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21:元王子様と元側近

 


 顔を真っ赤にさせ挙げ句に手で顔を覆ってしまったユベールの隣に立ち、キャンディスは「ユベール様?」と声を掛けながら彼の顔を覗き込んだ。

 深緑色の瞳は今日も宝石のように美しいが、動揺の色がありありと映し出されている。その顔もまた麗しいが、今は見惚れるよりも彼の様子への疑問が勝る。


「ユベール様、どうしました?」

「……は、恥ずかしい」

「恥ずかしいって、エプロン姿ならこの前ロブ上官にも見られたじゃないですか」

「あいつはもう俺の中では騎士というよりジャム愛好家だから別に構わないんだ。だけど……」


 呻き交じりの小声で話し、次いでユベールが顔を覆った手の隙間からチラと横目で玄関口に立つ二人を見た。

 宰相スティーツと近衛騎士隊長バロック。かつてはユベールを支え護るため常に行動を共にしていた二人だ。


「……さすがに元側近に見られるのはまだ恥ずかしい」

「似合ってますよ、そのエプロン」

「そりゃどうも……」

「紫色と悩んでましたが、やっぱり水色にして良かったですね。ユベール様の美しさがより映えてます」

「……そうだな。……あぁもう自棄だ、開き直るか」


 ユベールがゆっくりと顔を上げて覆っていた手を放す。いまだ顔は真っ赤だ。

 それでも少しは落ち着いたのか、深く息を吐くとスティーツとバロックへと向き直った。そそくさとエプロンを外しながら。


「……変なところを見せてすまなかった。久しぶりだな、二人とも」

「お、お久しぶりですユベール様……」

「お元気そうで、なにより……です……」


 まだぎこちなさを残すユベールと同様、スティーツとバロックの返事も上擦っている。

 彼等の間に漂う空気はなんとも言えないものだ。片やまずいものを見せてしまったと、片や見てはいけない物を見てしまったと言いたげである。三者三様に美しい顔付きだが――もちろん一番はユベールだが――全員の表情に漏れなく気まずさが窺える。

 そんな中、キャンディスはくいとユベールの服の裾を掴んだ。いまだ顔を赤くさせた彼がこちらを向く。赤くなっても麗しい。


「ユベール様、買ってくる食パンは一斤で良いですか?」

「ここまできてもブレないところは尊敬に値するな。食パンは一斤で……」


 一斤で良い、と言いかけたユベールが言葉を止める。

 次いで彼は一度スティーツとバロックへ視線をやり、再びキャンディスへと向き直った。


「二斤だ。あとデザート用にタルトかパイを買ってきてくれ」

「あ、あの、ユベール様、我々はキャンディスを送ってきただけなのでお気遣いなく」


 もてなそうとするユベールをスティーツが慌てて止めてくる。

 次いで「ではこれで……」と軽く会釈をすると二人は帰ってしまった。心なしか早歩きだ。

 彼等の背中を見届け、ユベールが深く息を吐いた。はたはたと己を手で扇ぐのは顔が熱いからだろうか。


「あいつらを連れてくるなら事前に連絡ぐらいよこせ」

「別に連れてきたわけじゃありませんよ、ただ付いてきただけです。それだって、私を送ればレベッカ様にアピールできるって理由ですよ」


 それと、ミモアの消息について話すため。


 言いかけ、だが口を噤んだ。

 これは夜にでも落ち着いて話した方がいいだろう。

 そう考え、キャンディスは「パンを買ってきます」と手にしていた財布を軽く掲げた。


「俺も一緒に行こう」

「ユベール様も?」

「今日は一日編み物をしていたから少し動きたいと思ってたんだ。夕食の準備も殆ど終わってるから、後はリアに任せても大丈夫だろうし。……それと、まだ恥ずかしさで顔が熱いから少し冷たい風に当たりたい」

「重傷ですね」

「誰のせいだと……。いや、元をただせば俺のせいなんだが」


 そんな事を話しつつ、ユベールが手にしていたエプロンを玄関横の棚に置き、屋内にいるリアに声を掛ける。

 家の奥から「いってらっしゃい」というリアの声が聞こえてきた。ついでに「せっかくだし少しデートでもしてきなさい」という提案付き。

 これにはキャンディスもユベールと顔を見合わせ、また愛がどうのキスがどうのと言い出す前に出発しようと頷き合った。



 ◆◆◆



 キャンディスの家を後にしたスティーツとバロックは、しばし無言で歩いていた。

 沈黙が漂う。黙ったまま歩く二人の姿に周囲の女性達が惚れ惚れと熱い視線を送ってくるが、今はそれに一瞥すらしない。


「……エプロンを着けていたな」


 とは、ようやく口を開いたバロックの言葉。元より低めの声が今はより低くなっている。

 それに対して頷いて返したのはもちろんスティーツである。


「噂には聞いていましたが、まさかあのユベール様が……」


 スティーツの口調には『信じられない』という気持ちがこれでもかと込められている。

 だがどれだけ信じられない光景であろうとも見た物は事実だ。


 あのユベールが、かつては第一王子であり次期国王とされていたユベールが、水色のエプロンを着けていた。


 オフホワイトの二ットと色濃いズボンは元王子とは思えないほどラフで、それだけでも王子とは思えない姿だというのにエプロンだ。

 だがけして似合っていなかったわけではない。むしろ似合っていた。

 かつて第一王子としての上等な服を着こなしていたユベールは、庶民的なラフな服装も、ましてや水色のエプロンも、見事に着こなしていたのだ。

 更には噂ではユベールはラフな格好で市街地で買物までしているという。それもパン屋や八百屋、肉屋の主人と他愛もない会話をしたり……、と。聞いた目撃情報はどれも元王子とは思えない。一般家庭の主婦の目撃情報である。


「過去、爵位を剥奪されて庶民の生活を強いられた者は複数いました。その殆ど、いえ、私が把握しているうちでは全員が、かつての生活との落差に耐え切れず逃げるように住まいを地方に移しています」

「俺もそう把握してる。地方に引っ込むことも許されず残った奴も昔はいたらしいが、肩身の狭い生活をしていたみたいだな」

「そうですね。……ただ」


 ふと、スティーツが言葉を止めた。改めてユベールの姿を思い出す。

 水色のエプロンを着けて財布を手に、パンを買ってくるように頼んでいた。命じるでもなく、まるでお使いを頼むかのように。この時間帯と食パンというチョイスから考えるに夕飯か明日の朝食用だろうか……。

 自分達が居ることに気付くと恥ずかしさから固まってしまったが、もしも居なかったならあのままキャンディスに財布を渡してお使いに行かせていたのだろう。

『いってらっしゃい』と、もしかしたら『寄り道するなよ』とまで言っていたかもしれない。今となってはそんな事まで想像できる。

 その姿は相変わらず麗しく品良く、それでいて自然だった。


「……爵位を奪われて一般の生活を送る者はいましたが、あれほど馴染む者は今まで居なかったでしょうね」


 そうスティーツがユベールの姿を思い出しながら話せば、同感だとバロックも頷いた。



 ◆◆◆



 馴染みのパン屋で食パンと、食後のデザート用のタルト、それとお釣りでクッキーを買う。

 そうして帰ろうとなったのだが、ユベールがふと足を止めた。帰路とは別方向の道を見つめている。


「少し寄っていくか」

「ユベール様?」


 突然の提案に、キャンディスは首を傾げて返した。

 彼が見つめている道は大きな公園に繋がっている。中央には噴水が置かれ、手入れのされた草木の中を歩けるように補整された道が広がる、美しい景観の公園だ。

 朝は散歩する者が周囲の景色を眺めながら行き交い、日中は子供達が楽しそうに声を上げて遊び回る、常に賑わった場所である。

 だが今の時刻は遅く、真夜中という程ではないが夜になりつつある。公園には街灯が設けられているとはいえさすがに人は少ない。


 日中の散歩ならまだしも、なぜわざわざこの時間に。

 そうキャンディスが問おうとするも、それより先にユベールが小さく息を吐いた。


「……ミモアのことで何かあったんだろう?」

「それは、その……。なんで知ってるんですか?」

「あの二人がわざわざ家まで送るんだ、レベッカへの点数稼ぎっていうのも分かるが、もう一つぐらい理由があるだろうと思ってな。それに、キャンディスの態度も少しおかしかったし」

「私の態度?」


 まさか、とキャンディスがぱたと己の頬を手で押さえた。


 自分はあまり感情が表に出ない質だと思っていた。

 呆れたり面倒臭がった時は露骨に顔に出るが、それは別に顔に出しても良いと思っているからだ。それ以外の時は比較的隠せていると思っていたが……。

 とりわけ左目は黒い眼帯で覆っている。今日はもこもこの毛糸ゆえに印象は変わっているが、普段は黒一色の布だ。これだけでも感情は多少なり隠せているはずなのに。


 そんな疑問を抱くキャンディスの反応が面白かったのか、ユベールがふっと軽く笑った。


「お前が俺を見ているように、俺だってお前のことはよく見てるんだ。話し難いことがあった時の反応ぐらいは分かるさ」

「ですが、この話題は……」

「もう未練はないって言っただろ。事態の進展として聞いておきたいだけだ」

「だけど……」


 夜にでも話そう、なんだったら明日以降でも……、と、そう考えていたキャンディスにとって、今これからというのは急すぎる。

 かといって隠せばユベールも気になるだろう。そもそも一番に気遣うべきはユベールなのだから、彼が聞きたいのならば話すべきだ。

 どうしよう……、と悩んでいると、ユベールの笑みが苦笑じみたものに変わった。まったくと言いたげな表情だ。


「月が出て来たな」

「月? え、えぇそうですね」

「今話せば、月を背景にして、憂いを帯びた表情で溜息を吐く俺の顔を見れるんだぞ」

「そ、それはっ……!!」


 キャンディスに衝撃が走る。


 平時でさえユベールは麗しい。今こうやって市街地で立っている姿でさえ、その顔も、佇まいも、スタイルも、何もかもが美しいのだ。

 それが、月を背景にし、更に憂いを帯びた表情で……。ユベールの顔の良さにさらに物悲し気な色が混じると言うのか。


「それは、見たい……、とても見たい……」

「そうだろ、見たいだろ」

「見たい……、ですが! 見たいと思うのは人としてどうかとも思えます!!」


 月を背景にするだけならまだしも、憂いを帯びて溜息ということはユベールが傷つき悩むという事だ。

 いくら顔の良いユベールの普段とは違う麗しさを見たいからといって、それを求めるのは人としてどうだろうか。

 キャンディスが頭を抱えて苦悶する。ちなみにそれを見るユベールはといえば「意外としぶとい理性だな」とまで言っているのだが。


「私の中で善意を司るキャンディスが『悲しむ様を求めては駄目』と訴え、悪意を司るキャンディスが『帰りにお菓子をもう一つ買って帰ってしまえ』と訴えている……」

「後者が司ってるのは悪意じゃなくて食欲だな。とにかく、分かったからとりあえず移動するぞ」


 このまま話していても埒が明かないと判断したのか、ユベールがキャンディスの手を掴んで歩き出す。もちろん公園のある方へと。

 問答無用ではないか。更には「これでも気遣ってるんですよ」というキャンディスの訴えに対しても、「それは有難い話だな」と軽く返してくる。……手を繋いだまま。


 自分の手を握り、引っ張るように歩く。

 そんなユベールに連れられ、キャンディスはゆっくりと目を細めた。



 そうして公園の一角で、バロックとスティーツから聞いた話をユベールに伝える。

 ミモア・ミルネアが今どこにいるのか。彼女が今誰と居るのか……。

 話を聞いたユベールは驚き、そして「俺は何も知らなかったんだな」と自虐めいた笑みを浮かべた。ふいに視線をそらすのは、かつての自分に対しての憐れみを抱いたのだろうか。


 月を背景に溜息交じりに笑む彼は美しいが、見ていたくない。

 そうキャンディスは心の中で呟いた。



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