18:麗しの近衛騎士隊長様
「へぷちっ!! ぷしゅん!!」
キャンディスがおかしなくしゃみをあげたのは王宮の一室。
報告を終えて各々仕事場や執務室へと戻り……、とはならず、レベッカの要望により場所を変えてお茶をする羽目になっていた。
これは想定内でもある。やっぱりこうなったか、という気持ちしかない。
そんなお茶の場で豪快なくしゃみをしてしまい、ハンカチを当てた鼻をグスと一度啜って「失礼しました」と詫びた。
「キャンディス、大丈夫? 部屋が寒かったかしら。膝掛を持ってこさせるわね」
「いえ、大丈夫です。お気遣いなく。腹巻をしているので寒さは大丈夫です」
ほら、とキャンディスが騎士隊の制服の上着をべろっと捲って腹巻を見せた。
ピンク色の毛糸で編まれた腹巻。アデル村でよく使われる柄とキャンディスのイニシャルが描かれている。お洒落とは言えない腹巻だが、優しくお腹を暖めてくれている。
この暖かさを味わってしまうと手放せなくなるのだ。とりあえず今年の冬も毛糸の腹巻と過ごすことを決めた。
そんな腹巻きを見たレベッカは苦笑を浮かべていたが、ふと視線を上げると眉根を寄せた。
キャンディスの眼帯を見たからだ。……今日だけは毛糸で編まれた眼帯を。見ているのも辛いのかそっと視線を逸らした。
「……それもリアが?」
「いえ、これはユベール様が編んでくれました」
「ユベールが……」
かつての婚約者の名前を聞き、レベッカが小さく息を呑んだ。表情がなんとも言えないものに歪む。
だがそんなレベッカの表情の変化を見てもなおキャンディスは落ち着いたもので、左目の眼帯に触れながらも「暖かいですよ」とだけ返した。
最初こそ拒否を示したものの、腹巻同様、毛糸の眼帯は柔らかく暖かくて着け心地が良いのだ。これにも一冬お世話になろうと心に決めておく。
そんな話の最後に、またも「へぷしっ」と軽くくしゃみをしてしまった。
「これは、もしかしたらどこかに私の話をしている人がいるのかもしれませんね」
仮にユベールが話をしていたのなら、あの形良い唇が自分の名を発したということだ。それならくしゃみの一発や二発構わない。三発したけど許容範囲である。
そうキャンディスが断言すれば、レベッカが「そう……」と小さく呟くように返した。
キャンディスの隣に座っているバロックに至っては分かりやすく呆れの表情を浮かべている。
近衛騎士隊長バロック。心苦しい報告を終えたばかりの人物である。
この部屋には彼とレベッカとキャンディスしか居ない。報告会が終わるや否や、レベッカが彼も含めてと名指しでお茶に誘ってきたのだ。
報告の最中こそ畏まって渋い表情をしていたバロックだが、終えた今は肩の荷が下りたと言いたげだ。さすがにレベッカの前だけあり体勢を崩したりはしないが幾分リラックスしているのが分かる。――ちなみにキャンディスが制服を捲って腹巻を見せた瞬間バロックは分かりやすくぎょっとしていた。多分、腹巻をする騎士をはじめて見たのだろう――
「寒いのなら俺の上着を着ておけ、少しはマシになるだろう」
「えっ、そんな、バロック様の上着を借りるなんて出来ませんよ」
「遠慮するな」
キャンディスの返事も碌に聞かず、バロックは徐に上着を脱ぎ始めた。
騎士隊の上着。名誉ある近衛騎士隊長の制服だけありキャンディスが着ているものとは違い質も飾りも一級品だ。体格の差ゆえにサイズもだいぶ大きい。
それをふわりとキャンディスの肩に掛ける仕草はスマートで、それでいて「羽織っていろ」という言葉は簡素で無骨さを感じさせる。
これがギャップというものか。
男らしく勇ましい騎士が見せる紳士的な優しさ。強引でありながらもスマートな仕草。それでいて素っ気なく伝える不器用さ……。
なるほど女性人気があるのも頷ける、とキャンディスは心の中でごちた。
「では、お借りします。ありがとうございます」
「気にするな」
バロックの返事はこれまた簡素だ。だがきっと彼に想いを寄せる女性からしたらその簡素さも良いのだろう。
そんな事をキャンディスが考えていると室内にノックの音が響いた。レベッカが返事をすればゆっくりと扉が開き、メイドが恭しく頭を下げる。
「レベッカ様、スティーツ様がお呼びです」
「スティーツが? 何か予定があったかしら……」
レベッカが立ち上がり部屋の扉へと向かう。
そうしてしばらく話すと、室内にいるキャンディスとバロックに対して「少し席を外すわね」と告げて部屋の外へと出て行った。
それと入れ替わるように部屋に入ってきたのはスティーツだ。彼は元々レベッカが座っていた場所に腰を下ろし、「話の最中に申し訳ありません」と詫びてきた。どうやらレベッカに変わって会話に加わるようだ。
このタイミングでうまいこと帰れば良かった。
キャンディスが心の中で悔やんだのは言うまでもない。
◆◆◆
向かいには見目の良い知的な宰相スティーツ。隣には見目の良い凛々しい騎士バロック。
そんな二人とお茶をするのはきっと世の令嬢達の夢だろう。仮にここにエルシェラ家のミレーナが居たら『ずるい!!』と喚いたに違いない。
とりわけスティーツもバロックも妙に愛想良くしてくるのだ。スティーツは相変わらず落ち着き払った態度で、バロックもまた無骨さを漂わせつつ、それでもキャンディスに対して興味があると言いたげにあれこれと話しかけてくる。
更には穏やかに微笑んだり褒めてきたりもするのだから、この状況を見ればミレーナだけではなく他の令嬢もずるいと感じかねない。
だがキャンディスは相変わらず冷静に、胸をときめかせる事など一切無く、考えを巡らせていた。
二人の態度は分かりやすいほどに好意的だ。
なぜか?
そこまで考え、キャンディスは若干上擦った声で「あのぉ……」と控えめに話を始めた。
「レベッカ様が居ない今だからこそ言いますけど、私を手元に置いても期待しているような恩恵は得られませんよ」
気遣いとアプローチはまったくの無駄。
……とはさすがに言えず言葉を濁して伝えれば、スティーツとバロックが揃えたように目を丸くさせた。
「それは、どういう意味でしょうか……」
「そのままの意味です。確かに私はレベッカ様に贔屓にされていますが、それを利用しようという気はまっさらありません。それにあと数年の内には見切りをつけて故郷に帰るつもりです」
「故郷に?」
「はい。アデル村という、田舎も田舎、人間と羊の数がとんとんなぐらいの田舎村です。公爵家の恩恵も届きませんし、村に帰る時はレベッカ様との仲も終わりにする予定です。だから私を手に入れてもレベッカ様という後ろ盾は得られません」
アデル村は田舎すぎて公爵家の恩恵もなにもない。そもそもスティーツもバロックも王都での躍進を望んでいるはずで、仮に恩恵が届こうとも田舎村なんて御免なはずだ。
現に二人は先程までキャンディスを持て囃していたというのに今は静かになり、かと思えば何かを考え込み……、
「そういう事はもっと早く言ってください」
「なんだ、無駄な手間だったか」
と、明らかに落胆を露わにしてきた。片や知的、片や勇ましく見目の良い顔が、揃えて「がっかりだ」と言葉にせずとも訴えてくる。
更にバロックは気が抜けたと言わんばかりに座る体勢を崩し、スティーツも先程までの凛とした知的な雰囲気が薄まっているではないか。紅茶を飲む仕草すらどことなく雑になる始末。
「気持ちは分からないでもないですが、本性を出すにしてももう少しなんとかなりません?」
呆れを込めてキャンディスが訴えるも二人はどこ吹く風だ。
どうやら二人の中でキャンディスに対しての認識がガラリと変わったようである。
大方、今までは『手に入れれば公爵家令嬢であり次期王妃レベッカの恩恵が期待できる女性』だったのが、先程の訂正により『ただの末端騎士』になったのだろう。
そうでしょう? とキャンディスが問えば二人が悪びれることなく頷いて返してきた。それもどうかと思うが。
「レベッカ様は平等なお方です。公爵家の令嬢、更には次期王妃という立場もあり、特定の者や家を優遇する事は決してしない。だがキャンディス、貴女は別です。レベッカ様は貴女に対してだけ周囲の目も気にせず優遇しています」
「はぁ……、そうですね」
「それを目の当たりにしているんです。『キャンディス・クラリッカを手に入れればレベッカ・フォルターという最強の後ろ盾を得られる』と考えるのも当然でしょう。次期王妃の後ろ盾を得れば更なる出世は保障されたようなもの。幸い、レベッカ様は我々がキャンディスに近付くことに好意的ですし、これを利用しない手はありません」
「ビックリするほど人を物のように言ってくれますね」
スティーツの説明は明け透けにも程がある。だというのに悪びれる様子無く、説明を彼に任せたバロックも全面同意と言いたげに頷いているのだ。
もう少しオブラートに包むとかしても良いのではなかろうか。
そんなことを考えるも、オブラートに包んで愛想良くしても意味がないことは先程キャンディス自身が断言している。ならばいっそここは互いがどう思っているかをはっきりとさせた方が良いのかもしれない。話も早く終わるし。
そう割り切れば、バロックが何やら考え込み「勿体ないな」と話しかけてきた。
「勿体ない?」
「あぁ、あそこまでレベッカ様に贔屓にされてるんだ、それを手放すのは勿体ないだろう。お前が望めば田舎村出の末端騎士から一気に飛躍できるんだぞ」
「出世しようなんてこれっぽっちも思ってません。騎士になったのは知人の口添えがあったから、それに私にとって一番都合が良かったからってだけです」
「それなら、いずれ騎士業を辞めるにしたって田舎に帰らず王都で仕事についたほうが良いだろ。飲食店だろうと何だろうと、レベッカ様のご贔屓となれば成功間違いなしだ。望めば貴族の息子とも結婚出来る」
「どれも興味ありませんね」
「悉く勿体ないな」
バロックの話に今度はスティーツがうんうんと頷いている。
彼の話は尤もだ。とりわけ、キャンディスを手に入れ公爵家の恩恵を利用しのし上がろうとまで考えている二人には、恩恵を手放して田舎に帰るというキャンディスの考えは『勿体ない』の一言に尽きるのだろう。当人からしてみれば「そう言われましても」という所だが。
これは単に求めているものの違いゆえである。それを説明しようとキャンディスが口を開きかけるも、それより先にバロックが話を続けた。
「そもそも、騎士としての拘りが無いならどうして公爵家で働かなかったんだ?」
「私が公爵家で?」
「あぁ。騎士だろうと護衛だろうと、なんだったらメイドとしてでも良い。レベッカ様付きになれば今より楽に稼げるだろう。レベッカ様は品行方正な方だから側仕えになっても手間は無いし、お茶の相手として三時のおやつ付きだ」
「まぁ、確かに三時のおやつは有り得そうですけど。でも今の仕事も苦ではないですよ。……それに」
キャンディスが一瞬言葉を止める。
ふいに視線をそらせば、窓の外に見慣れた後ろ姿があった。
金の髪をふわりと揺らす、あれは……、レベッカだ。
誰かと話しているのだうか。こちらに気付く様子はない。
そんなレベッカの後ろ姿をじっと見つめ、キャンディスはゆっくりと息を吐くように答えた。
「それに、私、生涯お仕えする方は一人と決めているんです」