第三十六話
───ということがあり、話は一週間後に戻る。
「ねぇ、アレン」
「どうしたんですか、お嬢?」
「自分で言うのもなんだけど……まさかここまで繁盛するとは思っていなかったわ」
新しくチョコレートビュッフェのためだけに用意した店舗の入り口にて、店内の様子を見ていたカルラは苦笑いを浮かべていた。
店内は人でごった返している。ここから見えるのは平民向けに作った部屋だけなので、奥に進めば貴族達の姿があるはずだ。なので、実際には視界以上の人数がこの店に押し寄せている。
平民向けの方には中央に聳え立つ大きな噴水がよく目立つ。といっても、湧き出ているのは水ではなくチョコレート。
皆、一様に手に取った果物の串を噴水に浸して食べていた。
「立ち食いっていうやり方が功を奏しましたね。座っていたら席があっという間に埋まっていましたよ」
いつものように横に立っているアレンが呟く。
貴族向けのVIP専用の店内は着席式であるが、平民向けは立ち食い式だ。差別化を図りたかったというのもあるが、単に「自分達が勝手にチョコレートに浸けるのだから座るのも手間」だという意見を鑑みてである。
「これも宣伝を大々的にやったおかげかしらね? 行列が凄いことになってるわよ」
「やっぱり食べてみたかったんでしょうね、チョコレート。人気だけど平民には中々手が出せない価格でしたし、それが食べられるとなればこうしてやって来るのも頷けます。しかも、払うのは食べた分だけですしね」
カルラは背後を振り返ると、そこには先が遠い長蛇の列があった。
一応、中の混雑を避けるために人数は制限している。VIP専用は予約制で行っているが、人数を多めに想定した平民向けは予約制など設けていなかった。
これはカルラの予想を超えてしまったことによってできたミスである。
「とはいえ、これも一時的でしょうね。落ち着けばスムーズに回せると思うわ」
「案外、中の人員も少なくて済みましたしね。なくなりそうな果物やお菓子を補充するための店員と、相乗効果を狙って中に設営した販売スペースの店員。普通にレストランを経営するより楽なんじゃないですか?」
「VIP専用はそうもいかなかったけどね。こっちの人員が少なくて済むのはお客さんが勝手にやってくれるからよ。そこはレストランと違うわね」
人員コストも削減、値段も抑えられて客を抱え込む。
始める前はどうかと思ったが、これを見れば間違いなく───
「成功……ですね」
「そうね、流石にこれを見て公爵様も文句は言わないでしょう。これも皆のおかげよ」
こうしてわずか一週間で始められたのも、全てはウルデラ商会の人間のおかげだ。
中の設営やら価格設定、宣伝に至るまで本当はまだ時間がかかると思っていた。でも、蓋を開けてみればこの短期間だ───これも皆のやる気が高かったからこそ成し得たのだろう。
聞けば寝ずに働いてくれた従業員もいたのだとか。
まぁ、それは言い出しっぺのカルラもアレンも同じであるが。
「さて、早いうちに公爵様やアリス様を呼びましょうか。一応情報は流したし、伝言も伝えたから来てくれるとは思うけど───」
「その必要はありませんよ」
言いかけた途端、ふと背後から声をかけられる。
振り返ると、そこには艶やかな白髪を携えたアリスがいつの間にか立っていた。
「こんにちは、カルラ様」
「えぇ、こんにちは。随分と早かったじゃない」
「もちろん、あのような話を聞かされてしまえば呑気に紅茶を嗜むわけにもいきませんでしたから。それに───」
アリスはカルラ越しに中の様子を確認すると、悔しそうな苦笑いを浮かべた。
「どのような手法を用いて繁盛させたのかが、一人の商人として気になっていましたので。まさか平民すらも顧客にするとは」
「お金を落としてくれるのは金持ちだけじゃないってことよ。値段が高いほど早く儲かるかもしれないけど、少しずつでも儲かれば大金にだってなるんだから」
「ふふっ、そうですね……今回は自信があったのですが、この盛況ぶりを見てしまえば認めざるを得ません」
残念ながら、アリスにこの状況を打破する案はなかった。
色々方法こそ考えていたが、それもこの盛況ぶりを見ると巻き返すことは不可能だと判断。
だからこそ、アリスは己の勝利を諦めるしかなかった。
「……これで私のお友達計画もお終い、ですね」
ロイがこの場にいれば、きっと悔しそうな顔は見せなかっただろう。
何せ、平民の顧客を増やしただけでアリスの商会も成功。公爵家的にはプラスなのだから。
でもアリスは違う。儲ける前に、カルラを公爵家に引き入れ、友人になることこそを目的としていた。
利益が出ても、カルラとの勝負に負けてしまえば意味がない。
自分が考え、誰よりも理解していたはずのチョコレートなのに───優位性が覆されてしまった。
悔しさと悲しさが、笑みを浮かべるアリスの中を支配する。
だけど───
「私は楽しかったわ」
「……えっ?」
「あなたと競えて、商売ということをやらせてもらえて……本当に楽しかった」
カルラはアリスに向けて手を差し伸べた。
「私達……きっといいお友達になれると思うの」
カルラも己の才覚は自覚している。
誰もついてきてくれないんじゃないか……そう、ふと思ってしまうぐらいには。
でも目の前にいる少女だけは、自分を出し抜いて競ってくれた。言うなれば、自分自身を満たしてくれたのだ。
話も合うだろう、話についていけるだろう……公爵家に抱えられるつもりはないが、それでも友達にはなれる。
カルラはアリスであれば、友達になりたい───そう思えた。
「これから何をするかは決まっていないけれど、また遊びましょう? またゆっくりお茶でもいいし、こうしてライバルとして商売をするのも悪くないわ」
「カルラ様……」
「だから、ね───」
カルラはアリスの手を無理矢理握った。
自分の願いを伝えるために。
「私と、お友達になってくれませんか?」
その言葉を聞いて、アリスの胸の内に温かいものが込み上げてくる。
それは策謀は失敗したけれど、目的を達成することができたから。
「はいっ!」
故に、アリスはカルラの手を握り返した。
その顔に、満面の笑みを浮かべて。
(ったく、これはいい結果なのかねぇ……)
その様子を見ていたアレンはふと天を仰ぐ。
公爵家に抱えられることはなくなったが、これでカルラに友人という未練ができてしまった。国へ連れ戻すアレンの目的が、困難になってしまう。
それでも───
(初めての友人なんだもんなぁ……)
カルラは今まで本当の友人を持ってこなかった。
それは国外に追放されるという前提で今までを過ごしてきたからであり、その過程で生まれたものは全て計画の一部でしかなかったからだ。
それ以外で、カルラが自分の意思で作った友達はアリスが初めて。
つまり、カルラの中では本当の意味での友人ができた瞬間なのだ。
だからこそ、アレンは複雑な気持ちになる。
目的が困難になってしまった反面、ずっと傍で見続けてきた女の子に友人ができたことに対して嬉しいとも思ってしまう。
「……ありがとう、アレン」
そう思った時、ふとカルラがアレンに顔を向ける。
カルラの顔は……ほんのりと、朱に染まっていた。
「あなたがいなかったら、私はこんな気持ちにならなかったわ」
「そんな、それは大袈裟───」
「いいえ、大袈裟なんかじゃないわ。絶対に……それだけは違う」
そして、カルラは澄んだ瞳をアレンに見せながら───
「いつも私の隣にいてくれてありがとう……あなたは、私にとって最高の人だわ」
あぁ、そうか、と。
その言葉を受けたアレンは思う。
(……俺、いつの間にかお嬢に惚れてたのか)
こうして向けられた言葉に胸の鼓動が早くなり、全てがどうでもよくなってくる感覚。
自分の目的があるはずなのに、カルラのことも考えてしまう。
王族として国を第一に考えなければならなく、国の利益のためならなんでもする……今まで、そうしてきた。
でもこの少女に対してだけは───どうにも国が二番目になる。
そうでなければ、自分はこの場にいてこの言葉を向けられなかっただろう。
(何が惚れさせるだ……俺が惚れてんじゃねぇか、マヌケめ)
アレンは内心自虐をしながらも、目の前にいる少女に向けて笑みを浮かべた。
愛おしいと、そう思ってしまう少女に向けて。
「俺の方こそ……お嬢がいてくれてよかったですよ」




