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19/43

19:かつてわがままだった令嬢

 


 静かに、淡々と、目の前の光景を眺めながら無機質に告げる。

 キャンディスの言葉に合わせるように、ザァと一際強く吹いた風がカーテンを大きく揺らした。


 生涯仕える相手は一人。

 そんなキャンディスの言葉に、バロックとスティーツが意外そうな表情を浮かべた。

 あれだけ騎士業に拘りはない、いずれ田舎に帰る、と言ったのだから、こんな拘りがあるとは思わなかったのだろう。


「仕えると決めた相手がいるのに、今は国の騎士をやってるのか? それすらも数年で辞めて田舎に帰るんだろう?」

「えぇ、そうです。まぁひとにはひとの事情というもので。ところで、レベッカ様も戻ってくる様子はありませんし、そろそろお開きにしませんか? 私はのんびりお茶をしても別に構わないんですが、お二人は忙しいでしょう」


 仕事も融通の利く末端騎士のキャンディスと違い、宰相スティーツも近衛騎士隊長バロックも多忙だ。

 とりわけバロックはつい先程までミモア捜索について『何の成果もない』という報告をしたばかりなのだから、ここでのんびりしているのは体面的にもあまりよろしくない。レベッカに誘われたとはいえ、王族や上層部に何をサボっているのかと咎められればバロックは頭を下げるしかないのだ。

 当人達もそれは分かっているのだろう、キャンディスの提案に同意をして腰を上げた。



 そうして一室を出て通路を歩き……、その途中、スティーツが何かに気付いて「あれは」と足を止めた。

 彼の視線を追えば、窓の外、綺麗に整えられた花壇を眺めながら三人の女性が話している。

 レベッカと、それと……。


「ミレーナ様とラーラ様ですね」


 レベッカと話をしているのはエルシェラ家の姉妹だ。

 何かあるとすぐに『ずるい』と訴え癇癪を起こす我が儘な妹ミレーナと、それに振り回される姉のラーラ。社交界では良くない方面で有名な姉妹である。

 キャンディスも夜会でスティーツと踊ったところ、ミレーナに「ずるい!」と訴えられた事があった。

 あれは衝撃的だった……、と話せば、バロックも巻き込まれた事があるという。眉間に皺を寄せて「あれは酷かった」と低い声で話すあたり、その時のミレーナの態度は相当なものだったのだろう。


 だがそんな会話の中、スティーツだけは考え込むような表情で窓の外のミレーナをじっと見つめていた。


「確かに以前のミレーナ様は我が儘で困った方でしたが、最近はどうやら違うようです」

「違う?」

「はい。と言っても私も又聞きでしかないんですが、確か今から一月ぐらい前、ミレーナ様が高熱を出して寝込んでいた時期があったそうです。幸い主治医のおかげもあって数日で回復したようですが、その後からミレーナ様の様子が変わったと」


 スティーツ曰く、ミレーナは突如なにかに目覚めたかのように性格を一変させたのだという。

 あれだけ訴えていた『ずるい』を口にすることなく、それどころか今まで困らせていた者達に対して詫びてまわる。嫌がっていた勉強にも励み、マナーも覚え、贅沢も言わない。

 そしてなにより周囲を驚かせたのが、姉ラーラに対してだ。今までは姉の言葉など聞く耳持たずだったというのに、それを謝り、そして今まで我が儘な自分を見捨てずに居てくれたことに感謝を示したという。


 その変わりようは目を見張るどころではない。


 スティーツの話にキャンディスは小さく息を呑んだ。


「……それは、まるで」

「えぇ『人が変わったよう』とはまさにですね。ですがラーラ様も喜んでいらっしゃるし、なにより悩みの種がなくなったのでエルシェラ夫妻も安心していることでしょう」

「そう……、ですか」


 スティーツの話は世間話をするかのように軽く、それを聞くバロックも「そんなことが」と興味本位な好奇心を寄せている。

 だがキャンディスだけは彼等の軽さに馴染めず、目の前の光景から目を離せずにいた。

 レベッカとミレーナ達が穏やかに話している。そこにかつて我が儘で周囲を困らせていた面影はない。静かで淑やかな令嬢の微笑ましい会話だ。

 彼女達はしばらく会話を楽しむと視線を感じたのか誰からともなくこちらを向いた。レベッカの瞳がキャンディスを捕らえる。


「キャンディス、そこに居たのね」


 レベッカがこちらに歩いてくる。それとエルシェラ家姉妹も。

 スティーツとバロックが揃えたように背筋を正し、途端に精悍な空気を纏いだした。一瞬にして女性達の憧れの知的な宰相様と逞しい騎士様になるのだから、この切り替えは見事なものだ。

 キャンディスだけは態度を変える気も無く、窓越しに立つレベッカ達に対して軽く会釈だけしておいた。


「キャンディス、わざわざ呼び止めたのに戻らなくてごめんなさいね」

「お気になさらず。私もただお茶をしていただけですから。ですが、仕事がありますのでこれで失礼させて頂きます」

「そう、忙しいのね……。あぁそうだわ、彼女達とは一度会ったことあったわね」


 レベッカが背後に立つ二人へと視線を向けた。

 ラーラとミレーナ。二人が恭しく頭を下げる。……ミレーナまで。まるで出来た令嬢のように。

 そうしてゆっくりと頭を上げるとミレーナがそそと一歩近付いて来た。彼女が見上げるのはスティーツだ。


 二人の対峙と考えれば、自然と思い出されるのはあの夜会での一件。

 ミレーナはキャンディスとスティーツが踊った事に対して周囲の目も気にせず嫉妬し、「ずるい」と訴え、そして一方的にいずれ一緒に踊るように約束を取り付けたのだ。


 だが今のミレーナにその時の勢いはない。

 申し訳なさそうに上目遣いで彼を見上げ、恐る恐ると言った様子で名を呼んだ。胸元で握られた手が更に弱々しさを感じさせる。


「スティーツ様……、夜会ではご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「……いえ、ミレーナ様が謝るほどの事ではありません」

「騒いでお恥ずかしい姿をお見せしたうえに、無理に約束をするような真似を……。どうかお許しください」


 ミレーナの声色には謝罪の色が込められており、心から申し訳なく思っているのが伝わってくる。更には言葉だけでは足りないと深く頭を下げて詫びるではないか。

 話には聞いていたがこれ程までとは思っていなかったのか、スティーツもたじろぎ、らしくなく動揺を露わにした上擦った声で頭を上げるようにミレーナを促した。


 次いでミレーナが視線を向けたのはキャンディスだ。

 あの夜会の時、ミレーナはキャンディスに対して名前を尋ねておいて碌に返さず、挙げ句に「ずるい」と何度も訴えていた。もっともミレーナは貴族の令嬢で、対してキャンディスは田舎出の騎士、多少の無礼は水に流す格差である。

 だがミレーナはキャンディスにも謝罪の言葉を口にしてきた。「失礼なことを言ってごめんなさい」と詫び、キャンディスにまで頭を下げようとしてくる。さすがにこれは慌てて制止した。


「別に、そんなに謝らないでください。私も気にしてませんし」

「そう……。ありがとう」


 許しを得たからかミレーナがほっと安堵の表情を浮かべた。

 そんなミレーナに姉のラーラが寄り添う。優しく腕を擦るのは謝罪をする妹を支え、そして妹が許されたことを姉として喜び、共に安堵しているのだろう。二人が並ぶ姿は仲の良い姉妹そのものだ。

 二人が最後に一礼してその場を去っていき、彼女達に用事があるのだろうレベッカも彼女達に続く。去り際にわざわざキャンディスを名指しし「また今度お茶をしましょうね」という誘いの言葉を残して。


 寄り添い楽しそうに話す姉妹。それと並んで共に会話を楽しむ令嬢。

 三人の後ろ姿は麗しく微笑ましい。少し前まで、我が儘な妹が姉を振り回し、それに困り果てていたとは思うまい。




「実際に目の当たりにするのは初めてでしたが、まさかあれほどとは……」


 スティーツの声には驚きと感心を綯交ぜにしたような色がある。

 バロックも同感だと言いたげに小さくなる三人の背中を見続けていた。彼もまた以前のミレーナを知っており、だからこそあの変わりようが信じられないと思っているのだろう。


「あれは確かに反省っていうよりひとが変わったってレベルだ。相当痛い目に遭ったんだろうな」

「痛い目、ですか。エルシェラ家にそういった問題があったとは聞いてませんが。……そういえば、姉のラーラ様はお付き合いしている方がいて、近く婚約発表をする予定らしいですね」


 スティーツが口にしたラーラの恋人は隣国の公爵子息。

 王族とも懇意にしている家で、伯爵家であるエルシェラ家からしてみたら格上の相手である。そこの次期公爵である子息とラーラは密かに想いを寄せ合い、このたび晴れて発表の場を設けるのだという。

 この話にバロックが「へぇ」と興味深そうに返した。


「お付き合いの期間は随分と長いようですが、きっとラーラ様も公言するタイミングを窺っていたのでしょう。以前のミレーナ様なら、下手すると公爵子息との婚約を『ずるい』と騒ぎかねませんでしたし」

「あぁ、そりゃ有りえただろうな。『お姉様、公爵家の方と婚約なんてずるい。私にちょうだい!!』ってな」


 ミレーナの口調を真似てバロックが笑う。

 もちろん冗談だ。だが冗談ではありながらもかつてのミレーナだったなら有りえた話だ。それほどまでに過去の彼女は我が儘で、他人のものであろうと何でも欲していた。

 それが誰もが羨む公爵子息との良縁ともなれば尚更だ。なぜ姉に、ずるい、私にだって、私の方が! と癇癪を起こして喚いただろう。


「だがさすがに婚約を我が儘で変えるわけにはいかないよな。そんなことすれば公爵家の怒りを買って、エルシェラ家から追放だ」


 今までエルシェラ夫妻はミレーナの我が儘を聞いていた。癇癪を起こされて問題が大きくなるより、我が儘を聞いた方が早いと考えていたのだ。それがミレーナの我が儘を助長させて……、と悪循環だった。

 だがさすがに他国の公爵家との縁談ともなればそうもいかない。公爵子息とラーラの縁談を守り、そして体面の為に彼等の縁談に害を成そうとしたミレーナを罰せざるを得なくなる。度合いによってはエルシェラ家からの追放だって有りえた話だ。

 そこまで話し、バロックが「追放か……」と呟いた。


「婚約どうので追放なんて、まるでユベール様のようだな」

「確かに。追放という意味ではミレーナ様も同じ道を辿りかけていましたね。ユベール様に比べてこちらはぎりぎりのところで命拾いしたようなものでしょう。そういえば、キャンディスはミレーナ様の我が儘な性格を嫌いじゃないと言っていましたね」


 話題が変わり、スティーツとバロックの視線がキャンディスへと向けられる。

 だがキャンディスは話を振られた事にも彼等の視線にも気付かず、ただじっと窓の外を眺めていた。

 既にミレーナ達の姿は見えない。

 それでもいまだそこに三人の背中があるように……。



「気持ち悪い……」



 嫌悪を露わに、キャンディスが呟いた。



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[気になる点] >>子爵家であるエルシェラ家からしてみたら格上の相手である 初出では伯爵家だったような…。
[良い点] 個性的だった、悪く言えば問題があった人物が、高熱を出したのを堺に別人のようにマトモになる。今までよく読んだ展開ですが、この視点は、いままで読んだことも考えたこともありませんでした…。 た…
[良い点] 好き!!!
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