者達が居たら公爵家の恥だとミモアを叱責しただろう。他の王族や貴族ならば「こんな品の無い者を雇っているのか」とでも言ったかもしれない。
だがユベールには慌てふためき謝罪するミモアが新鮮に見えた。
純粋で、あどけなく、感情を露わにする無邪気な少女。苦笑交じりに「気にするな」と宥めれば彼女は分かりやすく安堵し、次いで照れ臭そうに花が咲き誇ったように眩く笑った。
その笑顔を見て恋に落ちたのだ。
……もっとも、
「今になって思えば、あれも全部演技だったんだろうな」
紅茶を飲みながらユベールが溜息交じりに結論付ければ、バロックが僅かに眉根を寄せて何とも言えない表情を浮かべた。
同感ではあるが、さすがに騙された男を前にしてそれを肯定するのは躊躇われるのだろう。気遣うような気まずそうな表情をしている。
そっとクラッカーに手を伸ばすのはこの場の空気の気まずさから逃げるためか。
「ミモアは元々ユベール様とコンタクトを取る機会を狙っていたようです。いずれ暗躍するために……」
「俺には『爵位も権力も興味が無い』って笑って話していたが、実際はメイドから王妃にのし上がろうとしてたんだ」
「えぇ、ですがメイドから王妃ではなく……。聖女として、かもしれません」
「聖女?」
バロックの口から出た単語にユベールが眉根を寄せた。
どういう事かと視線で問えば、彼は何かを言いかけ、一度周囲を窺った。話が他所に漏れることを恐れているのだ。つまりそれほど極秘情報なのだろう。
もっともここは王宮や騎士の詰め所ではない、ただの一般家屋。それも雨が降っているので窓は閉めた。
話を聞いているのはユベールだけで、リアはキッチンで鼻歌交じりに料理を作っているのでよっぽど大声を出さなければ聞こえないだろう。他の者が盗み聞きなんて出来ようがない。
それを察し、バロックが低い声で「実は……」と話し出した。