17:一般家庭の元王子様、エプロン付き
キャンディスからの言伝を頼まれたロブが彼女の家に向かい、第一声は、
「……本当にキャンディスの家に居るんですね」
これである。
扉をノックすると返事が聞こえ、すぐに扉が開き……、ユベールが出てきたのだ。それも水色のエプロンを纏って。
分かっていた事とはいえやはり理解が出来ず先程の言葉を発してしまった。
対してユベールは不思議そうに首を傾げ、怪訝な表情で「何を言ってるんだ」と尋ねてきた。
「俺がこの家に居るのなんて今更すぎる話だろう。そもそもキャンディスが俺を引き取ると言い出した時にロブも居たじゃないか」
「それはそうなんですが……。なんというか、実際に家に居るのを見るのが初というか、妙に馴染んでいるのでそれが逆に違和感に思えまして……」
「俺の作ったジャムも食べてるくせに」
「ジャムに関してはいつもありがとうございます。ですが、やはり目の当たりにするとなんだか不思議な感じがするんです」
見慣れないと言いたげにロブが豪快に頭を掻けば、ユベールが溜息交じりに肩を竦めた。
以前のユベールは常に王族らしい服を纏っていた。上質の布で仕立てられた衣類、細部にまで刺繍や飾りがあしらわれ、田舎出のロブでさえ一目で上質と分かる代物だった。
なにせ第一王子だ。一級の仕立て屋がわざわざ彼のために造った服ばかりだったろう。
だが今ユベールが着ているのは飾りもなにもない衣服。市街地の店で買ったのか有り触れたものだ。更には水色のエプロン。
似合っていないわけではない。むしろエプロン込みで似合っている。
だがかつての彼の姿を知っていると違和感を覚えてしまう。
そのうえ現在地は市街地の一般家屋。そこから当然のように出てきたのだ。
護衛も無しで、元とはいえ第一王子が……。
何度も話に聞いていたとはいえ初めて見る光景にロブが言葉を紡げずにいると、ユベールの背後からひょいと一人の女性が顔を出した。
「あら、ロブじゃない。久しぶりねぇ」
「リア、久しぶりだな」
固まっていたロブが顔見知りを見るや我に返った。
「キャンディスからの伝言かしら。わざわざありがとうねぇ。せっかくだから中に入ってお茶でも飲んでいきなさいよ」
「いや、俺は伝言を預かっただけだから」
「そんなこと言わずに。ほら、立ち話もなんでしょ。奥さんは元気? 最近は村には帰ってるの? 任期が終わるのはあと二ヵ月だっけ?」
あれこれとリアが話を続け、挙げ句に「なにかお茶請けあったかしら」とさっさと屋内に引っ込んでしまう。有無を言わさぬ押しの強さ、これを断って帰るのは至難の業だ。
少なくともロブには出来ず、仕方ないかと家の中へと入った。
「いらっしゃい、ゆっくりしていけ」
一連のやりとりを見ていたユベールが苦笑交じりに歓迎の言葉を口にし、先導するように家の奥へと歩いていった。
その態度も口調も自然なもので、この家にも馴染んでいる。彼は当然のようにここを自分の家だと考え、ロブを来客として迎えているのだ。
自然で、自然過ぎるがゆえに過去とのギャップを感じて違和感を覚える。
「これはそろそろ慣れないと無駄に気を遣うだけだな」
豪快に頭を掻きながら誰にというわけでもなく呟き、ロブは案内されるがままにリビングへと向かった。
リビングに置かれているテーブルに着けば、開口一番にユベールが紅茶を淹れると言い出した。
「えっ、ユベール王子……、ではなく、ユベール様が紅茶をですか? そんなことさせられません。俺が淹れます!」
慌ててロブが言い出すも、ユベールは眉間に皺を寄せるだけだ。
「他人の家のキッチンに入るのはどうかと思うぞ。そもそも、この家の茶器や茶葉の場所を知っているのか?」
「……知りません」
「だろう。リア、お茶もお茶請けも俺が準備する。積もる話もあるだろうから座っていてくれ」
リアに声を掛け、ユベールがキッチンへと向かう。
それと入れ替わる様にリビングへと戻ってくるリアは慌てることもましてやユベールを止めることもなく、彼の気遣いを素直に受け入れ「ありがとうね」と告げるだけだ。まるで息子や孫に接するかのように軽い。
そんな二人のやりとりをロブは唖然としながら眺め、ユベールが居なくなるとガクリと肩を落とした。
当然のように紅茶を淹れ始めるユベールに驚けば良いのか、それを当然のように受け入れているリアに驚くべきなのか、もしくは全ての発端であるキャンディスに呆れるべきなのか。なんだか分からなくなってしまった。
「リア、知ってるだろうが、あの方はかつてとはいえこの国の王子でな……」
「知ってるわよ。悪い女に騙されたところをキャンディスが熱意的に求めたんでしょう? あの子も隅に置けないわねぇ」
「……ん? うぅん?」
絶妙なリアの言い回しにロブが首を傾げた。
間違えているわけではない。だがリアが言うほどのロマンチックなものは……と考え訂正しようとした瞬間、コトンとロブの前にカップが置かれた。トントンと追加で二つ。更にテーブルの中央には切り分けたタルトも。
持ってきたのはもちろんユベールだ。彼はテーブルの上を整えると、そっとロブの耳に顔を寄せた。
「無駄だ」
コソリと耳打ちしてくる。――この瞬間にユベールの顔が間近に迫り、ロブが内心で「おぉ、確かに顔が良い」と一瞬思ったのはさておき――
耳打ちされた言葉にロブが不思議そうにリアとユベールを交互に見る。
「無駄、とは?」
「どう訂正してもリアの解釈は正せないという事だ。諦めろ。俺もキャンディスも諦めた」
あっさりと言い切り、ユベールが離れて一脚に着いた。エプロンを外して椅子の背もたれにかける仕草は妙に板についている。
そんなユベールを見て、ならばとロブもこれ以上は言及するまいと己に言い聞かせた。
当人達が説得できなかったものをどうして自分がどうにかできようか。そもそもリアの解釈は全く違うというわけでもないのだ。大筋は合っているし、大筋が合っていれば問題ないだろう。
「それで、えっと……。これはリアが焼いたリンゴのタルトか? それも見たところ焼きたてっぽいな。リアが焼いたリンゴのタルトはうまいから、俺は良いタイミングで来たようだ」
「いや、リアに教わって俺が焼いたんだ。味が違っていたらすまない」
「ユ、ユベール様がタルトを……!? ……いや、ジャムを作って編み物をするんですからタルトぐらい焼きますよね。なんだかいちいち反応するのが無駄に思えてきました」
「そもそも、一番に驚いて反応すべきはキャンディスが俺を欲しいと言ってきた時だろう。あれ以上の衝撃がどこにある」
「なるほど確かに」
それもそうだとロブが頷けば、ユベールもまたそうだろうと言いたげに頷く。
ちなみにリアはこの会話を聞いてもなお「周りが驚くほどに熱意的に求めたのね」と言っている。
そうして長閑にお茶をしながら他愛もない会話を楽しむ。
訪問時こそ言伝に来ただけだと話していたロブだが、一度家に上がると随分とゆっくりと寛いでいる。
「家にあがるように促しておいてなんだが、仕事は大丈夫なのか?」
「えぇ、御心配には及びません。有事の際には部下が呼びに来るはずですし、今日は仕事もあってないようなもの。それも出来る限り楽にこなそうとしてますから一日ぐらいお茶をして過ごしても問題はありません」
「この上官あってのあの部下か……。職務怠慢騎士」
「キャンディスから職務怠慢と言われた時の対処法は聞いておりますが、あの言葉を言っても良いですか」
「うぐっ……」
痛い所を突かれる予感がしたからか、ユベールが胸を押さえて呻く。
そのうえ立ち上がるとふらふらとキッチンへ向かい、弱々しい声で「ジャムが一瓶ある」と話しながら持ってきた。これはきっと『ジャムを差し出す代わりにあの言葉だけは』という意味なのだろう。
「……思った以上に効くんですね」
「当たり前だ……。己の仕出かしたことぐらい自覚してる。最近は夜中に思い出して枕に顔を埋めて叫ぶこともあるぐらいだからな……」
小さく呻きながらもユベールが椅子に戻り紅茶を一口飲む。飲み終えた後の一息は妙に深い。
次いでユベールはこの話題を続ける気はないと言いたげに「話を変えるが」と力技で話し出した。若干声が上擦っている。
「随分と親しそうだが、リアとロブは元々顔見知りなのか?」
「俺はアデル村の隣村出身なんです。距離もそう無いので昔から交流が盛んで、常に誰かしらが行き来しているぐらいです。どっちの村も住民が多くないので顔見知りどころか親戚のような感じですね」
「そうか。それならロブの村も夜の八時に」
「あの地獄の演奏会はアデル村だけです。むしろ俺の村では夜寝ない子供に『早く寝ないとアデル村に行かせる』と言い聞かせるぐらいです。あれと一緒にしないでください。俺の村にはきちんとした音楽の知識と技術があります」
ロブの断言は今までにないほど強く、怒鳴ったり声を荒らげたりこそしないが言い知れぬ圧がある。
それに対してユベールは気圧されつつコクコクと頷いて返した。
あまりの勢いに「それほどまでなのか……」と呟けば、ロブが「それほどです」と言い切る。これもまた力強い、むしろ力強過ぎる断言である。顔付きも、先程まで気楽に話していたのに今や真剣みを帯びたものになっている。
アデル村の毎晩八時に行われる演奏会はそれほどまでに酷いらしい。
もっとも、アデル村出身のリアはと言えば、
「楽しい演奏会よ」
と暢気なものだ。
きっとこの場にキャンディスが居たとしても「せっかくですし一曲披露を」とでも言い出しただろう。
アデル村での演奏会の話題が出た時こそロブが険しい表情になったが、それ以外の会話は穏やかに進んだ。そんな中、ふと時計を見上げたロブが「そろそろ」と腰を上げた。
リアが手土産の準備をするためにキッチンへと向かう。帰宅の準備を始めるロブを眺め、ユベールが「そういえば」と話しかけた。
「そもそも、なんで今日はうちに来たんだ?」
「……あっ、キャンディスから言伝があったんです。忘れてた」
しまった、と己の迂闊さに頭を掻きながらロブが言伝を伝える。
といっても伝えることはキャンディスの帰宅が遅くなり、疲れを癒すために肉料理を希望していたという事だけだ。ニンジン抜きを希望していたことも伝えておく。
ニンジンの件のみ、リアもユベールも頷きも了承の言葉も返さないので希望が通るかは定かではないが。
もう一つについては……、とロブがチラとユベールへと視線をやれば、察したのだろう彼が一度頷いた。
さすが元王子という優雅な所作だ。……手元では台拭きでテーブルを拭いているが。
「俺の顔だな」
「……はい」
「分かった。起きて待ってよう。疲れてても十分ぐらい正面から顔を見せれば大丈夫だろう。記憶は失うかもしれないが、多分記憶と一緒に疲労も失うはずだ」
「随分と慣れていらっしゃる……。申し訳ありません、俺の部下がこんなことを」
ロブが部下の非礼を詫びれば、ユベールが不思議そうに首を傾げた。
「謝る必要なんてないだろ。俺はキャンディスに感謝してるからな」
「あいつに感謝を?」
「あれだけの事をしでかして衣食住を保障してもらってるんだ、感謝して当然だ。それに俺は今の生活に満足してる。掃除も料理も好きだし、以前よりも穏やかに生活できてるからな。……あと」
「あと?」
「あぁもはっきりと顔を求めるのは潔いだろ。キャンディスにとっての俺は『第一王子』でもなく『元第一王子』でもなく、ただ『顔が良い男』なんだ。肩書も生まれも関係なしに俺を見てるってことだろ」
分かりやすくて良い、とユベールが断言する。
次いで何かを思い出したのかふっと軽く笑った。深緑色の瞳を細めた、愛おしむような柔らかな笑み。
「それに、俺はキャンディスのあの変わった性格が好きだよ」
穏やかで柔らかく、優しい声でユベールが話す。
この言葉にロブは一瞬意外そうに目を丸くさせたものの、次第に柔らかく笑い「それはなによりです」と返した。
手土産を用意したリアがこのやりとりを見て「心の傷を癒すにはやっぱり愛ね」と一人頷いていた。