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第6章

「生還おめでとう!」


という公美たちに対して、


「こらこら」


と返しながら、私たちは、スノーエッジでグラスを合わせた。



「でも、ほんと、無事で良かったですよ」


亜美が心底ほっとしたように私を見た。


「いや、ちょっと無事じゃない……」


私は包帯を巻かれた左手を挙げた。


「痛いですか?」


そう言いながら亜美が人差し指を伸ばしてきた。


「こらこら、触っちゃだめだよぉ」


私は手をサッと下げた。


「ええ~?」


不満そうな顔。


「な、何なんだろね、このは」


公美が苦笑。


「私が代わりに触っておいてあげるから、我慢しなさい」


美香が真面目に言う。


「こらこら」


私はこの台詞ばかり。


でも、分かってる。


本気で心配したから、安心して、おどけたいだけ。



ふと、カウンターを背に立つ龍生さんと目が合った。


「ほんと無事で良かったね」


「はい。陸君のおかげです」


「そっか」


彼は嬉しそうに笑った。


「あいつは、今はとにかく『助けたい』だからね。あ、『優勝』もか」


「え?優勝って?」


「ある全国大会の優勝。スノーボードクロスのね」


「再来年あるっていう?」


「あ、知ってた?」


「ええ、さやかさんに聞きました」


さやかさんの方を見ると、彼女がにこっとした。


「陸君も選手だったんですか?」


「いや。……あれから、かな」


「あ、ああ……」


横では、公美たちがバカ話で盛り上がっていた。


多分、聞き耳ずきんだったと思うけど。



「そっか、優勝目指してるんだ……」


その気持ちはわかった。


でも、それは、ある意味呪縛。


それが叶えられない限り、『過去』から逃れられない。



『前を向いていくしか、ないさ』



彼が言った台詞を思い出した。


あれは、私だけに言った台詞じゃなかった。


そんなに簡単なことじゃないけど、私も、彼に優勝してほしいと思った。


そうしたら、きっと、彼も普通に前に進めるかもしれない。





夜も更けて、他の3人がぐだぐだになってきたところで、私はカウンターでさやかさんと話していた。


飲み過ぎて転けたりしたら、さらに捻挫がひどくなりそうなので、私は少しセーブしていた。



「年末はどうするの?」


「年末ですか?」


さやかさんが頷いた。


「そうですよね。あっという間ですよね」


「滑りに来たりしないの?」


「ああ、それもいいですね。実家には帰り辛いし」


「気を遣われるから?」


「はい……未だに」


しゅんっとしながら頷いた。


「そっか」


さやかさんは呟くように言った。



「でも、公美たちは、みんな帰省するんですよね~」


「じゃあ、一人で滑りにおいでよ。うちに泊めてあげるから。お古で良ければ、私のウェアとボードとかもあげるし」


「え?いいんですか?」


「いいよ」


さやかさんがにこっとした。


「はい。そうします」


「うん」


私は即答し、さやかさんと握手した。





それから少しして陸が戻ってきた。


こんな時間まで、今日の大雪の対策会議だったらしい。



「お疲れさま」


「あ、ありがとう」


私がカウンター席から声を掛けたので、陸はそのまま、私の左隣に座った。


「手は大丈夫?」


陸が私の左手を見た。


「うん。湿布してもらった」


左手を軽く挙げて少し動かした。


「動かすなよ」


陸が苦笑した。


「今日は本当にありがとう」


私は椅子を彼の方に回すと頭を下げた。


「いいよ。仕事だから」


「でも、聞いたよ?急激な悪天候だったから、少し待てって言われたのに、飛び出したんだって?」


「誰だよ、そんなこと言った奴。土屋さんかぁ?」


後半は独り言みたいな感じで。


「まあ、助けるのが仕事だし、あの時はまだ大丈夫だと判断しただけだよ。それにスカイラインコースなら、ほぼ一本道だし」


「そっか」


「あ、さやかさん!俺、お腹空いた……」「どうぞ」


陸がそう言った時には、ディナープレートが目の前に置かれようとしていた。


「さすがだね……」


陸が戸惑っていた。


さやかさんは、にこっと微笑む。



「いただきま~す!」


陸はかなりお腹が空いていたみたいで、次々と口に入れていった。


ただ、何となく、さっき、彼が何かをごまかした気がした。



それは多分、


もう誰も死なせない……


そんな思いなんだろう。


それしかない。


私は少し彼を見つめた。


陸はそれに気付かないでばくばくと食べていた。


私は少し笑みを零したけど、さやかさんもくすっと笑っていた。


こんな時間が、何となく、心地良かった。



翌日は、私に付き合うと言った公美たちをゲレンデに追い出し、私はスノーエッジで過ごした。







クリスマスイブ。



夜は公美たちと飲むことになっている。


窓から晴れた空を見上げながら、ふと、彼女たちがいなかったら……と、思った。



すごく、怖かった。



どうやって過ごしてきただろう。


どうやってやり過ごしただろう。



……無理。


きっと、今、ここにいない。


それは自分の中では確信だった。


だからこそ、もう一度、公美たちのことを思い浮かべたら、自分の未来が見えた気がした。


前を向いて行ける。



ブー……ブー……


テーブルの上のケータイが震えた。


亜美だった。


『せんぱーい!』


いつもの元気な声。


夜まで街をぶらつこうとの誘いだった。


「うん、わかった」


私は笑いながらそう言えた。


こうしてチェックポイントをクリアしていくうちに、きっと私は前だけを向いて行けると思った。



私は、彼女たちに何が返せるのだろう……








「お世話になります」


私はさやかさんの家の前で、深々と頭を下げた。


「いらっしゃい。どうぞ」


「はい」


今日から年明け4日までの6日間、さやかさんの家に泊まらせてもらうことになっている。



午前10時頃、普通に電車とバスで来て、一度スノーエッジに寄った後案内してもらった。


「手はもういいの?」


「はい、すっかり」


私は左手をパタパタとさせて見せた。


「そっか。どうぞ」


「お邪魔しま~す」


さやかさんの家はゲレンデ近くの表通りから入ったところにある小さな一軒家だった。


二階は二部屋で、一階は台所、洗面所、お風呂とかの他は居間だけ。


でも、すぐ左側が少し崖になっていて、眼下に龍神温泉の町並みが見渡せる。


崖までの間には少し庭があって白いテーブルと白い椅子が置かれている。


内装もカントリー風に手を入れてある。



「素敵ですね~」


私は居間のガラス戸越しに外を見ながら言った。


「そうでしょ?ここに居ついたのはこの家を見つけたのもあるのよね」


「へえ~」


「家賃も安いのよ」


「そうなんですか」


居ついた理由を聞こうかと思ったけど、


「コーヒーでも淹れるね」


と言われたので、


「はい」


と答えて終わった。


さやかさんはこの後またお店に行かなくてはいけないし、5日もある。


そのうちに聞けることもあるだろう。



二階へは、居間から奥の方に入ってすぐ右側から奥に向かって上がる。


上がったところで、庭側がさやかさんの部屋で、その真向かいが空部屋だった。


目の前の廊下は、真っすぐ道側まで延びて、その先は出窓風の窓があって明るい。


私が借りる空部屋は、客間扱いということでベッドも家具も置かれていた。


時々、厨房担当の真美さんや地元の女友達も泊まりに来るらしい。


何かホームパーティー的なことをやっているのも想像できた。


そして、部屋の奥にはスノボ関係のモノも既に用意されていた。


「サイズは大丈夫なはずだから」


「はい。さやかさんがそう言うなら」


私がそう言うと、彼女がニコッとした。


「じゃあ、私は店に戻るけど、結菜さんどうする?」


「とりあえず、足慣らしに行こうかと」


「そか。じゃあ、これ鍵ね。持ってていいから」


手渡された鍵には細長い革に「ゆいな」と刻印されたキーホルダーが付けられていた。


「え?これ、わざわざ?」


「ううん。隣のお土産屋にあったから、ついね。気にしないで」


「ありがとうございます」


「じゃあ、気を付けてね」と言いながらさやかさんは手先を振って店へ行った。


私はウェアに着替えると、永坂ゴンドラ乗り場へ向かった。




足慣らしに、みはらしコースからモンツァコースまでを滑った。


事故現場では、陸がいないことを確認して、颯太に手を合わせた。


一人なので深く考えないように、一連の流れみたいに。


その儀式が終わると、陽陰ゴンドラのところまで滑り降りて、またみはらしコースまで上った。


そこから神の平ゲレンデまでは同じで、今度はモンツァコースに下りずに、そのまま真っ直ぐ上級のシュミットコースに向かった。


下り始めるところで一旦止まると、下を覗き込んでみた。


この前公美たちと来た時もそんなに狭くなくて下りられた。


そう思って、躊躇する前に滑り降りた。



小さめのターンで下って行くと、曲がったところでパトロールの赤いウェアが見えた。


その横に女性スノーボーダーが寝ていた。


「大丈夫ですか?」


側まで滑り降りると声を掛けた。


「あ、その声、結菜さん?」


振り向いた隊員は陸だった。


私はゴーグルを上げた。


「久しぶり」


「久しぶり。それ、もしかしてさやかさんの?」


彼が私のウェアを見た。


「うん。くれたの」


「そか」


彼が少し微笑んだ。


私はその表情に「ん?」ってなったけど、それより足元で寝ている女性だった。


「足を痛めたの?」


「ああ」


「私に何かできる?」


「いや、大丈夫。山下さんがアキヤを持ってくるのを待ってるから」


「こんな急なとこ降ろせるの?」


「大丈夫だよ」


「ほんと?」


「ほんとほんと」


私は疑いの眼で陸をじっと見た。


すると陸が私に顔を寄せた。


「え?」


「だめだよ、この人が不安がるから」


陸は私の耳元で小声で言った。


「あ、ごめん……」


私は陸の顔が近い方に気を取られながら言った。


ごまかすように彼女の方を見ると、足の痛みに気を取られていて気が付いていない感じだった。



「で、何か手伝えることはないの?」


「結菜さんお客さんなんだから、気にせず滑って行って」


「でも、困ってる人を放っておけないよ」


私がそう言うと、陸がぽかんとしていた。


「え?なに?」


「いや……別に」


「ちょっと何よ?」


「いや、結菜さんって、ほんと良い人なんだな……って」


「はあ?意味わかんない。そんなの普通でしょ?」


私が口を尖がらせてると、上から滑り降りてくる音が聞こえて振り向くと、待っていたパトロール隊員だった。



その後はテキパキと彼女をアキヤに乗せて、二人はボーゲンでゆっくりと降ろして行った。


「うわあ、さすがだな……」


私は彼らの後方から離れてそれを見ながら降りていった。






その夜。


スノーエッジのカウンターで食事をしていた。


後ろの方で龍生さんの軽やかな話し声が聞こえる。


そんなこともこの店の雰囲気を作っている。



「疲れた~」


と言いながら、陸が店に入ってきた。


私の顔を見ると、口元だけで微笑んで左の横に座った。


「お疲れさま」


「さんきゅ」


それが何か素直な会話で、不思議だった。


さやかさんを見ると厨房の方に行っていたので、もうご飯は用意されてる。


二人きりな雰囲気に、


「陸君はすごいね」


何となく、そんな風に言った。


「何が?」


陸が自然にこっちを見た。


「……人を助けること」


陸はそれに口を開きかけて、やめた。


そして、


「別に。仕事だよ」


前を向くとそう言った。



その時、一瞬視線を上げかけてやめたのに気が付いた。


視線を上げると茜さんの写真がある。


きっと、それを理由にしたくないのだろう。


理由にしてしまえば、過去に囚われ続けて前に進めなくなる。


そうだと思った。


スノーボードクロスもきっと自分がやりたいと言うんだろうな。



「結菜さん?」


「え?」


陸が私を見ていた。



「あ、何でもない」


私は微笑むと首を振った。


「お待たせ」


そこでさやかさんが彼の前にディナープレートを置いた。


「おお、美味そう!いただきまーす!」


陸はすぐにそれにパクついた。


かなりお腹空いてたみたい。


私はそれを見て笑っていた。



ブルルル……


ケータイが震えた。


画面を見ると公美からのSNSだった。


少しそれでやり取りをしていた。


「結菜さん、いい友達がいるんだな」


陸が私の表情を見て言った。



「……うん」


私はそれを感じるように一度頷いた。


そして、


「彼女たちがいなかったら、私は今、ここにいないよ」


と、呟くように言った。



「……そうだな」


陸はその本当の意味をわかっているかのように言った。


「そうだな」


そして、視線をさやかさんたちの方に向けて、繰り返した。



陸が食べている間、私はケータイを触っていて会話がなかった。


でも、その後はさやかさんが加わって、3人で普通に話をしていたのだった。






翌朝、早くに目が覚めた。


また眠れそうにもなく、ガサゴソしてもさやかさんを起こしちゃいけないし、ちょっと散歩に出ることにした。



ガチャ……


「ひやぁぁあぅ!」


まだ陽が昇ったばかりの外へ出ると、家の中の寒さを倍にしたくらいの寒さで、一気に身が引き締まった。


で、思わず訳のわからない言葉を……


でも、目の前の景色を見て、息を飲んだ。



射し込む陽の光で、全てが黄金色に輝いていた。


雪が溶けて氷になったところはもちろん、雪の表面もキラキラと。


町中から、山まで見渡す限りが輝いていた。


そして、この空気感。


頭の中にあったイヤなものが全て消え去った気がした。



しばらく、玄関先で息を飲んでいた。


その光具合が落ち着くのは意外と早かった。


それでも満足した私は、とりあえず散歩を始めた。


道には雪が積もっていたけど、昨日は降らなかったのか圧雪されたままで歩きやすかった。


少しくねくねと曲がる道をゆっくり下って行くと、右手の高台に神社が見えた。


私はそっちへ足を向けた。


そこはかなり古くからの由緒ある神社のようだった。


入り口には古い鳥居があって、そこからすぐに細い石段を上の方まで上っていく感じ。


その両側は、すごく大きく真っ直ぐに伸びた木々に囲まれている。


一目見ただけで、ここが神域だと感じる。


石段はちゃんと除雪されていた。


私は、その石段を上った。


階段の下から威厳のある拝殿が見えていた。


私は足元に気を付けながらも、その拝殿を見ながら上った。


拝殿の手前に伸びた屋根の下の木彫りの飾りがすごかった。


複雑な立体感のある彫り物で、わたしはそれに気を取られていた。


階段を上り終えた時、その下で手を合わせている人がいるのに気が付いた。


その人は何か真剣に拝んでいたので、私は近付かずに、そこで彫り物を見ていた。



「結菜さん?」


その声に視線を下げると、拝んでいたのは陸だった。


「あ、おはよ」


私は彼の近くに歩いて行った。



「おはよう。早いね」


「そっちこそ」


「俺は日課だよ」


「そうなんだ」


私はお賽銭を持ってなかったけど、鈴をカランカランと鳴らしてとりあえず手を合わせた。


陸はその間、黙って側にいた。



「で、何を祈ってたの?」


私は顔を上げると彼を見た。


「そりゃ、……事故が起きませんように、さ」


「あ、そっか」


陸は『日課』と言った。


そうだよね。


バカなことを聞いてしまった。



「で、結菜さんは何を?」


「私も似たようなこと。悪いことが何も起きませんように……って」


「そっか」


陸が少し微笑んだ。


「……うん」


そこで目が合うと、お互い少し戸惑う雰囲気になったので、どちらともなく歩き始めた。



階段の下に降りたところで向き合ったが、何だか視線は合わせないままだった。


言う言葉が見つからない中で、陸が、


「じゃあ、今日も楽しんで」


と言うと、軽く手を挙げて、背中を向けた。


「あ、陸君も気をつけて」


私は慌ててその言葉を選んだ。


彼は振り向かないまま軽く右手を挙げて坂を登って行った。


私はその後ろ姿を見送ると、「さて……」と軽くため息をついたけど、もう少し坂を下ることにした。





今日は大晦日なので、永坂ゲレンデのナイター営業時間が延長され、年明けの瞬間には花火が上がる。


年越し会場では樽酒の振舞い、ホットワインのサービスもあるという。


年越しの時間まではスノーエッジにいたけど、会場は目の前だし、龍生さんとさやかさんに勧められて、せっかくなので行ってみることにした。



ゲレンデ横の大きな駐車場がイベント会場になっていた。


既にかなりの人で埋まっていた。


私はホットワインをもらうと、それを両手で包むように持って少しずつ飲みながら、少し人混みから離れた場所でカウントダウンを待っていた。


キリッと冷たい空気に包まれ寒いはずなのに、何か熱気を感じる雰囲気が心地良かった。


でも、待ってる人達をよく見ると、当然のごとく、カップルだったり、家族だったり、独りでという人は居なかった。


「公美たちも居ればよかったのになぁ」


少し淋しさに、そう呟いていた。


「そうだね」


「え?」


すぐ横から掛けられた声に驚いてカップを落としかけた。


「もうすぐだな」


そう言ってゲレンデの時計表示を見ていたのは赤いツナギを着ただけの陸だった。


「陸君」


彼は口元だけで笑った。


「さすがに独りじゃつまんないだろ」


「まあ……ね」


彼は少し微笑むと、そのまま私の横に立っていた。


私も少し微笑み返すと、そのまま濃紺の世界にフワッと浮かび上がっているゲレンデを見ていた。


陸も特に何かを言おうしてる雰囲気じゃなかったので、私もただ、ゲレンデを見ているだけの時間が流れていた。


それは実際の時間ではそんなに長くはなかったかもしれないけど、戸惑うほどの時間でもなかった気がする。




DJが場を盛り上げるようにずっと喋っていたが、その声がカウントダウンを促した。


「10!……9!……8!……7!……6!……5!……4!……3!……2!……1!……ゼロ!A happy new year~!!」


その瞬間、大歓声が湧き起こり、空には花火がいくつも打ち上がって夜空を鮮やかに彩った。


「うわぁ……」


その光の彩りの中で、私はただ空を見上げていたけど、隣に誰かかがいることを感じていた。


それが温かく感じるのは不思議だったけど。



「明けましておめでとう」


私は陸を見た。


「明けましておめでとう」


陸も私を見て言った。


その表情は素直で、自然だった。


だから、私たちは、そのまま花火を見ていた。





元旦も午前11時から神ノ平ゲレンデでイベントがあった。


樽酒を配るという。


やっぱりせっかくなので、とりあえず参加しようと思った。


そう。


やっぱりとか、せっかくなのでとか、とりあえずが付く。


ここにいるだけでもそうなのに、余計に独りを感じるからちょっと躊躇する。


今回誘ってくれたさやかさんも、龍生さんもだけど、私がいるこの5日間は店が休める状況じゃない。


だから、ゆっくり会うのは夜のスノーエッジでしかなかった。


でも、逆にその夜のスノーエッジがあるから、昼間は独りでいられた。


ただただスノボを楽しんで、疲れて淋しくなったら、その夜はスノーエッジでさやかさんや龍生さんたちが待っている。


私には温かい団欒の時間。


そして居場所。


本当はその夜の方が、ここにいる理由。



あと……


陸と普通になれるのが、嬉しかった。


彼が私と同じ思いを心の奥底に閉じ込めているのが痛いほど分かるから、それを隠しているのが分かっていても、普通になれるのが、ただ嬉しかった。


それは龍生さんたちも同じだけど、その思いから来る痛みが顔や雰囲気に出るのはダメだから、私たちはその思いをいつか痛みを感じないものにしないといけないと思っていた。


前に進むしかないんだと思う。




神ノ平ゲレンデのイベント会場で樽酒をもらうと、それをちびちびと飲みながらMCとゲストのやり取りを見ていた。


今ここには、楽しんでいる人達の笑顔しかなかった。


私は同じ様に笑えてないと感じて、周りを見回した。


この辺りの人混みの中に赤いウェアは見えなかった。


そこで軽いため息を吐いたけど、そんな自分に、さらに深いため息を吐いた。


「結菜のばか!」


小さくそう言って、残りのお酒をグイッと飲んだ。


「こらこら、そんな飲み方しちゃだめだよ」


「え?」


振り向くとパトロール中という感じの陸がいた。


「まだ滑るんでしょ?危ないよ」


「あ、ごめん……」


私は内心思った以上に慌てていた。



「ほら顔も赤いよ。空きっ腹だからでしょ。その辺で休憩がてらお昼にしたら?」


彼がきのこカレーのお店の方を見た。


「あ、ああ、そうだね」


余計に慌てていた。


「そうだな、俺も今のうちにお昼にしようかな」


「え?」


「一緒に食べようよ」


陸が普通の表情で口元だけ笑みにして言った。


「う、うん。そうだね」


私はお店の方に滑り始めた陸に付いて行った。



「何食べたい?」


陸が私と並ぶ様に滑りながら聞いた。


「えっと……あ、森のきのこカレー!」


後半は少しハイテンションになった。


えっと、お腹が空いていた……ということにしてください……


「了解」


陸が少し吹き出しながら言った。


まだイベントが続いているし、お昼前だしということで、お店は空いていた。


私たちは奥の角のテーブルに座った。


景色を見るには特等席。


すぐに二人で窓の外を見た。


特に何も言わないけど、陸が微笑んでいるように見えた。


他の人から見れば普通の顔なんだろうけど、私にはそう見えた。



「陸さん、休憩ですか?」


お水を持ってきた若い女性の店員が嬉しそうに言った。


「ああ、食えるうちに食っとかないとね」


その女性は、私を「誰だろ?」という感じの視線だったけど、「ご注文がお決まりの頃伺います」と言って行こうとした。


「あ、もう決まってる」


陸が呼び止めた。


「あ、はい」


女性はすぐにエプロンのポケットからメモとペンを出した。


「結菜さんは森のきのこカレーでいいんだよね?」


「うん」


「で、俺はそれの大盛で」


彼女はその注文を繰り返し確認すると、厨房の方に行った。


その後ろ姿が視界から消えたところで陸を見た。


まだメニューを見て「ソーセージの盛り合わせも付けようかな」とか呟いていた。


「陸君ってモテるんだ」


「え?」


上げた顔は、聞かれたことの意味をまるで理解していない表情だった。


「……ううん」


私は軽く首を振った。


「ここは落ち着くよ」


そう言って外を見た。


「そっか」


そう言った彼の表情は軽く笑顔だった。


その表情に私は安心感というか、そんな言葉にできない気持ちを感じていた。


だから、後はカレーが来るまで言葉がなくても陸と二人で外を見ていられた。



その夜も、残りの2日も陸と普通に会えていた。


それは、さりげなく彼が独りの私を気にしてくれていたんだと分かっていた。


それに、さやかさんも龍生さんも。


私にとって、それは同情とか、傷を舐め合うとかじゃない。


ただ普通にそうしていたのを感じていた。


そう思った時、公美たちの顔が浮かんだ。


彼女たちも同情とかじゃない。


ただ私を本気で心配してくれているだけ。


私はもう帰るのが寂しいと思っていたけど、逆に早く帰りたくなった。


だから、龍生さんたちにとびっきりの笑顔でお礼が言えた気がする。


そして濃い青の中を走る電車の窓に映る顔も、まだ笑顔のままだった。






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