第六話
「「ただいまー」」
「おかえりなさい、今日は早かったわね…ってあら?今日はアンちゃんも一緒なのね。」
家の中で裁縫をしていた彼女は、服を補修していたのか、その手に針と服を持って2人を出迎えた。
「それがですね!ベルってば、私が作ったサンドイッチ、美味しいからって私の分まで食べちゃったんです!」
「えっ?アンちゃんが作ったサンドイッチ、全部食べちゃったの?」
鳩が豆鉄砲を食らったかのように驚くメイ、アンの手料理をベルが全て食べ切り、アンの分も残さなかったということが信じられないかのような反応だった。
(いや、そりゃ驚くよな。何せアンの手料理をアンの分も残さず食べ切るってことは、本当に美味しく出来上がったのか、それかアンには食べさせられないくらいやばかったかってことだもんな)
アンの手料理をベルが食べ切る時、それはアンの料理が、本当に美味しかった時だけだ。
そして今まで一度もそんなことがなかったから、つまりはベルがアンの手料理を食べ切ったことなどないということである。
今までは、ベルはアンの手料理を食べる時、だいたいアンの分だけは残していた。
ベルには理解できなかったが、アンは自らの手料理を一切躊躇することなく食べ切るのだ。
(もしかしてアンは自分の料理を不味いと思ってない?……それならアンの料理の腕が一向に上達しないのも、そういう事か)
人は生まれながらに耳が不自由だと、言葉を上手く喋れなくなることがあるという。もしかしたらアンの場合味覚が少々悪く、そのために美味しい料理を作れないのではないか、とベルは思い至ったのである。
「だから母さん、もし大丈夫ならアンの分の昼食、作ってやってくれない?聞いての通り、アンのサンドイッチが美味しかったから、俺がアンの分も食べちゃってさ。」
未だ我が子のことを案じているのか、ベルの方を不安そうに見る彼女に声を掛ける。
「あら、そうなの……本当に美味しかったのね。なら、全然大丈夫よ!ベルに美味しいものを作ってくれたお礼に、私も腕によりをかけちゃうんだから!」
彼女は手に持っていた服と針を机に置いて、裏に野菜を取りに行く。
「やった!メイおばさんの料理が食べれるなら、美味しいサンドイッチを作った甲斐もあったってものね!」
「アンにもいつか、サンドイッチ以外にも母さんみたいな料理を毎日作れるようになってもらいたいもんだけど。」
「ふーん、ベルってばそんなこと言っちゃうんだ…大丈夫よ!私が料理したら、絶対毎回ベルに食べさせてあげるから!」
「それは何か嫌だなぁ……」
軽く軽口を言い合いながら、2人はメイの料理ができるまでの時間を楽しく過ごしていた。
◇◆
「そういえば今日の晩御飯なんだけど、悪いけど2人で森にキノコ探してきてくれない?今日はキノコのリゾットにしようと思うんだけど、キノコが丁度なくなっちゃってて。」
アンと、ついでにベルも、2人で彼女が昼食に作った野菜のスープとパンを食べていると、メイは今日の晩御飯について語った。
「ベル1人だと森の奥まで入っちゃって帰るのが何時になるかも分からないから、晩御飯に間に合うか不安だし、アンちゃんが一緒にいてくれるとおばさんも安心だからね!」
「べっつにいーじゃん。毎回日が落ちるまでには帰ってるんだし。ってか何が不安だよ。」
「はい、全然いいですよ!ベル1人じゃ不安ですもんね!」
「アンまで!?そんなに信用ない?俺……」
「もちろん、アンちゃんもウチで晩御飯食べちゃってもいいからね。」
「本当ですか!メイおばさんのリゾット、美味しくて私大好きです!」
「嬉しい事言ってくれるじゃない!じゃ、私も今から準備するから、2人ともよろしくね!」
「はーい!私もお母さんに言ってきますね!ベルは先に森の前で待っててね!」
「はいはい、分かりましたよっと。」
アンに連れられてベルは外に出ると、アンとベルは別々の方に歩いていく。
(今日はアンも森に行くのか…今日は運動もできそうにないなぁ)
ベルは少し落胆しながら森に向かって歩いていく。
今から2人が入る森は、ベルが住んでいる村全体を覆うように囲む、隠遁の森と呼ばれる森だった。
隠遁の森には動物が少なく、また人が入ることも少ないため、人が通れるようにしっかりとした道は村から向かって北側にある入口ただ一つだ。
もし他の場所から森に入ろうものなら、木々が所狭しと生い茂っている事から遭難するのは確実だと言われており、村の住民は全員、北側の入口から入るようにしている。
(まぁ、結局この身体じゃ、使える型も限られてくるし、別に一日くらい動かさなくっても大丈夫か)
ベルは、隠遁の森に入る村人が少ないことをいいことに、村人全員が寝静まった頃や、森に山菜を取ってくるように言われると、毎回森の奥まで入って、鈴鳴流決闘術の修行を行っていた。
この世界に来て、新しい身体に生まれたからといって、ベルは鈴鳴流の修行を怠ってはいなかった。
身体が満足に動かせなかった1・2歳の頃は、体内の神経、血管の隅々まで意識を巡らせる修行を行い、3歳頃から身体が自由に動くようになり、走れるようになった頃からは毎日隠遁の森に入り、鈴鳴流の修行を行っていたのである。
とはいえ、なにか目的があって鈴鳴流の修行を行っている訳ではなく、ただ身体が疼くからという、シンプルな理由からだった。
(やっぱ、長年の付き合いである以上、やらないと収まらないよなぁ……)
だから、ベルにとって隠遁の森はもう庭のようなものであり、道に迷うことは無い。
しかしアンはあまり隠遁の森に入ったことが、女の子だからということもあり少なく、まだまだ庭と呼ぶには早い。
(前にアンと入った時なんて、アン、すぐ迷子になって、村人総出で探したっけ)
(今日はアンが迷子にならないように、ちゃんと見といてやるか)
ベルは、隠遁の森の入口に着いて、蜘蛛の巣を払うように木の枝を探しながら、キノコが生えている場所を思い出そうとしていた。