14:行方知れずのメイド
「キャンディス、ジャムを作ったから味見をして……。そうか、ついに自分の部屋に『机』というものが必要ないことを理解したんだな」
「部屋に入るなりなんですか、顔が良いのに失礼なひとですね。模様替えをしていたんですよ」
「その模様替えで不要な机を捨てるんだろう。捨てるなら俺にくれ」
「なんて顔が良い失礼なひとだ……」
「ここにきて四ヵ月が経つが、俺はキャンディスが机に向かっているところを一度として見ていないし、部屋の掃除をしてるから分かるが椅子を動かしている気配すら全くない」
「顔が良くて失礼で察しが良いひとだ……!」
なんてこった、とキャンディスが呻きつつ、ガタガタと机を動かす。
部屋の一角に寄せてふぅと一息吐いた。
「確かに机を使った記憶はありませんが、こうやって部屋の隅に置けば上と下に物を置けるんですよ」
「世間はそういう時には棚という家具を使うんだ。後で俺の部屋に持っていくからな」
「顔が良くて失礼で察しが良くて横暴なひと。まぁでも、この机もきちんと机として使われるならそっちの方が幸せかもしれませんね。実を言うとさっきからずっと記憶を引っ繰り返してるんですが、この机で何かした記憶が一つも無いんです」
王都に来て騎士になった際、もしかしたら仕事を持ち込むかもしれないと考えて買った机。
だが幸い仕事を持ち込むことはなく、むしろ最近では絶対に仕事を家に持ち帰るまいという意志のもと働いている。ゆるい末端騎士業ゆえ仕事が終わらなくても「明日の私、頑張って」で残せるのだ。――ちなみに翌日もさして頑張りはしない――
「ユベール様の部屋で机として幸せにおなり……」
別れを惜しむようにそっと机を撫でる。
まったく使っていないせいか傷一つ無い。驚くほどに新品同然だ。これはやはりユベールの部屋に行くべきだろう。
そうして自室を出て台所へと向かい、ジャムの味見をする。
ユベール曰く、ジャムを作っていたがちょうど味を調えるタイミングでリアが買物に行ってしまい、ならばとキャンディスに最終調整を頼んだらしい。
といっても既にリアからのお墨付きをもらっているらしく、ジャムの味は故郷のアデル村で食べたものとまったく同じだ。
「今回も美味しいですね。この甘い中に皮のほろ苦さがあるのが好きなんです」
「そうか、上手く作れたみたいで良かった。一緒にクッキーを焼いたんだ。紅茶も淹れるから先に座っていてくれ」
ジャムの出来が満足なのか嬉しそうにユベールが話し、いそいそと紅茶の準備に取り掛かる。彼が動くたびに水色のエプロンがひらりと揺れた。
「顔が良いうえにジャムも作ってクッキーも焼く……。素晴らしいですね。このジャム、ユベール様の肖像画と共に売ったらどうでしょう?」
「俺の肖像画と?」
「そうです。『私が作りました』という肖像画を添えるんです。美味しいジャムに『顔が良い人が造った』という絶対的な付加価値がつくんです。売れること間違いなし。桁を一つ二つ増やしてもいけますよ。これはジャム界の革命!」
「はいはい、そりゃ革命だな」
まったくと言いたげな態度でユベールが茶器をテーブルに並べだした。
紅茶を淹れる仕草は手慣れたもの。更に出来立てのジャムを小皿に移して持ってきており、スプーン一杯分をカップにぽちゃりと落とした。
「紅茶の手配をする仕草も麗しいですね。見惚れすぎて記憶を失いそうです。いや、既に失ってるかもしれませんね。もしかしてこの会話、二回目ですか?」
「安心しろ、一回目だ。それと見惚れて記憶を失うのは勝手だが、机をくれる約束した記憶は失うなよ。後で取りに行くからな」
「大丈夫です。ユベール様の顔の良さでどれだけ記憶を失おうとも、私が一度として机を使っていないという事実は変わりません。さすがのユベール様の顔の良さも過去を変えることは出来ないんです」
「ここにきてようやく俺の顔の良さでも不可能なことが出てきたか。まぁでも机を貰えるなら良いか。これで部屋で手紙を書ける」
絶縁を言い渡されて以降も、ユベールは母親である王妃とだけは手紙のやりとりをしている。
本来ならば絶縁された身では手紙を出すことも許されないのだが、これは王妃から望んだことだ。息子への情を捨てきれない彼女はせめてと手紙のやりとりを望み、王と第二王子ソエルもそれを許している。
寛容とも言えるが、勘当したユベールの行動を監視する意味でもあるのだろう。
現に、許しているとはいえ手紙は都度二人が検分しているらしい。親子の情に訴えるようなやりとりや王宮内の細事を伝えることは禁止されている。
いわば生存報告のようなものだ。オレンジを貰った時のソエルの反応を見るに、検分はかなり厳しいだろう。
「そういえば、今まではキッチンやリビングのテーブルで手紙を書いてましたね」
「俺の部屋に机が無いからな。でも部屋で書くこともあったぞ。窓から差し込む月明かりを頼りに、ベッドの上で寝ころんで書いてた」
「私の隣の部屋でそんなロマンチックな光景が……!?」
「でも書くことが無いから、最近は作った料理のレシピを書いている」
「なんというロマンチックシェフ……。その光景、今度見せてください」
ぜひ、とキャンディスが頼むとユベールが呆れの表情ながらに頷いて返してきた。
そうしてしばらく他愛もない会話を交わしつつ、キャンディスがユベールの顔の良さを堪能し、そして堪能しすぎるあまりに意識を失ったりしていると、ユベールがおもむろに「ところで」と話を変えた。
深緑色の瞳がふいと逸れる。まるで今だけはキャンディスの視線を受けていられないと言いたげに。
形の良い唇が一瞬きゅっと締められ、その表情から何か言い難いことをそれでも言おうとしている事が分かる。
悩まし気な表情。その顔もまた麗しいが、さすがにこれには見惚れるわけにはいかず、キャンディスは窺うように「どうしました」と先を促した。
それを受けてユベールがゆっくりと口を開いた。彼の形良い唇から小さな溜息のような声が漏れる。
「……ミモアは、まだ見つかっていないのか?」
問うというよりは囁くような声量。細く儚く、仮にここが賑やかな街中であれば雑音に掻き消され、目の前に居ても聞き逃してしまいそうな程。
だが今この部屋にはキャンディスとユベールしか居らず、彼の声は消えることなくキャンディスの耳に届いた。それでも一瞬返答に迷ってしまうのは、彼の言う通りいまだミモアの行方が分かっていないからだ。
かつてフォルター公爵家に仕えていたメイドのミモア・ミルネア。
ユベールとの身分違いの恋に落ちた彼女は『真実の愛』を貫こうとし、だが突きつけられる事実に耐え切れず王宮から逃げ出した。
……という事になっている。一応は。
あの日迷うことも振り返ることもなくユベールを置いて逃げていったあたり、ミモアが本当にユベールを好きだったのかは定かではない。
むしろユベールへの想いは端から無かっただろうというのがキャンディスの考えである。あの場に居合わせた誰もがこう考えているだろう。
だがそれを当人を前にして言えるわけがなく、どうしたものかと言葉を選んでいると、察したユベールが「大丈夫だ」と言いきった。
「あれほど見事に置いていかれたんだ、『真実の愛』なんて言葉に溺れていた身でもさすがに目を覚ます」
「……そうですか。でもミモアのことは気になるんですか? もしも彼女が見つかったら?」
「見つかったところで、もう俺にはどうにも出来ないだろ」
ユベールの返事はあっさりとしている。落ち込むでも嘆くでもなく、さりとて怒りを抱くでもない。ただ事実を口にしただけだと言いたげに。
だが実際に、今のユベールには出来ることは無い。既に王族ではなく、仮に今この瞬間にミモアの所在が分かったところで、彼女の罪が軽くなるように懇願する資格も、酷い女だと罵る資格も無いのだ。会いに行く事すら許されないだろう。
そもそもミモアについての情報すらも今のユベールには知らされていない。ただキャンディスが聞いた話をそっくりそのまま伝えているだけである。
「我々騎士隊も総出とはいかずとも出来得る限りの人員を割いて探しているんですが、いまだ足取り一つ掴めていないんです」
お恥ずかしい話です、とキャンディスが肩を竦めながら話す。
もっとも、言葉でこそ恥じてはいるがまったくその気はないのだが。――「だって私は捜索に関わってないし」という本音はさすがに口にしないが、多分ユベールは気付いているだろう――
ミモアの捜索には騎士隊の中でも有能な者達が当てられている。その筆頭を務めるのが近衛騎士バロックだ。
他にも宰相スティーツや国の上層部が尽力してたった一人の少女を探している。
それでも足取りが掴めないのだからいったいどこに逃げたのやら。見事な逃亡にお見事と言いたくなる。
「私としては別にミモアに関して興味も何も無いので、彼女がどこに行こうが構わないんですけどね。ただ成果が無い事を伝えに行くのに同行させられるのだけは困りものです」
「捜索には関わってないのに報告には同行させられるのか?」
なぜ、と不思議そうなユベールに問われ、キャンディスは思わずうんざりとした表情を浮かべた。
「レベッカ様対策です」
「レベッカ……。なるほど。キャンディスが居ればレベッカの怒りだけは抑えられるのか」
「いわば人身御供ですね。あぁなんて可哀想な私。田舎出の騎士が背負うには辛すぎます……」
わざとらしくキャンディスが肩を落として溜息を吐く。ついでに頬をそっと指先で拭ってみる。涙は一粒とて出ていないのだが。
この白々しいアプローチに対して、察しの良いユベールもまた溜息を吐き「分かった」と一言返した。だが何をするでもなく、じっとキャンディスを見つめるだけだ。
じっと、真正面から……。
その凛々しく麗しい顔で……。
「顔が良い!!」
と思わずキャンディスが声を上げた。
じっと見つめてくるユベールの顔は麗しく凛々しく美麗で、それを遮るものなく真正面から見ている。更にはこの整いまくって神の領域と言える顔を独り占めしているのだから優越感すら感じてしまう。
なんて素晴らしいのか。少し首を傾げて別の角度から見ても美しいし、彼に横を向いて貰ってもその横顔もまた麗しい。
「そうですね、この顔の良さに比べれば私が背負ったものなんて羽のように軽いですね!」
「何がそうなのか分からないが、多分そうなんだろう。納得したのならよかった」
「ユベール様の顔を見ていたら食欲が増してきました。麗しい顔は食欲増進効果もあるんですね」
「俺の顔の良さは食欲にまで関与しだすのか」
「それほどまでに麗しい顔なんですよ。ユベール様の美しく整った顔を視覚で認識し、脳でその美しさを判断し、そして網膜に焼き付けようとすることで過剰にエネルギーを消費し空腹になるんです。というわけで、クッキーもっとありますか?」
自論を語りながら空になった皿を渡せば、ユベールが呆れの表情ながらに受け取った。その顔もまた麗しいのは言うまでもない。