第二話
「……は?」
鈴丸が目を覚ました時、そこには今までには目にしたこともないような景色が広がっていた。
周りからは小鳥の囀りが聞こえ、辺り一面には目に優しい緑が広がっている。目の前にはその風景を損なわないように一つのテーブルと二つの椅子がある。
目の前のテーブルと椅子は、洋式の調度品の様な様相を誇っているが、鈴丸は今までに一度も洋式の調度品を目にしたことがないので、その辺は鈴丸の主観によるものだが。
(鈴鳴の家でいう庭園みたいなものか……?それにしては人工物らしきものはテーブルと椅子以外に目には入らないが…)
鈴丸がこれまでの15年間を過ごした鈴鳴家の全ての家具家財は総じて和式で揃えられており、今まで一歩も外に出たことの無い鈴丸には洋式という言葉は知っていても、洋式の何かを見た事など一度もなかった。
(後頭部に何かが触れた瞬間までは覚えてる、少なくとも和式じゃないもんが置かれてるっつーことはここは鈴鳴の家じゃなさそうだが)
(にしても後頭部に当たったもんが何かっつーのは分からんにしても、その何かが俺に当たるまで、その存在に一切気が付かねーなんて、どんだけだよ)
鈴丸は、半刻前には鈴鳴流決闘術を継承した身であり、つまりは世界最強の存在である訳だが、少なくともそこまでの自覚はないにせよ、自分が背後から何かが迫ってきて、それを触れるまで知覚できない程の存在ではないと自らの事を自認していた。
過去の修行の途中でも、五感の内の視覚聴覚触覚嗅覚の味覚以外の4つを封じて四方八方から発射される銃弾を全て避けた事もあるし、少なくとも自分のことは人外だという自覚くらいはあった。
鈴丸は、ただ背後から近付いてくる何かを知覚できない程に疲労しきっていた自分に腹が立つ。
(そういえば、少し寝たからか妙に身体が軽いな)
気を失っていたことと、その原因は仕方がないとして、一体ここはどこなのか、何故自分はこんな所にいるのだろうか、と鈴丸は思う。
自らここまで歩いてきた訳でもないし、つまりは誰かがこんな辺鄙な場所まで鈴丸を運んだ事になる。
連れて来たということは、つまりその誰かは鈴丸に用があるということだ。
(しゃーねぇ、とりあえずは俺をこんな所まで連れてくる位だ。起きたからってすぐ逃げる必要もねーだろ。その誰かが来るまでは大人しく待っといてやるか)
丁度目の前には、お誂え向きに椅子まであるくらいだ、と。鈴丸は目の前の椅子にでも座って待つことにした。
そして鈴丸が椅子に座った瞬間に、目の前のもうひとつの椅子に、少年が座っていた。
(!?なんだこいつ、いきなり現れた!?)
油断していたつもりは無い。
鈴丸にとって、自然体とは即ちどんな状況、どんな状態でも一瞬で全てに対応できる状態だ。
そんな鈴丸の目の前に、座った瞬間にいきなり現れるなんて、しかもまるで最初からその空間に存在していたかのように居座っているその少年。
気味が悪い、素直に鈴丸はそう思った。
そして、鈴丸はとりあえず自身も座ったその状態から即座に後ろ回し蹴りを放つ。
まるで警戒していなかった状態から即座に、コンマ1秒にも満たない一瞬からまるで最初から後ろ回し蹴りを準備していたかのように自然に。
(流石にこれを避けれて、そのまんま反撃とは行かねーだろ)
こんなものはただの虚仮威しだ。鈴丸もはなからこんなものが当たるとは思っていない。
しかし、少なくとも鈴丸のこのモーションに対し、目の前の少年でも何らかの形で対応しなければならないだろう。
鈴丸はその瞬間を見極めて、次の行動に移すつもりで後ろ回し蹴りを放った。
常人、それも少年であれば通常何の対応すらできずにその蹴りを受けるしか無いような、蹴りではあるが、鈴丸をして目の前に急に現れる様な人間が常人である訳もない。
油断も隙もなく、鈴丸は目の前の少年の対応に意識を傾ける。
しかし、何故か鈴丸の後ろ回し蹴りは少年には当たらなかった。
そして当の少年は、鈴丸から見てもなんの対応も取ることはなかった。
つまり、目の前の少年は椅子に座った状態から、ノーモーション、その言葉の通り指先一本、眉ひとつ動かすことなく鈴丸の初動の後ろ回し蹴りに当たらなかったのである。
(……はぁ!?)
後ろ回し蹴りが当たらなかった瞬間、咄嗟に後方に飛びのき、距離をとる。
(当たらなかった……?避けられたわけでもない、いなされた訳でもない、こいつは、一切の対応も取ってはいない、何が起こった)
予想外の事態であっても、常に冷静に。
それは鈴鳴流の教えであり、鈴鳴流の教えが体の隅々まで行き渡っている鈴丸は、最初から冷静を保っていた。
目の前の少年が現れた時も冷静だったし、鈴丸は冷静に後ろ回し蹴りを放ったし、少年のとるであろう対応を、冷静に、精神を研ぎ澄ましてその一挙一動に注意を向けていた。
そんな鈴丸ですら少年が何をしたかわからない。否、何もしていないようにしか見えなかった。
そんなこと、常人どころか、鈴鳴流決闘術前継承者である父親にすら不可能なはずだ。
何もしていないのに、何もしていなかったら確実に当たっていたはずの後ろ回し蹴りを、少なくとも鈴丸に気取られることもなく避ける事など、およそ不可能であるはずだ。
避けたのか、それともいなしたのかすら定かではないが。
そして、冷静に注意深く目の前の少年の一挙一動に精神を研ぎ澄ましている鈴丸に対し、目の前の少年は口を開ける。
「良い、後ろ回し蹴りだったね。流石は鈴鳴流の継承者だよ、鈴丸君。」
「あんなの、まともに受けてちゃ確実に死んじゃってるよ。死人に殺されるとか、どんなSF小説だよって感じだけど。」
まるで自身には何事も無かった、ただ目の前で起こった事象に関して対岸から感想だけを述べるような感じで、目の前の少年は言葉を発する。
(こいつはやべぇ。少なくとも頭がイッちまってる。相手にするだけ無駄か……?)
鈴丸にとって、幾つか気になる言動はあったが、少なくともそれに対して議論を交わす余地もなしに、この場で今自分がとるべき行動を考える。
「あれ?無視?それは酷くない?折角こんな所まで君を招待してさぁ、君のこれからについて話そうと思ってるのにさぁ。」
「悪いが、俺は名前もわからねー様なヤツと話すつもりは一切ねー。」
とりあえず、少年に仕掛けてくる気配はない。話すつもりはないと言ったが、一切の無視をするつもりもない。現在の状況についての判断材料を増やすためにも少しの会話は必要だろうと、鈴丸は言葉を返す。
「あっ、たしかに。名前もわかんないような人とは話したくないよね。うっかり、失礼しました!」
と、だから鈴丸は別に、少年の名前を聞くつもりがあった訳ではないし、素直に自分のことを話してくることも無いだろうと思っていた。
しかし少年は、本当に自分に失礼があったというように語り出す。
「って言っても僕は別に人じゃないんだけどさ。僕に名前がある訳でもないけど。まぁ神様の1柱だよ。どうしても僕のことをなにかの名詞で呼びたかったら神様って呼んでね。」
どうやら、やはり少年は自らの事について話すつもりは一切ないらしい。