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12:冬の訪れ

 


 王宮での話し合いから一ヵ月ほどすると、徐々に寒い日が続くようになった。

 冬の訪れである。


「キャンディス、そろそろ起きろ。間に合わなくなるぞ」


 扉を叩く音とユベールの声が聞こえ、それでもキャンディスは布団から出られなかった。

 寒い。ここ最近冷え込んでいたが今朝は特に寒い。どうやら雨も降っているようで窓の外からシトシトと雨音がするし、それが余計に寒々しい。

 もぞもぞと上半身を起こすと布団がめくれてそれがまた寒い。

 ベッドから出ようとそろりと足を布団から出すも、外気の寒さに耐えきれずまた引っ込めた。


 寒い。……そして、こうも寒いと痛い。寒いよりも痛い。

 無意識に顔の左半分を手で覆う。

 潰れて見えなくなったはずの片目の視界が、今だけは揺らいで白く瞬いているように思える。まるで雪の中にいるかのように。覚えのある景色がちらつく。



 真っ白な雪景色。

 真夜中の森の中だというのに周囲は輝いて見える。そこを歩く、二人で、手を繋いで……。



「キャンディス、入るぞ。パンが焼けたからさっさと起きて……、おい、どうした? 大丈夫か?」


 部屋に入ってきたユベールが驚いたような声をあげて近付いてきた。

 案じるように名を呼び顔を覗き込んでくる。眉尻を下げた心配そうな顔もまたやはり麗しいのだが、さすがに今のキャンディスにはそれを堪能している余裕は無い。

 そして堪能している余裕がないことも察したのか、ユベールが更に案じてキャンディスの肩に触れてきた。


「目が痛むのか?」

「えぇ、少し……。こうやって冷える日は傷が痛んで、左目につられるのか右目の視界も悪くなるんです」

「そうか……。温めた方が良いのか? それとももう少し寝るか」

「少し時間がたてば痛みは引きます。ですがこうなると仕事にならないので、今日は休むって連絡しに行かないと」

「俺が行く」


 キャンディスの言葉を制止してユベールが断言した。

 これに対してキャンディスは枕元にあった眼帯を着けながら「ですが」と躊躇いの言葉を口にした。


「わざわざユベール様に行って貰わなくても。視界が悪くても歩くことは出来ますし、それにリアに行って貰っても良いし」

「視界が悪いなら危ないだろ。それにリアも今朝は膝が痛むと言っていた。この家の中で今健康なのは俺だけだ」

「王宮に近寄るなと言われたばかりじゃないですか」


 一ヵ月ほど前、ユベールは両陛下に呼び出されて王宮へと出向いた。

 改めて絶縁を言い渡されたのだ。その際に王宮へ近付くなとも命じられている。金輪際、二度と顔を見せるなという拒絶だ。

 もちろんユベールがそれを忘れているわけがない。眉尻を下げて掠れる声で「覚えてるさ」と言い切った。


「敷地内に入る気はない。正門に居る警備に言伝を頼むかロブを呼んで貰えば良い」

「それは確かにそうですが……」

「すぐに行って伝えて帰ってくる。だからキャンディスは暖かくして待っていろ」


 説得するような口調のユベールの言葉に、キャンディスはそれならと頷いて返した。



 ◆◆◆



「なるほど、それでユベール様がいらっしゃったんですね」


 納得したと同時に「驚きました」と話すロブに、ユベールが首肯する。

 場所は王宮、……ではなく、王宮の壁の外。賑わう市街地も近いというのにこの一角は人の気配が少なく、落ち着いて話をするに適している。

 敷地内には入るまいというユベールの意思を汲んでロブがこの場所に連れてきてくれたのだ。その際の「ここでよくキャンディスとさぼって……、いえ、なんでもありません」という言葉は聞かなかった事にした。


「キャンディスはよくああなるのか?」


 ああなる、とは言わずもがな今朝のキャンディスの状態だ。

 左目を押さえ、そして健在な右目も痛々し気に歪ませて視界が悪いと話す。顔色も随分と悪かった。

 いつもの飄々とした態度やユベールの顔が良いと褒める時とはまったく違う様子。思い出せばユベールの胸に焦燥感が湧いた。

 リアが側に居ると言ってくれたから任せたが、もしも家にキャンディスだけならば今すぐに帰っていただろう。


「そうですね。よく、という程ではありませんが、一気に寒くなったり、雪が降ると稀に傷が痛むみたいです」

「そうか……。あの傷は騎士隊の任務でついたものなのか?」


 国内は平和で、近隣諸国とも友好関係を築けている。国規模の争いは数百年以上起こっていない。

 それでも騎士隊には時として荒々しい仕事が回ってくる。

 国内の違法組織の制圧や犯罪者の追跡。時には他国から犯罪者や不穏な組織が流れ着き、国家間で共闘し大事になる時もある。それでなくとも喧嘩や争いごとを鎮めるために駆り出されることもある。

 末端騎士とはいえキャンディスもそういった場に出て、時には剣を手にする。そうでなくとも訓練中に怪我を負う騎士もいるのだ。


 その時に左目を負傷したのか。

 そう疑問を抱いてユベールが問うも、ロブは静かにゆっくりと首を横に振った。


「あの傷は騎士隊に入る前、村に居た頃に負ったものです」

「村で? 何か事故でもあったのか?」

「俺が聞いた話では、森の中で倒木に巻き込まれたとか。酷い怪我で数日意識が戻らなかったらしいです」

「そうか、それで……」


 話の途中でユベールが言葉を止めた。

 一点を見つめてその表情が強張る。その視線の先では二人の男女が立っていた。

 第二王子ソエルと、その婚約者である公爵令嬢レベッカ。ユベールにとってはかつての弟と、そしてかつての婚約者だ。

 二人から注がれる視線は遠目でも分かる程に冷ややかで鋭い。彼等の背後には警備が数人立っているが、あれはきっとレベッカとソエルの指示を待っているのだろう。何かあれば直ぐに捕らえようとしているのが伝わってくる。


「長居しすぎたな」

「ユベール様……」

「来るなと言われて了承した舌の根の乾かぬ内に付近をうろついているんだ、怪しまれても仕方ないさ。それに王宮の警備が行き届いてる証だ」

「警備ですか。確かにそうですが……」

「とりあえずキャンディスのことは伝えたし、今日は失礼する。明日も冷えて働けないようならまた連絡にくる」

「かしこまりました」


 ロブが頭を下げようとするが、それをユベールは「必要ない」と制して歩き出した。


 なるべく早く。

 だけど逃げているようには思われないよう。早くなる鼓動に胸を押さえつけたくなるのを我慢しながら。

 背中に刺さるように注がれる視線に気付かない振りをして……。


 ◆◆◆


「それで帰りに八百屋に寄るのを忘れてしまったんだ。すまない……」

「八百屋に行き忘れたことをそんなに青褪めた顔で謝らないでください」


 キャンディスが温かい紅茶を差し出しながらユベールを宥める。


 帰ってきた彼は驚くほどに青ざめており、いったい何があったのかと聞き出して今に至る。

 やはり彼一人だけで王宮に行かせたのは間違いだった。

 ユベールにとってレベッカやソエルからの視線は針どころか剣先のように鋭く、己の仕出かした事への罪悪感と後悔の念を呼び起こして責め立てるのだろう。


 普段食事にニンジンが入っていると「真実の愛、それはニンジンを愛すること」と不満を訴えるキャンディスだが、今の彼を見ていると同じ話題と言えども純粋に憐れみと心配が募る。

 そもそもキャンディスが過去を刺激する時はユベールも胸を押さえて呻きながらも「好き嫌いするな」と反論して皿にニンジンを盛って応戦してくるのだ。


「あんまり気にしない方が……、とはさすがに言えませんが、敷地内に入ったわけでもないし気付いてすぐに帰ってきたんだから向こうも何も言ってこないはずですよ」

「……あぁ、そうだな」

「それにユベール様は私の休みを伝えるために行ったんですから。私のためだって分かれば少なくともレベッカ様は納得するはずです」


 だからと話すキャンディスに、ユベールが青ざめた顔ながらに頷いた。

 次いで紅茶を一口飲んで、まるで己の胸の内を宥めるかのように深く息を吐く。ゆっくりと顔を上げればその表情は幾分晴れており、青ざめていた顔色もマシになっている。どうやら話をして温かい紅茶を飲んで幾分は落ち着いたようだ。

 良かった、とキャンディスは内心で安堵した。


「野菜の買い忘れも気にしないでください。私の体調もだいぶ良くなったし、後で私が買いに行ってきますよ」

「本当か?」

「えぇ、八百屋に行くぐらいどうってことありません」


 左目の痛みも既に引いて、右目の視界も戻ってきた。市街地に買物に行くぐらいならば問題ない。

 そう話せばユベールが小さく笑みを零した。麗しい顔で微笑み、深緑色の瞳でキャンディスを見つめて「そうか……」と穏やかな声で返し……、


「リア、キャンディスがニンジン買ってくるって」


 と、別室から現れたリアへと告げた。


「ニンジン!? それはちょっと話が違いますよ!」

「いいや、違わない。己の発言には責任を持つべきだ。大人しくニンジンを買ってきて食べろ」

「くっ……、珍しく顔の良さを置いて心配したらこの仕打ちですか……。なんて酷い男……、でも顔は良い……! 顔が良い酷い男!!」


 あんまりだ! とキャンディスが喚くも、ユベールはさっさと切り替えてそのうえ「お釣りで菓子でも買ってこい」と買い出し用の財布を差し出してくるではないか。更にはリアが追加の買い物リストまで手渡してくる始末。

 キャンディスが不満を露わにユベールを睨みつけながらも渋々と受け取れば、彼は「クッキーを焼いて待っていてやるから」と笑った。


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