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22:雪の夜と雪の朝

 


 トサッ……、トサッ……、と柔らかなものが落ちる音がする。

 これは故郷でよく聞いた音だ。積もった雪が落ちる音。真っ白な雪が、真っ白な雪面に落ちていく……。

 懐かしい、とキャンディスは微睡む意識で思った。脳裏に故郷の景色が蘇る。


 雪で覆われた村。森へと続く道も白く染まり、吐く息も白い。

 そんな白だけの世界を、手を繋いで歩いた。真夜中の森は雪が月明かりを反射して不思議なほどに明るい。


『こんな時間に外に出て、旦那様に怒られてしまいますよ』

『バレなければ良いのよ。それに、誰も踏んでない雪を踏みたいんだもの』

『それなら朝早くに起きれば良いじゃないですか』

『嫌よ。だって朝は寝ていたいんだもの』


 何を言っても歩む足を止めない。

 さくさくと雪を踏みしめる音と、自分達の会話だけが聞こえる静かな夜。

 真夜中だろうとも恐れるものはないと森の中を進む。


『何もないつまらない村だけど雪だけは綺麗ね。冬には帰ってきてあげてもいいわ』


 得意げで恩着せがましい口調。まるでこちらが願っているかのように話す。

 彼女が話すたびに小さな唇から白い息が漏れる。彼女の話に返事をするたび自分の唇から漏れた白い息が視界に移り込む。


 森の中、あるのは雪と、自分達と、自分達の呼吸だけ。


『貴女だって冬ぐらいは帰ってきたいでしょ?』

『私も?』

『そうよ』


 当然のように彼女が言う。

 真っ白な森の中。両の目に映るのは屈託のない笑み。


『一緒に王都に行くのよ。       にしてあげる』


 そう言って、あの子は繋いだ手をぎゅっと握ってきた。



 ◇◇◇



「……キャンディス、おい、キャンディス」


 自分の名前を呼ぶ声と、体を軽く揺すられる感覚。

 雪の中に溶けるように微睡んでいた意識が次第に浮上し、ゆっくりと目を開けた。

 片方が遮られた視界はぼやけている。白い森の中……、ではない。


「キャンディス、起きたか?」


 尋ねながら顔を覗き込んでくるのは銀色の髪の青年。

 深緑色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。


「……ユベール様」


 彼の名を呼び、キャンディスはぼんやりとした意識ながらに身を起こした。

 意識はまだ揺らいでいる。まるで頭の中を左右から交互に引っ張られているかのようだ。実際にふらついていたのかユベールが支えるように肩を押さえてきた。


「……もう、朝ですか」

「あぁ。だがさっきロブが来た。今日は休みにして良いって」


 ロブから連絡を受け、既に起きて家事をしていたユベールとリアはそれならもう少し寝かせておこうと考えたらしい。だが部屋の前を通ったところ、うなされる声が聞こえて起こしにきたのだという。

 話をしている最中もユベールは宥めるように肩を撫で、次いでそっと頬に触れてきた。無意識にキャンディスも彼の手を追うように自分の頬に触れ……、そして初めて、自分の頬が濡れている事に気付いた。泣いてたのか。


「そうですか……。起こしてくれてありがとうございます」

「いや、礼を言われることじゃない。それで……、大丈夫か? 起きるなら食事の準備は出来てるから温めてくる。それとももう一度寝るか?」


 案じてくるユベールに、キャンディスはまだはっきりとしない意識でふとベッドの横にある窓へと視線をやった。

 カーテンを閉めているため外の景色は分からない。


「雪が降ってるんですか?」

「ん? あぁ、降ってる。昨日の夜に外を見たら少し降っていたから一晩中降り続けてたんだろうな。大雪という程じゃないが積もってるよ」


 だから余計に冷えるのだというユベールの話に、キャンディスは「雪が……」と呟いて窓を見つめていた。

 外には雪が……。もっとも、キャンディスの部屋の窓は隣家と面しており、開けたところで雪景色とはいかない。隣家との隙間もひとが二人並んで通れるかぐらの小道しかないため、せいぜいその細道が雪で埋まっているのを見下ろすぐらいだろう。


 それでも窓の外に真っ白な雪景色を思い描いてしまう。

 一面の雪。全てが雪で覆われた、足跡一つ無い白。そこに雪が降り注いで雪景色に溶けるように積もっていく。


「ユベール様、雪を見に行きませんか」

「雪を? 構わないが、平気なのか?」

「大丈夫です。だから、どこか、誰も踏んでない雪面に行きましょう。真っ白な、足跡の無い場所に……」



 今度は文句なんて言わないから。


 手を繋いでどこにだって行くから。



 口にしかけた言葉を飲み込みぼんやりと窓を眺めていると、肩に触れていたユベールの手がそっと離れていった。

 彼の手が今度は布団の上に置かれたキャンディスの手に重なる。


「冷たいな」


 ユベールが小さく呟く。

 重ねられる彼の手は大きく温かい。その手に包み込むように握られ、キャンディスはゆっくりと窓からユベールへと顔を向けた。

 深緑色の瞳がじっと見つめてくる。色濃い綺麗な瞳だ。その目が細められ、形良い唇が穏やかに優しくキャンディスの名を呼んだ。


「雪は朝食を食べたらリアと三人で見に行こう。買物がてらでも良いし、公園に行っても良い。誰かの足跡があったって良いだろ」

「……そう、ですね」


 ユベールの言葉にキャンディスは吐息交じりに返した。

 彼の言葉が胸に染み込んでいく。染み込んで温まっていく胸の感覚にほっと肩の力を抜けば、それを見て取ったユベールも安堵の表情を浮かべた。

 もう大丈夫だと判断したのか握っていた手を放す。


「それじゃ朝食にしよう」

「そうですね。なんだかお腹が空いてきました」

「食欲があるのは良い事だ。……おっと、その前に」


 ふと思い出したようにユベールがポケットから何かを取り出し……、


 そしてふわふわの毛糸で編まれた眼帯をそっとキャンディスの左目に巻いてきた。


「毛糸を変えてみたんだ、前より暖かいだろ」

「……暖かいんですけど、つける直前に柄が見えた気がします。もしかしてイニシャルですか」

「似合ってるぞ」

「答えてください、イニシャルなんですか」

「うん、似合ってる」

「こたえっ……、あっ、良い笑顔!!」


 輝かんばかりの笑顔で見つめてくるユベールの顔の良さにやられ、思わずくらりと頭を揺らしてしまう。

 顔の良いユベールの更に良い笑顔を間近で、それも寝起きに見てしまったのだ。これに耐えられるわけがない。これはこれで視界が白く瞬いてしまう。

 思わず「目が……」と呻きながらふらふらと手を上げれば、ユベールが笑いながらその手を握ってベッドから降りるように促してきた。



 ◆◆◆



 朝食を取り、温かなお茶を飲み、落ち着いた頃合いを見て市街地にある公園へと向かった。

 雪はまだ細かく降っており地面は雪で覆われてる。だが人が幾度となく通っているため積雪と泥濘の中間と言った具合だ。

 だが木の枝や屋根、堀には親指程度の厚みの雪が積もっており、時折、木の枝が重みに耐えきれずにしなり雪の塊を落としていた。そのたびにトサトサと独特な軽い音がする。

 市街地にある公園は雪を見に来る者達が多く、もこもこに着膨れした子供が雪を触っては冷たいとはしゃいでいた。


 コートと、手編みのマフラーと手袋。更に手編みの眼帯まで着けたキャンディスはその光景をぼんやりと眺めていた。


「この調子だと道には積もらなさそうだな」


 周囲を眺めながらユベールが話す。

 彼の隣に立つリアがその話に同感だと頷き、アデル村での雪景色について語り始めた。


「一度雪が降ると村中が真っ白の雪景色になるのよ。どこもかしこも全部雪」

「全部、か……。王都は雪が降ると歩行の為に整備されるから、一面の雪景色っていうのは見たことが無いな。でもそんなに雪が降ると歩くのが大変じゃないか?」

「毎年の事だから子供のうちに慣れてしまうわね。コツは、誰かが歩いた足跡を頼りに歩くのよ」


 こうやってとリアが地面についた足跡を辿る。

 ここは雪が積もるアデル村ではなく市街地にある公園だ。地面は泥濘程度で、一面の雪景色になる村で生きてきたリアにとって歩くのは容易。まるで遊ぶかのように足跡を追っていく。

 対してリアの話を聞いて真似るユベールの動きは些かぎこちない。恐る恐る足跡を辿り、たまに泥濘に足を取られてズリッと滑っては「うわっ」と声をあげている。


「今なら分かるが、王宮の敷地内は雪と言えども整備されてたんだな……」


 よたよたと歩くユベールを見てリアが愛でるように笑う。


「キャンディス、ユベール様の手を引いてあげて」

「……え、あ、はい」


 ぼんやりとその光景を眺めていたキャンディスは名前を呼ばれてはたと我に返り手を伸ばした。

 ユベールがよたよたと覚束ない足取りで近付き、手を掴んでくる。

 互いに手袋をつけているため温かさは感じないが、ぎゅっと握ってくるあたりに必死さが窺える。


「これで一緒に転べるな」

「転ばない前提で歩いてください。というか、私はこんな雪道じゃ転びませんよ」


 アデル村出身ゆえキャンディスも雪道には慣れている。

 足首まで沈むほど積もった日だってなんなく歩けるし走り回ることだって出来る。この程度ならばさして気をつけるほどのものでもない。そもそもこの程度はアデル村では雪道とは呼ばない。

 そう話せばユベールも感心したような表情を浮かべ、さらに強く手を握ってきた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 溶けた雪から覗く様に見えてくる主人公の過去。 一生仕えたかったワガママなお嬢様は居なくなってしまったのか? 転生と目の傷がそこに繋がるのか? 気になる〜
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