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第4章

翌月曜日。


その夜。



「かんぱ~い!」


私たちはスノボの打ち上げとして、表参道のバー『隠れ家』に飲みに来ていた。


表参道に面したビルの4階。


黒を基調とした内装は、適度に個室風に区切られていて、窓からはイルミネーションの施された表参道の並木が見える。


ネーミングのとおりの雰囲気。



「先輩、スノボどうでした?」


亜美がいつもの笑顔で聞いてきた。


「うん、楽しかったよ。何とか滑れるようになったし」


「そうですか?よかった!やっぱりこの季節のゲレンデってなんかワクワクしちゃいますもんね。今度はナイターもやりましょうよ。きれいですよ」


「亜美」


「はい?」


「そんなに気を使わなくていいから」


私は軽く笑いながら言った。


「あ、えっと……」


「バレバレ」


美香がお澄まし顔で言った。


「あそこに行ったことで私がどうなるか、みんなが気にしてくれてるの、わかってるって」


私はグラスを揺らしながら言った。



「で、実際、どうだった?」


公美が私を見た。


「そうだね……、思ったより深くならなかった。そう言えばわかる?」


「うん、何となく」


「意外と、時間が私の心を直してくれてたんだと思う」


そういう言い方をした。


「そか」


美香も軽く頷いた。


亜美も少し真面目な顔で頷いてた。



「みんな、ほんとにありがとね」


私はグラスを少し差し出した。


「いえいえ、これくらい」


「そだよ」


「これくらいですよ」


公美と美香、亜美もグラスを差し出して、チンと静かに合わせた。


「ほら、今日は打ち上げ打ち上げ!まだ月曜だけど飲も!」


私はそう言ってグラスを飲み干した。


「お代わり!」


「先輩~飛ばし過ぎです~」


亜美がそうは言いながらも「何にします?」と聞いてくる。


「あんた、ほんといいヤツ!」


私は彼女をぎゅっと抱きしめた。


「できる後輩でしょ?」


「うんうん」


公美と美香も頷いたので亜美が大喜びだった。


「この娘、褒めると何でもやってくれるから。くっくっく」


「あー!公美先輩!ひどいー」


「そうね、おだてておこう」


「えー?美香先輩も?」


そんな感じで盛り上がっている時に、私のケータイが光った。


太一だった。


「あ、ちょっとごめん」


私はテーブルを離れて、通路のところで電話に出た。



「もしもし、太一~?どうしたの?」


さっきの雰囲気に引っ張られて、いつもより明るい感じで出た。


『おう、別に用って訳じゃないけど、どうしてるかなって。何か楽しそうだな』


「うん。今ね、公美たちと飲んでるの~」


『そっか。ならよかった』


「え?なに?私がまだ暗いと思ってるわけ~?」


『いやいや、そんなつもりはないよ。元気ならいいってことさ』


「あはは、ありがとう」


『じゃあ、楽しんでるとこ邪魔しちゃ悪いから切るな』


「あ、太一」


『ん?』


「あのね……」


『どした?』


「私さ、この週末ね、……行ってきた」


『どこに?』


「龍神平。公美たちとスノボに行ってきた」


『え?マジ?』


「うん」


『……そっか』


何かホッとしている声だった。


「うん。それで今、打ち上げ」


『そっか。安心したよ』


「いろいろごめんね」


『いや、いいさ。わかった。じゃあ、楽しんで』


「うん、ありがと」


『おう、何か楽しいことあったら、俺も呼べよ』


「うん、わかった」


『じゃあな』


「じゃあね」


それで切れた。


太一にもずっと心配を掛けてきた。


これで安心してもらえるかもしれない。



「さて、あいつらのとこに戻って飲むか」


私は笑顔を零して席に戻った。



その後、悟史からも電話があった。


『3人で行くか』


「うん」


そんな話をした。





それから数日経ったけど、スキー場からの帰りに感じた感覚を忘れることができなかった。


そのせいで、何か心が落ち着かなかった。


それが何か分かるためには、またあそこに行くしかないと思った。


公美たちとは12月の初めに行くことになっている。


だから、一人でツアーに申し込むことにした。




初めて行ってから2週間後の土曜日の早朝、私はまたスノーエッジのレンタルショップの前にいた。



「おはようございます」


「あ、確か、森川さんでしたよね?」


さやかさんがすぐに出てきた。


「はい。またお世話になります」


私はクーポンを手渡した。


「どうぞ」


そう言って彼女は椅子を勧めてくれたけど、多分……


「ウェアはこのサイズで、ブーツはこちらですね」


想像どおり、用意されるのが早くて座る暇がなかった。


私はウェアを受け取ると、フィッティングルームで着替えた。


座ってブーツを履いていると、ボードとかも、既に用意されていた。



「あの……」


「はい?」


さやかさんの声に、私はブーツを履きながら顔を上げた。


「この前のお友達とかは?」


「あ、今回は一人です」


「一人ですか……」


彼女が少し呟くように言った。


「はい。彼女たちは慣れてるので、一緒に楽しむにはこっそり練習しなくちゃいけないから」


「ああ、なるほど」


さやかさんが笑顔に戻った。


「だったら、スクールに入る方が上達すると思いますよ」


「あ、そうですよね」


「うちでも申し込みできますけど?」


「じゃあ、お願いします」



私は午前中のスクールを申し込んだ。




集合時間に、指定の永坂ゴンドラ乗り場前に行くと、例の彼、


陸がいた……


呼び捨て。



「あれ?あんた、この前の……。もしかしてスクール申し込んだの?」


「……そうだけど」


その言い方に少しムッとしながら答えた。


彼はそれを聞いて、少し腰に手を当てて横を向いた。


どうやら彼が今回の講師らしい。


私はスクールを申し込んだことを後悔した。


黙って笑えばすごくカッコいい部類のオトコなのに、何なのよ……


「まあ、お客さんだからしょうがない」


「ちょっと、しょうがないって、何よ!?」


「スクールに申し込んだ皆さん!こちらに集まってください!」


陸は私を無視して、スクールを始めた。



なんてヤツ!!


その時はこいつが茜さんの彼氏だとは忘れていた。


配られたゼッケンを各自付けて、そのまま神ノ平ゲレンデにゴンドラで上った。


他の人に迷惑がかからない広い場所で準備運動をして、それからスクールが始まった。


始まってしまうと、彼は普通に教えていて、それは分かりやすかった。


パトロールの時はスキーだったけど、スノボもできるんだ……


そこは少し見直した。



スクールが終わる頃には、みんな中級のみはらしコースを滑れるようになっていた。


「では、今回のスクールは以上です。お疲れさまでした。後はこの広大な龍神平スキー場を存分に楽しんでください」


「ありがとうございましたー」


みんなで挨拶して、ゼッケンを返して解散だった。


とりあえず、どうしようかと思っていたら、陸がこっちに来た。



「あんた、森川さんって言ったっけ?」


「そうだけど?」


「少し慣れたからって、競技コースがあるようなところに行くなよ」


「はあ?あれは、わざとじゃないって言ったでしょ!?」


そう言った時には、彼はもう背中を向けていた。



ムカつくー!!


さっき見直した気持ちを返して!!


この私が怒り頂点に達して、頭の先からそれが吹き出そうなくらいだった。



でも、龍生さんの言葉を思い出して、怒りを鎮めた。


茜さんが生きていたら、彼はこんな感じじゃなかったかもしれない。



私も彼に背を向けると、この前のロッジの方へ滑って行った。




お昼をまたあのカレーのお店で食べた。


森のきのこカレーがお気に入りになった。


カレーが出てくるのを待っている間、ふと、周りの雰囲気に気が付いた。


それぞれ、ペアやグループで楽しそうに、わいわいとしてる。



何で、独りでここにいるんだろうと思った。


とりあえず、待ち合わせ風を装う。


私は居心地が悪くて、さっさと食べて外に出た。



「さて、どうしよう」


空を見上げた。


今日も、真っ青な空が広がっていた。


場内放送で音楽が流れてるけど、雑音を雪が吸収するのか静けさも感じた。



『楽しいだろ?』


颯太の声が聞こえた気がした。



「そうだね……」


私はそう呟くと、モンツァコースの方に滑って行った。



コースの手前で一旦止まった。


下を覗くと、確かに急だけど、さっき習ったことを頭の中で思い出した。


「よし」


私はそのまま滑り下りた。


その急な部分は思ったよりすぐに抜けられて、スピードが落ちた。


私はザザ~ッと雪を飛ばして止まると、今滑ってきた所を見上げた。



「あんなところを下りてこられたんだ」


私は何か一つ越えられた気がした。


また下に滑り始めると、左に曲がった先で止まった。


ボードを外すと、競技コースの方に近付いて、雪に立てた。


ジャンプ台の下の辺りに向いて、私は手を合わせた。



「颯太、スノボの楽しさ。私もわかってきたよ」


そう言って笑おうとしたけど、笑えているかはわからなかった。


颯太なら、きっと


「おまえ、目が笑ってないよ」


と、言ってる。


それで、少し笑えたのは確かだった。


私は、また来るねと言って、モンツァコースを滑り下りて行った。






午後は雪質の良い、みはらしコースをずっと滑っていた。


今の自分の技量では一番滑りやすく、楽しめた。


それに、山頂からの眺めは何も考えずに済んだ。




15時まで滑ると、一旦、ホテルに戻りチェックインして一眠り。


ホテルの目の前の永坂ゲレンデがナイター営業だったので、18時頃から行ってみた。


リフト横辺りにライトが並んで、白いゲレンデを闇の中に浮かび上がらせていた。



ガリガリ……ガリリ……


滑ってみると、昼間少し解けた雪が下がった気温で固まり、アイスバーンみたいなところが多かった。


外気に触れるほおが刺すように冷たい。


雰囲気はいいのに、ちょっとがっかりしたので、数回滑っただけでホテルに戻ることにした。



近場の温泉に入って温まった後、私はスノーエッジに向かった。


多分、これからが、あの感覚の理由が分かるコト。


そして、ここに来た理由。




レンタルショップの前を通る時、ガラス越しに中を見ると、陸がお客の相手をしていた。


私はふんっ!と横を向いて鼻を鳴らすと、一呼吸置いてカフェレストランの方に入った。


「いらっしゃい」


「こんばんは」


すぐに龍生さんと目が合ったので軽く頭を下げた。


あまりに普通だったので覚えられてないかと思ったけど、


「今日は一人なんだって?」


と言って微笑んだ。


既に来ていることを聞いていたらしい。


「ええ」


「じゃあ、カウンターは?」


カウンターの向こうでさやかさんがニコッとした。


「そうですね」


カウンターに座るとさやかさんに挨拶した。



「何か飲む?」


龍生さんが水を置きながら聞いた。


「そうですね~、じゃあ、スノーエッジを」


「は~い」


さやかさんがすぐに返事をしたので、龍生さんは彼女に親指をグッと立てた。


「で、何か食べる?」


「はい」


私はいくつかおつまみ系の料理を頼んだ。


「ちょっと待ってて」


龍生さんは奥の方に行った。


奥に見える厨房にもう一人若い女性がいて、料理は彼女が作る。


さやかさんが、シェーカーから中身をグラスに移して、私の前に置いた。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


「これ、この間のお詫びにサービスね」


龍生さんが、隣の椅子に寄りかかりながら言った。


「え?この間もサービスしてもらったから…」


「いいの、いいの」


彼はそう言って笑った。


儲ける気ないのかな?


少し苦笑。


「あんな話、滅多にすることないんだけど、陸のことがあったからね」


「ああ……」


私はレンタルショップの方のドアを見たけど、そのポスターとか張られたガラスの隙間から見える範囲には彼はいなかった。



「じゃあ、ごゆっくり」


龍生さんはお客が来たので、そう言いながら向こうに行った。


「はい。ありがとうございます」


私はその背中に声を掛けた。


カウンターに向き直って、スノーエッジに口を付けた。


「美味し」


さやかさんが私の表情を見て微笑んだ。


「あの、さやかさんっておいくつなんですか?」


「28。森川さんは?」


返事に躊躇がないのが気持ちいい。


「えっと26です。2個上なんですね。あと、結菜でいいです」


「そか。結菜さんね」


「はい」


すぐに料理も出てきたけど、空きっ腹にスノーエッジが効いて、既にほんわかとしていた。


「美味し」


何となく、このスキー場で、ここが居場所みたいな気がした。



3杯目のスノーエッジを飲み終えた時、レンタルショップからのドアが開いた。


「あ……」


その声にゆっくり視線を向けると、陸が私を見ていた。


「あんた、ちょうどよかった」


「……え?」


お酒のせいで少し反応が鈍い。



「あんた、最初会ったクロスのコースで手を合わせてたろ。何でだ?」


「え?手を?」


私は少し理解できずに、考えて……



あ……


意味がわかった。



「あ、あの……私……」


龍生さんもさやかさんも私を見ていた。


一気に酔いが覚めた。


このまま帰ろうかと思ったけど、もう遅い。



「私……」


一呼吸置いた。


「あそこで事故にあった、桐生颯太の……元、婚約者です……」


「何だって!?」


陸が目を見開いた。


「おまえ、ふざけるなよ!!何でここで平気な顔して滑ってるんだよ!!」


「待てよ、陸」


陸が私に掴みかかろうとしたのを龍生さんが止めた。


「龍生さん!!何すんだよ!!離せよ!!」


他のお客もざわついた。


「だから、待てって」


龍生さんがあまり表情を変えずに、でも、力強く陸を壁に押し付けた。


「だって、こいつ!!」


「この人が何だ?この人が何をした?」


「はあ!?」


「俺たちと一緒だろ?」


龍生さんの話し方はなぜか落ち着いていた。


「はあ?」


「この人も大切な人を失った……ただ、それだけだろが!!」


最後だけすごく強い言い方だった。


「いや、で、でも……」


「違うってのか」


「…………」


陸が反論できずに口籠もった。


「ちょっと来い」


龍生さんが陸をレンタルショップの方へ連れて行った。


取り残された私はどうしたらいいかわからなかった。


「はい、お水」


さやかさんが私の前にグラスを置いた。


彼女の表情は何となく普通だった。


「あの……」


「何となくそうかなって思ってた」


「え?」


「この前来た時ね、龍生が事故の話をした時のみんなの雰囲気でね」


「そうなんですか?」


「あなたも戸惑ったよね。あの事故の事聞かされて」


「……はい」


「龍生もさ、あなた達が帰った後、そうじゃないかって言ってた」


「だから、さっき、お二人はあまり驚かなかったんですね」


「うん」


「わかってて、あんな風に接してくれてたんですね……」


「そうね。さっき龍生が言ったとおりだから」


「龍生さんが……、ああ……」


そっか……



『この人も大切な人を失った』



彼は、そう言ってくれた。



「あの……」


「ん?」


「さやかさんも茜さんとは長いんですか?」


「5年かな。私がここに雇われて以来だから。茜ちゃんは17だったな」


「5年ですか」


「でも、こんな雰囲気の中で、5年が短いとは思わないんだけどね」



言いたいことはわかった。


彼女もそれだけ深い悲しみだったということ。


「茜ちゃんがスノーボードクロスの選手だったのはもう知ってると思うけど、本当に全国クラスの選手だったんだ。再来年の2月にここである全国大会にもシードで出場できるはずだったの」


「全国大会?」


「うん。4年に1回あってね。あの事故の前の週末にもあって、初めて出場した茜ちゃんは準優勝だった」


「すごいですね」


「でしょ?でも、他の大会では何回も優勝してるし、本当は優勝してもおかしくなかったくらいの接戦でさ、今度こそ優勝するって言ってた」


「そうなんだ……」


「だから、陸は悔しいんだよね。彼女がその全国大会で優勝できなくなったことが、いや、出ることも…」


「さやかさん……」


「そんな気持ちもだけど、誰にもぶつけようがなかったところに、あなたが現れた。ぶつけたくなっても仕方ないと思うのよね。……許してくれる?」


「はい。私もそれはわかるから」


「そうだよね。結菜さんは」


さやかさんが少し悲しそうに笑った。


私がぶつけるかもしれなかった相手は、既に亡くなっていた。



「で、結菜さんは、どうしてここに来ようと思ったの?」


「それは、事情を知らない後輩に誘われたのがきっかけなんですけど……」


少し頭を整理しようとしたけど、酔いのせいもあって、うまくまとまらなかった。


「一言では言えないです。周りがずっと私を支えてくれていて、それに応えるために前に進まなきゃと思ったのとか、彼が好きだったスノボを知らずにいていいのかとか……とにかく、ここには一度は来ないと……と、思っていたので……」


「それで何か答えは出そう?」


「そうですね……」


どうなんだろう……


うまく答えられなかった。



「そか」


さやかさんは、見守るような笑みを浮かべた。



その時、龍生さんと陸が戻ってきた。


陸の表情からは刺々しさは消えていた。


「ほら」


陸が龍生さんに背中を押されて私の側に来た。


「えっと、その……」


陸が目を合わせずに何か言おうとしていた。


「ごめん、さっきは悪かった」


「え?あ、うん、いや、ううん」


私は首を軽く振った。


「じゃな」


陸はそこで一瞬だけ目を合わせると、すぐにレンタルショップの方に戻って行った。



「悪いね。あいつのこと許してやって」


龍生さんが隣に座った。


「いえ、ほんとに、いいんです。何か私も黙っててすみません」


「いや、この前はいきなりでびっくりしただろうし、あの雰囲気では言えないよね」


私は黙って頷いた。



「わかった以上、もう少し伝えておこうかな……」


私は龍生さんの方に顔を向けた。


少し言おうか言うまいか躊躇している雰囲気だった。


彼がちらっとさやかさんを見ると、彼女は頷いた。



「陸はさ、目の前で茜が屋上から飛び降りるのを、見たんだ。それを、止められなかったんだ」


「……え?」


「だからこそ、そのショックは計り知れない」


私は、その事実に、身体が震えた。


「今も、本当はまだギリギリのところかもしれないんだけどね。そういうことなんで、あいつの態度を許してやって欲しいんだ」


龍生さんは、まるで人ごとのように、その事を話したけど……


「……それは、龍生さんもじゃないんですか?」


彼はゆっくりと私を見た。


そして、ゆっくりと笑顔にした。


「意識は何かの表面をなぞってる。角度を間違えて、中に沈んでいくと危ないかもね」


それが本当だろう。



心を深く沈ませないようにしているうちに、中との境には何かが積もっていく。


すくえば、それはすぐになくなるのだけど、時間をかけて積もらせれば、それはそう簡単にすくえなくなる。


そうすると、中に沈むこともなくなる。


悲しみはそうして消えていく。



「……わかります」


少し会話が途切れた。



「まあ、飲んで」


さやかさんが、私たちの前に湯気の立ったコーヒーを置いた。


「さすがだね、さやかちゃん」


龍生さんが思わず笑った。


「もちろん」


彼女はにこっとした。


私も。


「いただきます」


「召し上がれ」


その熱いコーヒーで逆に心を冷やしたところで、ゆっくり、陸のことや、茜さん、龍生さん、さやかさんのことを聞いた。



龍生さんと茜さんには両親がいなかった。


数年前に事故で亡くなったらしい。


そして茜さんが亡くなったことで、龍生さんは独りきり。


それなのに、こうやって笑っている。


陸は東京出身で、高校卒業後、ここに滑りに来て以来住みついているらしい。


茜さんとは4年の付き合い。


二人は最初から仲が良くて、でも、はっきりとそういう雰囲気になったのは、茜さんが亡くなるちょっと前くらいらしい。


奥手な二人が想像できた。


さやかさんは、陸の1年前に、ここに滑りに来て以来住みついているらしい。


出身は謎。


みんな、ここに滑りに来て住みつくのだろうか。



「あ、もうこんな時間……」


私は壁の時計を見て言った。


「すみません、お会計を」


「OK」


龍生さんが会計をしてくれた。



「結菜ちゃん、また来る?」


彼は席を立った私に、優しい表情を向けた。


「はい」


素直に言えた。


「待ってるね」


「ええ」


私はさやかさんにもお礼を言って、店を出た。



龍生さんは、店の外に出て来て、見えなくなるまで手を振ってくれていた。



私の中で、段々と、自分以外だった人たちの輪郭が浮かび、色が付き、そして心が入っていった。


陸も、龍生さんも、さやかさんも、それぞれが支え合って今までやってきた。


みんな前に進まないといけないし、進もうとしている。


傷を舐め合うつもりじゃないけど、何となく、近くにいたいと思った。



ふと、空を見上げると、立ち止まった。


星がたくさんあった。


その星の下に広がる自分の息が白い。


雪が音を吸収して独特の静けさの中。


この感覚。


日常から遠く離れていた。


今、独りなのに、それはどうでもよかった。


何となく、今夜はぐっすり眠れる気がした。




そのせいか、翌日は少し寝すぎた。


だから、滑りに行かず、そのままスノーエッジにレンタル品を返しに行った。



「おはようございます」


「おはよう。今起きたの?」


さやかさんが笑った。


「はい……もう今日はやめました」


「そか」


テキパキと清算を済ますと、


「寄る?」


さやかさんが親指で隣を示した。


「あ、はい」


さやかさんは、カフェレストランへのドアを開けた。


「どうぞ」


「ども」


そのドアを通って店に入ると、


「真美ちゃん、お客さん!」


と、厨房の方に声を掛けた。


「はあーい!いらっしゃいませ。あ、ども」


厨房担当の真美さんが出て来ると頭を下げた。


昨日の今日なので、彼女にも知られた私。


「モーニング食べます?」


「はい。お願いします」


私はカウンターに座ると軽く笑った。


彼女が厨房に入って用意を始めた。


龍生さんはまだ来ていないみたい。


その動きをしばらく、ぼーっと見ていた。



「はい、お待たせしました。コーヒーはすぐお持ちしますね」


「はあい」


用意されたモーニングメニューを口にしながら、あらためて店内を見渡した。


窓辺のテーブルでカップルが食事をしていただけだったけど、それでも、何か、ホッとする温かな雰囲気があった。


何もしなくても、ぼーっとできる気がした。



「はい、お待たせ」


真美さんがコーヒーを目の前に置いた。


「ありがとう」


彼女はにこっとすると、また厨房に入って行った。



食べ終えて、コーヒーを飲んでいる時、ふと思い出した。


「いっけない……ケータイの電源切りっぱなしだった」


バッグから取り出して電源を入れた。


すると、案の定、ずららららららら~っとメールやら何やらの通知が。


「公美に、美香に、亜美に、太一と悟史……うわぁ、勢揃いだわ」


「すごいね」


「へ!?」


すぐ後ろからの声に驚いた。


龍生さんだった。


「おはよ」


「あ、おはようございます……」


「今日は滑らないの?」


肩に掛けたバッグをカウンターの向こうに置きながら龍生さんが軽く振り返った。


「はい。ちょっと寝坊したので」


「そっか」


私は周りを見てみた。


「陸なら昼間はパトロールの方だよ」


「あ、そうなんですね」


少しほっとした。


それを見て、龍生さんがくすっと笑った。


「スイーツはいらない?」


「あ、いります」


私が即答気味だったので、また笑われた。


しゅん……と、して下を向いてたけど、何か急に可笑しくなってきて、私は吹き出した。


「それでいいんだよ」


龍生さんが優しく微笑んだ。


「そう、ですね……」


私は笑顔のまま、そう答えた。



とりあえず、ここにいることはナイショにして、みんなには返事を返しておいた。


その後、ロールケーキの苺添えを出してもらって、コーヒーをお代わりして、さやかさんもレンタルショップを留守にして(呼び鈴有り)混ざって、会話を楽しんで、そして、ランチも食べて、コーヒーお代わりして、そして、またスイーツを食べて、コーヒーをお代わりして、お二人に挨拶して、龍神温泉を後にした。



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