11:顔も良いけど顔だけじゃない
想いを込めるあまりに片手を強く握りしめながら、キャンディスが「これほど顔が良いんですよ!」と訴える。
誰もがこの発言に言葉を失うが、それでも周囲の反応は気にもかけず「いいですか」と前口上を置いた。
「確かにユベール様はミモア・ミルネアとの『真実の愛』なんてものに現を抜かして、果てにはレベッカ様との婚約を一方的に破棄しました。それは由々しき問題であり、婚約者であり聖女であるレベッカ様を蔑ろにしたのは許されぬ事です」
これは揺るぎない事実だ。嘯く事も無理に庇う事も彼の為にはならない。
ユベール本人も己の仕出かしたことを自覚しており、悲痛そうな表情を浮かべると耐え切れないと視線をそらしてしまった。
後悔と反省、自虐、そして手遅れな申し訳なさが綯い交ぜになっているのだろう。複雑な表情は憂いを帯びている。
そんなユベールの顔を見て、キャンディスは更に話を続けた。
ここからが本題だ。
そう気合いを入れて再び一同に顔を向ける。誰もが真剣な顔付きで続く言葉を待っている。ならばと高らかに告げた。
「確かにユベール様は過ちを犯しました。ですが顔が良い! なにを置いても顔が良い!! 素晴らしいほどの麗しい顔です!」
顔が良い! と再三訴え、次いでキャンディスはまたもチラとユベールに視線をやった。
先程まで憂いを帯びた表情をしていた彼だが、今は怪訝を通り越して感情を失った顔でこちらを見ている。
だがその顔もまた良いのだ。
普段は宝石のように美しい深緑色の瞳が濁りきっているが、濁りきってもなお宝石のようである。腐っても鯛ならぬ濁っても宝石。
「そもそも顔だけって言いますがその顔が百億点じゃないですか。ほら見てください、私を見つめる呆れきった顔すらも麗しい」
「キャンディス、そこらへんにしてくれ。とりあえず座れ」
「あとユベール様はスタイルも良いし声も良いんですよ。顔だけじゃありません、全てが良い! 足の長さ、手の長さ、ほどよく鍛えられた肢体。それぞれが素晴らしく、全てが揃って黄金比のバランスを見せている。これ以上を望むのは神への冒涜。人間の驕りです!!」
「座れ、とにかく座れ。頼む座ってくれ」
ユベールがキャンディスの上着の裾を引っ張って無理に座らせ、次いで肩に手を置くと無理やりに己へと向き直らせた。
キャンディスの目の前にユベールの顔がきた。銀色の髪が揺れる。切れ長の目元、見つめていると吸い込まれそうな深緑色の瞳。すっと通った鼻筋。形の良い唇は低すぎず高すぎず耳に心地よい声で「落ち着け」と囁いてくる。
あぁ、なんて素晴らしいのか。
あまりのユベールの顔の良さにキャンディスは視界いっぱいが瞬くのを感じた。世界が彼を中心に瞬いている……、意識まで瞬き……。
「わ、私は……、私はなにを……顔が、とにかく顔が良い……。なんて顔が良い……」
「よし、とりあえずキャンディスの意識は混濁させた。これで少し大人しくなるだろう」
「部下がお手数おかけして申し訳ありません」
部下の失態にロブが頭を下げるが、それに対してユベールは「気にするな、すべては俺の顔のせいだ」と返した。
ちなみにこの間もキャンディスは視界がチカチカ瞬くのを感じていた。既にユベールの顔は離れていったが、それでもまだ視界は輝いているのだ。
残り香ならぬ残り顔の良さ。あまりに麗しい顔は後を引く。
それでも数度瞬きを繰り返して首を横に振り、混濁していた意識を取り戻した。
「申し訳ありません、ユベール様の顔の良さを訴えるあまりに我を忘れていました」
ふぅ、とキャンディスは一息吐いて優雅な所作で紅茶を飲んだ。
もっとも、これで周囲が納得してくれるわけがない。両陛下やソエル達はいまだ引き気味の表情で言葉を失っているし、レベッカも怪訝な顔をしている。ユベールが露骨に顔を背けているのは、これはこれできっとレベッカ達の反応が居た堪れないからなのだろう。
「えぇっと、それで、ユベール様が顔だけって話でしたよね。ところで私、思うんですけど……」
話の途中でキャンディスが言葉を止め、一度ユベールの顔を見た。いったい何だと言いたげに首を傾げている。相変わらず麗しい顔付きだ。
輪郭も、目も、眉も、鼻も、口も、全てが整っている。そして配置のバランスも良い。更に銀の髪は彼の動きに合わせて美しく揺れ、端正な顔付きをより品のあるものに昇華させている。きっとどんな髪色でも似合うだろうが、銀色が一番だ。
そんなユベールをじっと見つめて彼の顔の良さを再認識し、改めて室内の面々へと向き直った。
「みなさんユベール様のことを顔だけって仰ってますけど、誰か一人でも、この顔の良さに相当する何かを持っていらっしゃるんですか?」
……
…………、シンと室内が再び静まり返った。
だが今回は誰もが言葉を失う前に一度ユベールの顔を見ている。
彼の顔を見て、その整った麗しさを改めて認識し、そして言葉を発せられずにいるのだ。なんとも言えない空気が一帯を包み込む。
「……俺は今どんな顔をすれば良いんだ」
とは、静まった室内でポツリと発せられたユベールの呟き。高すぎず低すぎずな良い声、まさに美声である。
だが生憎と誰もが言葉を失っており、彼の呟きに返事はなかった。
そうして僅かな沈黙が流れ――後にユベールはこの沈黙を「体感で言えば二時間はあった」と語っている――、コホンと咳払いが沈黙を破った。
レベッカだ。彼女は頬を引きつらせ更に声を僅かに震わせながら「そ、それで……」と話を始めた。
「キャンディスがユベールの顔を気に入っているのは分かったわ。だけど、それだけで彼と生活を一緒にするなんておかしいじゃない」
「いえ、別におかしいことなんてありませんよ。ユベール様の顔はそれほど素晴らしいんです」
「で、でも、貴方の負担だってあるし、顔が良いからってそこまでする事はないんじゃないかしら」
「そこまでしますよ。だってこれほどの良い顔を毎日見られるんですよ、素晴らしい生活じゃありませんか。そもそもですね、私は……」
言いかけ、キャンディスはまたもユベールへと視線を向けた。
彼は困ったようななんとも言えない顔をしている。仮に今いる場所が重苦しい王宮ではなく自宅だったなら「そこまでの俺の顔か」と呆れ交じりに苦笑しただろう。もしくはもう慣れたと聞き流しながら家事をするか。
だがさすがにこの場では普段通りにはいかない。それに己の立場を考えれば、レベッカとキャンディスの会話を遮ることは出来ないと考えているのだろう。
そんな彼をじっと見つめ、次いでキャンディスはレベッカへと向き直った。
「私、真実の愛に浮かれてしまうユベール様の分かりやすい性格も好きですから、顔だけじゃありませんよ。ユベール様の全部が好きなんです」
はっきりとキャンディスが告げれば、この言葉に誰もが意外だと言いたげな表情を浮かべた。
とりわけユベールは見目の良い顔に驚きの色を見せ、深緑色の瞳を丸くさせている。その顔もやはり麗しい。
「そう、か……」
という彼の言葉に、キャンディスは照れるでも誤魔化すでもなく「そうですよ」と返した。
そのまま会議という名の糾弾の場は解散となった。
キャンディスが「さぁ帰りましょう」とユベールに声を掛ければ、彼が苦笑と共に頷いて返す。
その表情にはまだ息苦しそうで悲痛な色が残っているが、それでもどことなく晴れやかな色もあった。穏やかに目を細める。
「そうだな、帰ろうか」
返事をしながら微笑むユベールの顔は麗しく……、
「なんて顔が良い……素晴らしい……。あ、あれ、ここは……。そうだ、これから両陛下達と会うんでしたね。さぁ行きましょう」
「また記憶が戻ったのか。もう話は終わったから帰るぞ」
穏やかだった表情を呆れ交じりのものに変えてユベールが歩き出す。
キャンディスはそれに応じて彼の隣を歩き、重苦しい王宮を後にした。