第2章
11月の第1金曜日。
私たちは夜11時頃、新宿駅西口付近の集合場所に集まった。
「せんぱ~い!こっちで~す!」
私に気が付いた亜美が手を振っていた。
その横で公美と美香も手を挙げていた。
「お待たせ」
3人とも上はスノボウェアみたいだった。
「ボードは?」
「もうトランクに載せた」
公美がバスのトランクルームを指差した。
バスの下側が大きく開いていて、荷物が積まれていた。
「じゃあ、揃ったことを伝えてきますね」
亜美がスタッフのところへ行った。
「テキパキしてるね」
「うん、さすが仕事できるヤツ」
私たちの、彼女への評価は高い。
「で、3人とも装備バッチリみたいだね」
「うん、まあね」
公美と美香が少し顔を見合わせて頷いた。
私に気を使って言わなかったけど、とりあえず、二人が行ってることは知っていた。
「ごめんね」
「いいよぉ、気にしないで。今回は滑り方教えてね」
「うん、わかった」
公美がそう言うと、美香も頷いた。
「受付終わったので、乗りますか」
私が来た事をスタッフに伝えた亜美が戻ってきた。
「じゃあ、乗ろう」
私は率先して乗り込んだ。
中は左右2列ずつだった。
「えっと、そこの左側とその後ろです」
亜美がすぐ後ろから指差した。
「じゃあ、私はここでいい?」
私は前側の窓際を指差した。
「どうぞ。じゃあ、私は隣でいいですか?」
「いいよ」
公美たちを見ると、二人は頷いた。
公美と美香はそのまま後ろに座った。
「結菜先輩が今までスノボをやったことがないって、びっくりしましたよ」
さっそく、亜美が話し掛けてきた。
今までと違って、公美か美香が隣に来なかったのは、こういうことだと思う。
「ほんと、私、運動オンチだから」
「そんな風には見えないんですけどねぇ」
亜美が大げさにジェスチャーした。
「ゲレンデでの私を見ればわかるから」
私は真顔で言った。
「そ、そうですか……」
さすがの亜美も苦笑。
「じゃあ、私が鬼教官になってあげますから!」
彼女が胸をばんっと叩いた。
「そこ、『鬼』いらないから」
私は力なく手を振った。
そして、少し吹き出した。
視線を感じて上を見ると、公美と美香が後ろから乗り出して見ていた。
でも、二人とも優しい笑顔だった。
私もそれに応えるように微笑んだ。
バスが発車するまでは4人で、動き出してからは亜美と話していたが、気が付くと、みんな寝ていた。
亜美の寝顔を見つめながら、こんな夜ならいいと思った。
事故直後は、夜が怖かった。
昼間はしないといけないこと、すること、そんなことで、気を紛らわせることができた。
でも、人生で一番哀しい夜が毎日やって来る。
その夜が来る度に、私は逃げられない哀しみに胸を締め付けられた。
気持ちだけでなく、本当に暗い世界。
寝ようとすると、哀しみが襲ってくる。
寝ようとすればするだけ、暗闇に引きずり込まれる。
朝を迎えても、寝たのか寝てないのかわからない。
朝になったら、今日も救われたと思う気持ちがあった。
諦めたら、颯太に会える。
そんな思いも、私を引きずり込んで、諦めさせようとしていた。
だから、事故からの数ヶ月は、自分で自分を殺してしまうかもしれなかったことに怯えて過ごしていたものだった。
それも、時間が経つにつれ、少しずつは薄れてはいた。
眠りの浅かった私は、何度か目を覚ましながら、いつもと同じような感じだった。
また目が覚めたので、窓の外に目を向けると、もう高速は下りていた。
都内とは違って灯りの少ない町中を走っていた。
この辺りでも、まだ雪景色ではなかった。
窓に結露していないのは、外がそんなに寒くないのか、空調のせいなのかはわからなかった。
時計を見ると、到着予定までもう1時間なかったので、私はそのまま外の景色を見ていた。
その窓に映る自分は笑顔になれない自分だった。
段々と山道に入って行くと、バスのスピードもゆっくりとなり、丁寧にカーブを曲がっていた。
こんな山道を上っていくバスの中が、広くて、人がたくさんいて、何かすごく安心感があって、少しさっきとは違う気持ちがあった。
山道を抜けて、温泉街が見えてくると、ツアースタッフが、マイクを持った。
「えー、皆さま、お休みのところ申し訳ありませんが、もうそろそろ最初の下車ポイントとなりますので、次の宿にお泊まりの方は降りる準備をお願いいたします」
そう言って、彼はいくつかの宿を読み上げた。
その中にはペンションもあった。
ふと、颯太と泊まったペンションのことを思い出した。
その思い出に取り込まれかけたけど、
「私たちは一番最後です~」
と、亜美があくびしながら言った。
「うん、わかった」
「よく寝られました?」
「うん、まあね。亜美は?」
「はい、寝ました」
と、言いながらまたあくびした。
「こらこら」
「あははは」
屈託のないその笑顔に私もつられた。
後ろの席を覗き込むと、公美と美香はさっきの車内放送でも起きなかったらしい。
私はクスッと笑うと、座り直した。
荷物降ろしとかあるので、しばらく停車していた。
「あんまり雪が積もってないね」
「そうですね。初滑りの時はこんなものですよ。上の方はパウダースノーかもしれませんが、下はスノーマシンで積もらせてますからね」
「そうなんだ」
「逆に街中とかゲレンデまで移動しやすいし、それはそれで便利です」
「そうだね」
私はうんうんと頷いた。
「じゃあ出発しま~す」
と、スタッフが言うと、バスは動き出した。
そして、もう一ヶ所途中停車した後、私たちの番だった。
「公美先輩!美香先輩!起きてください!着きますよ!」
ホテルが見えてきたところで、亜美が背もたれから乗り出して二人を揺すった。
「ん~?着いた?」
公美は寝ぼけ眼。
「う~ん……ふにゅ」
美香は伸びをした後また寝そうな顔。
二人とも朝は弱い。
「ほらほら、もう着きますよ」
「はいはい」
呆れ顔の亜美の視線の中、公美たちは棚に上げていたバッグを降ろして膝に置いた。
バスはホテルの前の車寄せに停まった。
ここが一番泊まる人が多い。
「おお、ゲレンデに近いね~」
公美が言うように、すぐ目の前にゲレンデが広がっていた。
「いやいや、こんなの気にしないでくださいよ」
「はあ?」
公美がきょとんとする。
「ほら、端とか見てくださいよ。土が出てるでしょ?大して積もってないし、多分スノーマシンの雪だからベチャ雪です」
「ああ……」
公美もそこは分かるらしい。
「私たちが目的とするのは山の上の方のもっとでっかいパウダースノーのゲレンデですから!」
亜美は腰に手を当てて、ビシッと山の上の方を指差した。
「あっそ」
公美は亜美を置いてホテルに入って行った。
「あ、公美先輩!先に行かないでくださいよぉ。私が受付するんです~」
亜美が慌てて荷物を抱えて公美を追いかけた。
美香はマイペースに荷物を運ぼうとしてる。
彼女たちは、ボードを背負うタイプのバッグを使っていた。
駅中で長いのを引っ張ってるのも見かけるけど、あれは人の邪魔になるし、女子には背負う方が便利らしい。
運ぶのが面倒な時は宅配という手もあるけど、結局余計な出費になる。
亜美には「ボードとかウェアは買わないんですか?」と聞かれた。
何度も行くなら買った方が安いらしい。
でも、私はレンタルを選んだ。
自分の中では、まだ次があるとは思っていなかった。
ただ、何かを確かめたいだけだった。
「はいはい、皆さん、こちらです」
亜美が地下を指差した。
先導されるままに地下に下りて、案内された部屋が、着替えのできる待合室だった。
中に入ると、薄いオレンジ色のカーペットが敷かれていて、それなりの広さで、ロッカーもあって、暖かくて居心地の良い空間だった。
「ここで着替えて、ゴンドラが動く8時までちょっと休憩です。寝ててもいいですよ」
亜美のセリフに、時計を見るとあと2時間くらいあった。
「じゃあ、寝る」
と、公美がすぐにゴロンと横になった。
「私も~」
と、美香が続く。
「先輩はどうします?」
亜美が私を見た。
「私は多分寝られないから、いいよ、起きてる」
「じゃあ、私も」
そう言って目の前にぺたんと座った。
「誘ってくれてありがとね」
「いえいえ。こちらこそ、付き合っていただいてありがとうございます」
亜美がぺこりと頭を下げた。
「ううん」
私は軽く首を振った。
「で……」
「はい?」
「……スノボって、楽しい?」
聞こうとして、少し躊躇した。
でも、微笑んでごまかした。
「もちろん!めちゃくちゃ楽しいですよ」
そう言った表情がさらに物語っていた。
「そういえば、龍神平って言った時、というか、私が先輩を誘おうとしたら、こちらのお二人とか変でしたよね?何でですか?って、な、何するんですか!」
ガバッと起き上がった公美と美香に亜美がボディプレスされた。
「ちょっと、や、やめてくださいよぉ…いや、ちょっと……そこダメですって……」
そして、二人で脇腹とかくすぐっていた。
「あんたも少しは寝な」
公美がそう言って、手を緩めた。
「いや、眠くないんで…や、や、やめて……あははは」
「寝な」
「は、はい~、ね、寝ます!寝ますから!」
「ほんと?」
公美と美香がすぐにでもくすぐるような手をしていた。
「寝ますって!」
亜美は諦めて寝る素振りを見せた。
「ほんとにもう!」
横になってブツブツ言っていた。
それを見て、公美と美香が私を見て軽く微笑んだ。
「そこまでしなくても……」
「いいの」
公美がお澄まし顔で言った。
「で、結菜は本当に寝ないの?」
美香が私を見た。
「うん。大丈夫」
「そか」
また、軽く微笑むと、公美と二人で亜美の両側に横になった。
そんな3人を見ながら、私は微笑んでいることに気が付いた。
こういうコトが積み重なれば、きっと……
「先輩」
「え?」
目の前に亜美の顔があった。
気が付くと壁に寄りかかって寝ていたらしい。
「もうゴンドラ動きますよ」
「そか。うん」
私は、眼をこすりながら時計を見た。
確かにもうすぐ8時だった。
たった2時間弱だけど、熟睡していたらしい。
亜美は既に準備していて、公美と美香はその途中だった。
「先輩がレンタルするお店はゲレンデのすぐ側なので、このまま行きますよ」
「うん、わかった」
公美と美香の準備が終わったところで、私たちはゲレンデに向かった。
私がレンタルする『スノーエッジ』というお店は永坂ゴンドラ乗り場前の坂を少し下ったところにあった。
坂の上側がレンタルショップで、坂の下側がカフェレストランになっていた。
みんなで入ると邪魔なので、亜美と二人でレンタルショップに入った。
私よりちょっと上くらいの女性スタッフが声を掛けてきた。
レンタルしたいと告げて、ツアーのクーポンを渡した。
「スノボでいいですか?」
そう言って私を見た視線は大人びていた。
「はい」
少し気を取られながら答えた。
「身長は?」
「163cmです」
「じゃあ、こちらを」
ウェアを手渡された。
「足のサイズは?」
「23cmくらいです」
「わかりました。そこで着替えられますので合わせてみてください」
「はい」
とてもテキパキ。
私はフィッティングルームに入ると、着替えてみた。
着替え終わってカーテンを開けると、彼女が待っていた。
「どうです?」
「ちょうどいいです」
「じゃあ、これを履いてみてください」
「はい」
私は差し出されたブーツを履いてみた。
クイックレースブーツという種類らしい。
横の紐を引っ張るとすぐに締められる。
「前傾してみて、どこか痛いところないですか?」
私は前に体重をかけてみた。
「大丈夫みたいです」
「ボードはレギュラーですか?グーフィーですか?」
「えっと……」
「足はどちらを前にします?右利きなら普通左足を前でレギュラーと言います」
私は左足を前にしてみた。
なるほど。
「じゃあ、レギュラーで」
「はい。グラブとかゴーグルはこちらから選んでください」
「はい」
「ボードはこちらです」
「はい」
「荷物は奥のロッカーをお使いください」
「はい」
すごくテキパキ。
私はあっという間に準備が整って、
「では、いってらっしゃい。お気をつけて」
と、あっという間に見送られた。
亜美もポカンとして何も言えなかったくらい。
「じゃん」
私はほぼ真顔で両手を広げてお披露目。
「はやっ!」「え?もう?」
公美と美香が驚いていた。
「もう、レンタル屋のプロでした」
亜美が少し感動気味に言った。
彼女もこういうのを見習って、もっとテキパキになるかもしれない。
「じゃあ、ゲレンデに行きましょう!」
亜美がそのままのテンションで張り切って先導した。
龍神平スキー場は、龍神温泉の上に広がるスキー場で、標高はトップで1,650m、ベースで565m、標高差1,085m、上級コース11、中級コース16、 初級コース9、最長コース距離が10,000mという本州一の規模を誇る。
そして、近年ではスノボメインのコース設定を増やしていて、国内でのスノボ系の大会が多数開催され、スノボのメッカとなっている。
山の麓辺りのゲレンデも充実しているが、山の上の方に広がる神ノ平ゲレンデが、最大級で、雪質が良く、初級者も楽しめる。
年明けにはハーフパイプもできるのでスノボは楽しいらしい。
そこまではこれから乗る永坂ゴンドラで一気に行ける。
全部、亜美の受け売り。
私たちはとりあえずゴンドラに乗って、その神ノ平ゲレンデまで一気に上った。
12人乗りのゴンドラから見える範囲では、初滑りとはいえ、長野県の北端に近いというロケーションから、それなりに白銀の世界だった。
これでも、一部は雪が足らなくて閉鎖らしい。
15分の空中散歩の後、私たちは神ノ平ゲレンデに降り立った。
踏み出した足に、ふかっとした粉雪の感触。
ゲレンデに流れる若者向けのイマドキの音楽。
そして、快晴。
心の中で、古い映画の映像みたいだった色褪せた風景が、目の前で、真っ青な空と白い世界のコントラストで広がっていた。
あの日も、多分、こんな快晴……
私の目に、想像のその光景が浮かび始めた。
颯太……
「先輩?」
「え?あ……」
亜美の声に振り向くと、公美と美香が心配そうに私を見ていた。
「あの辺でボードを付けますよ」
「うん、わかった。ほら、二人も行こ」
「うん……、行こ」
公美が仕方なさげに答えて、美香を見た。
私たちは緩やかに下り始めるところまで歩いて行った。
「さて、先輩。ボードをはめてくださいね」
「はあい」
少し明るく言って、私はとりあえず笑顔を作った。
「まず左足を付けて、そして、右で、そうそう」
とりあえずちゃんとビンディングにハマった。
「うわぁ、足が動かなせなくなった」
「動かせたら、そっちの方が怖いですよ」
「あははは」
「それで……」どうたら、こうたら。
「なんかアタシらの出番がない」
「うん」
私と亜美のやり取りを見ていた公美と美香が言った。
「大丈夫ですよ。私に任せてください。で、お二人はさっさと滑って行っちゃってください」
「なんか露骨に邪魔者扱い?」
公美が口を尖らす。
「いえいえ、指導者は1人の方がブレなくていいですから」
亜美が正論でシャットアウト。
「なるほどね」
美香が頷く。
「そか……、うぅ……」
公美も、そう言われちゃ仕方ないという感じで唸った。
「ほらほら、お二人は少し楽しんできてくださいな」
亜美が行け行けとジェスチャーした。
「じゃあ、亜美頼むわ。結菜を滑れるようにしてやって」
「はい!」
「じゃあ、結菜がんばって」
「はあい」
公美と美香は軽く手を振りながら滑って行った。
私も軽く手を振る。
亜美はぴょんぴょんと飛び跳ねて大きく手を振りながら、
「さよ~なら~またいつか~」
とか、言っていた。
「こらこら」
「あははは、冗談です」
亜美がまだ動けない私のところに戻ってきた。
「ねえ」
「はい?」
亜美が、私の雰囲気に少し真面目な顔になった。
「亜美さぁ、何でそんなにいろいろしてくれるの?」
「いや、別に理由とか、ないです、けど……」
彼女の目が少し泳いだ。
「なんで?」
私は亜美の顔を覗き込んだ。
「もう、やめてくださいよぉ。押しますよ?」
「それはやめて!」
私は彼女の手から逃げるように、慌てて後ろにお尻をつけて座った。
それを見て亜美も横に座った。
前を向いたままの亜美は、落ち着いた素直な笑顔だった。
「亜美?」
亜美は私を見て軽く微笑むと、また前を向いた。
少し何か考えていたけど、
「私、皆さんが好きですよ」
と、言った。
「え?」
「公美先輩はアネゴ肌で、美香先輩もそれをさりげなくサポートしてて、結菜先輩は普通に優しいし、そんな皆さんが入社以来、なんやかんやで、いろいろ面倒を見てくれて。この会社で良かったって、いつも思ってます」
「あ、そうなんだ……」
「先輩に何か心の傷みたいなモノがあって、それをあのお二人が気遣っているのはわかります。最近は、また結菜先輩、少し塞ぎ込んでることが多くて、それを心配してる二人と同じく私も心配で……」
「あ、もしかして、今回の事、最初からそのために?」
亜美が私を一度見て、そして、また前を向くと頷いた。
「亜美……」
「事情がわからないから、本当の意味で先輩の心配ができてないし、そんなところで、傍にいても遠いというか、壊せない壁があるみたいな……だから、今回お誘いしてみました」
「ああ、そうだよね……、ごめん」
「いえ、先輩が謝ることじゃないですから」
そう言って両手を振る亜美の表情を見て、私は話すべきだと思った。
「実はね……」
私はここでの颯太の事故のこと、相手が自殺したこと、そして、これまでのこと……
そんなことを全部話した。
「ごめんなさい……わたし、ぜんぜん知らないで……」
亜美が大声で泣き出した。
「わわわ、ちょっと、亜美が泣かなくても……」
慌てたが、どうしていいかわからなかった。
でも、本気で泣いている彼女を見ていると、引きずられた。
話すのに押し殺していた感情が蘇ってきた。
涙が溢れ始めた。
そうしたら、もう止まらなかった。
亜美に負けないくらいの大きな声で泣いた。
周りの人たちは、何が何だかわからないと思う。
「え!?結菜!?」「亜美!?」
泣きながら振り向くと、戻ってきた公美と美香だった。
「な、何がどうしてそうなった??」
二人ともぽかんとしていた。
その雰囲気に、私は泣き声が段々笑い声に変わっていった。
「わけわかんない!」
美香もお手上げ。
落ち着いたところで、公美と美香に事情説明。
「そっか……、話したんだ」
「そっかぁ」
「うん」
「話してくれてありがとうございます」
亜美が頭を下げた。
「ううん。私も、今泣いたので、なんかすっきりした」
私は息をふう~と吐き出した。
「そか」
そう言うと、公美が左から私の肩を引き寄せて、頭をくっ付けた。
それを見た美香も、後ろからぎゅっと抱きしめてきた。
そして亜美も右から。
「おーい、苦しいよぉー」
私は戯けた感じで言ったけど、今度は違った意味の涙が溢れてきた。
「……え~ん」
「よしよし」
「よくがんばってきたね」
「せんぱ~い……」
「こら、亜美、またお前まで泣くな!」
「でもぉ、公美せんぱ~い、泣けるんですもん……」
「もう!」
そして、みんなで吹き出した。
ひとしきり笑った後、
「3人とも、ありがとう」
と、私は涙を拭きながら言った。
「いいよ。友達でしょ」
「そうだよ」
美香も笑う。
「私も、もう仲間ですよね?」
亜美が私たちを見る。
「もちろん」
私は亜美を引き寄せて頭をくっ付けた。
「やった~」
亜美が本当にうれしそうに、そっと言った。
それを聞いた時、私はすっかり、水面に顔を出せている気がした。
またそのうち沈んでいくのはわかっているけど、今はこの気持ちのままでいたかった。
その後は、
「お尻出し過ぎ!」
「もっと前傾して!」
「先輩!もっと視線を遠くに!」
3人のスパルタ教育で泣いた。
それから数時間。
右にターン。
左にターン。
そして、3人の前でザザザッと止まる。
「じゃん」
私は真顔で両手を広げてお披露目。
「おお、上達したね~」
「おお~」
「すごいすごい」
公美たちがパチパチと拍手。
お昼前には、左右に大きくターンしながらなら、何とか普通に滑れる程度になっていた。
「先輩、全然運動オンチじゃないじゃないですか」
「そうだね……不思議だ」
本当はトラウマだけど、と思いながらも、私は首を傾げた。
「まあ、これで午後はもっと楽しめそうだね」
公美が笑った。
「うん」
「じゃあ、お昼にしようか」
美香がお腹をさすりながら言った。
「そうですね。じゃあ、まずはあそこに行ってみますか」
亜美がゲレンデの下の方の2つの建物を指差した。
「OK。さあ、結菜もあそこまですべるよ」
「はあい」
私たちは1列になって左右に大き目なターンで滑って行った。
「結菜、ちゃんと付いてこれたね」
美香が笑った。
「うん。何とかね」
そう言って私も笑った。
「せんぱ~い!」
少し先に行っていた亜美が私たちを呼んだ。
「そっちはラーメンで、こっちはカレーがオススメみたいですけど」
「私はカレーがいいかな?」
私が言うと、公美も美香も頷いた。
「じゃあ、こっちで」
亜美はゲレンデ下側の方の店に入って行った。
遅れて3人で入ると角の席で亜美が手招いていた。
「うわあ、景色いいね~」
ロッジがゲレンデの端にあるので、そこからは遮るものなく雪景色が見渡せた。
私たちはオススメらしい「森のきのこカレー」を頼んだ。
それをみんなでワイワイと食べている時、ふと、今、龍神平に居るんだと思うと、胸がドクンとなった。
そこから先に思いを進めると、まだ耐えられないとわかった。
でも、
「先輩、マッシュルーム嫌いなんですか?私、もらいますよ」
と、亜美がスプーンを伸ばしてきた。
「いや、好きだから」
私はサッとカレー皿を手で覆った。
「ええ~そうなんですか……」
その残念そうな表情がほんとに好きなんだとわかった。
だから、私はその先に進まなかった。
食べ終わって、さてどうしようかと言う時、
「とりあえず、この先の中級コースを下まで下りてみます?」
と、亜美が言った。
「中級?どれどれ」
公美がゲレンデマップを広げた。
「あ、えっと、もう少しここを滑ろうか」
公美が少しごまかすように言って美香を見た。
美香も少し目を大きくした。
それでわかった。
そこで颯太が……
「いや、3人で行ってきなよ。私はもう少しここで練習しとくから」
「え、でも……」
美香が困った顔をした。
亜美も、しまったという表情をしたので、わかったらしい。
その後は特に何も言わなかった。
「いいから。午前中はあまり楽しめなかったでしょ?私もちょっと恐い教官の居ないとこで自由に滑ってみたいから」
そう言って笑った。
「……そう?わかった」
公美が仕方なさげに言った。
そういうことで、私はまた神ノ平ゲレンデを滑り、公美たちはそこからモンツァコースへ行くことになった。