コラッツ予想2(19)証明するなら確認する人のことも考えることだ
証明(仮説)は比較的簡単である。しかし、それが正しい証明と認められるためには、それなりの準備がいる。
まずは正確な動作モデルを示す必要がある。ある値に収束すること・全ての自然数で同じ結論になること・演算の特性がモデルに反映されていること。
正しい証明とされるには、判定する人間からみて、内容に矛盾や漏れがないことぐらいしか基準が設けられない。
いくつかのアプローチがあれば、比較もできるが、未解決問題の場合、比較できない。なので、いかに正確なモデルで証明を考えているかが、最初の関門になる。
たとえば、+1を無視して3を掛けて2で割るだけのモデルでは、どんなに優れた説明でも不正確な証明としかみなされない。
偶数・奇数に分けたり級数で解説しても、それぞれのパターンの出現確率が正しく示されてなければ、空論となる。
当方は、そのために何重にも検証を重ねている。
さらに、どんなに優れていても、例示が困難なものは認められないだろう。例えば逆演算しようとすると偶数に入ってしまう。あるいは偶数が何連続して奇数になったか示せないなどというものは正しいか確認ができないだろう。
そのために、最終証明は数値ではなく0の個数というもので収束を計算している。
証明するなら、確認する人のことを考えて行うべきだ。さもないと理解不能な理論を振り回すだけになってしまう。