20:騎士の上着と帰り道
スティーツとバロックと分かれ、詰め所に戻る。
長ったらしく重苦しい報告とその後のお茶……、と存外に時間が掛かり、詰め所に戻った時には既に午後を過ぎていた。そこから残されていた仕事や書類あらかたを片付け、気付けば夕刻。
明日以降の仕事を確認し、他にも諸々と雑務をこなして就業時間を迎える。暇な末端騎士とはいえ、やるべき事はそれなりにあるのだ。
そうして帰り際、外套を羽織ろうとし……、
「あーっ!!」
と声をあげた。
座っていたロブや仲間達がぎょっとしてこちらを見てくる。
「な、なんだキャンディス、どうした!?」
「バロック様の上着、着たままで戻ってきちゃった!!」
しまった! とキャンディスが己が着ている上着を軽く引っ張って仲間達に見せる。
これは王宮でお茶をしている時にバロックから借りたものだ。彼の上着を羽織ったまま話をし、レベッカとスティーツが入れ替わって話を続け、そして部屋を出て……、と、ずっと着続けていた。
仕事の最中も着続け、帰り支度をし、外套を羽織り……、そこで初めて違和感を覚えて気付いたのだ。
「質が良いばっかりに……。驚くほど着心地が良くて馴染みすぎて忘れていました……」
「あぁ、それバロック様の上着なのか。どうりでうちじゃ見ない質の良さだと思った。というか、でかいの羽織ってて気付かなかったのか?」
「あえてサイズ違いを着ているようなゆったりとした着心地の良さなんですよ。袖も捲ってたから仕事も出来たし。危うく着て帰るところでした。バロック様が帰る前に返しに行かないと」
「バロック様ほどのお方ならそうそう定時では帰らないんじゃないか?」
「なるほど確かに」
偉い人達は大変、とロブや仲間達と話しながら上着を畳み、キャンディスは詰め所を後にした。
振り返れば仲間達がぞろぞろと詰め所から出てくる。
皆もう帰るのだ。偉くもないし、忙しくもないので。試しに手を振れば皆陽気に手を振り返してくれた。
バロックは王宮敷地内の巡回警備をしており、彼を探すのに時間が掛かってしまった。そのうえようやく見つけたかと思えばそこにはスティーツも居る。
二人は真剣味を帯びた表情で話し込んでおり、纏う空気も張り詰めている。先程のゆるゆるしていた仲間達を思い出し、やはり同じ騎士を名乗りつつも違うと改めて実感してしまう。
「あの、バロック様……。今よろしいでしょうか」
「ん? キャンディスか。どうした」
恐る恐る声を掛ければ、バロックとスティーツがこちらに視線を向けてくる。
どうやらミモア捜索について話していたらしい。捜索の指揮はバロックが取っているが宰相であるスティーツも彼の手助けをしている。
バロックに上着を返せば、彼は受け取ると共に上着を羽織った。上質の騎士隊の上着が様になっている。
「押し付けるように貸した手前、返せとも言えないし、どこまで着ていくんだろうなと思って見送ったんだが、まさか今まで気付かなかったのか?」
もしかして、と言いたげなバロックの言葉に、キャンディスが一瞬口籠る。
彼と別れて詰め所に戻り、仕事をし、帰り支度をし、外套の袖に腕を通そうとしてようやく気付いたのだ。まさに今の今までである。
だがそれを正直に言う気にもならないので、「そんなまさか」と否定した。
「すぐに気付いたんですが、仕事があってお返しする時間が見つからなかったんです」
しれっと誤魔化しておく。
そうして二人と別れようとし……、「送っていく」というバロックの言葉にキャンディスは片目を丸くさせた。
「送っていくって、私をですか?」
「あぁ、わざわざ上着を返しに来て、そのせいで遅くなっただろう。もう周囲も暗くなってきたし、夜道を一人で帰すわけにはいかないからな」
断言するバロックはまるで決定事項を告げているかのようだ。それでいて夜道を送るという優しさを見せている。不器用な心遣い、少し強引なところも合わせて、この一面に胸を焦がす女性は少なくないだろう。
もっともキャンディスの胸はまったく焦げず平温で、むしろ怪訝に眉根を寄せた。
「別に良いですよ。遅いって言ったって別に真夜中というわけでもないし」
「ここでお前を家まで送り届ければレベッカ様へのアピールになる」
「うわぁ、遠慮なしの本音。もう少しオブラートを……。と思ったけど別に良いです」
今更バロックに愛想良くされても嬉しくもなんともない。むしろわざわざ意図を探らなければならないのだから余計な手間だ。それならオブラート無しの本性丸出しで対応して貰った方が楽である。
そうキャンディスが結論付ければ、バロックとスティーツが揃えたように「お前もオブラートを」と言って寄越してきた。
だがここで互いの対応に文句を言い合っている理由も無いと考えたのか、バロックがコホンと咳払いで場を改めた。次いで声を潜めて話し出す。
「お前を送るのはレベッカ様へのポイント稼ぎでもあるが、ミモア・ミルネアの消息について話があるからだ。だいぶややこしい事になって、報告者を絞るかもしれない。だがお前の耳にも入れておいた方が良いだろう」
周囲に聞かれまいと声を潜めている。スティーツも同様、落ち着いた態度ながらにチラと周囲に人がいない事を確認している。
キャンディスだけはこんな場で聞くとは思わなかったミモアの名前に驚き、思わず「えっ」と声をあげてしまい慌ててぱたと口を押さえた。
ミモア・ミルネアの消息について。
元々ミモアの捜索は大々的には公表せず進めている。国内の混乱を押さえるためと、たった一人の少女にここまで手こずっているのは恥と考えているからだ。中には内通者を疑っている者もいるだろう。
それが更に報告する対象を絞る可能性があるというのだから、バロックが言う通りだいぶややこしく面倒な事になっているようだ。
涼やかな表情をしているが二人の纏う空気はどことなく重い。
その空気に当てられ、キャンディスの脳裏に、ミモアについて話すユベールの顔が思い出された。
『……ミモアは、まだ見つかっていないのか?』
そう尋ねてくる彼の表情はどことなく苦し気だった。
未練はないと断言していた。きっとそれは本当で、それでいて少し嘘なのだろう。
ユベールはもうミモア本人に未練はない。逃げるミモアに置いていかれたことで『真実の愛』が偽りだと理解したはずだ。恋心も跡形もなく散っていったはず。
だがミモアと己が引き起こした騒動に関してはまだ後悔や罪悪感という名の未練がある。
これは断ち切るのは困難な未練だ。
常に彼に付き纏い、苦しめ続ける……。
だけどその辛さが少しでも和らぐのなら、面倒事に巻き込まれたって構わない。
「分かりました。そのお話、聞かせてください」
◆◆◆
スティーツとバロックと共に市街地を歩きながら家へと向かう。
見目の良い彼等は周囲の目を引く。通りすがりの女性達がちらちらと視線をやり、彼等がそちらを向くと頬を赤らめる。中には胸を押さえる者さえいるではないか。
「さっきから女の人達の視線が凄いですね」
「俺達は顔が良いからな。レベッカ様が俺達をお前と会わせようとしていたのも、俺達の顔が良いからだろ」
「私もバロックも、ユベール様に次ぐ顔の良さですからね。顔の良い男が好きなキャンディスのお眼鏡に適うと思ったのでしょう。我々も己の顔の良さでレベッカ様という後ろ盾を得られるのならこれ以上ない話だと思っていました」
「お二方、よくその性格でユベール様に対して顔だけだとか糾弾するあの場に居られましたね」
キャンディスが露骨な態度で訴えれば、スティーツとバロックが「どういう意味だ」と尋ねてきた。
スティーツは優雅に微笑みながら、バロックもまた不敵な笑みを浮かべながら。二人の見目が良いだけに笑みは言い知れぬ圧を漂わせている。麗しいがゆえの圧だ。
もっともキャンディスは二人の圧も何のその「そのままの意味です」と軽い態度で返しておいた。
どれだけ彼等の見目が良かろうが常日頃ユベールを見ているのだ、今更二人の笑みを前にしてもどうとも思わない。
そもそも以前にユベールとも話したように、スティーツもバロックもキャンディスからしたら『面倒なので近寄りたくない人』なのだ。結果的にこうやって一緒に歩く羽目にはなっているが。
そうして三人で帰路に就き、鍵を開けてゆっくりと扉を開けると……、
「キャンディス、おかえり。帰ってきたところ悪いんだが、パンを買ってきて…………」
と、水色のエプロンを纏い片手に財布を持ったユベールが出迎えにきてくれた。
……出迎えにきてくれたが、なぜが言葉も動きも途中で止まってしまった。
水色エプロンの紐だけがゆらゆらと揺らいでいる。
「ただいま戻りました。でも行ってきます。何のパンを買ってくれば良いんですか?」
「しょ……パ……」
「食パンですね。お釣りでお菓子買ってきて良いですか?」
「……い、けど」
「けど?」
けど、どうしました? とキャンディスがユベールの顔を窺う。
相変わらず見目の良い顔だ。麗しい。深緑色の瞳は目の前に立つスティーツとバロックをじっと見つめている。
形良い唇は少し開かれており、言葉を発しようとしたところで彼だけ時間が停まってしまったかのようだ。まさに硬直。
「鳩が豆鉄砲を食ったよう……。いえ、ユベール様の美しさなら、孔雀が豆鉄砲を食ったよう、と言った方が正しいですね」
ユベールの顔の良さはけして鳩ではない。孔雀だ。もしくは純白の輝く白鳥。
そうキャンディスがうんうんと納得しながら独り言ちていると、今の今まで固まっていたユベールがピクと動いた。固まったままだった唇がぎこちなく動き「ひ……」と掠れた声を漏らす。
「ひっ、久しぶり……だな……ふたり、と、も……。そ、息災で、なによ、り……」
随分と震える声でユベールがスティーツとバロックに告げた。
彼の麗しい顔は見る見るうちに真っ赤になっており、言い終わる頃には耳まで真っ赤だ。銀色の髪が余計に彼の顔の赤さを映えさせる。
更には真っ赤になった顔を隠すようにぎちぎちとぎこちない動きで顔を手で覆って俯いてしまった。