第五話
「おーい、ベルー!早くこっち来てー!」
真上に輝く太陽の光を反射し、輝いて見える湖の傍に聳え立つ、陽の光を並々と受ける巨木の真下、太陽と見間違えるかのように輝く金の紙を靡かせながら、少女は湖で釣りをする少年を呼びかける。
「はいはい、今行きますよ……っと。」
ベルと呼ばれた少年は、釣竿を上げて少女の元へと歩く。
「ベルってば、飽きもせず毎日毎日釣りばっかりしてるけど、魚が釣れたことってあるの?」
「うんにゃ、全く。」
「だよね、この湖で魚なんて、私見たことないもん。」
少女は木の真下で、ベルと話しながらも風呂敷を広げ、テキパキと昼食の準備を進める。
「あれ、もうそんな時間だっけ?」
ベルが真上を見上げると、太陽は自らの位置をもって正午の時間を告げていた。
「もうお昼の時間だよ?ベルはほっといちゃうと、日が落ちるまで釣りを続けるんだもん。本当に信じらんない、ベル、まるでおじいちゃんみたいだよ?」
「いいだろ別に。そんな生き方もありだと思うぜ。」
「ふーん、本当におじいちゃんみたいね。」
「うるせぇ。」
(確かにジジィみたいな生活っちゃ生活だが、案外こういうのも悪くねぇ。これが幸せってやつかよ)
ベルの年齢は今年で7歳だが、精神の実年齢は、今年で21歳になる。
それは、鈴鳴鈴丸が、神様の言う別世界、所謂異世界に来て、もう7年になるということだ。
(あっちに居た頃は、こんな生活夢にも見た事なんてなかった。所詮は別の世界だって思ってたが……まさか本当に別世界に来ることがあるたァ思ってなかったぜ)
この7年、鈴丸…ベルは、案外この世界を楽しんでいた。
「あっ、ベル。顔までおじいちゃんみたいになってるよ!」
「うるせぇよ、元々だ元々。それより昼飯だろ?早く食おうぜ、いい匂いで.腹まで減ってきた。」
「えへへ、今日は私が作ったんだよ。絶対美味しいから!おなかいっぱいになるまで食べてね!」
昼食として用意されていたのは10個ほどのサンドイッチだった。
中身の具材はそれぞれで、トマトやレタスを挟んだ野菜だけのものから、ハムや卵をレタスなどと一緒に挟んだものまで、色取りどりだった。
その彩りが、ベルのお腹をますます刺激していた。
「でも、アンが作ったなら、この美味そうなサンドイッチも見た目だけかもしれないんだよな…」
「ちょっと!聞こえてるんですけど!私が作ったからってどういうことよ!絶対美味しいに決まってるんですけど!」
アンは、ちなみに少女の事ではあるのだが、彼女は料理があまり得意ではなかった。その料理の腕前は残念ながら才能がないとしか言いようがないもので、いくら練習してもその腕が上達することは無かった。
初めてアンの手料理をベルが食べた時は、その手料理とは何の変哲もない目玉焼きとウインナーだったのだが、しかしその料理を食べたその日からベルは、今まで好きではなかったが嫌いでもなかった目玉焼きとウインナーがトラウマになり、その後2ヶ月ほどは誰が作ったものであっても食べれなかったほどだ。
果たしてただ焼くだけのその2品を、どうすればあんなに不味くできるのかと、ベルは考えたことは少なくなかったが答えは出なかった。
もう、アンには料理の才能はないのだと諦めることしか出来なかった。
(きっとこのサンドイッチはやばい。それはもう直感でわかる……)
しかし、そんな過去があってもベルには、アンの手料理を食べないという選択肢はなかった。
その理由はアンの手だ。
(もしこれが、練習もほとんどしないような奴の料理だったら俺は絶対に食ってない、断言する。つかこれは料理なんかじゃねぇ、食いもんじゃねぇよ)
(だが、アンの手を見ちまったら、食わねぇわけには行かねぇ)
アンの手には、その指先には、ベルの記憶では昨日はなかった新たな傷が何個もついていた。
つまりそれは、この料理のために付いたキズなのだと、ベルは考えるしかなかった。
(どんなに不味かろうが、一所懸命に作った料理も食えねぇ男は男じゃねぇよなぁ)
「はいはい、じゃいただきまーす。」
そしてベルは覚悟を決めて、そのサンドイッチをひとつ頬張る。
「ど、どう……?」
アンが不安そうに問いかける。
「う、美味い……!!」
「やった!初めてベルが美味しいって言ってくれた!」
感極まったように喜ぶアン。
というか、普通に野菜を切って挟むだけのサンドイッチが、どうしたらそんなに不味くなるだろうか。
ベルはひとつ、またひとつと口に運びながらそのことに気付く。
(よく考えりゃ、いくらアンとはいえ、野菜を切るだけで不味いメシを作れるわけねーよな)
ベルは、いったい体のどこにその量が入るのか、10個近くあったサンドイッチを全て平らげた。
「って、ベル!私の分も食べちゃってるじゃん!そんなに美味しかったからって!少しくらい取っといてよ!」
「あー、悪い悪い、アンのサンドイッチが美味しすぎてさ。もう釣りも辞めるから、帰って母さんに昼ごはん作ってもらおうぜ、俺から頼むからさ。」
「うーん、まぁ、メイおばさんの料理が食べられるならいいけど……まぁ、美味しかったんだから仕方ないのかなぁ……」
アンは頬を少し赤らめながら、直ぐに風呂敷を畳んでいく。
ベルは釣り道具の仕舞いをしながら、ふと7年前以前の生活を思い出す。
(あっちの世界じゃ、こうしてのんびり過ごすことも知らなかったんだよな……そういう意味じゃ、神様には感謝しかねぇ。こんな幸せをくれるんだから)
そして更に思う。
(いつまでも、こんな生活が続けばいいのにな……それこそ、ジジィになるまでだって構わねぇから)
「ねぇ、早く帰ろーよ!ベルはよくっても私はもうお腹ぺこぺこなんだから!」
木の真下で、風呂敷を畳み終わったアンがベルを呼ぶ。
「分かった分かった!もう準備出来たから、帰るよ!」
幸せな時間。
(何者であろうとも、この時間を壊すっつーなら、俺は力ずくでその存在を潰してでも、この時間は守ってやる。俺の命にかえても)
そうして、何気ない日常の中の1ページの中で、何気なくベルは、そう決意した。
その時のベルは、あの頃と変わらない目をした、鈴鳴鈴丸だった。