1.師に呼ばれ
「ディル、ちょっと来てごらん」
聖堂の窓辺で書き取りの練習をしていたディルは、その声に顔を上げ、小首を傾げた。
礼拝のときにはこの屋敷中の者たちが集まる広い室内に、今は誰もいない。その向こう側の扉の前で、僧服に身を包んだ司祭がこちらを手招きしている。
「はい」
なんだろうと思いながらもディルは素直に返事をし、書き取りに使っていた蠟板を傍らに置いて、腰を下ろしていた窓枠から降りる。小走りに司祭の許に向かった。
大人と言ってもディルの父よりはるかに若いこの司祭は、常に明るい笑顔を絶やさない。……が、その笑顔を寸分も崩さぬまま、こと勉学に関してはとんでもなく容赦のない教師としての一面を持っていた。
礼拝で居眠りをした罰として、これ幸いとばかりに――それはディルの邪推かもしれないが――書き取りの課題を出されたことは記憶に新しいが、あれは随分ましなほうだ。
教えられた教典の一節を諳んじていてつっかえると、「ではあと二十回繰り返すまで帰せないからね。ああ、また間違えたら更に二十回追加だから、心しなさい」などと言って本当にその通りにさせられるし、ちょっとでも気を抜いた字など書こうものなら、「これは読めないなぁ。全部書き直そうか。そうそう、私は目が悪いから、すこしでも歪んだ文字は読めないからね。読めない文字は書いても意味がない。つまり……分かるね?」などと日が暮れるまで書写をやらされることもしばしばだ。
解放されるまで懸命に課題をこなすしかない。ようやく終えてぐったりしながら夕食どきの屋敷のホールに足を踏み入れれば、父の同僚であり、一方的にこちらにつっかかってくる青年ベネットに「よっぽど出来が悪いんだな」などと冷笑される。
まあそれはどうでもよい。自分のような子供相手にいちいち嫌味を言いに来るなんて、いい大人が恥ずかしくないのだろうか、と思うばかりだ。
それはさておき、指導が厳しいばかりでは、いい加減聖堂に通うのが厭になっても不思議はない。しかしそれでもディルにとって、日々屋敷の雑用を終えたのち、書記見習いとしての義務を果たすために聖堂に向かうのは、わずかなりとも楽しみなことなのであった。
それは、こんな風に司祭が脈絡もなく自分を呼びつける際の、その理由にあった。