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第一節門:牛乳習慣の欠落、あるいは二人を分かつ時

結局、神様なんていなかったんだーーだって、私達、離れ離れになるんだから。


私達が仲良くなったのは、ふとしたきっかけだった。牛乳が飲めない。それだけ。当時、牛乳制度はまだ学校給食に組み込まれていて、牛乳が飲めない子供は牛乳をどう毎回処分するかでやきもきそわそわしたりしたものだった。


「牛乳、飲めないなら私、飲むけど」


その時の彼の顔ったらない。ぱあっと光を太陽から受けて反射したような喜び方だったから、妙に印象深く脳裏に記憶されている。それから、彼は安堵する。


「ありがとう、うらは。恩に着る」


つまりは、そういうことだったのだ。私は牛乳を飲んで処分する係で、彼は牛乳を私に託して処分させる係で。処分させる係に係もへったくれもないのだけれど、つまりはそういう関係だった。ギブアンドテイクで賄われる牛乳の譲渡。それにおいて、私には何ら不都合はなかった。牛乳は好きだし、背を伸ばしたかったからだった。私は2倍の牛乳を学校で飲んで、すくすくと育った。しかし、肝心の背は伸びないままで、その……なんでもなかった。なんでもなかったのだ!


そんなことが、小学生の終わりまで続いて。私達は枝分かれしたエスカレーターだったが、危なげなくぴょんとステップを踏んで都市内にいくつかあるうちの、同じ中学校に当たり前のように一緒に進学した。


彼の家は近くにあるとされる今時珍しいお屋敷で、行ったことはないが有名らしかった。悪い噂もなく、名士だということだけは耳にしたが、そもそも名士とは一体なんなのか、いまいちピンと来ずテレビ相撲の名力士を想像するばかりの当時の私だった。


中学校もそつなく修了し、次は高校へ。

彼との牛乳サイクルは継続していた中学校までで終わるかと思ったが、彼は高校に入学してからというもの、購買部に行くついでに決まって私に牛乳を買って来てくれるのだった。当然疑問を尋ねる。


「なんで? なんでいつも牛乳なの?」


「お前、好きだろ? 牛乳。だからだよ」


私のために牛乳を買ってくれるのは有り難いけれど、なにも高校になってまでーー牛乳を飲む義務がなくなった後まで、私に牛乳をくれなくてもいいのに。そう思いながらも、やっぱりこの牛乳を昼に飲むということは変えられず、習慣は習慣のままで私の意識の中に根を張ったまま、抜かれることもなく存在し続けるのだった。しかし、このことがあんな事態を引き起こすなんてことがあるのかと、私は露とも知らないままでいた。


ある日のこと。


「柚木ィ、って言ったっけ? 来いよ」


そこからはボコボコだった。三年の女子達に目を付けられていたのを、初めて知った。折角貰った牛乳は頭からかけられて、辛酸と共に唇で舐める始末。茫然自失でクラスにもどったが、彼は気がつかないままで、それからも毎日牛乳を買ってくれた。その度に三年女子達という綺麗目のゴリラ共に殴られ引き摺られ、また牛乳を頭からかけられる。目に触れられない傷は日に日に増え、なんだか肋骨の形まで一部変わってしまったかのように思えた。しかし私は、だから牛乳を拒みたくはなかった。理由なんて、ない。


三年女子ゴリラ達が卒業して巣立つまで、あと1カ月。なんてことはなかった。

あと1カ月で、牛乳習慣は復活する。私の高校生活は牛乳習慣皆勤賞で終わるのだ。例え頭からかけられて口で受けようとも、飲んだことは飲んだことに変わりはない。私はやり抜く決意でいた。


「ごめん、うらは。約束、守れなくて」


どういうことだろう。約束? 約束なんて一度もしてない。私、してないよ!


彼から聞かされたことは、家が事業に失敗したということだった。特殊な事業で、取り返しがつかない形になってしまった。だから、本家のある実家に引っ越さなければならない。私は、私のために牛乳習慣を続けて来たつもりだった。しかし、私の牛乳習慣は、彼が居たから成り立っていたんだと、その時気がついた。彼が牛乳を買ってくれたから。彼から牛乳を貰えたから。彼が居たから!


「やだよ! 行かないでよ!折角、牛乳飲む習慣付いたんだよ!? もう会わないなんて言わないでよ!最後まで皆勤賞するって決めたんだから! だからーー!」


「悪い。決めたことだから。うらは」


学校の誰も居なくなった教室で、夕日に染まる私達を分かつ者がいるとするならば、それは美しい時だ。時間が過ぎれば、怖くて暗い顎を開く、闇が訪れる。


「うらは。いいか?」


「何?」


「俺の名前、知らないだろ。お前」


愕然とする。どうしてーーどうして、知らないの?私、この人のこと、何にも知らない。知らない! 牛乳ーー牛乳を、貰って、嘘、やだよ、そんなのやだよお!


「今まで、ありがとう。元気でな」


こうして、私の牛乳習慣はこの日の次の日から欠落した。失った習慣は戻ることはなく、私の生活から箒ではかれる塵のように、あまりにも軽く消えてなくなった。彼との思い出をそんな風に消せたなら、どんなに良かっただろう。名前も知らない彼を、私はそのままでまだ一緒に居たかった。戻れるのなら。しかし、それには足りないものが多すぎる。私の高校生活は擦り切れた靴のように要らないものとなって、ただ漠然と過ごすだけだった。


そして。高校二年の夏。


抜け殻だった私の体に時間が戻るかのように身が入る出来事が起こる。


7月22日。朝。私は背中に亀裂が入った気がした。それを見つけた時。私はもう一度、いや、この世に生まれてから初めて誰かのために、叫ぶことを決めた瞬間だった。


暑中見舞い。彼からの。住所付きの。


全ては彼のために。私は、全力で叫ぶ。


「絶対行ってやるからな!待ってろ!」


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