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聖女は下剋上を受け入れる〜扉を守るだけの簡単なお仕事です〜

作者: 星影さき

「カタリナ・アウィス辺境伯令嬢。貴女との婚約を破棄する!」


 王城地下にある神殿に、ルシオ王太子の淡々とした声が響き渡る。

 王太子の隣には、王立貴族学園のクラスメイトであり、華奢で可愛らしいマノンが寄り添っていた。


 ああ、そう。思い通りにいかなかった貴女は、ゲームの流れを変えたのね。


 あきれながらターコイズ色の髪をかきあげ、深いため息を吐き出す。

 

「元々私との婚約を望んだのはフェルナン王家ですし、私は構いませんが……ルシオ王太子殿下、婚約を破棄するのでしたら、聖女のお役目はいかがいたしましょうか? 私は、お役御免ということでしょうか」

 

「そうだ。光魔法の使い手であるマノンが言うには、カタリナの光魔法は偽物だそうだ。魔法剣術ばかり鍛えて魔物を斬りすぎたせいで、聖なる光が薄れてしまったのだ、と」


 他に誰もいないのをいいことに、ルシオ王太子は愛おしそうにマノンを見つめ、優しく髪を撫でていく。

 一方のマノンは、ふにゃりと心地よさそうな顔を見せたあと、下卑た笑顔で私を見つめてきた。


 まるで、勝ちを確信したような顔ね。

 こんなの勝負でもなんでもないのに、ばかばかしい。


「私の光魔法についてはさておくとして、承知いたしました。殿下の仰せのままにいたしましょう。ただ、一つ、ご意見をお聞かせ願えませんか」


「構わないがなんの話だ、言ってみよ」

 もう私と話したくないのか、ルシオ王太子は眉を寄せながら尋ねてきて、一方の私は、にいっと口角を引き上げて口を開いた。


誘惑テンプテーション魔法の上達にかまけるお方のほうがよほど、聖なる光が薄れるように思いませんか?」 


「どういうことだ……?」


「……っ! ルシオ王太子殿下ぁっ、偽物聖女の戯言なんて聞いちゃダメです! これからは私が聖女となり、扉をお守りしますから、ね」

 マノンがすがるようにルシオ王太子の腕を掴んで、猫なで声で言う。


「ああ、そうだな。マノンがいれば異界の扉は守られる。新たな聖女の力を示せばお父様も納得してくださるだろうし、すぐに結婚できるよ」


 甘いマスクの微笑みに、マノンは満足げな顔をして笑っていた。


 胃もたれしそうな雰囲気の二人の邪魔をする気なんてないし、そろそろ帰りましょうか、ときびすを返す。


「マノンさん。聖女のお役目、よろしくお願いいたしますね。扉を守るだけの簡単なお仕事らしいですから」


 地下の神殿を出る前に振り返り、静かに告げる。

 神殿の中心には純白に輝く『異界の扉』が、いつものように浮遊していた。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「カタリナ、どういうことだ」

 聖女のためにと用意された王城の離れにある自室で紅茶を楽しんでいると、ドアが開いて人が入ってきた。お兄様だ。


 一つにくくった長い紫髪をひるがえし、青い瞳には怒りの炎が宿っている。


「あら、エリアスお兄様。ノックもなしに乙女の部屋に入らないでくださいませ」


「そんなことを言っている場合ではないだろう。ルシオ王太子が婚約破棄を突きつけてきたと聞いた」


「ええ。でも、いいのです。私は元々聖女になるのも、王妃になるのも望んでいませんでしたから。ただ、孤児みなしごだった私を拾ってくださったお父様やお母様、そしてエリアスお兄様には申し訳ないことをしてしまいましたが……」


 そっとカップを置いて苦々しく微笑むと、お兄様は困ったように息を吐き、向かいのイスに腰掛けてきた。


「カタリナが負い目を感じる必要はない。ただ……聖女の仕事を簡単なものだとうそぶき、養子という境遇をダシに使って“聖女になれ”と強請ってきた王族のやり口は許せない。それに、王太子の婚約者にすることで聖女(カタリナ)を縛ることも、自分の都合で捨てるというやり方も気に食わないんだ」


 お兄様はぎりと歯噛みして、強く握りしめたこぶしにははち切れそうなほどに血管が浮いていた。


「お兄様は昔からそうね……」

 血が繋がっていないのに、私を本当の妹のように可愛がってくれて。

 冷静で淡々としているように見えて、優しくて情に厚い。


 そんなお兄様だから私は――


「ねぇ、エリアスお兄様もティータイムはいかが。少し昔の話をしたいのです」


「可愛い妹からの誘いだ。ご一緒させてもらうよ」

 お兄様はふっと柔らかく目を細める。

 優しげな微笑みに、胸の奥がとくんと動いた。


 侍女に紅茶を二人分淹れ直してもらい、人を払った自室にはエリアスお兄様と私の二人だけになった。



「お兄様は、未来予知をしたことはありますか? 私は、五年前聖女のお役目を打診されたあの日、前世の記憶のカケラを思い出してしまったようで……未来を夢として見るようになってしまったのです」


「未来を?」

 唐突な話だし、鼻で笑われるのも覚悟の上で話したのだけれど、お兄様の表情は真剣そのもの。

 私の話が真実だと疑わない様子だった。


「ええ。とある男爵令嬢の選択によって変わる、いくつもの未来を、です」


 私の生きるこの世界は、前世の私が楽しんでいた乙女ゲーム『パンタシア〜光の聖女と七つの星』に酷似していた。


 パンタシアは、王立貴族学園に入学した男爵令嬢マノンが授業を受けたり、魔物退治など様々な依頼を受けたりしてレベルと好感度を上げて、男性と恋を育むもの。


 『ゲーム』というものはよくわからなかったし全てが幻想のようだったけれど、登場人物や国名、地名、出来事まで同じとなったら、夢の一言で片付けるわけにはいかなかった。


「ゲーム? なかなか理解が追いつかないが、マノンという男爵令嬢ならよく知っている。王太子が首ったけになっているらしい奔放な娘で……俺も何度かアプローチを受けたことがある」


 嫌悪の表情を浮かべるお兄様の話に、やはり、と苦々しく笑う。


「マノンさんも、私と同じように前世の記憶のカケラを覗いているのかもしれません。そうでなければ、男爵令嬢が王太子殿下や辺境伯の令息に近づくなんて畏れ多いと思うはずですし、あのように常識から外れた行動をとれるはずがありません」


 なるほど、とエリアスお兄様はうなずき、はたと何か思いついたような顔をした。


「カタリナ。お前は“男爵令嬢の選択によって未来が変わり、いくつもの未来を覗き見た”というようなことを話していたが……マノン嬢はいま、どのような未来を選択している?」


 さすがお兄様。貴族学園を首席で卒業し、魔法学の修士課程に進むだけあって、察しがよくて話が早い。


「マノンさんは……最も残酷で、最も都合のいい未来へと舵をきられたようです」


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「は!? カタリナが暗殺され、マノン嬢が新たな聖女として王太子と俺から愛される、溺愛ルートが選ばれているだと!」

 目を丸くしたエリアスお兄様が声を荒らげる。


「ええ。このルートでは、十八の誕生日に私は殺され、発狂したお兄様の魔力が暴走します。世界を恨んだお兄様は魔王へと変貌を遂げ、魔物を放つため異界の扉を幾度も開けようとするのですが……そのたび立ちはだかる新たな聖女マノンに、お兄様は心惹かれるようになるのです」


「ありえない……」

 お兄様は頭を抱えて呟き、私はこくりと頷いた。


「ええ。おっしゃるとおり暗殺のイベントは起こりません。私の十八の誕生日はすでにこの春過ぎましたし、暗殺を企てていた者は私が返り討ちにしていますから」


「いや、ありえないのは暗殺の件もそうだが、俺が心変わりをするなど……いや、この話はやめておこう」


 慌てて口をつぐむお兄様に首をかしげ、マノンを思いながら小さくため息を吐き出して口を開いた。


「ともかく私は、マノンさんのなさることが理解できないのです。貴族の誇りも忘れ、私欲に走る行為も、許しがたく思っております」


 何より、溺愛ルートに進みたいがためお兄様を絶望させ、魔王に堕とそうと考えていたことが許せない。


「カタリナ……お前、わざと下剋上を受け入れたろう」

 エリアスお兄様は、カップを手にしてにいと笑う。


 美しい顔をしたお兄様の人の悪そうな笑顔は、ひどく妖艶に見えた。


「“扉を守る簡単なお仕事”と、私は聖女の仕事を打診された時に言われました。そのようなお仕事に、下剋上もなにもありませんよ」


「お前も言うじゃないか。さて、三日もつか怪しいところだな」

 にこりと私が微笑み、お兄様が紅茶を口にしたとたん、遠くのほうから騒がしい声が聞こえてくる。


「想像よりも、一日以上早かったようです。お兄様、せっかくのティータイムなのですが……」


「ああ、わかっている。支度をするのだろう。俺も魔法杖(ワンド)を持って先にいくよ。王国を壊されては困るからな」


 お兄様が立ち上がるのとほぼ同時に、慌てた顔の使用人が飛び込んできて、異界の扉が黒く染まりつつあるという事態を聞いた。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「扉のほとんどが黒く染まっているぞ!」

「新たな聖女様は何をしているのです、早く光の封印を!」

「光魔法は昨日もかけたし、いまだってかけ続けているわ! でも、全然白くならないの、なんで……なんでなのよっ……!」


 かつて魔物退治をしていた頃の身軽な服装に着替えて帯剣し、地下への階段をゆったり降りていくと、神殿のほうからずいぶんと騒がしい声が聞こえてきた。


「あら、お兄様。いまは、どのような状況です?」

 階段の踊り場にいたエリアスお兄様に尋ねると、ワンドを手にしたお兄様はくすくすと笑った。


「扉は八割ほど黒く染まった。中は怒号が鳴り響いてひどい有様だよ。マノン嬢はせっかくの光魔法の特性を育てきれていないし、こうなるのも当然のことだ」


「昨日の今日で、もう八割……マノンさんも王太子殿下も、私がアウィス領に帰っていたら、どうするおつもりだったのかしら」

あきれて深い息を吐き出し、お兄様とともに神殿への階段を降りていった。


「あれが開いたら、この国は終わりだ……」

「異界の魔物は、こちらの魔物のレベルとは桁違いで人肉が好物だと伝承にある! どうにかここで食い止めねばならぬ」

「宮廷魔術師たちは結界を張れ!」


 絶望する者の声や、責務を果たそうと奮闘する者の声が聞こえてくる。

 緊迫感に溢れ、混乱するのも当然だ。誰もあんな禍々しい色の扉を見たことなどないのだから。


「カタリナはどうした、早くカタリナを!」

「私はここにおりますよ」

 ルシオ王太子殿下の言葉に名乗り出ると、あちこちから安堵の吐息が漏れだした。


「マノンさん、扉を守ってくださるんですよね? ほら、早く光魔法をかけないとどんどん黒くなりますよ」

 にこりと微笑みながら話しかけると、マノンは私を強く睨みつけて舌打ちをしてきた。


「――っ! 見てわかんないの、何度もやっているわ! どうせやり方があるんでしょう? 早く教えなさいよ!」

 切羽詰まっているのか、マノンは敬語の使い方も忘れて必死の形相で怒鳴りつけてくる。


「やり方? そんなものはありません。貴女はパンタシアというゲームを知っていますよね。貴女が選んだルートで、マノンはどうしていました? 勉強を繰り返し、外に出て魔物退治を続けて光魔法のレベルを上げていませんでしたか」


「くっ……」

 苦しむ人々に請われるがまま魔物退治をしていればよかったものの、マノンは安全な植物の採集依頼しかやろうとしなかったし、王国魔術師の目もあざむけるほどに誘惑(テンプテーション)魔法の精度だけを上げ続けた。


 痛いところを突かれたとばかりに、マノンの顔が歪む。

 反対に私は、ふふっと声を出して笑った。


「まさか貴女があの残酷な溺愛ルートを選ぶとは思いませんでした。念のため妃教育を先延ばしにしてもらい事前にレベルを上げておいてよかったです」


 そうしておかなければ、ゲームのカタリナと同様、私は妃教育に追われてレベル上げもままならなかっただろう。

 そして、いとも簡単に暗殺され、お兄様も魔王になっていただろうから。



「ねぇマノンさん、残念でしたね。私が死ぬことにならなくて。溺愛ルートから外れた貴方は、無理矢理新しいルートを作り、ルシオ王太子殿下だけでも手に入れようとしたのでしょう? 」


「そんなこと、いまはどうでもいいじゃない! 扉が開きそうになっているんだから!」


「そんなこと? 私、こう見えて、すっごくすっごく怒ってますのよ」

 魔力を膨れ上がらせて威圧すると、ひっ、とあちこちから悲鳴に似た声があがる。


 怒りのままに行動してはならない、と深呼吸をして心を落ち着かせ、再び口を開く。


「マノンさん、貴女が真剣に王太子殿下とこの国を想い、聖女のお仕事と向き合うならば、私はこの地位を譲りたいと考えていると、これまで何度もお伝えしましたよね? それなのに。この期に及んで、封印に力の全てを注がず、王太子殿下に誘惑魔法をかけ続けようとなさっているのは感心いたしません」


 神殿内がざわつき、大勢の視線がマノンに向けられている。


「マノン……本当に私に誘惑魔法をかけているのか?」


 精神の揺らぎから、マノンの誘惑魔法の精度が落ちているのだろう。

 これまでマノンを信じ続けていたルシオ王太子が、不安げな顔で尋ねている。


「誘惑魔法だなんて……王太子殿下は、私を疑うのですか」

 マノンが慌てて泣き落としに入ろうとする。


 しかし、涙を浮かべるマノンの足元に突如として紫色に輝く魔法陣が展開され、お兄様が一歩前へ出てきた。


「マノン嬢。貴女の気がそれているうちに、魔法陣を展開しておいたよ。いまから貴女の誘惑魔法を封印する。俺が死ぬまで、解呪ができないような代物だ」


「っ、エリアス様! 王太子殿下の寵愛を受ける私に魔法を放っていいとお思いですか!?」


「他の誰も出来ないからこそ、俺がやる。貴女が言うように王族の下にある宮廷魔術師は手出しができないし、Sクラスまで誘惑魔法のレベルを上げられては、高位の魔術師にしか術の封印は不可能だからな」


 (ワンド)をかざしたお兄様が呪文を唱えると、魔法陣からガラスが砕けたような音が響き、光の粉がきらきら立ちのぼって消えていく。


 途端、マリオネットの糸が切れたようにルシオ王太子は気を失ってその場に倒れ込み、王国兵に保護された。


 お兄様は、にこりと微笑み口を開く。

「半刻もすれば、殿下も意識を取り戻すでしょう。その時、聡明で堅実だったルシオ王太子殿下は貴女を愛してくれているでしょうか」


「殿下……! こんなの嫌よっ、なんで!」

 マノンは王太子殿下を取り戻そうと何度も誘惑魔法の呪文を唱えようとするけれど、魔力を練ることが出来ずにすぐにしぼんでいく。


「マノンさん、もうやめませんか。これが最後の忠告です」

 努めて穏やかに語りかけていくと、王国兵の一人が扉を指差して大声をあげた。


「おい、あれ見ろ。扉が少しずつ白さを取り戻してきてる!」


 間違って扉が開くことのないように隠れて光魔法をかけていたのが裏目に出た。

 マノンに視線を送ると、にたりと品のない笑みを浮かべていた。


「私がやったのよ! 私の光魔法が遅れていま効いてきたの! だって、カタリナは何もしていなかったでしょう?」


 あまりにも浅ましいマノンに眉を寄せ、小さく息を吐き出した。


「それが貴女の答えなのですね……王国魔術師は神殿に結界を。エリアスお兄様は、魔力強化の魔法をかけてくださいますか」


「カタリナ様。承知しました。王国兵は私たちの後ろへ」

 王国魔術師たちがワンドを構え、王国兵たちはじりじりと後ずさる。


「カタリナ、見くびるな。魔力強化どころか脚力と物理攻撃力の強化、向こうには防御力の大幅低下まで付与してやる」


 お兄様は自信に満ちた表情で微笑み、魔法陣の展開を始めた。


「お兄様、さすがです。これなら一瞬で勝負がつきそうです」


「カタリナ、アンタ何しようと……って、まさか!」

 マノンが青ざめた顔をして、かたかたと震え出す。


「ええ。異界の扉を壊します。私はやはり貴女を許せませんから」


「そんなのダメよ! それがないと私は……っ!」

 マノンはこちらに駆け寄ってきてすがるように腕を掴んでくるけれど、私はその手を振り払った。


「忠告は何度もいたしました。貴女が聖女として、王妃として生きる未来もあり得たのに、耳を貸さなかったのは貴女です。扉がなくなれば、聖女なんて無用の長物。貴女はただ光魔法が使えるだけの罪人に堕ちますので、お覚悟を」


「やめなさいよ、カタリナぁぁっ!」

 マノンが掴みかかろうとしてきたけれど、お兄様が拘束の魔法を唱えて、マノンは地面に縛られた。

 


 殿下とお兄様からの愛、王妃や聖女の地位、人々からの羨望と崇拝、それらは全て欲深く怠惰な貴女には過ぎたもの。


「マノン、身の程をお知りなさい。貴女の欲した未来を奪います」


 抜剣して刀身に触れる。

 キィンと甲高い音がして銀色の剣の切っ先から柄までが純白に染まった。


 普段なら魔力が吸われて身体が重くなるのに、いまばかりは力がみなぎってくるのを感じる。

 お兄様の魔法が後押ししてくれているのだ。


「いきます!」

 両手で剣を構えて、タンッと強く右足を踏み込む。

 いつもより身体が軽い。これなら、いける!


 刀身にありったけの魔力を込めて、跳び上がりながら下から上へと斬りあげる。


 神殿は、眩いほどの光に包まれ、困惑する兵たちの声が聞こえてきた。

 数百年ものあいだ異界とフェルナン王国とを繋げ続けた扉は、パキパキと薄氷を割るような音をあげて、破裂するように弾け飛んだ。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「カタリナ。あんな仕打ちを受けていたのに、本当によかったのか?」

 お兄様が紅茶の香りを楽しみながら尋ねてくる。


 今日は、昨日のティータイムの仕切り直し。

 話したいこともあるからと、お兄様が紅茶を持って遊びにきたのだ。


「いいのです、斬首の苦しみなんて一瞬でしょう? せっかく国王陛下からの褒美として、マノンさんの処遇の決定権をいただいたので、マノンさんにはゆっくりゆっくり苦しみながら悔い改めていただかないと」


 

 ふふっと声に出して笑うと、お兄様はあきれたように息を吐き出した。


「それは表向きの理由だろう? 爵位剥奪と魔力封じ、王都追放それに修道院送りだけで済ませるなんて、温情もいいところだ」


「温情、というより情状酌量、でしょうか。あちらの男爵家は家族仲が良くないと噂で聞いていましたし『パンタシア』がマノンさんの未来を狂わせたとも言えます。孤児みなしごだった私が、もしアウィス家に拾っていただけていなかったらと考えると、マノンさんの欲望が他人事とは思えなくなってしまって。それに……」


「それに、どうした?」


 私を見つめてくるお兄様のブルーの瞳に、胸がきゅっと締め付けられて、逃げるように視線をそらした。


「マノンさんの、自分の想いや願いに忠実でいる姿はどこか眩しくて、羨ましくもありましたから」


「カタリナ……」

 お兄様の優しくどこか切なげな声に、どくんと鼓動が跳ねて顔が上げられなくなった。


 やがてイスが動く音がして、お兄様がこちらにやってくる気配を感じる。


「カタリナ、顔を上げて」

 隣から聞こえてきたどこか甘みを含んだ声に、おそるおそる身体を向けて顔を上げていくと、お兄様は優しく微笑んでいて。

 そのまま静かに跪いて、私の手をとってきた。


「エ、エリアスお兄様……なにを……」

 これでは、まるで愛を請うているみたいだわ。

 そんな、まさかね。


「そのまさかだよ」

 くすりと笑うお兄様にどくんと大きく心臓が跳ねた。


「心をお読みになったの……?」


「いや、魔法を使わずともカタリナを見ていればわかる。そんな顔をしてくれているということは、期待してもいいのだろうか」


 恋い慕う人の甘みのある声に、うるさいほどに心臓の音が耳につく。

 イエスともノーとも言えずに固まっていると、お兄様は再び口を開いた。


「いつからだろうか、カタリナを妹として見られなくなった。全てを一人で抱えこむお前を、放っておけないと思ったあの瞬間からかもしれないし、“お兄様を絶対に守る”と泣きそうな顔で語ってきたあの日からかもしれない」


 すぅと息を吸ったお兄様は、私の手に触れてきたまま優しく目を細めた。


「俺は、兄としてではなく一人の男として、カタリナを愛している。これからも俺の隣で生きて欲しいんだ」


 お兄様は私の左手の婚約指輪を見て苦々しい顔を浮かべたけれど、すぐに懇願するように指先にキスを落としてくる。

 ちらと上目で見つめられ、熱っぽいブルーの瞳に鼓動が跳ねた。


 私はルシオ王太子殿下と婚約中の身。

 何も考えずに、うなずけたらどんなに幸せだろう。

 慕っても、想い続けても、この恋は叶わない。

 自分の立場を呪いながら胸を痛めていると、扉を叩く音が聞こえてきた。



「カタリナ、いるだろうか」

 聞き覚えのある声に顔を上げて、お兄様も立ち上がっているのを確認してから扉を開ける。

 訪室してきたのは、ルシオ王太子殿下だった。


「王太子殿下、どうされました? おかげんはもうよろしいのですか」

 必死に動揺を隠して尋ねると、王太子はバツが悪そうに頭をかいた。


「一国の王太子が誘惑魔法にかかるなんて、全くもって情けないね。魔法学は不得意だからと避けていたけれど、心を改めることにするよ」


「マノンさんの誘惑魔法は宮廷魔術師のガードをすり抜けるほど強力でしたし、王太子殿下も防御魔法が苦手でいらっしゃいましたものね」


 くすくす笑うと、ルシオ王太子はどこか困ったように眉を下げていく。


「魔法学を避けていた自分が憎いよ。誘惑に負けなければ、違う未来もあったのかもしれないのに……」


「え?」


「カタリナ。先日私が言った言葉、覚えているかい」


「なんのことでしょう……?」

 必死に過去を辿ってみるけれど、どの言葉なのか見当もつかない。

 王太子は深く息を吐き出して、意を決したように顔を上げた。


「こんなこと、二度と言いたくなかったのだから、今度はよく聞いて欲しい。カタリナ・アウィス辺境伯令嬢……私は貴女との婚約を破棄する」


「王太子、殿下……?」 

 私もお兄様も理解が追いつかなくて、目を丸く見開いたまま言葉を失う。


「異界の扉は消えて、聖女の仕事も消えた。君を縛るものはもう何もないし、自由になっていいんだ。君は必死に隠そうとしていたけれど、心の中にはいつも、別の男がいたよね。わかっていたんだ、どうやったってその男には敵わないのだ、と」


 心の中を見透かされていたことがわかり、ずきんと胸が痛む。


「王太子殿下、私は……」


「いいんだよ、君はもう十分国に尽くしてくれた。いままでありがとう。君は君の心に従って、幸せに生きるんだよ」

 王太子は私の左薬指から婚約指輪を抜き取って笑う。


「ルシオ王太子殿下……ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、王太子は「いつまでも君たちの幸せを願うよ」と言い残して部屋を去っていった。



「……力ずくで奪い取っていくつもりだったのに、あの方はまったく……」

 お兄様は私の隣にやってきて、やられたとばかりに頭を抱え、私はくすくすと笑った。


「お兄様……いえ、エリアス様、先ほどのお返事をさせてくださいませ。私は貴方様をお慕いしております」


「カタリナ……」


「エリアス様がいてくださったから、私はいままで光を失わずに生きて来れたのです。どうかこれからはずっと、お側にいさせてくだ……」


 唇を唇で塞がれ、胸が強く甘く痛む。


「カタリナ、愛しているよ」

 かすれた甘い声で囁かれて、優しく頬を撫でられる。

 嬉しさと恥ずかしさとできゅっと心臓が締め付けられてどうにもならず、エリアス様の袖を握りしめると、抱きしめられて。

 どちらからともなくキスをした。




 あれから数カ月後、エリアス様も私も修士課程と学園とを卒業して、久しぶりの我が家に二人一緒に帰ってきた。


「カタリナ、手を」

「ありがとうございます……って、ひゃぁっ!」

 馬車から降りる際、エリアス様に手を差し伸べられ、愛しい人の手に触れる動揺と緊張から段差を踏み外してしまい、転びそうになるのを抱きとめられる。


「異界の扉を壊した聖女様とは思えないな」

 エリアス様はくつくつ笑い、私はむっと口を曲げる。


「エリアス様は、聖女の私のほうが良かったですか?」


「まさか。カタリナにこうして触れられないのはもう、御免こうむるよ」

 首元に顔を埋められると、エリアス様の長い紫髪が肌を柔らかくくすぐってきて、身をよじった。


「私ももう、エリアス様と離れたくはありません」

 キスをして見つめ合い、二人で幸せを噛み締めながら笑った。


 これから私が守るのはアウィス家の扉と、辺境伯が守護する国境という大きな扉。

 いつかの王国の使者のように扉を守るのは簡単なお仕事、なんて口が裂けても言えないけれど、エリアス様と二人でならきっと、いつまでも守り続けることができると思える。


 定められた未来から外れてしまったからだろうか。

 あれほど様々なルートを見せてきた夢は、カケラも見えなくなってしまった。

 これから先の未来はまっさらで、どうなるかなんて誰にもわからないけれど、三百六十度、三百六十五日、どんな道にだって進んでいけるはず。


 指標を失った私たちの物語は、はじまったばかりなのだから。


fin.

★☆Q&Aコーナー☆★


「なぜもっと早く扉を壊さなかったの?」

というご質問がありましたので、本編に入れられなかった裏事情を書いておきますー!


気になる方だけどうぞ!!



▼本編までの裏事情


①地下神殿は聖域のため、有事以外王族と光魔法の使い手しか入れないことになっている。


②人々には扉を壊すという発想がない(壊したら異界とつながると思っている)が、カタリナは『パンタシア』で光の魔法剣を用いて、登場人物と協力することで扉を壊せることも、異界と断絶できることも知っていた。


③カタリナはマノンと協力して扉を壊そうと考える。

これは、マノンが壊したことにすれば、王太子と一緒にいさせてあげられると思ったから。

(この時点では、パンタシアでの清純派マノンのイメージしかなかった)

カタリナはマノンに協力を依頼するが、拒否される。


④カタリナは、扉を壊すためエリアスを地下神殿に連れて行こうと考える。


⑤けれど、エリアスは光魔法を使えないため地下神殿には行けない。そのため、王太子に許可をもらおうとするがマノンに先手を打たれており、すでに王太子に誘惑魔法がかけられていた。



→ここから本編へ!


こんな流れで、本編までにマノンとの静かな攻防戦があったのでした。


情報が多いので①〜⑤は、泣く泣く削っておりまして。

ご質問のおかげで、裏設定の日の目を見せてあげることができました。

ありがとうございます!



▼あとがき


『聖女は下剋上を受け入れる〜扉を守るだけの簡単なお仕事です〜』を最後までお読みくださりありがとうございました!


読者さんに、楽しい時間を少しでもお届けできていたら、嬉しく思います!!


もしも面白いと思っていただけましたら、ブクマや下にあります星の評価『☆☆☆☆☆』をポチッとで応援していただけますと嬉しいです!



▼宣伝イラスト

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです! 最後は王太子もなかなか粋な計らいでしたね〜 マノンてば何をしたかったのやら… 楽して何でもは得られないのにねぇ…(笑)
[良い点] 王子本当は賢くて真面目な子だったんですね…!! 共闘を目指していたのは納得です。そりゃそうだ…。
[良い点] 裏設定で疑問が氷解しました [一言] 面白かったです
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