第05話 謎は全てとけました!
目の前に出されたステーキを前にして、アイゼルは眉を寄せた。
端的に言えば、それが「美味しそう」だったからだ。
「熟成肉の炭火ステーキです。冷めない内にどうぞ」
促され、アイゼルは黙ってナイフとフォークを手に取った。
皿に盛られた肉はかなりの厚みがありボリューミーだ。適度な焦げ目の表面から漂ってくる薫香にアイゼルの喉がごくりと鳴る。
「大層な言い方しても、屑肉を焼いただけに変わりはねぇだろ」
嫌みを言った後、ナイフが肉に立てられる。
一口大にカットした肉を見て、アイゼルは目を見開いた。
焼き上がりの断面。内部には一様に火が通り、ロゼ色の肉が出迎えてくれる。焼き上がった肉をあえてやすませずに提供されたステーキは、どこまでもジューシーにその美しい断面を見せつけていた。
嫌な予感がしつつもアイゼルが肉を口に運び、噛みしめた途端に絶句した。
ゆっくりと咀嚼し、そんな馬鹿なともう一口を放り込む。
「……ッ」
固まるアイゼルを常連が固唾をのんで見守った。そんな中で、春樹は一歩前に進む。
「完璧な火入れのはずだ。文句があるなら言ってくれ」
その一言に、アイゼルは荒々しく立ち上がった。椅子が音を立てて倒れ、辺りが俄にざわめき出す。
なにも言い返せなくなったアイゼルは、腰に下げていた長剣を抜き放った。
「てめぇ、コケにしやがって。覚悟は出来てるんだろうな?」
煌めく剣先が春樹に真っ直ぐ向けられる。腐っても上級兵士。狙われては命はない相手に、周りの客とリンの身が竦み上がった。
アイゼルに向かい、春樹は淡々と確認する。
「美味かったんだな? 約束は守ってもらうぞ」
「……ッ! 本当にてめぇは!」
どこまでも表情の変わらない春樹に、ついにアイゼルは青筋を立てた。剣を振りかぶり、こちらもなにかの覚悟を決める。
「隊長には丁重にお出迎えしろと言われたが……関係ねぇ! ここまで俺さまを虚仮にしたんだ! 大怪我だけじゃ済まないぜ!」
丸腰の相手に、けれどアイゼルは容赦しなかった。
剣の腕だけならば一流。隊の中でも何人もはいない太刀筋に、その場の空気が破裂する。
キンと、綺麗な音が鳴り響いた。
「……なッ!?」
客やリンは追いついていない速度。事態にいち早く気づいたのは、流石だと言うべきか。
自慢の長剣は根本から切断され、その破片がテーブルへと突き刺さる前に、春樹の握りしめたナイフがアイゼルの喉元に添えられていた。
ひやりと伝わる感覚に、アイゼルはぞっと背筋を凍らせる。
確かに丸腰だったはずだ。添えられているナイフは、先ほどまで自分が肉を切っていたものだった。
(あの一瞬で、ナイフを拾って反撃したっていうのか――!?)
そんなこと、あの隊長ですら可能なのだろうか。アイゼルの喉が急速に乾いていく中で、ナイフの刃がぴたりと首に着けられた。
薄皮一枚が切り裂かれ、小さな血の玉がぷつと浮かぶ。
「帰ってくれないか。これ以上やると、あんたが食材に見えてきそうなんだ」
春樹の声に冷徹なものを感じ取り、アイゼルはゆっくりと両手を上げた。折れた剣を鞘に仕舞い、一目散に店を後にする。
「――ッ! 覚えてやがれ!」
捨て台詞を吐くアイゼルを、「本当に言うんだ」と春樹は無言で見送った。
息を吐き、速くなった鼓動を整える。そのときだ。
「ハルキさーんッ!!」
涙を浮かべたリンに背中から突撃され、春樹はごふりと空気を吐いた。
リンだけではない、春樹の周りに常連客も群がってくる。
「すげぇぞあんた! あれ、国の上級兵だぜ!? ドラゴンを退治したって噂は本当だったんだな!」
「スカッとしたぜ! あいつら、強いからって威張りくさってやがったからよ!」
バンバンと背中を叩かれ、春樹はどうしたものかと頬を掻いた。個人的には、剣技よりもステーキの方を褒めてほしい。
しかし、まぁいいかと思い直し、春樹もようやくこの世界で心の底から笑うのだった。
◆ ◆ ◆
「ハルキさん? 入りますよ」
数回の軽いノックの後、木製の扉が開かれた。ひょこりと顔を覗かせたリンの目に、ベッドに座る春樹が映る。
にこりと笑う春樹の下へ、リンは照れくさそうに近寄った。
「その……ありがとうございます。助けていただいて」
ちらちらと春樹の顔を窺いながら、リンは佇む春樹の身体に目を落とした。
鍛えられてはいるが、細身な身体だ。まるでエルフのような青年のどこにあれほどの力があるのかと、リンはごくりと唾を飲み込んだ。
組合から聞かされた「竜殺し」の逸話。話半分に聞いていたが、今なら分かる。
目の前の青年は、森の主をも始末した剣客なのだ。
「えっと……つ、強いんですね。私、びっくりしちゃって」
にゃははと笑うリンの声を聞きながら、春樹は「そりゃそうだよな」と手元を見つめた。
自分としてはステーキに驚いて欲しかったところだが、あの状況だとそうもいかないようだ。
「って、えっ……?」
不意に、春樹の手元を見やったリンの喉から声が漏れた。
どうしたんだろうと見てみると、なんてことはない、春樹の両手がふるふると震えている。
先ほどの感触を思い出して、春樹は当然かと苦笑した。
「すみません。今更なんですが、怖くなってきたみたいです」
ナイフを人の肌に当てた感覚。それだけではない、薄皮とはいえ、血が出るほどに刃を立てた。
これもスキルのおかげだろうか。本人の意思に関係なく、嫌というほどに右手の感触が残っている。
「人に刃を向けたのは、あれが初めてです」
「えっ!?」
春樹の言葉に驚いたのはリンだ。昼間のナイフ捌き、まぐれなんてことはない。百戦錬磨を思わせた春樹の動きを思いだし、困惑したようにリンは眉を寄せる。
ただ、春樹が嘘を言っているようにはどうしても思えなかった。
「……ハルキさんは、料理人さんなんですか?」
「へ?」
今度は春樹が声を漏らす番だ。聞かれたかった質問だが、いきなりの問いかけに思わず声が出てしまう。
「そ、そうですけど。……えっと」
「謎がとけました」
そこには、キラキラと目を輝かせたリンがいた。
「私、不思議だったんですよ! なんかお客さんからの評判よくなったなって! あれもハルキさんのおかげだったんですね!」
鼻を膨らまし、リンの猫耳と尻尾がふんふん揺れる。
「そうなの……かな? それだと嬉しいんですが」
「そうですよ! そしてあのナイフ捌き! 謎は全てとけました!」
拳を握り、リンは興奮したように口を開く。
「料理人だから、刃物の扱いも上手なんですよ! でしょう!?」
ふんすと、リンは己の推理を春樹にぶつける。
ただ、当たらずとも遠からずなリンの推理に、春樹は「そ、そうですね」としか言えなかった。
「わぁ、嬉しいですぅ。女の一人暮らしで不安だったんですよー。料理が上手なだけじゃなくて強いだなんて。雇ってよかったです」
「な、ならよかったです」
そんな単純な話だろうかと春樹は脳天気に喜んでいるリンの話を聞く。ただ、雇い主から気に入られるのは良いことだと、春樹は素直に息を吐いた。
「明日からハルキさんが作ってくださいよ」
「え、いや。そこはリンさんが作りましょうよ」
流されていてはこの店に永住しそうだ。可愛らしいリンの顔をちらりと覗いて「それもいいんじゃないか?」と心の中の自分が呟くが、夢を確認したばかりだろと春樹は自身に渇を入れた。
「あ、あと私にもあのステーキ焼いてください」
じゅるりと涎を我慢しているリンを見やりつつ、春樹は笑う。ともあれ当面の生活に心配はなさそうだと、先行き不安な異世界生活にひとまずの安堵を得るのだった。