23:三食昼寝おやつ付き
雪を眺めながら公園内を歩き、そのまま買い物を済ませ、体が冷える前にと家へと戻った。
軽く食事をし各々自由に過ごす。そんな中、キャンディスが自室から出て階段を下りると、玄関でリアが出掛ける準備をしていた。
「買い忘れがあったの。ちょっと行ってくるから留守番よろしくね」
「買い忘れ? まだ雪が降ってるし寒いから私が行こうか」
「大丈夫よ。いつ傷が痛み出すか分からないんだし、せっかく休みにしてもらったんだからお茶でも飲んでゆっくりしていなさい。それとユベール様が眠っているから静かにね。あぁ、あと棚にクッキーがあるからそれは食べて良いけど、お鍋の中の料理は駄目よ。クッキーじゃ足りないようならパンを食べて待っていて」
あれこれと告げて、言い終えるや「それじゃ行ってくるわね」とあっさりと家を出て行く。
その勢いにキャンディスは言われるままに「はい」を繰り返し、辛うじて「いってらっしゃい」という言葉を投げかけるだけだった。
あの調子なら寒かろうと雪だろうと大丈夫だろう。
思い返せば村にいた時も、どんなに寒く雪が降り注ぐ日であってもリアは誰よりも早く起きていた。キャンディスや子供達が外に出てくると決まって彼女が「寒いから温かくしなさい」と声を掛けてくれたのだ。
雪が降ってるだの寒いからだのと言ったが、彼女からしてみたら『ひよっこが甘い事を』とでも思ったかもしれない。
そんな事を考えながらリビングへと向かえば、リアが話していた通りソファでユベールが眠っていた。
柔らかな毛布を体に掛け、ソファに身を預けて眠っている。
テーブルに本とカップが置いてあるあたり、読書の最中に眠くなってそのまま……、といったところか。
「雪の中を歩いたし疲れたのかな」
キャンディスもリアも雪道は慣れている。むしろ今日のような道は雪道にあらず、雨天の道に近い。
対してユベールは今まで整備された雪道しか歩いた経験が無く、それもきっと好奇心で外に出て少し歩いて満足したら屋内で過ごしていたのだろう。
第一王子が寒い中をわざわざ歩き回る必要はないし、仮にその必要があっても彼の歩く道は入念に整備されていたはずだ。王族を転んで怪我などさせられるわけがない。
ゆえに疲労に差がでるのは当然。彼が疲れて眠ってしまっても仕方ない。
「随分ぐっすり眠ってるなぁ。寝顔も麗しい」
寝顔を覗き込む。よっぽど熟睡しているのか、もしくはどれだけ熱かろうとキャンディスからの視線には慣れたのか、彼が起きる気配はない。
色濃い瞳は今は閉じられており、長い睫毛が閉じられた目を縁取る。スゥ…と微かに聞こえる寝息は形の良い唇から漏れたものだ。
凛々しく麗しいが、無防備?に眠る今はあどけない印象も受ける。
綺麗。
彼を起こさないよう心の中で呟き、左目を覆う眼帯を外した。
横断する傷跡ごと左目は塞がれており、完全に機能を失っている。その生活にも慣れたし、惜しむ気持ちは無い。
だけど今だけは眠るユベールを両目で見つめたかったと思ってしまう。
いや、今だけではない、彼をじっと見つめる時、彼が見つめ返してくれる時、その時だけは両の目があれば良かったのにと思っていた。
そんな惜しい気持ちを胸に、キャンディスはユベールの寝顔を覗き込みながら右目を細めた。
『こんなに顔が良い方とずっと一緒に居られたら幸せですね。毎日この綺麗な顔が近くにある、見つめ放題、これ以上ない生活ですよ』
『私は嫌よ、結婚するなら私のことを心から愛してくれてる人じゃないと』
『私はこの顔を心から愛せます』
『……貴女、いつも私の言うこと聞いてくれるのにたまに頑固よね』
そんな会話が記憶の底からゆるゆると浮き上がる。
雪を見たからだろうか、記憶の中の声も普段よりも鮮明だ。
あの子は今の自分の事を知ったら呆れるだろうか。大袈裟に肩を竦めて、居丈高に『良い顔がどうのって、全然変わってないのね』とでも言ってくれるかもしれない。
そんな事を想像するくらいには今日は記憶が鮮明だ。二人で話した時の事が一つまた一つと蘇ってくる。
あの後は確か、あの子は呆れたように肩を竦めて、まるでそれが当然の事実であり自慢するかのように『いつか私を愛してくれる素敵な人が現れるの』と断言していた。
自分はその人と惹かれ合い、愛し合い、結ばれるのだと。
それこそまさに……。
「真実の愛」
ポツリとキャンディスが呟くと、それが聞こえたのか、もしくは視線を感じ取ったのか、それとも偶然か、ユベールが「ん……」と微かに声を漏らして身じろいだ。
長い睫で縁取られた目がうっすらと開き、深緑色の瞳が覗く。眠たげな目もまた艶めかしい麗しさがあり、ぼんやりとした瞳がじっとキャンディスを見上げる。
緩慢な瞬きは寝惚けているからか。見ているこちらまで眠くなりそうだ。
「すみません、起こしましたか?」
じっと見つめたまま問えば、少し掠れた声で「気にするな」と返してきた。
その声もまだ少し眠たげで表情も普段とは違っていて、これもまた麗しい。
「キャンディスが俺の顔を見つめるのなんていつもの事だろ」
眉尻を下げてユベールが笑う。苦笑とリラックスを交えた笑みだ。
その柔らかさにキャンディスも「確かにそうですね」と笑って返した。
「もう一度寝ますか? 私が居て気が散るなら部屋に戻りますけど」
「いや、じゅうぶん寝たから平気だ。もう起きる」
ユベールがゆっくりと身を起こし、額に掛かっていた前髪をぐいと強引に手で掻き上げた。次いで眠っていた体の調子を戻すためにぐっと体を伸ばす。
その豪快な動きと、それでいて繊細で端正な顔付きの差は良いギャップとなっている。なんて素晴らしいのか。
「なんて顔が良い……、寝顔も良ければ寝起きの顔も素晴らしい……。すばら……、し……。……はっ!!」
「また記憶を失ったのか」
「とお思いでしょうが、バッチリ記憶は残っています。これはきっとユベール様の麗しい寝顔を忘れまいと、私の記憶が消え失せる直前で堪えたんでしょう。良い顔は見た人の意識と記憶を失わせますが、それでいて記憶に残そうと脳が働くんです。相反する動き、これもまた麗しく美しい顔のせいです」
「またわけの分からない理屈を……。まぁいつもの事か」
今更言及する気も無いとユベールが肩を竦める。
そうしてふと思い立って「寝顔」と呟いた。己の頬に手を当てる、その仕草もまた麗しい。
「今まで昼寝なんてした事なかったし、寝てるところを見られたことも無かったな。俺の寝顔はどうだった?」
「最高でした。これから積極的にソファで昼寝してください」
「衣食住を保証されたうえに昼寝推奨か。快適な生活だな」
「あ、そうだ、リアがおやつがあるって言ってました。食べましょう」
「三食昼寝におやつ付き……。これが俺の顔の良さが成せるわざか」
そんな会話を交わしつつおやつの準備をする。
紅茶とクッキー。それにクッキーに乗せるためのジャム。足りなさそうなのでパンも漁る。
「ユベール様、だいぶぐっすりと眠ってましたね」
「そうだな。慣れない雪道で疲れたみたいだ。足がちょっと筋肉痛になりかけてる」
「公園に行っただけで?」
「慣れない道だから仕方ないだろ。滑って転ばなかっただけマシな方だ」
「そうですか……。それなら、今のうちに慣れておいてくださいね」
そうキャンディスが紅茶の手配をしながら告げれば、ユベールが深緑色の瞳を僅かに丸くさせた。
だが次第にその目を細める。嬉しそうな柔らかい笑み。
「そうだな。これからは雪が降るたびに散歩に行こうか。もちろん手を引いてくれるだろ?」
まるで当然の事を確認するかのような口調で尋ねてくるユベールに、キャンディスも微笑んで頷いた。