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04


 10億の使い道として、高級車を買うという発想は俺の中になかった。

 車なんて乗れて走れれば、なんでもいい。

 しいて言うならば使い慣れたものが一番だ。

 そういう考えの下、俺は通勤に使っていた赤い軽自動車をそのまま今回の旅で使うことに決めたわけだが……


「世の中、本当に馬鹿ばっかりです」


 助手席のJKはカールした毛先をちりちりと指でいじりながら言った。

 一方で運転席に腰かけ、旅の始まりにぴったりの音楽を見つけるべくスマホをいじくりまわしていた俺は、ディスプレイとのにらめっこを続けながら「誰のこと?」と尋ねる。

 彼女は心底つまらなそうに、動かない窓の外の景色を眺めながら、


「少なくとも二人、見ず知らずの女子高生5億で買うとか言い出した馬鹿と、本当に娘を5億で売り渡した馬鹿が」


「確かに馬鹿ばっかりだな、ところで普段音楽とか聴く?」


「あなたが一番の大馬鹿だと思います」


 彼女がはぁぁぁぁ……と深い溜息を吐く。

 溢れ出した不幸成分が車内へ充満していくのを感じる。

 旅立ちの朝だというのに辛気臭いことこの上ない。

 実の娘を二つ返事で売り払い、さっさと家に帰ってしまったカニババアの気風の良さを見習ってほしいものだ。


「ねえ」


 なんて思っていたら、突如助手席から身を乗り出した彼女が、視界へ割り込んできた。

 改めて見てみれば、さっきの山姥が母親とは到底信じられないほどに整った顔立ちである。

 化粧は薄くナチュラルメイクで、鼻筋はすっきり通って主張しすぎず、唇も薄い。

 しかしその反面、綺麗な二重にぷっくり膨らんだ涙袋、そして小動物のように大きくて丸い黒目が異様な存在感を放っている。

 そのせいで幾分か幼く見えるが……


「……あなたは本当に、何を考えているんですか」


「何が?」


「このご時世に人身売買! 常識的に考えて許されないでしょう!?」


「常識的に……」


 思わずふふっと笑みがこぼれてしまう。


「……何笑ってるんですか」


「いやだって、ついさっきまで鉄ガザミ様とか言ってたヤツがいきなり普通のこと言うからおかしくて」


「ちょっ……!?」


 彼女の雪のように白い肌があっという間に朱色へ染まる。

 まるで茹でガニのようだ。


「わっ、私は言ってないですよ!! 言ってたのはお母さんだけですっ!!」


「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」


「な、なんですかその憐みに満ちた目……ってちょっと! 指チョキチョキしないでください! 蹴りますよ!?」


 がるるるる、と犬歯を剥き出しにして今にも噛みついてきそうな勢いだが、小動物顔なのであまり怖くはない。

 儚げな見た目に似合わず、威勢のいい女子高生である。


「本当にもう、最悪です……! こんな人に買われてしまって、私はこれからどうなってしまうんでしょうか……」


 彼女は助手席のシートに深く背中を沈め、どんよりと湿った声で言った。

 下唇を尖らせて、今にも泣き出しそうな雰囲気すらある。

 ここで違和感。


「えっ? 嫌なら別についてこなくていいんだぞ?」


「えっ?」


 えっ? と互いに顔を見合わせる俺とJK。

 なんだか話が噛み合っていない。


「……というか君が勝手に助手席に乗り込んできたんだろ?」


「えっ!? だ、だって何も言わずに車に乗り込むからてっきり、どこか、い、いかがわしいところにでも連れていくつもりなのかと……」


「なんだよついてきたいのかと思った」


 適当にあしらって、助手席のドアロックを解除する。

 彼女はドアと俺の間に忙しなく視線を行き来させて「え? え? え?」と激しく困惑した様子だ。


「そろそろ出発するから、降りたきゃ早めに降りてな」


「え、本当に? いいんですか? 降りても?」


 どうぞ、と手のひらで合図をする。

 しかし彼女は自分で言い出したくせに、なんだか釈然としない様子だ。


「な、なんで……!? 5億……5億ですよ!? それだけの大金を払ったのに何故!?」


「何故って言われても……」


 俺はしばしううんと頭を捻って考えてみた。


「夕陽は昇らない、朝陽が照らした分だけだ……って感じ?」


「はい?」


「いや、記念すべき旅立ちの朝にアレを見過ごすのはなんとなく縁起悪そうだなって思っただけでさ、俺はもう5億あれば十分、一生遊んで暮らせるわけだし」


「そ、そんな理由で……?」


「たぶん俺、10億当てた時点で一生分の運使い果たしたからなー、ここらで良いことして少しでも補充しておかないと、運」


 そう言って俺は身を乗り出し、助手席のドアを開けてやる。


「降りていいよ」


「……マジですか?」


「マジ、自由の身、夢が膨らむな」


「え、じゃあ私はこれからどうすれば……」


「母親の下へ戻るなり、親戚を訪ねるなり、着の身着のまま流浪の旅へ出るなり……まぁあれだ、そこまでは知らん」


 きっぱりと言い切ると、彼女はしばらくの間氷のように固まっていたが、やがて冬眠明けの熊のように助手席からのっそり降りて、ドアを閉めた。

 俺はスマホを操作して車内をお気に入りのシティ・ポップで満たし、シートに深く座り直す。

 吉蔵のために冷房も少し強めに効かせたし、さ、これで準備は完了だ。


「じゃあしゅっぱーつ」


 俺は丁寧にエンジンをかけ、ハンドルを切って駐車場を出る。

 そして今までの社畜人生を支えてくれた愛すべきボロアパートにウインカーで別れを告げ、住宅街を抜けた。

 さあ旅立ちだ――そう意気込んだ矢先、しかしちょいちょいと後襟を引っ張られて、すぐにブレーキペダルを踏みこむ羽目になる。

 シート裏に張り付いた吉蔵の仕業である。


「ん、どうした吉蔵?」


 何かと思ってバックミラーを覗き込んでみると、そこには後ろから全力で車を追いかけてくる人影が映り込んでいた。

 見覚えのある人影は助手席側に回り込んで、有無を言わさずドアを開け放つと、一声。


「買った物には、ちゃんと……責任、持ってください……!」


 汗で濡れた前髪をぺったりと額に貼り付けた彼女は、息も絶え絶えにそう言った。

 なるほど、言われてみれば確かにその通りである。


「シートベルト、ちゃんと締めてな」


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