10:王宮の一室で
用意された王宮の一室は案の定重苦しい空気に満ちていた。
陛下は険しい顔付きでかつて息子と呼んでいたユベールを見つめ、その隣にいる王妃はこの対峙が辛いと言いたげに目を伏せている。
いまや次期国王と呼ばれてる第二王子ソエルも居り、鋭い眼光でユベールを睨んでいる。
彼の隣には婚約者であり聖女でもある公爵令嬢レベッカの姿。レベッカはキャンディスが気になって厳しい顔を貫けずにいるようだが、それでもユベールに向ける時の視線は冷ややかだ。
警備を兼ねて同席している宰相スティーツや近衛騎士バロックも厳しい顔をしている。
空気は張り詰めており、肌が痺れかねないほど。
まさに針の筵。
無数の針が、かつてのユベールを、そして身を強張らせて椅子に座っている今のユベールを、慈悲も無く貫かんと構えている。
そんな中、ユベールの隣に座るキャンディスは強張った表情を浮かべる彼にこそりと耳打ちをした。
「大丈夫ですよ、この中でユベール様が群を抜いて顔が良いですから。誰も敵わないし、比べるにも至りません」
そう告げる。おまけにぐっと拳を掴んで。
強張っていたユベールの表情が僅かながらに和らいだ。
……和らいだ気がする。もしかしたら和らいだと見せかけて呆れの色が浮かんでいるのかもしれないが、とりあえずキャンディスには和らいで見えた。
「ユベール様、なんでこいつを連れてきてしまったんですか」
「すまないロブ。さすがにこの場では俺の顔どうこう言い出すわけがないと思ったんだ……」
「この場もなにも、キャンディスは元々貴方が婚約破棄をしたあの空気の中でぶちかましたんですよ」
「……そうだった、忘れていた。揺るがないこの精神はある意味で頼もしくもあるな」
ユベールと、当時を知る者として同席させられたロブがこそこそと話し合う。
そんな彼等を他所にキャンディスは一同を見回し、やっぱりユベールの顔が一番だと確信していた。
両陛下も美しく、この遺伝子あってのユベールの美貌だと思わせるものなのだが、やはりユベールに勝る者はいない。同じく両陛下の息子であるソエルも麗しいには麗しいが、やはり彼には及ばないのだ。
きっとユベールは元々美しい両陛下の優れた所を、絶妙でいてこれ以上ないほどの配合と配置をもって生まれたのだろう。もはや奇跡と言える領域。
「……これが神のなせるわざ。そうか、神はいたんですね」
「どうするロブ、キャンディスが突然信仰に目覚めたぞ」
「とりあえず放っておきましょう。もし話し合いの最中になにか余計なことを喋り出したらその顔で黙らせてください」
「分かった。三分ぐらい見つめれば黙るだろう。下手すると記憶が飛んで呼吸を忘れるけど」
そんな事をユベール達が話し合う。
だがそれもたった一度の咳払いで止められてしまった。
咳払いをしたのは陛下。ユベールの父である。……かつて父であった、と言えるか。
今はもう親とは思えぬ険しい表情でユベールを鋭く見据え、そしてゆっくりと口を開いた。
正式にユベールを一族から除名する、と。
曰く、王族ともなれば除名には幾多にも及ぶ手続きが必要で、今日ようやくすべて終わったのだという。
それはあの騒動から二ヵ月経ち世間が落ち着いてもなおユベールの過ちを許さぬという意思と、そして正式に処分を下すことで覆せぬことを突きつけている。
「二度とお前を息子と呼ぶことはない」
はっきりとした絶縁の言葉。吐き捨てるような冷たい声色には温情の欠片もない。
覚悟をしていたのだろうユベールは取り乱すことなく、ただ静かに「かしこまりました」とだけ返して深く頭を下げた。
その声が僅かに震えているのは、隣に座るキャンディスだけが気付けた。
特に何も変わらない。
結局このままじゃないか。あーあ、とんだ無駄足。
というのがその後に続く陛下の話を聞いている最中のキャンディスの心境である。
さすがにそれを口に出す気はないし表面上は真剣な顔付きで話を聞いていたが、内心では早く帰りたいと連呼しており、心に至っては既に帰路についている。
帰り際にケーキを買って帰ろう。ロブも家に呼んでリアと皆でお茶をしよう。
リアには何のケーキを買って帰ろうか。そういえば茶葉の残りが少ないと言っていたからそれも買って、ついでにフルーツと、明日の朝食用のパンも買って帰ろうか。
あと時間があれば本屋にも……と、帰路についていたはずの心が寄り道までしだす。
だがそんな寄り道三昧な心も、陛下がレベッカを呼んだことでこの場に戻った。
「レベッカ、何かあるか?」
問う陛下の声は先程ユベールに絶縁を言い渡した時とは違い穏やかだ。まるで娘を気遣うような声色だが、事実、両陛下はレベッカを娘のように接していたと聞く。
だがユベールとレベッカの仲はあまり良くなかった……、というより双方あまり関わらなかったようだ。それでもレベッカはいずれ王妃になるべく厳しい王妃教育に励んでいた。
苛酷な王妃教育。ユベールよりも重きを置かれていたらしいが、今となってはその理由がレベッカが聖女だからだと分かる。彼女はそんな辛い王妃教育を、それでも真面目に、熱心に努めていた。
その努力をユベールは婚約破棄という形で裏切ったのだ。絶縁したとはいえ親である陛下はこれに非を感じているのだろう。
何かあるかと問うのは恨みの一つでも言ってやれということか。もしくは落ちぶれたユベールを嘲笑ってやれという意味か。それともこの場でレベッカを気に掛けることで自分達は味方だと彼女に意思表示しているのか。
「かしこまりました」
レベッカが王に対して軽く頭を下げ了承し、改めてユベールへと顔を向けた。
瞳に鋭さが宿る。冷ややかで、侮蔑の色さえ感じられる瞳……。
そんな彼女を、キャンディスは黙ってじっと見つめていた。
健在な右目で。それと眼帯で覆われた左目でも、見えないと分かっていても。
ただじっと、レベッカを、レベッカだけを、睨むでもなく無感情に見つめ続けた。
その視線に気付き、ユベールを厳しい顔付きで見つめていたレベッカが小さく息を呑んだ。
「あ、私……、私は……、特には。今更なにも、彼に掛ける言葉はありません」
顔を背けてレベッカが発言権を放棄する。傍から見れば、この場の空気に臆したか、もしくはユベールに対して声を掛ける気すらも無いと思えるだろうか。
周囲もさして気にせず、それどころかレベッカに見放されたユベールに対して更に冷ややかな視線を向けていた。
そんな中、この場の空気に似合わぬ穏やかな声を出したのはつい先程まで冷ややかにユベールを睨んでいたレベッカだ。窺うように、まるで子供のご機嫌を取るかのように、優しい声色でキャンディスを呼んだ。
「キャンディス、あなた本当にユベールと生活しているのね」
「はい。ユベール様をお呼びしてリアと三人で暮らしてます」
「リア……、アデル村に居た女性ね。でもどうしてユベールなの? こんな……、こんな顔だけの男」
レベッカの声は随分と冷ややかで、瞳の鋭さといったらない。恨みもあるが堕ちた男への侮蔑の色もあるのだろう。
かつての第一王子であったユベールならばこの視線を無礼なと叱っただろう。だが今のユベールは何者でもない。そして責められるだけの咎は十分にあると考えているのか、レベッカの鋭い視線を正面から受けている。
表情を崩すまいとしているのだろう僅かに辛そうに目を細めながら。
だがついには堪えきれなくなり、気まずそうに目をそらしてしまった。
その表情もやはり麗しいが、見たいものではない。
そう考え、キャンディスはガタと勢いよく立ち上がった。
「顔だけって、これだけ顔が良ければもうそれだけで十分じゃないですか!!」