15:騎士も抗えぬ冬のもこもこ
「腹巻……」
キャンディスが呟いたのは、寒さがより増してきた日の朝。
出勤の準備をしていたところリアが手編みの腹巻を持って部屋に入ってきたのだ。
鮮やかなピンクの毛糸で編まれた腹巻。故郷の村でよく使われる柄と、更にはご丁寧にキャンディスのイニシャル付きで、手編みの暖かさを感じさせつつもなんとも言えないデザインの代物である。手編み感がこれでもかと伝わってくる。
「リア、確かに寒くなったけどさすがに腹巻はちょっと恥ずかしいかも……」
「服の下に着るんだから良いじゃない。ほら、昔はよく『腹巻が無いとお腹寒いから外に出たくない』って渋ってたじゃない」
「それは何年も前のことで……」
好意で編まれた腹巻を前にすると拒否もし難い。だがさすがに騎士として毛糸の腹巻はどうなのか。それもピンクの手編みでイニシャル付き。
騎士の誇りだのなんだのは生憎と持ち合わせていないし、騎士とはなんぞやというのも今一つ理解していない。騎士業に勤めているのは専ら給金と王都に居るためだ。崇高とは掛け離れた精神で騎士を名乗っている自覚はある。
それでも毛糸の腹巻が騎士らしくないことは分かる。更にピンクでイニシャル付きとなれば尚更だ。
だがリアは真心こめて編んでくれており、それも毎年新調してくれている。飽きがこないよう色も柄も微妙に変えながら。
去年は鮮やか過ぎる虹色で、一昨年は毒のある蛙が腹に張り付いたようなマーブルカラーだった。さすが王都は毛糸の種類も豊富だと感心しながら腹を暖めていたのを思い出す。
そう考えるとファンシーさが強いだけのピンクはマシか……、と考え、早々に絆されかけている自分に気付いて首を振って律した。
毎年この季節がくるとキャンディスは今年こそは断らなければと考えているが、結局はリアの押しの強さと腹巻の温かさに負けて腹巻と共に冬を過ごしているのだ。
そしてまたこの季節が訪れた。
今年こそは……。
「今年は外套が新しく支給されたし、大丈夫だから」
「そんなこと言わないで。ほら、ユベール様も毛糸で眼帯を編んでくれたのよ。これで温かいわ」
「いやそんなまさか……、うわ! 本当に毛糸の眼帯だ!!」
話の流れで視線をやれば、そこには毛糸の眼帯を手にしたユベールの姿。
黒一色なのは元の眼帯に合わせてくれたからだろうか。黒い布の時は重苦しさがあったが、毛糸となるとなぜかどことなく温かみを感じさせる。
「前に冗談で話していただろ。それを思い出して、なんとなく編めるかなと思って挑戦したら編めたんだ」
「またなんて器用なことを……」
「イニシャルを入れなかっただけありがたいと思え。それに暖かいに越した事はないんだし、着けていけば良いだろ」
毛糸の眼帯を手にユベールがずいと一歩近付いてきた。
真面目な表情。深緑色の瞳が真っすぐに見つめてくる。彼が一歩また一歩と近付いてくるたびに、その麗しい顔が近付いてくる。
輝きが増していき、視界も意識も全てがユベールの麗しい顔で覆い尽くされ……。
これが神の御業……、とキャンディスは彼の顔に見惚れ、だが次の瞬間はっと我に返った。
「しまった、ユベール様の顔の良さに意識を失いかけるところだった……!」
「我に返ったか、惜しかったな……。だがこれならどうだ」
不穏な言葉を口にし、ユベールが深く息を吐き……、そして徐に前髪を掻き上げた。
彼の銀色の髪が揺れる。その仕草に合わせて一度目を閉じ、次いでゆっくりと目を開けた。
深緑色の瞳は今朝もまた申し分ないほどに美しく、宝石のように輝いている。その宝石を囲む目元も、知的で精悍な印象を与える眉も、すっと取った鼻筋も、唇も、全てがこれ以上のものは無い程に整っており、黄金比の配置を見せている。
そんな顔の良さを更に見せつけるように、ユベールは小首を傾げるとゆっくりと目を細めた。
いわゆる流し目というやつだ。
その美しさと言ったら無い。
「世界が輝く……、なんて顔が良い……、顔がっ……! ……っ!」
「よし、意識を失ったな。俺は眼帯を巻くから、リアは腹巻を着けてやれ」
今の内だ、とユベールとリアが毛糸の眼帯と腹巻をキャンディスに着けだした。
◆◆◆
「というわけで、今日は毛糸の腹巻と毛糸の眼帯を着けているんです」
「なるほどな。しかしユベール様が編み物か……」
「手袋も編んでくれたんです。ほら、アデル村の柄ですよ」
外したばかりの手袋をロブに渡せば、彼はユベールの器用さに感心して良いのか彼の変化に驚いて良いのかと言いたげな表情だ。
「料理してジャムまで作って、果てには編み物か。器用なお方だな……」
「私としては流石に腹巻と眼帯は恥ずかしいんで辞退したいんですが、こうやって一度着けてしまうと温かさに負けてしまうんですよね。毛糸の温かさに勝るもの無し。ロブ上官も編んでもらいますか?」
「いや、俺はさすがに……。おっと、長話をしてる場合じゃないな」
ふと、ロブがなにかを思い出して話題を変えた。
だが変えたかと思えば途端に「それがな……」と口ごもってしまった。
先程までの感心と驚きを交えた表情もどこへやら、一転して渋い表情をしている。眉根を寄せて露骨に視線を逸らし、それでもキャンディスの前に立ったまま動こうとしない。
話がある。
だが話したくない。
でも話さないわけにはいかない。
そんな彼の苦悶の声が聞こえてきそうだ。
これにはキャンディスも嫌な予感しかせず、自分の眉間にも皺が寄るのを感じつつ、それでもロブを気遣って「どうしました」と話の糸口を提供してやった。
これが仮にレベッカやソエルだったなら、話し出さないのを良い事に「忙しいのでお話はまた後程お伺いします」と告げてさっさと退散しただろう。
「……キャンディス、悪いんだがまたお前にミモア捜索の報告に同行するよう指示がきた」
ロブが渋い表情で伝えて来た。
なぜ捜索に関わっていない末端騎士が報告に……、という疑問は今更だ。
進展が無いという心苦しい報告の場で、せめてレベッカのご機嫌取りはしようと言う苦肉の策。つまりレベッカ対策、人身御供である。
先日ユベールと話したばかりではないか……、と考え、キャンディスははっと息を呑んだ。
「もしかして、これもユベール様の顔が良いせい……!?」
あれほど顔が整っていると、話した事を現実化してしまうのかもしれない。
きっとそうだ。そうに違いない。『可能性』が彼の顔の良さに惹かれるあまり、彼の言葉を実現させてしまったのだ。
なにせ神の領域。
彼の麗しさは神の御業。奇跡の賜物。
ともすれば、彼自身が奇跡を呼び寄せるのも納得である。
辿り着いた真実に衝撃を受け、キャンディスは思わずふらと後退ってしまった。
無意識に左目に手を添えれば、普段は布の眼帯だが今日は毛糸の眼帯なのでもこもこと柔らかい。
「あまりにも顔が良いと因果律さえも狂わせてしまう……。あの顔の良さは過去を変えることは出来なくても、未来を変えることは出来るんですね……! これこそが神が作る美貌の領域、普通の顔では成し得ない奇跡!」
「よく分からん真理を見出してるところ悪いんだが、バロック様が待ってるから早めに行ってくれ」
「今回はバロック様ですか。重ね重ね、ユベール様の顔の良さのせいですね」
思い返せば、バロックについても以前にユベールと話をしていたではないか。一度はバロックの顔の良さを話し、そして先日は人身御供で報告に同行させられることも話した。その会話が今まさに現実となっている。
これはやはり彼の顔の良さが引き起こした事に違いない。
となれば……。
「ユベール様の顔の良さのせいなら、それを堪能している私も務めを果たさないといけませんね。仕方ありません、行ってきます」
因果律さえも狂わせる奇跡の顔の良さを独り占めしているのだから、その顔の良さが引き起こした事象の始末ぐらいはしなくては。ユベールの顔の麗しさはそれでもお釣りがくるぐらいだ。
そう話せば、ロブがうんうんと頷きながら「さぁ行ってこい」と背中を押してきた。彼からしてみれば、よく分からないながらもキャンディスが応じたならそれで良し、である。
「では行ってまいります。多分レベッカ様に捕まって戻りは遅くなると思うので、私の仕事はお願いします」
「あぁ分かった。今日は仕事なんてあってないようなものだし適当に割り振っておく。遅くなるならそのまま直帰しろ」
「かしこまりました。あと出来れば私の家に行って、リアに『今日も疲れて帰ってくるから夕飯はニンジン抜きのお肉料理で』と伝えておいてください」
「よし任されよう」
「ユベール様には『疲れて帰ってくるのでその麗しい顔で出迎えてください』と伝えておいてください」
「それは断る」
ぴしゃりと一刀両断してくるロブにキャンディスは「けち」と返し、だがこのまま話を長引かせる気はないと詰め所を後にした。