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考えてみれば、今までアパレルショップの店員と話す機会なんて一度たりともなかった気がする。
いつも入店するなりめぼしい物を適当に買い物カゴへ放り込んで、そのままレジへ並んでしまうせいだろう。
もしくは声をかけられたことぐらいはあるのかもしれないが、同じことだ。
そもそもファッションに興味がないので、会話など発生するはずがない。
しかし葛西リコは違った。
人懐っこい笑顔のせいか、それともはっきり物を言う性格のせいか。
ともかく話しやすい女性であった。
「――タコじゃん!」
葛西リコが俺と並んで歩きながら、肩に取り付いた吉蔵を指して言う。
「そう、名前は吉蔵、ペット連れ込んだらまずかったかな?」
「いや? タコはいいでしょ! 犬みたいに吠えないし、猫みたいに服で爪研いだりしないし、あと毛も落ちない! トイレは?」
「行きたいときはちゃんと教えてくれるよ」
「じゃー問題ないでしょ! 吉蔵よろしくうぇーい!」
うぇーい、と背伸びをしてハイタッチを求める葛西リコと、吸盤でこれに応える吉蔵。
「みんなして適当すぎません……?」
呟くカニ子であったが「おー! ぷにぷにして気持ちいー! その帽子も似合ってんね~!」とはしゃぐ彼女の耳には届かなかったようだ。
「あ、そうだ服、服だよね! おにーさん股下何㎝?」
「気にしたこともないな」
「じゃ、ちょっと浅めにこんぐらいかな、まだ若いし黒スキニーいけるよね? 足長く見えるよぉ?」
「任せるよ」
「おっけーい、んじゃ上は……おにーさん結構細身だし、無難に白のロングTとカーキのニットとか」
「ニット? 夏だぞ?」
「ははは、サマーニットってもんがあんの、おにーさん遅れてる~」
こちらが大した情報を提示できないにも関わらず、彼女はまるで踊るように棚の間を移動して、何点かの服を見繕い、それをまとめて俺に押し付けてくる。
そのあまりの手際の良さには、俺もカニ子も驚嘆するしかない。
「はいおにーさんは大体こんな感じ、じゃあ次はそこの中学生ね」
「……えっ!? 私ですか!?」
「アンタ以外いないじゃーん、ささ行くよ行くよ」
カニ子の呆けたような反応が面白かったのか、葛西リコはけらけら笑いながら、戸惑うカニ子の背中をぐいぐいと押していく。
「わ、私、中学生じゃなくて高校生なんですが……!」
「うっそ!? ちっこくて肌も綺麗だから分からなかった! じゃあ少なくとも女子高生には見えるようにしてあげるからさ!」
「ちっ……失礼じゃないですか!?」
「ごめんごめーん、そんなに怒らないでよ~、ところで名前なんて言うの?」
カニ子の抗議もなんのその、葛西リコは向日葵のような笑顔でこれをいなしつつ、カニ子を連行していってしまった。
女子同士の服選びに男一人ついていくのもいかがなものかと思ったので、吉蔵と遊びながら待っていると、ものの数分で二人が帰ってきた。
「お待たせ~! いやぁ、楽しくてちょっと時間かかっちゃった!」
「も、戻りました……」
楽しそうに笑う葛西リコとは対照的に、カニ子は心なしかげっそりしている。
葛西リコのように「ぐいぐいくるタイプの人種」とのコミュニケーションがあまり得意ではないらしい。
憔悴しきったカニ子の手の内には、葛西リコに見繕ってもらったらしい服の山があった。
「じゃ、さっそく試着ね! ほらほら入った入った!」
そして有無を言わさず、俺とカニ子は試着室へ追い込まれてしまう。
加えて、葛西リコが流れるような動作でカニ子の試着室へ入って行ってしまったので、俺は思わず感嘆の声をもらしてしまった。
――じゃ、ヒマリちゃんお邪魔しま~す。
――ひゃあっ!!? かか葛西さん!? なんで一緒に入ってくるんですか!?
――だってヒマリちゃんオフショルの着方も分かんないじゃ~ん、無理に着て商品傷つけられても困るしぃ、ほら早く脱いで脱いで!
――ちょっ、服脱がさないで……職権乱用……わぷ!
――おっぱいでっっっっっか!?!?
――大きな声出さないでください!!
ショップ店員というのは、みんなあんなにもエネルギッシュなのか……?
俺は薄い壁越しに聞こえてくる賑やかな声にある種感心しながら、着替えを始めた。




