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第三十三話

「売り上げは順調のようだね、アリス」


 公爵家の屋敷にて。

 ロイは使用人が淹れた紅茶を啜りながら対面に座るアリスを見た。

 執務室の窓から吹く風が二人の白髪を靡かせ、心地よい陽気が肌で感じられる。


「順調ですよ。お兄様が協力してくれたおかげで商会の設立も早く済みましたし、少しでも遅ければ後手に周ってカルラ様との勝負に負けていたでしょう」


 アリスも同じように紅茶を啜る。

 その姿は気品に溢れており、小柄な体躯からは想像がつかないほど大人びて見えた。

 ロイも大概ではあるが、アリスも社交界に顔を出せば貴族令息に迫られること間違いなしだろう。

 事実、言い寄ってくる人間はたくさんいるのだが……どれも一蹴している。

 兄妹揃って婚約者がいないのは中々珍しかった。


「それにしても、アリスは大概いやらしいね。チョコレートを使った新商品を出そうと考えるなんて」

「お兄様もそれを言いますか……そもそもの発端はお兄様ですよ。カルラ様が考えたフランチャイズとなるものを聞いた瞬間、私に話を持ちかけてきたではないですか」


 カルラがフランチャイズを始めた時、ロイは失敗させようと画策を始めたアリスに提案を持ちかけた。

 それは、カルラよりも先にチョコレートを使った新商品を発売すること。

 アリス自身も、チョコレートを使った新商品の案自体は考えついていた。だがそれも一人では限界がある。

 そもそもチョコレートを作れたのも商会という力があったからこそ。一から作って販売するとなれば、先にカルラが成果を挙げるだろうと判断して一度は諦めた。

 そこで、ロイが話を持ってきたのだ───まるで自分の考えなど見透かしているかのように。


(まぁ、それに乗ったのは私ですし、カルラ様に打撃を与えられたのは事実……ですが、お兄様の狡猾さには舌を巻きますね)


 アリスが地道に練り上げて策を弄する策略家だとすれば、兄は臨機応変に相手をハメようとする知略家だ。

 この時期に発売させようと口にしたのも、そのために準備を進めてくれたのもロイ。

 アリスはカルラが思いつきそうな新商品を先に予測して作り出しただけ。

 決して片方だけでは成立しなかった所業ではあるが、どこか釈然としないアリスであった。


「一週間経ちましたが、売り上げはフランチャイズで契約を交わしている商会の中では圧倒的に一番です。それどころか、この街では一番になっているでしょう。聞けば、カルラ様のところは順調に売り上げを落としているようですし」

「アリスは凄いね。まさかチョコレート一つで市場を動かしてしまうのだから。僕には到底思いつかないよ」

「その辺はお任せください。今の市場など、貴族の心を掴めば容易に支配できますし、需要を共有してあげるだけで利益は出ます。そういうのを考えるの、大好きですから」


 フランチャイズという方法で市場に多く出回り始めた今、チョコレートは前にも増して他のお菓子など比べ物にならないほど人気となっている。

 貴族の間でお茶会が開かれれば必ずといっていいほどチョコレートが出るようになり、需要は未だ止まず。

 フランチャイズが行われ他の商会が手を出したことにより、これから国外でも流行っていくだろう。

 そして、それを使って既存の顧客を誘導させる手腕。

 今の市場は、新しいチョコレートの商品が出たことによって更に流れ始めている。

 これをたった一人の少女が行っているのだから、世の商人は唖然とするだろう。


(一歩遅かったとはいえカルラ嬢も同じ結論に辿り着いた……予想はしていたけど、とんだ天才もいたものだ。まぁ、どっちでもよかったんだけどね)


 ロイの中では予想が外れようと結論よかったのだ。

 カルラがアリスと同じようなことを考えていようがいまいが、アリスが率いる商会でアリスの考えた商品を先に出せば儲かることは確実だったため。そして、カルラに否が応でも打撃を与えられるため。

 それはフランチャイズという画期的なアイデアをカルラが思いついた瞬間から。

 カルラが失敗しても、最終的にウル商会とウルデラ商会を併合させれば公爵家は優位に立ったままを維持できる。


 結局、これは身内同士の争いだ。

 身内が争う以上、どう転んでも公爵家の利益には変わらない。

 その中で、カルラという妹に匹敵するほどの才覚と美貌を持った少女が手元に来るか来ないかの結論が変わるだけ。

 ───全ては、ロイの手のひらの中だということだ。


「カルラ様はあのようなことを仰っていましたが、ここまで来ればもう『失敗』でしょう」

「あのようなこと?」

「えぇ、「私を取り込んでみなさい」と」


 随分、勝ち気な女の子だ、と。

 ロイは最近会っていない少女の姿を思い浮かべて笑ってしまう。

 ───確かに、アリスの言う通り現状では失敗ということになる。

 何せ自分の考えたフランチャイズという事業で、形だけとはいえ他の商会に売り上げを持っていかれ、今商会の新機軸であるチョコレートの優位性を失ったのだから。

 カルラに与えられた任は支部長だが、その目的は「盗まれようとしているチョコレートの問題を解決し、成功させる」こと。

 これでは、問題は解決したが成功はしていないということになる。


「たった一週間、されど一週間……オリジナルの商品が軌道に乗った今、カルラ様には打つ手はありません。何せ、チョコレートを使った新商品を出しても二番煎じ───流行りとオリジナルを意識している貴族は私の方に流れるでしょう」

「それもそうだね。流石は我が妹だ」

「ふふっ、お兄様には感謝していますよ。決してお兄様のためではありませんが」

「そこは素直に「お兄様のために!」って言ってくれた方が、手を貸した側も素直に喜べるんだけど」

「口が裂けてもそのようなことは。社交界で他の令嬢様に背中を刺されてしまいます」


 余裕があるからか、二人は笑みを浮かべたまま和やかな空気を醸し出していた。

 実際に、アリスは勝ちを確信している。

 これからカルラができることはもうないと思っているから。

 しかし───


「失礼します」


 一人の使用人が執務室に顔を出す。

 そして、ロイの姿を確認すると近づき、小さく耳打ちを始めた。

 それを聞いたロイは一瞬目を丸くすると、浮かべていた笑みが苦いものへと変わる。


「……どうやら、カルラ嬢は僕達では手に負えない女の子かもしれないね」

「はい? そ、それはどういう───」

「現在、ウルデラ商会が過去に見ないほどの反響を見せている《・・・・・・・・・・・・・・・・・》らしい」


 その言葉を聞いて、アリスは絶句する。

 一体何が? そんな疑問が脳裏を支配した状態で。


「あと、カルラ嬢からアリスに伝言だ」


 ロイは手元にあった紅茶をもう一度啜る。


「『さぁ、これでどっちに軍配が上がったでしょうね?』……だそうだ」


 その味は、どこかいつも以上に苦く感じた。

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