七十七話 黒田先輩
俺に迫る黒田先輩。その体が巨大化し、俺を覆い尽くす・・・。
そのとき、室田先輩と喜子が生徒会室に戻ってきた。
「行ってきました、生徒会長。明日には価格表が来ると思います」と喜子が報告する。
「そう。じゃあ、明日はそれに基づいて購入額の計算をするからよろしくね。・・・今日はこれで終わりにしましょう」
黒田先輩は元の姿に戻っていた。・・・いや、本当に巨大化したわけじゃない。俺の恐怖心が幻覚を見せたのだ。
「どうしたの、美知子さん。顔が赤いけど」喜子が俺の顔を見ていった。
「え?・・・いえ、別に・・・」黒田先輩を見ずに答えるが、黒田先輩の視線がどこを向いているのか気になった。
「帰りましょうか、喜子さん。・・・じゃあ、失礼します」俺は喜子をせき立てるようにして生徒会室を後にした。
「生徒会長と何を話してたの?」喜子が追求してきた。
「べ、別に。・・・頼まれていたミチンガを渡しただけよ」
「そうかしら?・・・生徒会長にはなぜか美知子さんと同じ雰囲気を感じるわ?」
「あんな美人と一緒にしないでね」
その後、喜子といつから試験勉強をするか相談しながら下校した。
翌日の五月十日は美知子の誕生日だ。しかしもう誕生日パーティーをしてしまったので、特別なことはしない。
普段通りに過ごし、放課後になると、喜子たちと一緒に生徒会室に行った。俺は昨日の事があるので、喜子と一色の後から隠れるようにして入室した。
「だから、美知子さんもそう言ってるのよ!」
いきなり黒田先輩の声がしてびくっとなった。
「でも、大学進学か・・・。敷居が高いな」水上先輩の声だった。
俺がおそるおそる室内をのぞき込むと、黒田先輩と水上先輩が言い合っていた。
「あ、美知子さん、ちょうど良かったわ!」黒田先輩が俺をめざとく見つけ、手招きをした。
「・・・どうしたんですか?」
「杏子の将来について、美知子さんの助言をもとに、大学進学を勧めていたのよ」
「美知子くん、僕は漫才師になりたいんだよ!」迫って来る水上先輩。
「も、もちろん、それは知っていますが、今は大学でいろいろなサークル活動をしていますから・・・」
「漫研もあるかな?」
漫研?漫研と言えば普通は漫画研究会だ。水上先輩が漫才研究会のつもりで言っていることに気づいたが、多分、そういうのはないだろう。
「おそらく大きな大学には落語研究会があると思いますから、そこに入って、漫才をしてみるのもいいんじゃないでしょうか?」
「落語研究会?・・・落研か。なるほど」
「あるいは演劇部に入って、コントとか、コメディとかを経験してみるのも勉強になるかもしれませんよ」
「そうか。・・・で、どこの大学がいいんだい?」
「そこまではわかりません。・・・先輩の学力にもよりますし」
「美知子さんが言うように、今年は一年間、受験勉強を頑張ってみたら?」と黒田先輩が口をはさむ。
「く〜、勉強は苦手なんだよな」
明日香も黒田先輩も成績がいいのに、この人は何で勉強が苦手なんだろう、と疑問に思った。
「どこに進学するかこれから考えるけど、美知子くん、君も同じ大学に来るんだ!」
「いえ、うちにそんな余裕は・・・」
「約束だよ!」人の話も聞かず言い捨てると、水上先輩は生徒会室を出て行った。
「相変わらず台風みたいな人ね」と室田先輩があきれ顔で言った。
「さて、それはともかく、今日もお手伝いをよろしくね!」と黒田先輩が俺たちに向かって言った。
今の騒ぎで黒田先輩に対する警戒心が吹き飛んでしまった。まったく、水上先輩は。
さて、今日の仕事は生徒会室の消耗品の購入額の計算だ。買う予定の物品の数に、業者が持ってきた価格表の値段をかけて足していく。
喜子と一色が計算を担当することになり、生徒会室備えつけのそろばんが出された。俺はそろばんでかけ算する方法を知らないので、計算結果をノートに記録する係になる。
喜子と一色がはじくそろばんの玉の音が絶え間なく響く。どうしてそんなに指を動かせるのかと不思議に思うが、そろばんは上達すれば頭で考えなくても勝手に指が動くそうだ。
何種類もの購入品の合計金額がまもなく計算された。俺が二人の計算をノートに記録するが、二人の計算した合計額がぴったりだった。
「若干金額が多いわね。どれかを削りましょう」黒田先輩がそう言って室田先輩と相談する。その相談結果によって一部再計算だ。
二人のそろばんマシーンがフル回転しているから、じきに計算が終了した。
「これで先生に発注をお願いしてくるわ」室田先輩がそう言って喜子を誘った。
「山際さん、行きましょう」
喜子は書記だから、来年のためにいろいろ経験させておくそうだ。
「じゃあ、私もこれで帰ります」と一色が言った。
これはまずい。また昨日と同じように黒田先輩と二人きりになる。
「仕事が終わったことだし、私も帰ります・・・」
そう俺が言ったら、
「まあまあ、美知子さんは急ぐ用事はないでしょ?二人が戻って来るまで、ここで一緒に待ちましょう」と黒田先輩が言った。
「じゃあ、お先に」何も疑わず帰ろうとする一色。
俺は一色の背中に腕を伸ばしたが、一色に触れる前に黒田先輩に腕をつかまれた。
「美知子さん、お茶でも飲みましょう」
黒田先輩は生徒会室の備品である急須にお茶の葉を入れ、煎茶をついでくれた。俺は椅子に座らされ、その前に茶碗が置かれる。
「ど、どうも」
俺の隣に黒田先輩が座る。
「あなたのおかげで杏子が進学してくれそうで感謝するわ」
「いえ。・・・どこかの大学に入れるといいですね」
「そうね。今から頑張れば、何とかなるでしょうね」
「黒田先輩も進学ですか?」
「ええ。・・・私は父の仕事の伝手で、将来は秘書になろうと思ってるの。それには多少の学歴があった方がよさそうなの」
頭がいい美人秘書ですか。引く手数多だろうなあ。
「美知子さんはどうするつもりなの?」
「私もできれば短大くらいは出たいと思ってるんですが・・・」
「杏子が大学に行けたとして、後を追うつもりはないの?」
「な、ないですよ。大学に行く余裕はないと思いますし、杏子先輩の後を追うだなんて、それこそ漫才の相方になると宣言するようなものじゃないですか」
「漫才の相方になれとは言わないけれど、杏子の前では同じ大学に行くつもりだと言ってもらえないかしら?」
「え?嘘をつくんですか?」
「嘘も方便と言うじゃない。杏子に受験勉強のやる気を出させるためよ」
水上先輩は苦手だが、それでも不幸になってほしいとは思わない。それに私が松葉女子高を卒業するのは二年後だ。そのとき、状況が変わって大学に進学できませんと言えばすむことかも・・・。
「わかりました。杏子先輩のためなら」そう答えてお茶をすする。
「ありがとう、美知子さん!」黒田先輩が茶碗を持ったままの俺の手を取った。「やっぱり頼りになるわね。さすがは明日香にキスした人だわ!」
俺は口に含んだお茶を吹き出しかけた。
「な、なぜ、そのことを?」
「もちろん、明日香が嬉しそうに話してくれたわ。とろけるようなキスをしてくれたって」
秘め事は、二人の秘密にしてよ、明日香ちゃん・・・。
「私も教えてもらおうかしら・・・」
「いえいえいえ、教えるほどのもんじゃございません」
怖いよ、この一族は。水上先輩の押しを迷惑に思っていたけど、従姉や妹と比べたら、まだましなんじゃないかと思えてきた。
「どうか、すてきな男性を見つけてください・・・」
俺の言葉を黒田先輩は聞き流した。
「あなたが将来、短大か大学に進むとしたら、卒業後、どこかの会社の社長秘書くらいあっせんできるかもよ。私の父の伝手で」
黒田先輩のお父さんは財界の実力者ですか!?・・・黒田先輩の母親が、水上先輩の母親と同じように美人なら、資産家に嫁いでも不思議はないだろうが。
黙ってしまった俺を見て、黒田先輩はにこっと微笑んだ。
「別に変なことを要求しないから安心して。今度、私の家へ遊びに来ない?」
「あ、あの、これから中間試験の勉強で忙しくなりますので・・・」
「じゃあ、その後ね。約束よ」
知らん間に約束したことになった。えらいこっちゃ。
そのときようやく室田先輩と喜子が戻ってきた。
「言ってきました、生徒会長」
「二人とも、お疲れさま。じゃあ、帰りましょうか」
「はい」
返事をして俺たちは生徒会室を出た。喜子が俺の顔を見て言った。
「美知子さん、また顔が赤いわよ。生徒会長に見とれていたんじゃないの?」
「そんなことないわよ。・・・それより、生徒会のお手伝いが終わったから、明日から試験勉強を始めましょうね」
俺の言葉を聞いて、怪訝そうな顔をしていた喜子に笑みが戻った。
「そうね。頑張りましょう」
家に帰ると、夕食の準備ができていた。
「お母さん、また明日から放課後、試験勉強をするから、少し遅くなります」
「こんなに勉強熱心になって嬉しいわ」と母親が微笑んだ。
「昔は勉強したがらなくて、大丈夫かしらと心配してたけど」
美知子はそんなんだったのか。前に記憶を探ったときは、そんな自覚はなかったが。
「はい。これはお父さんと私からの誕生日プレゼント」
三冊の大学ノートを手渡す母親。去年は二冊だったな。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
「なんだ、ノートか。つまんないの」
武が去年と同じことを言って、去年と同じように父親にこづかれた。




