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第3章

ロッジの前のリフトで上に上がった。


独りで乗っている時は、ただ白銀の世界を眺めて、ゲレンデに流れる音楽を聴いていた。


意識はスノボを楽しむように。



本当は来る前に献花の花を持って来ようかと悩んだ。


でもそれは、彼の死をあえて認めてしまうこと。


それは認めないといけないことだと、分かってる……


いつまでも前に進めないし。



いろいろ考えたけど、私は結局、持って来るのをやめた。



なぜ、ここへ来たのか……


本当は自分でもよくわかっていない。


確かに誘われたのがきっかけ。


一度は来なければとは思っていた。


何のために……?


彼の好きだったスノボを知らずにいていいのか……


だから、それを知るため……


前に進むため……


それとも、過去と決別するため……


理由とすることはたくさんあるけど。



でも、その前に、


……忘れなくちゃいけないの?


彼のこと、忘れなくちゃいけないの?


……忘れられるわけ、ないじゃない。


忘れられるわけ……


「お客さん!降りて!」


「あ、すみません!」


係員の声に、私はハッとした。


降りるラインを過ぎていて、慌てて降りた。



「危ないですよ。気を付けてください」


「すみません」


私は、頭を下げた。


邪魔になるので、少し先に片足を蹴って進んだ。


こんなんじゃダメだ、私。


そこから、下に滑って行こうかと思ったけど、ふと山頂の方を見た。


確か、中級のみはらしコース。


しばらく滑ってくる人達を見ていた。


何となく、コブも無いし、あれくらいなら滑れるような気がした。


私は感覚がなくならないうちに、行ってみようかと思った。


すぐ目の前のリフトがみはらしコースの途中まで行く。


途中からなら。


それも気持ちを後押しして、まずはそこまで行ってみることにした。



4人乗りのリフトで山の中腹まで行くと、コースは山に向かって右と左にあった。


右は神ノ平ゲレンデのさっき乗った乗り場に繋がる。


左は、みはらしコースだけのリフト乗り場に繋がる。


そこから乗れば山頂まで行ける。


合計5コースあるけど、どれも中級コースの表示だった。


私はとりあえず、右のコースを滑ってみた。


少し傾斜はキツくなったが、コース幅を使って緩やかに下りて行けば何とか転けずに下りられた。


もう一度同じリフトに乗って、今度は左に下りてみた。


幅が狭くなったけど、ここも何とか下りることができた。


端に行った時に蹴り出すように加重して、細やかなターンをすることを覚えたからだ。


連続は無理でも、1回だけのターンなら大丈夫だった。


今度は、もう一つのリフトに乗って山頂まで行ってみた。



山頂に着くと、息を飲む景色が広がっていた。


遮る物が何にもない。


ほぼ見渡すことができて、北アルプスの山々とかも綺麗に見えた。


真っ青な空の下、真っ白なパノラマの世界。


全てが澄んでいて、くっきりとした世界。



「すごい……」


それ以上の言葉が出せずに、私はしばらくその景色に惹き込まれていた。


その風景を見ているうちは、何も考えずにいられた。


そんな気持ちは本当に、忘れかけていた。



「あ、いけない」


公美たちのことを思い出して、私はとりあえず下りることにした。



山頂からのコースは下に向いて左か右か。


私は神ノ平ゲレンデまで下りて行ける左のコースを下りて行った。


少し急なところも、他の人がボードを横向きにして、ずりっずりっと下りていたので、それを真似してみたら、意外とできた。


そんな感じで、私は思ったよりも早く、神ノ平ゲレンデまで下りることができた。


絶対に無理だと思っていたことが、やればできてしまった。


トラウマで無理だと思っていた私にしては、滑れたことと、この上達の早さが、逆に胸を締め付けた。



『だったら、一緒に行けばよかったのに』



そう言葉にしそうになったけど、これは口にしても意味がない言葉。


叶わない言葉。


そう、あれ以来、何かを口にするのは怖かった。


願いは叶わないくせに、嫌なことだけ届いてしまうような気がして、不用意に何かを言葉にしてしまうのが怖かった。


だから、私は前より口数が減っているし、一呼吸置いて喋ることが多くなったのは確か。


この呪縛から、どうやったら抜け出せるのだろう。




私はそのまま神ノ平ゲレンデを、公美たちを捜しながら滑ってみた。


でも、彼女たちはどこにもいなくて、私は食事をしたロッジも過ぎて、その少し下にあるモンツァペアリフトのところまできた。


モンツァコースを滑っているなら、みんなこれで上ってくる。


それなら、ここで待っていようかと、ボードを外して、端の方に移動した。


ボードを雪の塊に立て掛けて、私はその前にぺたんと座り込んだ。



しばらく、目の前を滑っていく人達を見ていた。


みんな思い思いに滑って行く。


上手い人、下手な人、レベルはバラバラ。


でも、カラフルな色が、真っ白なゲレンデを流れて行くのを見ていると、独りなのに、そのコトを忘れさせた。


何人かは、そのままモンツァコースに流れて行った。


ここから見える範囲では、そんなに急には見えなかった。



上ってくるリフトを見た。


見える範囲には公美たちは乗っていない。



(行ってみようか……)



私は立ち上がると、ボードをはめた。


そして、そのままモンツァコースの方へ滑り始めた。


緩やかな部分が終わる感じのところで、真っ直ぐ行くと上級のシュミットコース、右がモンツァコースだった。


シュミットコースは尾根を通るコースで、狭く急らしい。


私はモンツァコースの方に曲がると、先を覗き込んだ。



「え?これで中級?」


ここまできたコトを少し後悔した。


コースの始まりがみはらしコースの中級とはかなり差がある急斜面だった。


その右側が、例の競技用コースらしい。


スタートする場所も設置されている。


『一般の方の滑走禁止』と立て看板が立てられ、その後ろにオレンジのロープが張られていた。


一般コースとの境はずっとオレンジのポールとネットが張られていた。



「ちょっとごめん!」


後ろからのその声と、ザザーッという音に振り向くと、すぐ横をすごいスピードでスノーボーダーが下りて行った。


私は振り向いたことでバランスを崩して、競技用コースの方に滑り出してしまった。


「わ、わ、わ!と、止まらない!」


何とか立て看板を避けたが、ロープに引っ掛かって転けかけた。


でも、そのロープがピンと張ったと思った瞬間に端が外れて、転けずにそのままコースに滑って行った。


どんどんスピードが出て、もう止まれる状態じゃなかった。


目の前に最初のジャンプ台が迫ってきた。


「だ、誰か!」


もうダメだと目を瞑った瞬間、横から誰かの手が私の腰の辺りを抱えた。


そして、抱えられたまま、スピードが落ちて、ジャンプ台の途中でやっと止まった。


私は、高校の時のトラウマが顔を出しかけていて、その恐怖にただ呆然と、立ち尽くしていた。



「あんた!何やってるんだ!!」


「え?あ、あの……」


すぐ横に赤い人がいた。


「立入禁止の文字が読めないのかよ!!」


「ご、ごめんなさい……、私……」


ゴーグルを首に下ろすと、頭を下げた。


心臓がバクバクとしていた。


「もう、ふざけんなよ……」


慌てたのかその人も少し息を切らせながら、ゴーグルをヘルメットに上げた。


若い男性だった。


赤いツナギの右ポケットに『PATROL』と書いていた。



「ごめんなさい…わざと滑ろうとしたんじゃないんです。他の人とぶつかりかけて、そのせいで勝手に滑り出しちゃって……」


「なんだ、初心者?」


「はい、今日が初めてで」


「だったら、こんなコースに来るなよ!!」


「ご、ごめんなさい……」


彼の剣幕に驚いた。



「とりあえず、競技用コースを出て。あそこまでは歩いて行ってくれる?」


彼は少し自分を落ち着けるように言うと、下の方の少し緩くなった辺りを指差した。



「はい」


私はボードを外すと、競技用コースを跨いで出て、そこまで歩いて下りた。


スキーを履いた彼は私の後ろを守るようにゆっくり付いてきた。



少し落ち着くと、別のことが私の胸を締め付けた。



颯太は、ここで……



私はそのコースの横を歩いているからこそ、余計にそれを実感した。



「はい、ここでボード付けて。ここからなら大丈夫だろ?」


「はい……」


「もう一度言っとく。絶対に競技用コースに近付くな。選手以外滑走禁止だ」


颯太のことが頭に浮かび、何も言えなかった。


「あんた、聞いてるのか?」


「……はい、すみません」


私は少し心あらずで言った。



「じゃあ、気を付けて」


彼は、もうそれ以上言っても無駄かという感じで滑って行った。



それよりも、こみ上げる感情を殺して、私はコースを見た。


確か、コースが左に曲がった先のジャンプ台……


私は視線を先に向けた。


先の方でコースが左に曲がっていた。



あの先……



私はゆっくりと、滑って行った。




少しずつ先が見えて、ジャンプ台が見えた。


私はそれを見ながら少し先で止まった。


ジャンプした後、着地するこの辺り。


真っ白い雪が綺麗に圧雪されていた。



「真っ白……」



これを見られただけでも良かったかもしれない。


心の中にあるこの場所の、真っ赤なイメージが時とともに、少しずつでも上書きされればいい。


そう思った。


手を合わせ掛けて、また躊躇した。


でも、公美たちの悲しそうな顔が浮かんだ。



「前に進まなきゃ」


私はあえてそう口にすると、手を合わせた。



そのまま下まで下りて、モンツァペアリフトで上に上がってみた。



「結菜~!」


リフト降り場の向こうに手を振る公美たちが見えた。


私も手を振り返した。



「もう、どこに行ってたのよ?ケータイ圏外だし」


と公美が言うと、


「捜した捜した」


「泣きましたよ」


と、美香と亜美が追従。


「ごめんごめん。みはらしコース行ってみたら滑れたから、下の方も行ってみたの」


「え?下ってモンツァ?」


「うん」


公美たちが顔を見合わせた。


「……大丈夫だった?」


美香が聞きにくそうに言った。


「あ、うん。ちょっと競技用コースに間違って滑り込んじゃって、パトロールの人に怒られたけど……」


私は聞かれたことは違うとわかっていながら、そう答え、苦笑した。


「そっか……」


公美も笑ってくれた。


それを見て美香と亜美も顔を見合わせて、笑った。



その後は4人であちこち滑って、温泉に入りたいので少し早めにホテルに戻った。



龍神温泉には、町中に13ヶ所も公共の温泉がある。


それぞれ小さめだけど、これだけあればどこかには入れる。


私たちは、ホテルに近いところでゆったりと湯船に浸かった。


少し薄暗く、湯気でハッキリとは見えないけど、かなり古そうな太い木で建てられた建物に歴史を感じる。



「ふぅううう~、あったまるぅう~」


公美がとろ~んと幸せそう。


私も、思ったよりも冷え切っていた身体が生き返る。



「で、結菜。スノボはどうだった?」


美香が肩に手ですくったお湯を掛けながら私を見た。


「うん、楽しかった」


「そっか」


美香は微笑んだ後、顔にお湯を当てたりして、まったり感を出した。


「先輩、全然運動オンチじゃなかったじゃないですか」


「まあ、そうだね。自分でも驚いたよ」


今さら実はトラウマだとは言えない。


「ナイターも滑ります?」


「いやぁ、そこまでは……さすがに張り切りすぎて疲れた」


「じゃあ、どこかで、晩ご飯がてら一杯やりますか」


「賛成!」


公美がスパッと手を上げた。


「さんすぅえい……ぶくぶく」


美香も言いながら沈んでいった。



「そだね」


私も軽く笑って真似して沈んだ。





湯冷めしないように近場ということで、レンタルショップの隣に行くことになった。



「カフェレストランかぁ。お酒ありますかね?」


亜美が入口上の看板を見ながら言った。


「あるでしょ。入るよ」


公美がさっさとドアを開けた。


中は丸太小屋風の内装と照明で暖かな雰囲気だった。



「いらっしゃい」


すぐ横のテーブルを拭いていた、長髪で渋くかっこいい30代くらいのお兄さんがニコッとした。


「……こんばんは~」


公美の声が少し違う。


惚れたらしい。


「4人で~す」


亜美が指を4本立てた。


「4人?じゃあ、こっちにどうぞ」


にこやかに真正面のカウンター前のテーブル席を指した。


彼が向こうを向いたら、公美が美香を肘で突きながら「らっき」と小声で言った。


私たちは苦笑。



テーブル席に着いて、ふとカウンターの中にいる女性を見ると、


「あ……」


朝のお姉さんだった。


目が合った。


「スノボ、どうでした?」


「はい、楽しかったです」


「それは良かったです。ここでも楽しんでください」


「ありがとうございます」


私は軽く頭を下げた。



「いらっしゃいませ」


そしてさっきの男性が私たちの前に水とメニューを置いた。


「ほら、お酒あるじゃん」


公美がメニューを指差した。


「夜はバー営業もしてるんですよ。カクテルもご希望があれば何でも作りますよ」


「わお」


公美がさらに幸せそうだった。


普通なら「生4つ!」となるはずが、公美がカクテルを頼んだので、仕方なくそれに合わせて私たちもカクテルにした。


きっとあの男性の前では、猫を被る気らしい。


食べ物は、食事系とおつまみ系を混ぜこぜに頼んだ。



「かんぱーい!」「お疲れ~」


そうして、私たちのアフタースキー(スノボ?)が始まった。




少し酔いが回り始めた頃。


レンタルショップに繋がる横のドアが開いて、スタッフらしい若い男性が入ってきた。



龍生りゅうせいさん、ちょっと両替して」


スノーエッジと書かれたエプロンをしているその男性スタッフに見覚えがあった。


「あ……」


「あんたか」


向こうも気が付いた。


「え?知り合い?」


美香が私と彼を交互に見た。


「昼間怒られたパトロールの人」


「え?おいおい陸、なんでお客を怒るんだよ?」


龍生と呼ばれたさっきの男性がこっちに来た。


「いや、こいつクロスのコースに入ったからさ」


「こいつ……?」


さすがに少しカチンときた。


「こらこら、お客さんだ。言い直せ」


「えっと……、この人が」


龍生さんに睨まれて、陸と呼ばれた彼は渋々言い直した。


「お客さん、ごめんね」


「いえ……」


私も渋々そう言った。


「さやかちゃん、両替してやって」


「はい。陸、これ」


そう言ったカウンターの彼女の手には、もう両替のお金が用意されていた。


「お、さすが~」


龍生さんがニコッとした。


「で、皆さんにはこいつの失礼のお詫びがてら1杯ずつサービスするよ。ほら、陸」


龍生さんが向こうに戻るように左手の親指でくいっと示した。


「はいはい」


彼は彼女からお金を受け取ると、やっぱり渋々という感じで店に戻って行った。


「ちょっと待っててね」


龍生さんは、そう言うとカウンターのさやかさんに何かを伝え、彼女はすぐに何かを用意し始めた。



しばらくして、みんなの前に置かれたのは細いグラスに注がれた白いカクテルだった。


「うちの自慢のカクテル『スノーエッジ』だよ。どうぞ」


「ありがとうございます」


その色からミルクかヨーグルトベースかと思ったけど、全然違った。


素材はリキュールだけみたいで、サッパリとしてはいるけどキレのある度数高めの味だった。



「確かに『スノーエッジ』って感じですね」


公美が一番に感想を言った。


「でしょ?」


龍生さんがウインクしたけど、嫌みはなかった。



「さっきのあいつのこと、許してやってくれる?」


龍生さんが私を見た。



「いえ、私も悪いので気にしていません」


とは言ったけど、顔は笑えなかった。


「そう?ありがとう」


とりあえずそう言って、私の表情から


「あんな態度を取ったのは、ちょっとした訳があってね……」


と、続けた。



「2年前にさ、あそこで、あいつの彼女とコースに入り込んでいた一般のボーダーがぶつかる事故があってさ」


「え?」


息を飲んだ。



「だからさ、あいつは二度と事故を起こしたくないんだよ」


龍生さんは、軽い感じで言った。



違うかもしれない……



でも、


「あ、あの……その彼女さんは?」


龍生さんがわざわざはっきり言わなかったのに、聞いてしまった。



「ああ、……亡くなった」


それを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。



でも、テーブルの下で公美が、私の手をそっと握ってくれた。


私は軽く息を吸って、それを黙って握り返した。



「あ、ごめん。なんかしんみりさせちゃったか」


「いえ……そんなことがあったのなら、当たり前ですよね」


私は何とか、そう言った。


龍生さんは、口元で少し笑うと、視線をカウンターの棚の方に向けた。


その先を見ると、そこには写真立てがあった。


トロフィーを持った若い女性が写っていた。



「あの方、ですか?」


私の声に、龍生さんが視線を戻した。


「ああ。スノーボードクロスの大会で優勝した時のだ」


「優勝……すごい選手だったんですね」


「ああ。そして、俺の妹だ」


「……え?」


それはトドメだった。



それ以上は、何も言えなかった。



「えっと、龍生さんにあまり似てないような……」


公美が私の表情を見て、ごまかすように、すぐにその後を引き取った。


「あはは、まあね。あかねは母親似で、俺は父親似なんだよ」


「じゃあ、ご両親も美男美女だったんですね?」


美香もそれに合わせた。


「お、嬉しいこと言ってくれるねぇ。もう1杯おごろうか?」


「え~ほんとですか?やったあ~」


美香が両手を挙げた。



龍生さんは笑いながら話している。


本当は、笑えるはずはない。


そんなはずはない。


陸と呼ばれた彼も。



茜さん……


彼女のことまでは、考えていた。


彼女が悪いんじゃない。


だから、彼女を責めちゃいけないと。



でも、さらにその周りに、彼女を大切に思う人達がいて、その人達も心に傷を負っていた。


今はこの二人を知ったけど、ご両親とか、さらにその他にもいるはず。


そんな当たり前のことに気が付かなかった。


私は、自分のことだけだったことに打ちのめされた。


そんなたくさんの人達を苦しめたのが、私が言葉にしたことのせいだと思えて、自分自身が本当に許されないと、また思ってしまった。



そんな心の中を見透かされたのか、公美が龍生さんと話しながらも、繋ぐ手に力を入れた。


そして、ちらっと私を見た。


ごまかすから、もう少しがんばれ。


そう言っているのがわかった。





私たちは、2杯目のスノーエッジを飲み終えたところで、店を出た。



「なんかせっかくのアフタースキーをごめんね」


店の外まで出て見送ってくれた龍生さんが、私に言った。


「いえ、気にしないでください」


今度は笑顔を作った。


「じゃあ、おやすみ」


「はい、おやすみなさい」


私は頭を下げたが、それが少し長かったかもしれない。


顔を上げた時、さすがに龍生さんも少し戸惑っていた。



「龍生さん、おやすみなさい!」


公美が私に、後ろからはしゃぐように抱きつきながら手を振った。


「おやすみなさ~い!」


美香と亜美もそれに合わせて手を振った。


そして、私は公美にそのまま連れて行かれた。




龍生さんが見えなくなったところで、私を抱えた公美が、歩きながら私に頭をつけてきた。



「よくがんばったね」


彼女は、そのまま言った。



「ごめん」


「あんな偶然があるとは思わなかった」


「うん……、びっくりした」


「でも、あの人達も、結菜と同じなだけだからね」


並んで歩く美香が言ったので顔を向けた。


「結菜が負い目を感じることはないの」


「……うん」


公美にも美香にもすっかり理解わかられてる。


「先輩、こんな友だちが二人もいて、幸せですよ」


亜美が後ろから言った。


この娘にも理解られてる。


「そうだね」


私は、また水面に顔を出せた気がした。





翌日は、帰りのバスが15時過ぎの出発だったので、昼過ぎで滑るのを切り上げた。


着替えた後、もう一度温泉に入ろうということになった。


私は、レンタルの返却にスノーエッジに入る時、また彼に会わないかと少し躊躇していた。



「先輩?」


私の雰囲気にすぐに気が付いた亜美が私を見た。


「あ、ううん、別に」


そうは言ったけど、


「私が返しに行きましょうか?」


と、亜美は気が付いていた。


「そうすれば?」「そだよ」


公美も美香もそう言った。


「ううん、大丈夫」


私は軽く笑うと、ドアを開けた。



「お疲れさまでした」


すぐにさやかさんが側に来た。


「ありがとうございました」


「いえいえ。ウェア以外は預かります。どうぞこちらで着替えてください」


「はい」


私はボードとかを彼女に渡すと、店内を見回した。


彼は居なかった。


どうやら、昼間はパトロールでここに居るのは夜だけみたい。



「どうかしました?」


さやかさんがすぐに気が付いた。


「あ、いえ」


私は慌ててフィッティングルームに入ると着替えた。



ウェアも返して、さやかさんに挨拶すると、私は店を出た。



「大丈夫でした?」


亜美がすぐに寄って来た。


「うん。居なかったから」


「そうですか」


そう言いながら彼女は何かに気が付いたようにカフェレストランの方を見た。


それにつられて、私もそっちを見た。


ちょうど、龍生さんが店から出て来たところだった。



「お、もう帰るの?」


「あ、はい」


私は少し戸惑いながら答えた。


「よかったら、また来てよ。いいスキー場でしょ?」


「はい。是非」


私はそう言って頭を下げた。


今度は普通に。


「龍生さん、また来ます♪」


公美が私の横に来て言った。


「ああ、是非」


「じゃあ、また」


公美が手を振った。


「じゃあ、またね」


彼も手を軽く挙げたので、私も軽く振り返した。


私たちは何度か振り返りながら手を振って、ホテルに向かった。



「龍生さん、かっこいいな~」


角を曲がったところで公美が言った。


「そうだね。また来る?」


私は公美を見た。


「結菜……いいの?」


公美が少し表情を真面目にした。


「うん。楽しかったよ」


「結菜……」


公美が安心したように微笑んだ。


「じゃあ、いつにします?」


「12月始めくらい?」


亜美と美香も笑顔で言った。


「そうだね」


「じゃあ、また私に任せてください」


亜美が胸を叩いた。


「うん、任せた」


私たちはそのまま少しはしゃぐようにホテルに向かった。



3人が着替えた後、昨日とは別の温泉に入って、予定の15時、龍神温泉を後にした。


私はバスの車窓からスキー場とかを見ていた。


段々と離れて行くこの場所が、何かを置き忘れたような感覚を私の心に残していた。


私はただ、そんな感覚のまま、車窓を眺め続けていたのだった。






陸は、パトロール事務所で休憩していた。



「戻りました」


同僚の土屋が戻ってきた。


「お疲れ」


先輩隊員の山下が雑誌を読みながら軽く手を挙げた。



「お疲れさまです。コーヒー飲みます?」


陸が土屋を見た。


「ああ、もらうよ。サンキュ」


土屋はヘルメットを棚に置いてテーブルに座ると、置いてあった雑誌を手に取った。


パラパラ捲っていると、陸が彼の前に紙カップを置いて、自分の分も置くと座った。


「サンキュ~」


土屋はそれを一口二口と口にすると、ふと昨日の事を思い出した。



「あ、そうだ。陸」


「はい?」


自分のコーヒーを口にしていた陸はカップを置いた。


「昨日さ、ほら、クロスのコースのさ、あそこでちょっと見掛けたんだけど」


「何を?」


「あの場所で手を合わせてる人が居たんだ」


「え?」


「それも3人。多分女性」


「3人?」


「ああ、相手の知り合いだろうな」


「どこかのレンタルウェアだった?」


「いや、3人とも自前だった」


「そうなんだ……」


呟くように言ったが、陸は少し不機嫌になった。


彼にとって、颯太もその関係者も同情の対象ではなかった。


逆に憎しみの対象でしかなかった。



今更、何なんだよ……


そんな感情しかなかった。


茜が死ななければならなかった理由なんてない。


悪いのはコースに入り込んだあいつだ。


自業自得なのに、そんな奴に手を合わせるのは誰なんだよ。


そんな風に思っていたが、そういえば、婚約者がいたことを思い出した。


でも、命日は2月で、この時期に来るのは意味がわからない。


誰なんだろう?


意識はそんな風に変わっていた。



「陸、そろそろ行くか」


山下が時計を見て言った。


「あ、はい」


陸は考えるのをやめて、準備をすると、事務所を出た。



その夜、陸は店でその事を龍生に話した。


「3人?」


「うん。土屋さんが言ってた」


「ウェアはレンタルじゃなかったって?」


「うん」


「そっか」


「陸くん、できたよ」


陸は、龍生の何かに思い当たるような表情が気になったが、さやかが目の前に晩ご飯を置いたので、まあ、いっかと、それを食べ始めた。


その横で、龍生は、少し遠い目をしていたが、陸は気付かなかった。





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