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剣聖の称号を持つ料理人  作者: 天那
第一章
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第06話 おぬし、いったい何者じゃ


「にゃわぁ……な、なんですかこの美味しいお肉は」


 涙を流しながらステーキを咀嚼するリンを眺め、春樹は嬉しそうに微笑んだ。

 アイゼルを追い払った翌日、約束通りステーキを焼いてあげた春樹だが、尻尾を振って喜ぶリンを興味深げに眺める。


「よかった。リンさんの保存の仕方がいいんですよ」

「そんなわけないですぅ。これ、こんなお肉買った覚えありませんっ」


 ダバダバと感涙しつつも皿の上のステーキはどんどん無くなっていき、ものの十分もしない内に空になってしまった。

 300gは焼いたはずだがと、軽く驚きながら春樹はリンを見やる。


「うう、無くなってしまいました」


 悲しそうに皿を見下ろすリンに微笑みつつ、春樹は素直な喜びを胸に噛みしめる。

 やはり食べた人が喜んでくれるのが一番嬉しい。料理人としての矜持を再確認しつつ、春樹は飲み終わっていたグラスに水を注いだ。


「ほんとハルキさんって料理上手かったんですねぇ。なんで言ってくれなかったんですか?」

「いや、なんていうか仕込みで雇われたので」


 料理の実力はどうあれ、この店の厨房の主はリンだ。あまりしゃしゃり出るものではないと思っていたが、どうも気にしなくてもよかったらしい。


「まぁリンさんがやれと言うならコックもしますけど……その分のお給料は貰いますよ?」

「うぐっ、痛いところを」


 大衆食堂「ねこのひげ」の経営は悪くはないものの、それでも庶民の懐事情は厳しいものだ。仕込みのバイトを雇うのが精一杯だったリンは、うぐぐぐと両手を使って人件費を計算しだした。


 薄情にも思えるが、自分が店の厨房を担うわけにはいかない。なにせ春樹には夢があり、つまりはいずれこの店を後にするということだ。

 そんなとき、春樹を軸に店を回していては大変なことになるだろう。


「わ、わかりました。これでなんとか、私のご飯だけでも作ってください」

「どういうことですかそれ」


 リンの提案にさすがの春樹もくすりと笑った。ただ自分の料理を気に入ってくれていることは伝わってきて、久しい感覚に春樹は胸を熱くする。


「部屋も貸してもらってる身ですし、賄いくらいなら作りますよ」

「ほんとですか!? やったですー!」


 わぁいとリンの両手が上がった。素直な人だと思いながら、春樹はエプロンを締め直す。


「料理も教えますよ。何品か、きちんと作れるようになりましょう」

「え? いいんですか?」


 頷いた。春樹とて、右も左もわからない異世界で職と寝床を提供してくれたリンには感謝している。自分の技術が役に立つならこれほどのことはない。


「ちょっとした手間を加えるだけでも随分とですね……」


 教えるならレシピはなにがいいだろうか。リンのスキルも考えつつ、春樹は頭の中のメニューをめくっていく。


 そのときだ。店の扉が大きな音と共に勢いよく開かれた。


「たのもー! 竜殺しのいる店というのはこちらか!?」


 これまた威勢のいい声に驚いた春樹とリンが顔を向ける。

 そこには、美しい銀色の毛並みを携えた亜人の女が仁王立ちしていた。


 狼の亜人だろうか。煌めく銀色の尻尾と耳の毛に、春樹は「なんだなんだ?」と目を向ける。

 女は春樹に目を留めると、軽やかな足取りで食堂の客席を直進してきた。


「おお! お前が竜殺しか! はは! 噂通り、随分と優男だな! とてもアイゼルを捻った男とは思えんぞ!」


 ガチャガチャと甲冑を鳴らしながら、女は真っ直ぐに近づいてくる。女の口から出てきた嫌な名前に、春樹はリンを守るように前に出た。

 春樹の手がテーブルの上のナイフに伸びたのを見て、女が慌てて両手を上げる。


「おおっとすまない! 勘違いしないでくれ、今日は詫びを言いに来たんだ!」

「詫び?」


 ちらりと女の甲冑に刻まれた紋章に目を留める。薔薇と剣を模した洒落たデザインだ。確か、アイゼルの羽織っていたマントにも同じものがあったことを春樹は思い出す。


「私は近衛騎士団団長、アイリッシュ・スパニエル。この度は部下のアイゼルが大変失礼した。団長として、心よりお詫び申し上げる」


 女は姿勢を正すと、リンと春樹に向かって頭を下げた。いきなりで面食らった春樹だが、横のリンの目が随分と見開かれているのに気がつく。


「知ってるんですか?」

「し、知ってるもなにも! 騎士団長さんですよ!? にゃわわわ! こ、こちらこそ! わざわざありがとうございます!」


 へへー!とリンもアイリッシュに向かって頭を下げた。どうもリンからすれば中々に天上人な人種らしく、へこへこしているリンに春樹はむっと眉を寄せる。


「頭なんて下げる必要ないですよリンさん。完全に向こう方のしでかしたことなんですから。詫びっていうなら、あのアイゼルとかいう奴も頭下げに来るのが普通でしょうに」


 アイリッシュを睨みつける春樹をリンは慌てて制した。この街の領主が率いる近衛騎士団の団長だ。逆らったらなにがあるかわかったものではないと、ハラハラしながらリンはアイリッシュの顔色を伺う。


 そのアイリッシュはというと、睨みつけてくる春樹を一度見つめると、もう一度深々と腰を折った。


「いや、まことそちらの言う通り。この度の部下の非礼、重ね重ねお詫び申す」


 頭を垂らすアイリッシュを見て、春樹も憮然と息を吐いた。謝って済む問題でもないと思うが、当のリンは穏便に済ませたいようで。ならば自分がこれ以上こじらすわけにはいかないと春樹は追求を止める。


「アイゼルの奴は、軍規違反で懲罰房に送られている。この場にて謝罪できぬこと、ご了承願いたい」


 アイリッシュの言葉に春樹も思わず息を呑んだ。彼女の顔は真摯そのもので、どうもあの男はこってりと絞られるようだ。

 彼女の腰に下げられた長剣に目をやった。食事用のナイフなどとは比べようもないそれは、アイリッシュが軍人であることを如実に物語っている。


「有能だからと素行の悪さに目を瞑っていた私の失態だ。本当に申し訳ない」


 そう言いながら、アイリッシュは懐から布袋を取り出した。テーブルに置かれたそれは、重量感のある音と共に口を開く。

 中身を見て、リンがぎょっと目を開いた。


「近衛隊からの公式な謝罪金だ。どうか受け取っていただきたい」

「ふおおお!? い、いいんですかこんなに!?」


 春樹にはピンとこないが、リンの反応からするに十分すぎる金額のようだ。金で解決されるのも癪だが、リンが喜んでいるのでまぁいいかと春樹はアイリッシュに向き直る。


「と、ここまでが謝罪だ。ここからは別の任務で話させてもらう」


 そう言うとアイリッシュは春樹に目を向けた。じっと見つめられ、春樹は「なんだ?」と顔を引く。

 不安そうに耳澄ます二人の前で、アイリッシュは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「タマモ様からの召令状だ。竜殺し、城へご同行願おうか」


 リンがあんぐりと口を開け、春樹は「マジかよ」と羊皮紙を見つめる。

 有無を言わせぬ迫力のアイリッシュに、二人は顔を見合わせるのだった。



 ◆  ◆  ◆



 目の前の人物に、春樹は思わず膝を突いていた。


「ほう……おぬしが竜殺しか」


 高級なワイングラスを割ったときのような美しい声。その声を聞きながら、春樹は乾いた喉を無理やり飲み込んだ。


 目の前には、美しさを体現したような女性が笑っていた。

 こんな生き物がいるのかと、春樹は来てしまった異世界を想う。


 アイリッシュに案内された城。城下からも見ることができるその大広間で、春樹はそこの主と対面していた。


「ふふ、そう固くなるでない。おぬしの噂は聞いておるぞ」


 妖艶な声は、まるで妖術のように春樹の脳を揺さぶった。

 切れ長の目が細くなり、美しすぎる笑顔にぞっと背筋を凍らせる。


 九尾の狐。誰でも、名前くらいは聞いたことがあるだろう。


 眩いばかりに輝く黄金の尾に、目を回しそうになってしまう。

 それが九本。自身の尾を膝掛け代わりに、この地の主は悠然と客人を出迎えていた。


「森のドラゴンを討ったらしいな。それも、剣ではなく包丁で。見事な腕前じゃ」


 びくりと春樹は身を揺らした。店の常連にすら広まっている噂だ。そこを誤魔化すのは具合が悪いと、春樹は正直に頷いた。


「ありがとうございます。ただ、討てたのは偶然です。……無我夢中で振った包丁が、偶然ドラゴンの喉元に」


 スキルのことまで馬鹿正直に話す義理はない。なにか嫌な予感がして、春樹はその身に宿る剣聖を隠すことにした。

 しかし、眼前の妖狐に隠し事は無意味だったようだ。にたりと笑われ、愉快そうにタマモは春樹の顔を見つめる。


「くく、馬鹿を言うでない。ただの素人に、妾の近衛兵が負けるとでも?」


 タマモに言われ、春樹も口を噤んでしまう。面倒なことをしてくれたなと、髭面のエルフを思い浮かべた。


「アイゼルの奴はどうしようもない男じゃが、剣の腕だけは近衛隊の中でも随一よ。その男を、食事用のナイフで完封じゃと? ……おぬし、いったい何者じゃ」


 一瞬、タマモの目が鋭いものへと変わっていく。

 返答を誤ればただではすまない視線を受けて、春樹は真っ直ぐにタマモを見つめた。


「俺は料理人です。剣士じゃない」


 これは、嘘偽りのない真実だ。真実は妖狐の瞳を突破して、タマモを愉快げに笑わせる。


「くく、ははは! 料理人ときたか! 竜を捌く料理人など聞いたこともないわ!」


 心底おかしそうに、タマモは声をあげて笑う。その度に尻尾が揺れて、煌めく金尾はこの世のものとは思えぬほどに美しかった。

 ひとしきり笑った後、妖狐は手に持っていた扇を広げる。


「ハルキといったか……おぬし、そこのアイリと試合うがいい。勝てばおぬしを料理人として迎え入れよう。じゃが負ければ……妾の近衛隊で剣士として仕えてもらう」


 傍らに控えていたアイリッシュへとそれを向け、タマモは満開の笑みで口を開いた。


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