二十八話 体育祭
十月の初めに話は戻る。この頃、衣替えがあって、俺たちは紺色のセーラー服に身を包んでいた。
今年の十月十日月曜日は、体育の日で祝日だ。二年前の東京オリンピックがこの日に始まったということで、今年から祝日になったらしい。今年は祝日が増える年なのか?
しかしその日は学校が休みでなく、体育祭、つまり運動会が開催される。
武の通う小学校も同じ日に運動会を行い、「休みが一日減った」と文句を言っていた。
その小学校も給食はお休みだ。前日の日曜日から、俺は母親と一緒にお弁当作りの準備をした。
メニューは巻き寿司だ。食材として卵、かんぴょう、キュウリ、海苔を買った。かんぴょうは夕方にゆでて柔らかくし、しょうゆやみりんの煮汁に移して煮ることで味をしみ込ませた。卵焼きも焼いておいて、その日は冷蔵庫に保管した。
翌朝、早めに起きると、巻きすに軽くあぶった海苔を乗せ、ご飯を盛って卵焼きやキュウリの細切り、かんぴょうを載せて巻いた。それを厚さ二センチくらいに切って完成だ。弁当箱に詰めておく。
水筒も俺と武の分を用意し、冷ました麦茶を入れておいた。
武は珍しく起こす前に自分で起き、家で体操服に着替えると、そのままの格好で弁当と水筒を受け取って学校に走って行った。元気なやつだ。
俺も部屋で体操服を着、ちょうちんブルマーをはくと、その上からセーラー服を着て、弁当と水筒を受け取った。
玄関から出ると、天気は快晴だった。運動会日和といえる。
すぐに恵子と合流して、一緒に登校する。
「いい天気になったね」
「競争には自信ないけどね」
学校に着くと、まず教室でセーラー服を脱いだ。二組であることを示す黄色いはちまきを頭に巻くと、自分の席の木製の椅子をグラウンドに持って出て、クラスを指定した場所に並べていった。
開会式のために、グラウンドの中央に並ぶ。初老の男性の校長先生の「一日がんばりましょう」というあいさつを聞く。
その後は、準備運動を兼ねての全員でのラジオ体操だ。もっともラジオ体操の放送時間ではないので、レコードをかけて行った。
そして競技の開始だ。
俺は、というか、美知子は運動があまり得意ではないので、事前に出場競技を決める際に、なるべく楽そうなのを選んだ。
そしてその一つ、五十メートル走がしょっぱなからあった。
学年別クラス対抗レースだ。各学年、四クラスしかないので、一組対二組対三組対四組で、得点を競う。
グラウンドは一周二百メートルのコースなので、五十メートル走は直線コースとなる。
ぶらぶらと出場選手の集合場所に集まる。一年二組からは、俺のほか恵子や良子が出場した。
俺は最初に走る四人のうちの一人だった。緊張しながらスタンディングスタート、つまり立ったままの姿勢でスタートラインに並ぶ。
「みーちゃん、がんばって!」恵子が叫んだ。
自分のクラスの方を見ると、麗子が両手を振って何かを叫んでいた。応援してくれているのだろう。淑子、河野さん、委員長の姿は見えない。三人は次の百メートル走に出場するために集合場所に集まっているからだ。
「よーい」
スタートの合図をする先生が、紙火薬を詰めたピストルを持った手を上げた。胸がドキドキする。
「パン!」ピストルが音を立てて白煙をあげた。
俺は無我夢中で走った。ゴールが長く感じられる。心臓が張り裂けそうだと思った頃にようやくゴールした。健闘むなしく三位だった。
立った姿勢でぜいぜいと荒い息を吐きながら、走者が次々とゴールするのを見守る。
恵子は二位、良子は三位だった。
お互いの健闘をたたえ合いながら、俺たちは自分の席に戻った。
「おしかったですわ、美知子さん!・・・良子さんも」麗子が声をかける。
「おしくはなかったけど、応援してくれてありがとう」
グラウンドを振り返ると、次の百メートル走が始まっていた。コースは曲線を含み、スタートラインがコースごとにずらされている。
こちらはクラウチングスタートをする生徒が多いようだ。
自分の番が終わって気が落ち着いた俺は、淑子や河野さんや委員長を、声を張り上げて応援した。
淑子は二位、河野さんと委員長は一位だった。なぜか河野さんが一位になると、よそのクラスの女子生徒が何人か「河野さーん」と叫んで喜んでいた。
「あの子らは何?」と俺が尋ねたら、
「六月の練習試合での活躍で、ファンができたみたいなの」と恵子が教えてくれた。
「それじゃあ、私は次のハードル走に出るので、もう行きますわ」と麗子。
「がんばってね、麗子さん」俺が声をかけると麗子はにっこりと微笑んだ。
ハードル走は五十メートルと八十メートルがある。その次は輪回しなので、出場する俺は集合場所に向かった。
輪回しとは、自転車の車輪のリム(自転車の車輪からゴムタイヤとスポークを外したリング状の金属部分)に竹の棒を当て、転がしながら進む競技である。
リムが倒れないように回転させ続けるのがポイントだが、そう難しい競技ではない。
俺は慎重にころころと転がしていったので、リムが倒れることはなかったが、結局また三位だった。
輪回しには頼子も出場し、一位になっていた。別にうらやましくはない・・・。
次は障害物競走だ。障害物は平行台、跳び箱、ネットくぐりがある。
俺は出ないが、恵子と良子が出場した。二人とも小柄だから、ネットくぐりが早いだろうと見越しての人選だったが、跳び箱は苦手なようで、二人とも跳び箱の上で尻もちをついた。結果は三位と四位だった。
続いての二百メートル走と四百メートル走にも俺は出ない。グラウンドを一周ないし二周も走るなんて、俺にはとうてい無理だ。
しかし、河野さんが四百メートル走に出場した。俺は精いっぱい応援したが、余裕の一位だった。
「さすが、河野さん!すてきー!」
俺が河野さんのファンに負けじと声援すると、恵子と麗子が俺の顔を見た。なんか変なことを言ったかな?
四百メートル走が終わると昼休みだ。俺たちは教室に戻って行った。
「さすがは河野さん、大活躍だね」
俺が河野さんをたたえると、河野さんは照れながら、
「いやー、ほかに取り柄がないからね。美知子も頑張っているよ」と言った。
頑張っているつもりですが、結果を出せていません。
「喜子さんも速かったね」と、委員長もほめると、
「私は持久力がないので、短距離がせいぜいなの」と謙遜していた。
「う~、体育じゃ活躍できないよ」と小柄な恵子は嘆いていた。
ハードル走で三位だった麗子もくやしそうな顔をしていた。頑張り屋だな、と俺は思った。
教室の椅子は外に出していたので、俺たちは弁当を持ってグラウンドの自分の席に戻った。普段は昼休みに学校からお茶がやかんで支給されているが、今日はお茶がない。そこで水筒持参だ。ちなみにスポーツドリンクはまだ市販されていない。
弁当箱を開くと、作るのを手伝った巻き寿司を一個口に入れた。甘辛く煮たかんぴょう、甘い卵焼き、みずみずしく食感のいいキュウリが口の中でご飯と渾然一体となって、なかなかうまい。
淑子の弁当を見ると、海苔を巻いたおにぎりが二個に卵焼きとタクアンが入っていた。
「それ、トシちゃんが作ったの?だいぶ上達したじゃない」
俺がそう言うと、淑子は照れ笑いをした。
「あれから炊飯器を買ってもらったからね。中村先生のためにも、料理を少しずつ勉強してるんだ」
淑子の食生活が向上しているようで何よりだった。
昼食後は、まず全員参加のフォークダンスが行われた。食後すぐの激しい運動は体に悪いので、腹ごなしの軽い運動という意味があるのかも知れない。
各クラスの生徒が適当に二列に並んだ。この二列を仮に列A、列Bと呼ぶとすれば、各学年で一組から四組までの列Aを輪状に連結した列と、同様に連結した列Bが対になってフォークダンスを踊るのである。当然、女子どうしで踊ることになる。
俺が何気なく列Aの方に並ぶと、なぜか恵子、淑子、河野さん、委員長、麗子は列Bの方に並んだ。頼子と良子は俺と同じ列Aである。
「なんでみんなそっちに並ぶの?」と俺が聞くと、
「こっちだとみーちゃんと踊れるから」と恵子が答えた。淑子たちもうんうんとうなずいている。
そしてフォークダンスでよく聞くあの曲がかけられ、スピーカーから、ちゃららっちゃん、ちゃらちゃら、ちゃららららんとメロディーが聞こえてくると、九月中の体育の授業で練習したフォークダンスを踊り始めた。
親しい友だちの中で最初に相手になったのは恵子だった。高校生にもなってフォークダンスだなんて、少し照れくさい気がするが、恵子は楽しそうに踊っていた。
淑子も天真爛漫に踊った。相手がこうだと、こっちも楽しくなってくる。
河野さんは俺の体をぐっと引き寄せた。
「今日の河野さんはかっこいいね」と囁くと、
「美知子にそう言ってもらえると嬉しいよ」と言ってきた。男前だ。
委員長もなぜか体を密着させてきた。俺は息が上がってきたので、何も言えなかったが、委員長は楽しそうに踊っていた。
麗子の手は少し汗ばんでいたが、彼女も体を密着させてきた。これはいつものボディータッチで、もう慣れた。
やっとフォークダンスが終わると、次は二人三脚だ。出場競技を決める際に、俺に二人三脚に出たらと誰かが言ってきた。俺は文字通り足を引っ張るからと言って断った。フォークダンスだけで息が切れていたので、やっぱり正解だった。
二人三脚に出るのは、まず頼子と良子のペアだ。二人は仲良しだが、身長差があるので競技的には不利だと思う。・・・そして三位だった。
次は麗子と委員長のペアだ。機械的に足を運び、何と一位になった。
しかし俺は次の借り物競争に出るため、二人を祝福する暇がなかった。
借り物競争は、五十メートルのコースの途中に借りる物の名前を書いた紙がいくつか落ちており、その中から任意に選ぶようになっている。
俺が拾った紙には「美人教師」と書いてあった。
俺は仕方なく中村先生を見つけると、紙を見せて一緒に走ってもらった。
初めての一位だった。
中村先生は「私を選ぶなんて見る目があるわね」と嬉しそうだったが、半分は担任へのごますりだ。心の中で舌を出す。
そして体育祭のラストは、メインイベントのクラス対抗リレーだ。各クラスから選抜された選手が四人ずつ出て、百メートルずつのリレーとなる。
この競技には、当然ながら河野さんと委員長が出場した。委員長が最初の走者、河野さんがアンカーだ。
スタートのピストルが鳴る。すべての出番が終わっていた俺は、声が枯れるほどの声援を送った。
委員長は二位でバトンを渡した。その後、抜きつ抜かれつして、河野さんにバトンが渡ったときは三位になっていた。
そこから河野さんの怒涛の追い上げが始まる。俺たちはみんな立ち上がって応援した。
河野さんはまもなく二位の選手を抜くと、ぐんぐんと迫って一位の選手とほぼ同着でゴールした。
俺たちは飛び上がって喜んだ。
そして一位と判定されたのを聞いた俺は、ふらふらして倒れそうになり、恵子と麗子に体を支えてもらうほどだった。
それでも委員長と河野さんが戻ってくると、俺は二人に抱きついて「頑張ったね、すごかった!」とほめたたえた。二人とも顔を赤くして喜んでいた。
それを見た河野さんのファンの生徒たちが黄色い声を張り上げていた。
俺は感動しすぎたせいか、放心状態になって閉会式を迎えた。クラス別の順位は二位だったが、大げさに喜ぶほどの体力は残っていなかった。
そして「新世界より」第二楽章(家路)の曲が流れる中で、自分の椅子を教室に運ぶ。
教室で土がついた体操服を脱ぎ、体操服袋に入れると、セーラー服を着て下校した。
「みんな頑張ったね」一緒に帰っていた恵子が言った。
「でも、委員長と河野さんに抱きつくなんて、興奮しすぎだよ、みーちゃん」
そうかな?・・・でも確かに、こんなに興奮した運動会は、俺と美知子の人生を合わせても初めてだった。




