第七話
「お待たせベル!じゃ、キノコ採集行こっか!」
アンが森の入口まで来たのは、ベルが入口に着いてから1時間ほど経った頃だった。
「アン、遅すぎ。もう日が傾いてんだけど……」
「文句言わないでよ、森の中にはいるんだからそれなりの準備ってもんが必要でしょ!」
アンの服装は、ベルの家に居た時までに来ていた服装とはうって変わり、頭には頭巾を巻き、上は長袖、下は厚手のズボンに履き替えていた。
(準備っていうか……それじゃ絶対動き辛いぞ。お前森舐めてんだろ)
ベルは喉元まで出かけた言葉を飲み込み、そしてアンと森に入ってゆく。
というのも、ベルはアンが森で迷子になった時を知っているからだ。
以前アンが森で迷子になった時、アンを見つけたのはベルだった。
(あの時はアンが居なくなったって大騒ぎになって、みんなで探しても見つからなかったから、結局鈴鳴流の奥義を使って見つけたんだっけ……我ながらすっげぇ馬鹿みたいな使い方してんよ……)
鈴鳴流は全局面に対応した決闘術であり、ベルは異世界に産まれるまでは鈴鳴流を闘うための術としてのみ使っていたが、この世界…異世界に来てからその応用的な使い方があることにも気付いた。
その内の一つが、その時に使った鈴鳴流奥義である。
(結局、アンは見つかるは見つかったけど、身体が幼すぎるせいで負担が大きすぎて、俺の身体もやばくなったんだっけ…)
結局その時は、ベルの身体が奥義の使用に持つ程の身体ではなく、隠遁の森の入口まで来たところで倒れてしまったのだが。
ただ、ベルは負担による身体的な疲労が溜まり倒れただけであったが、アンの方は、ベルがアンを発見した時に既に倒れていた。
最初にベルが見つけた時はベルはただ、アンが迷子になった精神的な披露から倒れただけだと思っていたが、実はそれだけではなかった。
アンの全身は、色々な虫に噛まれるか、刺されるかをしており、酷い腫れ様であった。
時期が丁度夏であった事もありアンは半袖にスカートの格好で森に入っていた。
何故そのような不用心な格好だったのかは、まぁただアンが森を甘く見ていた為だったのだが、きっともうアンも森には懲りて、甘く見るのはやめたのだろう。
ともかく、アンは自らの過去を経験に変え、その経験から今出来る対策を練ったのだ。
その結果である今のアンの服装に、とやかく言うのは好ましくないとベルは考える。
(俺が一緒なんだから、大丈夫だろうに……)
2人は、ベルの身軽そうな格好に対しアンの準備万端な格好という極端な服装で森に入っていった。
◇◆
「わぁ、凄いねベル!いっぱいキノコが生えてる!」
「はいはい、んじゃ、さくっと採ってさっさと帰んぞー。」
隠遁の森の中、入口から1時間ほど歩いたその場所で、2人は大量のキノコに囲まれていた。
「うん、いっぱい採って早くおばさんにリゾット作ってもらわなくちゃ!」
のんびりと、しかし的確にアンはキノコを採る。
ベルはそんなアンを見ながら、辺りを見回していた。
(なーんか、妙な気配がすんな……普段の森じゃねぇ……人の気配か?)
「ちょっとー、ベルもしっかりキノコ採ってよ!私ばっかり採ってるじゃない!」
ベルが辺りを見回していると、アンがキノコを採る手を緩めずにベルに声を掛ける。
どうやら、アンはまだこの気配に気付いていないようだ。
(まぁそりゃ、人の気配ってもアンに分かるわけないか……さて、どうするか)
ベルは、アンに対する返答を考えながらキノコを採ろうと屈むが、先程から感じる人の気配が近くなってきたことを感じて、屈んだまま動けないでいた。
「あー、ちょいとキノコじゃなくて、お花でも摘んでくるわ。」
「あっ、そう言ってサボる気でしょ!はやく済ませてきてよー!」
アンにそう言われて、はいはい、と返しながらベルは森の奥地に走っていく。
◇◆
止まることなく走り続けて5分、ベルは、アンから確実に見えない距離まで来たことを確認してから、目の前にあった手頃な巨木を両腕両足を使い駆け上がる。
ちょうど巨木の中心まで来たあたりで、やはりベルは人の気配を感じ、しかもそれが少数ではないことを何となく感じてから、覚悟を決めた。
(こんな森の中、あんま人が入ることもねぇ森ん中で、こりゃ普通じゃねぇな……疲れるけど、しゃーないか)
ベルは、諦めたように目を瞑り、意識を限りなく周囲と一体化させるように希薄にする。
(鈴鳴流弍式奥義……アンを探した時以来か。あん時よりゃ体力も増したし大丈夫だろ)
ベルはそう考えて、先程まで周囲と一体化させるように希薄にしていた意識を、更に遠くまで、薄く広く一体化するイメージで浸透させる。
そして、数秒経ち、これで充分だとベルが感じるまでの間、数秒ではあるがベルの存在が限りなく無になった瞬間にベルは目を開き、周囲と一体化していた意識を取り戻す。
「こりゃあ……やべぇな。キノコ採集してる暇じゃねぇ。」
鈴鳴流弐式奥義『雪融け』。鈴鳴流の中でもとりわけ特殊な奥義であり、ベルが今使用した技術である。
この『雪融け』とは、自らの視覚を除く五感を空気と一体化させ、あらゆる情報を残った4つの感覚器から取り入れることにより周囲の状況を正確に把握する奥義である。
実際に『雪融け』と呼ばれる奥義は、戦闘中の一瞬を犠牲にして、それ以降集中を切らすまでの間、半径100m程の全てに存在する気体液体固体の動きを把握する奥義であり、対多数の戦況において非常に有利に戦闘を進めるための奥義なのだが、ベルは周囲の状況把握のために数秒を遣い、森の奥地に向けてこの奥義を放った。
そうして放ったこの『雪融け』によってベルは、森の奥地に扇状に5km程の状況を正確に把握した。
その結果として 、ベルは、森の中を奥地から村の方に向けて進んでくる、18人の武装した人間の存在を把握する。
(どうする?今まで俺が生まれてから一度も、森の外から来た人間なんて見た事がねぇ……この18人、来ているのはフルプレートってやつか?全身を包む鎧に、それぞれが弓や大剣、斧なんかを持ってやがる、こりゃどう考えてもピクニックって奴じゃあねぇよなぁ……)
とりあえずベルは、集中を維持して18人の鎧の集団の同行を把握したままアンの元まで戻ることにした。
《にしてもよぉ、こりゃあ間に合わないんじゃねぇか?流石にもう村の方はディーンの奴らがやっちまってんだろ。こりゃ俺らの分は残ってねぇよなぁ、おそらく。》
《そりゃ、ウチの騎士団長様が、馬車が森に入れないからって、連れてきた女共をみんなヤリ捨てるまで盛ってたから仕様がねぇだろ?》
《全くだ、まぁ、そのお陰で仕事が残ってないのはいいけどよォ。その分取り分も残ってないなら流石に虚しいぜ。》
道中、ベルはアンの場所まで戻りながら、未だこちらに向かって歩いてくる鎧の集団の動向を探っていた。
(何だこの会話……騎士団長?仕事?取り分?まぁ、そういう事なんだろうけど、つーか目的地は村か?)
ベルは様々な状況を想定しながらアンの元に急ぐ。
ベルは奥地に向けて5km程の位置までの全てを把握しているが、時間を急いでいたために、村までを範囲に含めた『雪融け』は使用しなかった。そのため村の状況は未だ把握していなかった。
(最悪は最悪の状況も想定するべきか……っても時間が圧倒的に足りねぇ。俺一人じゃ、もしこいつらが敵だったとして対処しきれねぇ)
冷静に、今想定できる全ての状況を想定しながら、ベルは落ち着いて考える。
ベルが今想定する、最悪でいちばん可能性の高い状況とは、今奥地から村に向けて進んでくる鎧の集団が村に対し敵対意志を持った集団であり、そしてそれとは別の方向から村に向けて別の集団が進んでおり、そちらは村にもう着いていて、何らかの侵略行為を働いている状況。
(こいつらさっき騎士団長ってたな。なら、こいつらはどっかの国の騎士か?今まで、まず森の外に人間が生きてるなんて聞いた事がねぇ……なんつー狭い世界だよ)
ベルは生まれた村、世界の狭さに憤りを感じる。
(情報が圧倒的に足りねぇ、むしろなんで今までこの情報の無さに違和感を感じなかったんだって話だ。普通の生き方を手に入れて日和ってたっつーのか?違和感を違和感と感じないまま、何もせずとも幸せに生きて幸せに死ねると思ってた?俺が?)
ベルは、外から来た鎧の集団よりもまず、この生まれ育った村と、自らに対して憤りを感じていた。
今考えてみれば大分鎖国的な村だったような気がする。外の世界についての情報が全くなかった気がする。何も考えず、ただぼーっと生きていた気がする。
そのような気がする、という違和感にいまの今まで気づかなかった自分自身に、激しい怒りを感じる。
しかし、それもベルには仕方がないことだった。
ベルが、今までの人生に対して違和感を感じなかったのも、ただぼーっと生きていたのも、全ては仕組まれたことだったのだから。
しかもそれを、ベルは知らないし、知る余地もなかったのだから。
◇◆
「ベル、随分長くなかった?ってどうしたの?すっごく疲れて。」
未だ何も知らぬアンが、帰ってきたベルを見て首を傾げる。
「あー、まぁ、色々あってな。」
と、返事をしながら適当に周囲を見渡す。
「あー、まぁ、あれでいいか…いけるか?」
「どうしたのベル?本当に。今まで見たことないような顔してるよ?」
特別不思議に思ったのか、アンがこちらの顔を伺ってくる。
ベルは、どこまでアンに伝えればいいかを悩んで、とりあえず先に行動に移す。
「今からアンを背負ってこの木に登るから、何も言わずに俺に掴まっててくれ。」
と、言ってすぐにアンを背中に背負い、両手を肩に固定させる。
「えっ、えっ?本当にどうしたの?何かあったの?」
相変わらず状況を把握できていないからか、いきなり背負われたアンは、しかしベルが真剣なのを感じとり、とりあえず回された両手で肩を掴む。
ベルは、即座に目の前の、幹も太く高さも充分だと思われる巨木に、アンを落とさないように器用に登る。
とりあえず下から見えないだろうとベルが安心できる位置まで登ってから、背負っていたアンを、人が2人乗っても折れなさそうな枝に降ろして、そしてベルはアンに状況を伝える。
「よく聞け、アン。多分、今からここを鎧の集団が通り過ぎる。そいつらは俺達に敵意を持ってるかもしれないから、俺達は黙ってそいつらが通り過ぎるまでここで息を殺して待つ。」
ベルとしてはできるだけ簡潔に、分かりやすい説明をしたが、やはりというかアンは、この状況を受け入れきれずに混乱していた。
「どういうこと?外から人が来るの?なら、おもてなしした方がいいんじゃないの?」
アンはどうしても平和的に考えてしまうが、それも仕方ないことだとベルは思う。
(外から人が来るってならともかく、それが敵意を持ってるっつーのはどうしても理解し難いよな……なんせ生まれてこの方、一度も、誰かと争ったことも無いんだから……いや、まず人がいて、どんだけ少ない村人だって言っても争い自体が起きないなんておかしくないか?俺はアンと喧嘩ひとつしたこともないが、それ自体がおかしすぎる……)
一瞬ベルは思考の渦に囚われそうになるが、目の前で不安そうにしているアンを見てとりあえず冷静に戻る。
「確かに、そりゃ俺だってそうしたいが、村の方を見てみろ。それで全部わかるから。」
ベルは、木に登っている途中に見えてしまった光景をアンにも見せる。
アンが見た村の方向からは、丁度村があるような位置から煙が上がっていた。