05
「中野ヒマリです」
住宅街を抜けて国道に出たあたりで、それまでだんまりだったJKがぼそりと呟く。
あまりにも脈絡がなかったものだから俺は「なに?」と聞き返した。
「ですから、中野ヒマリ、私の名前です」
そう言って彼女は呆れたように溜息を吐く。
「名前も知らない女子高生買って、しかも助手席に乗せるとか信じられません……」
「確かに」
人の家に金をたかりにきて、あまつさえカニの真似までしていた割に正論ばかり吐くJKである。
地の果てまで続いていそうな一本道を突き進みながら、少しだけ感心した。
ともあれ自己紹介、自己紹介は大事だ。
「俺は三鷹ナツキ、二十六歳」
「……意外と若いんですね、疲れた顔をしているのでもっと年上なのかと思ってました」
「ちなみに今シートに貼りついてるのが吉蔵」
「へ?」
JK――もとい中野ヒマリが、間の抜けた声をあげて後ろへ振り返った。
そこには運転席シートの肩のあたりに引っ付いて、丸い頭を覗かせる吉蔵の姿が――
「ひゃ、ひゃああああああああああっ!!!?」
「ちょっ!?」
その細っこい身体のどこからそんな声が出せるのか、大絶叫である。
しかもこの狭い車内で暴れたりするものだから彼女の膝が俺の腕を跳ね上げ、車体が中央線をはみ出し、大きく左右にぶれた。
俺は咄嗟にハンドルを握りしめ、なんとか車の制御を取り戻す。
幸い対向車は来なかったが、危うく歩道へ乗り上げるところだ!
「いきなり何すんだ!? 運転中だぞ!」
「だ、だだ、だって、タコっ! タコが車の中にっ!?」
「吉蔵だよ吉蔵! 俺のペットだ!」
「ペット……!?」
中野ヒマリはドアに背中を押し付けながら、怯え切った視線を吉蔵に向けている。
吉蔵はいかにも心外だと言わんばかりに吸盤を一度「ぺこん」と鳴らした。
「あんまり下手な事言うなよ、吉蔵は頭がいいから悪口言われてることぐらいすぐに分かるんだからな、それに根に持つぞ」
「……い、いやおかしいでしょう!? タコがペットなのは百歩譲って良いとしても、なんで、その……陸に!?」
「もう四年も前になるかなあ、勝手に水槽から出てきて、そっから普通に暮らし始めたからなんか、あーそういうのもアリなんだなーと思って、そのまま……」
「適当すぎません!?」
ほとんど悲鳴であった。
若いくせに細かいことばかり気にするヤツだ。
俺は片方の手でハンドルを手繰りながら、もう片方の腕を吉蔵に差し出す。
すると吉蔵は待ってましたと言わんばかりに八本の触手を絡ませて、俺の腕へと乗り移った。
中野ヒマリが「ひぃっ……」と小さく悲鳴をあげる。
「――というわけで改めてタコの吉蔵、今年で七歳になる、好物はカニミソ」
「タコってそんなに生きるものなんですか……?」
「さあ、でも実際こうして生きてるわけだし、ほら挨拶」
吉蔵は器用に七本の足で俺の腕にしがみつきながら、残り一本の足を上げて、その裏側に並ぶ吸盤を中野ヒマリに見せつけた。おきまりの挨拶だ。
中野ヒマリは最初戸惑っていたようだったが、しばらくするとひきつった笑みを浮かべて、軽く会釈をする。
「ど、どうも……」
「これから長旅になるんだから仲良くしろよ」
挨拶も済んだところで、俺は再び吉蔵をシートの上に戻してやった。
「な、なるべく……頑張ります、けど……」
中野ヒマリはどこかはっきりしない返事をしながらも依然吉蔵から視線を離さない。
どうやら気に入ってくれたらしい、良かった良かった。
「……そういえば、一応、聞きたいんですけど」
気を取り直して、と言った風に、中野ヒマリが声をあげる。
「この車……どこに向かっているんですか?」
当然の疑問に、俺は横目でちらと彼女を見やった。
セーラー服のJK、そしてカニミソ……
……よし!
「行き先はたった今決めた、海央道だ」
「か、海央道!?」
中野ヒマリがただでさえ丸い目を更に丸くする。
「日本の端っこじゃないですか! あんなド田舎まで何しに行くんですか!? 芋とカニしかありませんよ!?」
「カニがある」
俺はそう言って、にやりと笑った。
吉蔵もこちらの意図が分かってか、興奮気味に漏斗をぱくつかせている。
俺もまた興奮しているらしい、ハンドルを握る手に自然と力がこもった。
「まずはこのまま国道沿いに進んで重沼県を抜け、花原県に入る、それから海沿いに北上、ひたすら北上だ、そして最終的には尾長県から続く海底トンネルをくぐって――」
そしていよいよ、それを口にする。
「――海央道でカニミソパフェを食う、それがこの旅の最終目標だ」
拍手の代わりか、吉蔵が吸盤を「ぺこぽこ」鳴らした。
一方で中野ヒマリは開いた口が塞がらないといった様子だ。
「しょ……正気ですか!? カニミソパフェって、テレビでやってたあのいかにもまずそうなアレのことですよね!?」
「食べてみないと分からないだろ、海央道の女子高生を虜にするカニミソパフェ……案外めちゃくちゃ美味いかもしれない、せっかく現役の女子高生もいることだしな、食レポ期待してるぞ」
「そ、そんな……! ここから海央道まで片道で一体どれぐらいかかると思って――!」
「夕陽は昇らない、朝陽が照らした分だけ、だ!」
「はっ!?」
ぐうん、とアクセルペダルを踏みこむ。
全身がシートに沈む心地よさを感じながら、俺は言った。
「時間も金もたっぷりあるんだ! どうせなら目標は大きくって意味だよ!」
「や、やっぱり私、降りてもいいですか……!?」
肘置きにしがみつきながら震える声で中野ヒマリが何か言っていたが、あいにくスマホから流れるご機嫌なシティポップに上書きされてよく聞こえなかった。
かくして10億を当てた俺と、セーラー服のJKと、そしてタコ、三人の旅が始まる。
夏の太陽は未だ直上で眩い光を放ちながら、俺たちが進むべき道を照らし上げていた。