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第5章

「お疲れ~」


私と太一と悟史はグラスをチンッと合わせた。


最初はビール。



「ぷっはー!美味い!」


太一が満面の笑顔で言った。


「ほんと、美味しそうだね~」


私はいつもの笑顔。


悟史はニヒルな笑顔。


少しまったりとした雰囲気の中で、飲み会は始まった。


私たちは表参道のバー隠れ家に来ていた。


ここは元々、私たちが使っていたお店で、私が公美たちに教えた。



「そっか、もう2回も行ったのか」


悟史が生ハムをフォークで刺しながら私を見た。


「うん」


私はとりあえず二人には話しておいた。


「すごい偶然だよな」


太一はおつまみ無視で、グラスを離さず言った。


「そうだよね」


「運命ってやつに引き寄せられたんだろ」


悟史の言葉に、そうだなと、自分自身しっくりきた。


「で、また、行くの?」


「うん。12月の最初の金曜の夜発のツアー入れてる」


「そっか」


「慣れたら、この3人でも行こうぜ」


太一が笑った。


「そうだね。行こう」


私はそう言うとグラスを空けた。


「お、行くね~。俺も」


太一が負けじとグラスを空けた。


「すみませ~ん!」


二人でハモる。


「おまえら、ピッチ速え~よ」


マイペースな悟史が苦笑した。


酔わずにはいられなかった。




太一に「ちょっと集まろうぜ」と誘われたが、あの場所に行った後で、太一たちとどう接すればいいかわからなくなった。


お酒が入れば、前みたいにやれると思った。


でも、


「……な、結菜、結菜」


「ん?」


「大丈夫か?」


太一に揺らされて気が付いた。


飲み過ぎた。



「あ、ごめん」


私は身体を起こして腕時計を見たけど、ぼやけてよく見えず、目をしばしばさせた。


「今日は終わりにしよう。俺が送っていくよ」


「そうしろよ」


悟史もそう言って、私の上着を差し出した。


「うん、ありがと……」


私は帰る方向が同じ太一と、タクシーで帰ることにした。


とりあえず、潰れるまでは、前のようにワイワイとできていた気がする。




マンションに着くと、太一がタクシーを待たせたところで、一人では歩けそうにない私を部屋まで送ってくれた。


バッグから何とか鍵を取り出してドアを開けた。


ふらつく身体をドアで支えて、太一を見た。


すごく心配そうな顔をしていた。


「……寄る?コーヒーれも…」


私は呂律の回らないのが可笑しくなって笑った。


「い、いや、いいよ。タクシー待たせてるし」


その言い方は想定外に慌てていた。


「……太一?」


私は多分虚ろな眼で太一の表情を覗いた。


「ちゃんと着替えて寝ろよ。じゃな」


太一はそっぽを向いて言った。


「はあ~い」


頭をかきながら足早に歩いて行った太一の背中を、ドアに抱きついたまま見ていた。



エレベーターホールへ曲がる時、太一は、私がずっと見ているのに気が付いて、また慌てていた。


「こら、早く中に入れって!」


動揺した表情で入れ入れとジェスチャーした。


私はもう一度「はあ~い」と返事をしてドアを閉めた。




朝、気が付いたら、そのまま玄関に倒れこんで寝ていた。


「痛たたたたたた……」


起き上がると、身体中が悲鳴をあげた。


さらに、何か熱っぽかった。


「そりゃ、そうだよねぇ……」


私はとりあえず着替えて、薬を飲んで寝た。


「今日が休みで良かった……」


天井を見ながら思った。



すぐにベッドに横になったので、カーテンを閉め忘れた。


レースのカーテンの向こうから、真っ青な空を感じさせる光が入ってきていた。


最高の休日日和らしい。


「でも、私は寝ます……」


そのまま、目を閉じた。



少し落ち着いたところで、太一を思い出した。


あいつ、ずっと彼女いないなぁ……


悟史は、あまり深く繋がってる雰囲気じゃないけど、それはそれでいつも誰かと付き合っている感じ。


太一、好きな人いないのかな……


そんなことを考えているうちに私は眠りに落ちた。





12月初め。


私たち女子4人組は、またゲレンデにいた。



亜美が神に祈る仕草をしている。


「どうしたの?」


「あのですね、さすがの龍神平でも、この時期にこんなに雪が積もっていることないんですよ。これは神様からのプレゼントです!」


昨夜のドカ雪で一気に増えた積雪で様変わりしたゲレンデを見ながら、亜美がもう一度神に祈る仕草をした。


「そうなんだ」


「そうなんです。感謝しながら今日は目一杯楽しみましょう」


「そうだね」


「じゃあ、足慣らしに、みはらしコースから一気に下までロングクルージングと行きますか」


亜美が山頂から下の方までを指差した。


「ええ~」「まじ?」「いいね」


公美と美香、私がハモったところで、


「え!?」


公美と美香がさらにハモって私を見た。


「いいんじゃない?」


私は普通に言った。


「いや、結菜がそう言うなら……、ねえ?」


「そ、そうだね……」


公美と美香が顔を見合わせた。


「じゃあ、決まり、ということで、行きましょう!」


亜美が、みはらしコースへのリフトに向かって片足で蹴って滑り出した。


私もそれに付いて滑り出した後を、眉をハの字にした公美と美香が付いてきた。




ここのリフトは4人が並んで座れる。


コースの途中までなので、そこから山側の左へ滑り降りて山頂まで行くのに乗り継ぐ。


私が亜美に続いて普通に滑り降りたら、公美と美香が口をポカンと開けていた。


ゴーグルしてて見えないけど、多分、眉はハの字。



「ほんと、たった1回来ただけでここまで滑れる?」


「結菜、全然運動オンチじゃないじゃん……」


あの後、もう一回来てることと、さらにスクールに入ったことはまだ内緒。


それに元々運動オンチじゃない。


「まあ、なんとかね」


私は普通に言ったけど、内心笑っていた。


今の、この気持ちが心地よかった。




乗り継いで山頂に降り立つと、やっぱり青と白のコントラストが強調された景色に惹き込まれた。


上に何もない。


何かに押さえられていた全てが解放されたこの感覚。


そして、これだけの空間が箱庭になったような快感。


意識はそれだけ。


それは、他の3人もだった。


しばらく、その景色を堪能した後、私たちは顔を見合わせた。



「じゃあ、行きましょうか」


「そうだね」


そして、ロングクルージングを始めようとした時だった。


「きゃー!!」


私たちが滑り降りようとしたコースの下の方で悲鳴が上がった後、鈍い音とザザッという音がした。


「行ってみましょう」


亜美がこっちを見た。


「うん」


私たちはそこを滑り降りた。



悲鳴の理由がわかった。


女性のスキーヤーがコース右端の木の前で倒れていた。


その木にぶつかったらしい。


「大丈夫ですか!?」


私たちは彼女のところまで滑って行くと声を掛けた。


「あ、足が……」


そう言った彼女の表情が、その痛みのせいか、かなり引きつっていた。


美香が彼女の足を確かめた。


「これ、折れてるね」


「や、やっぱり、そうですよね……」


彼女はがっかりした感じで痛さに耐えていた。


「パトロールに連絡しよ」


公美がケータイをポケットから出し始めた。


「番号わかる?」


「スキー場のサイト見ればわかると思う」


「それより私があそこのリフトの係員に伝えてきます」


亜美が言った。


「あ、そうだね。そっちの方が早いかも」


「じゃあ、行ってきます」


「うん、お願い」


亜美は頷くとサッと滑り降りて行った。


そして、リフト乗り場の係員としばらく話しているのが見えた。



少しして、大きく丸の形に手を挙げた。


伝わったらしい。


「パトロールが来るまで我慢してくださいね」


私は痛みに耐えている彼女に言った。


「ありがとうございます」


「いえ」



亜美も戻ってきた後、10分くらいして、上から赤いツナギのスキーヤーが2人滑り降りてきた。


赤いソリみたいなのを持っていた。


「こちらの方ですね?足を骨折してる以外にどこか痛みますか?」


一人の隊員が彼女に声を掛けた。


「いえ」


彼女が答える横で、その若い男性の声は聞き覚えがあった。



「陸……君?」


「え?」


彼がゴーグルをヘルメットに上げた。


「ああ、あんたか……」


前と違って言い方は普通だった。


「通報ありがとう」


「ううん」


「じゃあ、後は任せて」


「うん」


陸は彼女の足に添え木をしてベルトで固定した。


「山下さん、アキヤに乗せます」


「了解」


もう一人の隊員が彼女の横にアキヤというらしいソリを置いた。


二人でそれに、そっと彼女を乗せた。



「じゃあ、搬送します。ご協力ありがとうございました」


「皆さん、ありがとうございました」


彼女も顔をこちらに向けながら礼を言った。


陸は板をハの字にするボーゲンで上から引っ張りながら、アキヤをゆっくり下ろし始めた。


私たちは、彼らが降りて行くのを見送った。



「彼か……」


公美が私の横で呟いた。


私はちらっと見て、意識は彼のまま、口元だけ笑みにした。




「じゃあ、一気に下まで行きますか」


亜美が私たちを促した。


「そうだね。行こか。ほら、結菜、亜美の後に付いて行って。あたしらは後ろから付いて行くから」


「はあい」


亜美が滑り始めると、私たちは一本のラインを描くように付いて行った。


午前中はそのロングクルージングを何本か滑った。




お昼は陽影ひかげゴンドラ乗り場付近にお店が建ち並んでいるので、その一つのレストランにした。



「もう、びっくり!」


公美が私を見ながら言った。


「何が?」


「あんたが、あたしらにちゃんと付いてきたことよ」


「そうそう。おかしいでしょ」


美香もそれに加わった。


「やっぱり、先輩は運動オンチじゃないんですよ」


亜美、そこ違う。


「褒めて」


私は両手で褒めろジェスチャーした。


まあ、そのうちわかるので、まだ内緒にした。


その時、ドアベルを鳴らして入ってきたのは、陸とさっきの隊員だった。


「あ」「あ」


陸と声がハモった。


「さっきはありがとな」


「ううん」


私は軽く首を振った。


彼はさらに何か言い掛けたけど、他のお客も入ってきたので、軽く手を挙げて奥に入って行った。


「お待たせしました」


頼んでいた料理も出てきたので、それで終わった。



私たちは何となく話しにくかったので、ご飯を食べるとすぐに店を出ることとなった。



「さて、どうしようか」


公美がジャケットの襟元を締めながら私たちを見た。


「別のところ回ってみる?」


美香がマップを広げた。


「そろそろシュミットコースとか、行ってみる?」


美香が私を見た。


「上級だよね?」


「うん」


「美香たちは滑れるの?」


「うん」


公美と亜美も首を縦に振った。


「じゃあ、行ってみる、かな?」


「じゃあ、行きましょう」


亜美がそう言ったところで決定。


私たちは陽影ゴンドラで上がることにした。


その時、陸たちが店から出てきた。


「あ、ちょっと待ってて」


私はみんなにそう言うと、陸の方へ行った。



「陸君」


陸が顔を向けた。


「どうした?」


「いや、さっき何か言い掛けてなかった?」


「え?ああ……大したことじゃないよ。今夜もスノーエッジに来るのかって聞こうとしただけ」


「うん、多分行くよ。なんで?」


「いや、別に」


そう言った表情からは、さっきのが社交辞令で聞こうとしていただけだと思えた。


「あ、あと、午後から天気が崩れるらしいから気を付けて」


「そうなの?ありがとう」


そこで、陸の視線が私の後ろを見た。


私も振り返ると、公美たちが不思議そうに見ていた。


「あ、じゃあ行くね」


「ああ、気をつけてな」


私は軽く手を挙げると、少し駆け足で公美たちのところに戻った。



「どうしたの?」


公美が視線を陸に向けたまま聞いた。


「さっき、何か言い掛けてた気がしたから聞いただけ」


「で?」


「今夜、スノーエッジに来るのかって」


「で?」


「え?もちろん行くでしょ?龍生さんいるし」


「うん。行く」


満面の笑みの公美。


「だよね……」


私は苦笑した。


「あとね、午後から天気が崩れるらしいって」


「へえ、そういうところはちゃんとパトロール隊員なんだ」


「そうだね……っていうか、最初から厳しいパトロール隊員だよ……」


私は怒られた出会いを思い出して、しゅんとした。


「あ、そうだったね……」


公美も苦笑。


「じゃあ、行きましょうか」


亜美がゴンドラ乗り場に歩き始めたので、私たちも付いて行った。




シュミットコースも、思ったより狭くなくて、滑ることができた。


ボードに乗ってる時の感覚が、なぜか前から知っていた感じで、もしかして、颯太が私の身体を使って滑っているのかとも思えた。


でも、この感覚を掴めたのは、陸がスクールで教えてくれた時からなのもわかっていた。


ここを滑れるならと、午後は龍神平スキー場の左側をあちこち滑っていた。


右側は狭いコースが多いらしい。


そのうち、陸が言ったように雪が降り始めた。


「この程度なら逆に雰囲気いいよね」


公美が空を見上げた。


「そうだね」


私たちはそんな感じなので、みはらしコース辺りも滑っていた。



夕方近くに、みはらしコースの山頂にいた。


すると、段々雪の降る量が増えて、雲も厚くなり急に暗くなった。


場内放送も、リフトの運行を中止するので下山する様言い始めた。


「これはマズイね」


「降りよう」


公美と美香が言った。


私と亜美は頷いた。


早く帰るために、みはらしコース左端から永坂ゴンドラ方面へ降りられるスカイラインコースを通ることにした。


視界が悪い中、先導してもらう意味で、亜美、公美、美香、そして私の順で滑り下りた。



スカイラインコースに入ってすぐのことだった。


右側のコース端のオレンジのポールとネットが倒れているのが、気になった。


「ちょっと待って!」


叫んだけど、公美たちには聞こえず、そのまま滑って行ってしまった。


でも、私はそこへ行くと、下を覗き込んだ。


すぐそこの木のところに、小学生くらいの女の子がいた。


落ちたばかりみたいだった。


「大丈夫?」


「あ、よかった!お姉さん、引っ張ってもらえますか?」


「うん、いいよ」


私は上から手を伸ばすと彼女の差し出したストックを掴んで引き上げた。


そして、今度は私が下に降りると、板とかを差し出して、彼女に受け取ってもらった。



「ありがとうございました」


私が上に登ると女の子が頭を下げた。


「いえいえ。一人?」


「ううん、親とはぐれちゃって」


「あ!由加!」


その声の方を向くと、両親らしい二人が滑ってきた。


どうやら、神ノ平ゲレンデとの分かれ道で、この子が間違ってこちらに入り込んだらしい。



その子は両親に任せた。


自分も下りようとボードを付けて、ゴーグルをしようと手を挙げると、変に当たってゴーグルが落ちた。


面倒くさがって、足を外さずそのままそれを拾おうと手を伸ばすと、バランスを崩して後ろ向きに滑り始めてしまった。


「わ、わ、わ!」


滑るのを止められず、さっきのところから背中向きに落ちた。


ボードをはめたまま一回転して木にぶつかって止まった。


「いったぁ……」


ひっくり返っている姿勢を戻そうとすると、


「痛っ!」


左手に痛みが走った。


「まずい、捻挫したかな?」


ビンディングを外して、ボードを置くと、左手を動かしてみた。


「痛っ」


やっぱり捻挫しているみたいだった。


落ちたところを見上げた。


「これは、まずいぞ」


両手が使えれば何とか登れるくらいだが、さすがに右手だけでは無理。


ボードも上げられそうにない。


こうしている間にも雪の降り方が激しくなっていった。


ここは木が何本かあるから良かったけど、周りはすごい急斜面だった。


さっきの子も私も、運が良かったのだ。



ケータイは……


圏外だった。


「神ノ平なら繋がったのになぁ……」


私は途方に暮れた。




本当は、すぐ右手にある永坂ゲレンデに、途中何ヶ所かで下りられる。


そうすればリフト乗り場まで広く緩やかなコースで安全に下りていける。


でも、そのコースはコブ有りの上級ばかりだったので、一番下の初級コースまで行くことになっていたのが仇になった。


公美たちが結菜がいないのに気が付いたのは、そこまで行ってからだった。



「結菜先輩、どこではぐれたんだろ?」


「どう?」


公美がケータイを耳に当てている美香を見た。


「……電源が入っていないか電波の届かないところって……」


「最悪……」


振り返って見るスカイラインコースは、降りしきる雪でほとんど見えなかった。


「私、とりあえずパトロールの事務所に行ってきます」


亜美が二人を見た。


「うん、お願い。あたしたちは、とりあえずここで待ってみる」


亜美は頷くと、すぐに滑り下りて行った。



「結菜ぁ~」


公美が見えないコースを見つめた。


美香がその公美の肩を抱いて、同じくコースを見つめていた。



落ちてから、まだ一時間も経っていないけど、身体が冷えてきた。


とりあえず、崖横の雪を削って、少し窪みを作り、そこに身体を入れて、前にボードを立て掛けていた。


風が強くなって、崖下から雪が吹き上がってくる。


何となく、ニュースで爆弾低気圧がどうのこうのと言っていたのを思い出した。


この辺のことだったのか。


今さら遅いけど。


ふと、思った。


そういえば、スキー場でも遭難ってあったよね。


私も、ここで死ぬのかな?



……ここで?



颯太の笑顔が浮かんだ。


そっか……


それも、いいかも……


忘れながら、何とか過ごしてきて、これからもこんな思いをするなら……


本当にそれでもいいか……と、思ってしまった。



すると、目の前のボードを誰かがどけた。


颯太だった。


笑って、こっちへ出て来いよと、私を誘った。


「颯太!」


私は颯太を抱きしめた。


バシッ!


「え?」


いきなり頬を叩かれた。


「おい!あんた!しっかりしろ!」



颯太の顔が段々と変化していって……



「あ!」


陸がまた私を叩こうとしていた。


「ちょっと!なに女性の顔をひっぱたいてるのよ!」


「やっと正気になったか」


「いや、正気って、あんたね!」


「どこかケガしてないか?」


「え?」


「ケガだよ、ケガ」


陸はパトロール隊員の顔だった。


「……左手を捻挫だけ」


「ああ、それでここを登れなかったのか」


「……うん」


「よし、俺がロープで引き上げるから待ってろ」


陸はテキパキと、私にロープを結ぶと、上から引き上げてくれた。



「こちら上杉。遭難者発見。これから連れて下ります」


『了解。よくやったな陸』


トランシーバーでそんな連絡を取った後、彼がスノーモービルを動かそうとしたが、さらに雪の降る量が増えていた。


「まずい、ホワイトアウトだ」


「え?ホワイトアウト?」


「何も見えない」


確かに、あまりの吹雪で、白一色、全てのコントラストが無くなり視界が0に近かった。


すぐ横にあるはずの木も見えない。


「こちら上杉。ホワイトアウトです。一旦ここでテント張って様子をみます」


『この時期に?すごいな。了解。何かあったらすぐに連絡を』


「了解」


陸はトランシーバーを肩のところに付けるとこっちを見た。


「悪い。少し手伝って」


「うん」


彼はスノーモービルの荷台からテントを取り出すと組み立て始めた。


私は陸がポールを通している間、端を押さえたりして手伝った。


この吹雪の中でも彼はサッサとオレンジのテントを張ってしまった。



「さあ、中へ」


「うん」


私たちは吹雪が収まるまで、テントでやり過ごすことになった。


外の吹雪く風の音もテントのバタつく音も意外と小さいのが不思議だったけど、それはそれで安心できた。


きっと雪が音を吸収してる。



彼は携帯コンロでお湯を沸かすとコーヒーを淹れてくれた。


「温か~い」


私は膝を抱えた格好で飲みながら、とろけるような表情で言った。


陸がそれを見てくすっと笑った。


「え?」


私は少し目を大きくした。


「ん?」


「陸君も笑うんだ」


「はあ?そりゃ笑うさ」


彼は呆れたように言った。


「そっか、良かった……」


私は、ほっとしたように微笑んだ。


「え?ちょっとどういう意味だよ?」


彼が私を見ながら戸惑っていた。


「あなたは、笑顔を失ったままかと思ったから」


私は視線を遠くにしたまま言った。


「ああ……」


彼も視線を落とした。


そして、コーヒーを一口、二口飲んだ。



時が止まったかと思った頃、


「そりゃ、しばらくは笑えなかったさ」


と、言った。


私は彼を見た。



「でも、龍生さんとか、さやかさんとか周りにいてくれるからさ、少しずつ笑えるようになった」


呟くように言った。


「私も同じだよ。公美たちがいてくれたから、笑えてる」


「そっか」


「うん」


しばらくの沈黙が続いた。


「なあ、あんた」


「あのさ」


「え?」


「そろそろ、その『あんた』って言い方やめてほしいんだけど」


「あ、でも……」


「陸君さ、年下なんだよ」


「な、何て呼べばいいんだよ?……森川さん?」


「結菜」


「ゆ、結菜、さん?」


「うん、まあ、それで」


陸が困ったように頭を掻いた。


意外と素直だ。



「で、結菜さんは、何でここに来ようと思ったわけ?」


陸が一瞬視線を向けたけど、また外した。


「それは、事情を知らない後輩に誘われたのがきっかけなんだけど……」


私も同じく視線は外したまま、少し言葉を探した。



「いつもね、公美たちがさ、気を使うわけ。触れないように、思い出させないようにって」


陸はそのまま聞いてる。


「彼女たちに、いつまでそうさせなくちゃいけないのかなって思ったら、『行くよ』って言ってた。それまで自分のことだけだったけど、周りの人のコトも考えなくちゃって」


「そっか」


「だから、前に進まなきゃ、避けてちゃだめだ、スノボもやらなくちゃって」


「そっか」


「でも、あなたに嫌な思いをさせたよね」


私が陸を見ると、彼もこっちを見た。


「いや、それは……、俺が間違っていた」


「え?」


「そりゃ、あんたの婚約者は今でも憎い。でも、あんたは……いや、結菜さんは悪くない」


また視線を逸らしながら言った。


「ありがと」


「いや、あれは俺が悪かったんだ。今では分かってるから」


「そっか」



また少し沈黙の時が流れた。


外がうるさいから、それでもよかったけど、つい、口を開いた。


「あのさ」


「ん?」


「言霊って知ってる?」


「ことだま?……ああ」


陸は何の話かと、少しきょとんとした。


「私ね、実はスキーとかスノボにはトラウマがあったの」


「そうか?結構滑れてるじゃん」


「初めてのスキーが修学旅行の時のでさ、その一番最初に怖い思いをしちゃってさ、後はもうダメだった」


「ああ……」


陸が、そうなのかという顔をした。


「だから、彼がスノボに行く時は、いつも付いて行かなかったの」


「そうなんだ」


「あの日もさ、バレンタインなのに、彼は私を置いて行った訳だけどさ、私ね、『恋の神様のバチが当たっちゃえ!』って言っちゃったんだ」


「え?」


陸は、私が言いたいコトがわかったみたい。


「それがさ、言霊になって、神様に伝わっちゃったって……思ってるんだ」


「いや、それは……」


「だから、本当は、私が悪いんだよ。ごめんね。そのせいで茜さんまで……」


「おまえ、何言ってるんだよ。そんな訳あるはずないだろ!」


「でも、そう思えて仕方ないんだもん……」


私は抱えた膝に顔を埋めた。


ただ、そう言いたかっただけ。


陸に、思わず溢れた涙は見せたくなかった。


陸は身体を震わせている私をどうしていいか、何を言ったらいいか分からなかったみたい。



私たちはしばらく無言で、その耳には、外の吹雪の風の音、テントのバタつく音、そしてウェアが震えて立てるカサカサという音だけが聞こえていた。



涙も止まって、少し落ち着いた。



「だから……」


私の呟きに、陸が顔を向けた。



「あれから、思いを言葉にするのが恐いんだ」


「そっか」


「いつか、この呪縛から解放されるかな……」


陸はしばらく言葉を探していた。


そして、


「前を向いていくしか、ないさ」


そう、呟くように言った。


彼の言った言葉だから、それは、いつもより深く入ってきた。



「そうだね」


私も呟くように言った。



それ以上は口にする言葉が見つからずに、また沈黙だけが流れていた。



「それはそうと、何でここで落ちてたんだ?雪で見えなかったのか?」


陸が思い付いて私を見た。


「ううん。女の子が落ちてるのに気が付いて助けたんだけど、その後、落ちたゴーグルをボードはめたまま拾おうとしたら後ろに滑りだしちゃって……」


「何で女の子が落ちてるのに気が付いたんだ?」


「だって、ポールとネットが倒れてたから、もしかして誰か落ちたのかなって……」


「普通、そんなの気にしないだろ」


「そうかな?」


私がきょとんとしてると、


「結菜さん、いい人なんだな」


と、陸が言った。


「え?何で?」


私はさらにきょとんとした。


「ぷっ……」


「え?ちょっと、なによ……」


「あっはっはっは!」


陸が大笑いし始めた。


「もう、何なのよ……」


と、言いながらも、私もおかしくなってきて、一緒に笑った。


そうやって話をしていたのは1時間くらいだった。


雪が小降りになったところで、スノーモービルで下山した。



上下に揺れる一条の光が照らす景色を見ながら、運転する彼の腰に手を回していた。


「もっとしっかり掴まってて」


「あ、うん」


そう言われて、もう少しぎゅっと掴むと、頬を彼の肩の辺りに付けた。


この寒さの中で、伝わってくる温もり。


景色を見てごまかしていたけど、前が見えなくなると、そればかり感じた。


それは、久しぶりで、そして、思い出とは違う不思議な感じだった。




パトロール事務所に着くと、飛び出してきた公美たち3人にもみくちゃにされた。


でも、彼女たちが泣きながら笑ってるので、バンバン叩かれても文句は言えなかった。


嘘。


みんな、心配かけて、ごめんね。


ふと横を見ると、そんな私たちを見て、陸が少し笑っていた。



だから、私も笑い返した。





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