09
先ほどとは立場が逆であった。
カーテンを開くと、試着室前の椅子に、先ほどの奇妙なファッションのまま腕組みをして座るカニ子の姿がある。
カニ子はまるで品定めでもするかのように、俺のコーディネイトを頭のてっぺんから爪先までまじまじ見つめると――
「へっ」
となんだか勝ち誇った笑みを浮かべ、ただ一言、
「休日ゴルフおじさん」
そう述べたのであった。
隣の椅子に貼りついた吉蔵がこくこくと頷いている。
どうやら彼も同意見らしい。
個人的にはこのポロシャツの着心地が気に入っているのだが……
「駄目です失格ですやり直しです、私を納得させるまで試着室から出てはいけません」
とカニ子が言うので、俺はあえなくカーテンを引いて、再び着替えをする羽目になった。
そして時間にして数十秒、俺はカーテンを開け放つ。
するとカニ子は勝ち誇った笑みで開口一番。
「ベンチャー企業のインチキ社長」
純粋に口が悪い。
というか女子高生がどうして「ベンチャー企業のインチキ社長」を見たことがあるんだ。
ちなみに吉蔵は伸ばした触手の一本を地面に向けている。
一体なんの仕草かと思えばブーイングだった。
帽子まで買ってやったのにひどいヤツだ。
「失格です」
失格らしい。
俺はカーテンを引いて、次の服に着替え、再びカーテンを開く。
「――あはははははははっ!!」
ここにきて一番の大笑であった。
カニ子は腹を抱えて涙までこぼし、今にも椅子から転げ落ちそうな勢いだ。
そんなに笑わなくてもいいじゃないか……
無言で見下ろす俺の前で、カニ子はひとしきり笑うと「ひぃひぃ」言いながら涙を拭って……
「はぁぁぁぁ…………」
と、深い溜息を吐いた。
地を這う蛇のように低く、そして長い溜息である。
それから彼女は、どんよりと曇った眼でこちらを見上げ、
「……正直に言いましょう、私は生まれてこの方、自分で服を選んだことがありません……というか制服以外ほとんど持ってないです、ウニクロも今日初めて入りました」
「奇遇だな、俺もスーツと簡単な部屋着ぐらいしか持ってない」
「二人揃ってファッションセンス皆無……これ詰んでますよね? 私たちウニクロから出られませんよ?」
「俺は別にゴルフおじさんでもいいけど」
「私が嫌なんですっ!!」
きっ! と血走った眼で睨みつけられる。
難しい年頃なんだろうなぁ、と思春期JKの心境の複雑さに感じ入っていた、そんな時のことである。
「お客様~、ちょっとお静かに願えませんか~、っと……おわっ!? え、ウソ!? マジで!?」
突然背後から声が聞こえて、俺とカニ子は同時に振り返る。
見ると、突き当たりの角から一人の女性が顔を出して、こちらの様子を窺っていた。
大人と子どもの中間といった顔立ちから見るに、20歳前後であろう。
クリーム色のロングヘアーを後ろで編み込んでまとめ、前髪はベレー帽にしまって、綺麗な額を見せている。
パンツはスカートと見間違うほどにゆったりとしたもので、柄物のブラウスがとても涼しげだ。
いかにもアパレル店員、といったいでたちである。
そんな彼女は、しばらく呆けたようにこちらを見つめたのち、
「……ぷっ、あっはっはっはっは!! 事故! 事故じゃん完全に!」
そう言って、豪快に笑った。
ああ、やっぱりひどいんだな、俺たちのファッションセンスは……なんて当たり前のことを再認識して、おもむろに隣のカニ子へ目をやる。
カニ子は細い肩をぶるぶると震わせ、今にも爆発しそうなほどに全身を紅潮させていた。
「屈辱です……」
虫の羽音のようにか細い呟きは俺の耳にだけ届いた。
一方でベレー帽の彼女は「はぁ、はぁ……一生分笑った……」と、しばし荒くなった呼吸を整えると、こちらへ向き直り、にっかりと歯を見せて笑った。
「ごめんごめん! 私は葛西リコ! 見ての通りの店員! 笑っちゃったお詫びに服選んであげよっか? そ、その事故級のコーデの代わりに……」
ここまで言いかけたところで、葛西リコを名乗る女店員は、再び「あっはっはっはっは!! やっぱ駄目だわ! 大事故!」と笑いだしてしまう。
彼女のいっそ気持ちいいぐらいの笑い声は、おおよそ一分間ウニクロ店内に響き渡り、そしてその間、カニ子はスカートの裾を握りしめながらずっと震えていた。