第04話 中はあくまでもジューシーに
「なんだぁお前」
アイゼルの瞳が春樹を捉えた。そして、顔を見るやにやりと笑う。
「黒髪に妙な耳。なるほど、お前か」
ニヤニヤと見つめられ春樹は眉を寄せた。どうやらアイゼルは自分のことを知っているらしい。
どかりと椅子に体重を預け、アイゼルは不遜な態度で口を開いた。
「まずい飯を出された上に店員まで、どこまで無礼な店なんだここは。反逆罪で営業停止にしてもいいんだぞ?」
アイゼルの言葉にリンがびくりと身体を竦めた。それに益々気をよくして、アイゼルは手元のナイフを春樹に向ける。
「どう落とし前つけてくれるんだ。あぁん?」
初めから絡むのが目的だったのは明白だが、アイゼルの言うとおり収拾はつけなければならない。
「あんたに美味い料理を食べさせる。それで文句ないだろ」
「は?」
春樹の提案に、アイゼルの口がぽかんと開いた。リンも常連も「なにを言ってるんだ」という瞳で春樹を見つめる。
「ぎゃはは! なんだ、お前さんが作るってのか! いいぜ! そういうことなら乗ってやるよ」
ひとしきり笑った後、アイゼルはテーブルの上を指さした。
余裕の笑みを浮かべながら、アイゼルは春樹に向かって条件を告げる。
「いいか。俺さまが食べたことないような、美味いステーキを持ってこい。当然、この店にある肉でだ」
アイゼルの提示した条件に、店の中がざわめき出す。
「ひ、卑怯だぞ! ステーキなんて肉焼いただけの料理! 誰が作っても一緒じゃねーか!」
「こんな大衆食堂に、そんな上等な肉あるわけねーだろ!」
横暴だと騒ぐ常連の声を、アイゼルは悠々と聞き流した。
どうする? と春樹に向かって笑いかける。
「買い出しに行くのはなしだぜ。せいぜい美味い肉を食わせてくれや」
勝ち誇った笑みに春樹は厨房を見回した。
ステーキ……上手い条件だ。焼き加減はどうあれ、この世界だと肉の質がほとんどを決めるだろう。
「リンさん。ステーキに使えるようなブロック肉はありますか?」
「そ、そりゃあ……あるにはありますけど」
心配そうなリンの顔を見ながら、春樹は大丈夫だと微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「うちで出せるお肉だと、これが一番いいやつですけど」
木の板に乗せられた肉の塊を、不安げな表情でリンは見つめた。
大きな塊は数キロはあろうかというもので、けれど見たところそこまで上等なものには見えない。
「でも、そこまでいいお肉じゃ。そんなに新鮮でもないですし。あんな上級の方が食べてるようなものにはとても……」
「構いません」
春樹はそう言うと肉にそっと手を触れた。
やや筋肉質の赤身だ。昨日今日捌いたものでもない。サシは少なく、リンが言うとおり貴族の口に入るような肉とは差があるだろう。
――好都合だ。
春樹はくんと鼻を鳴らした。嫌な匂いはまったくない。リンが丁寧に保存している証拠だ。
――熟成具合もいい。リンさんに感謝だな。
これだけの肉があれば十分すぎる。春樹は袖をめくると厨房にあったエプロンを腰に巻いた。
準備を始めた春樹に、リンが困惑した顔を向ける。それも当然で、リンはこの一週間、春樹が料理をしているところなど見たことがない。
「リンさん、炭火を貸してもらえますか?」
柔和に微笑む春樹に、リンはこくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
「あの、ハルキさんって料理……」
「炭火は、サシの少ない赤身肉が最適と言われています」
春樹の呟きに、「へ?」とリンは戸惑った。
まな板の上に肉の塊が移動される。春樹の右腕が包丁に伸び、気づいたときには一枚のステーキ肉がまな板の上に広げられていた。
「え?」
切った瞬間も、構えた瞬間すら分からなかった。満足げに断面を見つめる春樹を、信じられないようにリンは見上げる。
よい切り口だ。これならば、肉の旨みを全く逃がすことなく焼き上げることが可能だろう。
――スキルを使うのはここまでだ。
だが、切り口だけで美味くなるなら苦労はしない。春樹は久しぶりの感覚に全身の毛を逆立たせた。
炭火を見て、頃合いだと肉を取る。
加熱された網の上に置かれた肉が、じゅうと腹を鳴らすような音を立てた。
「厚みのある肉は、炭の真上で焼くと中に火が通る前に表面が焦げてしまいます」
少し火風から遠い場所で、柔らかく火を入れる。
完全ではないものの、上手に熟成が進んだ肉。部分的に水分が抜けムラが入りやすいため調理は難しいが、その変わりに肉の旨み自体は上等だ。
「炭が燃えることで発生する赤外線が、素材そのものに当たって加熱されるというのが炭火焼きの原理です。輻射熱は直線的に遠くまで届き、素材のすみずみまで均一に加熱することができます」
「はい?」
最新技法や機器を使った調理もいいものだが、昔ながらの調理法にも素晴らしさは当然ある。
赤外線によって効率的かつスピーディーに加熱する。水分を失いにくくジューシーに焼きあげることができるその手法は、赤身肉の香りを引き出し、野性味をあますことなく際立たせてくれる。
――誰が焼いても一緒かどうか、味わって貰おうじゃないか。
肉の表面は柔らかさを保ちつつもこんがりと、中はあくまでもジューシーに。炭火による加熱だからこそ作り出せる、原始的ながらも計算尽くされた焼き上がり。
仕事箱の中から、春樹は細い鉄串を取り出した。リンが不思議そうに見つめる前で、それを肉に向かって刺していく。
新しめの肉なら70℃、これくらい熟成が進んでいる肉なら60℃ほど。
「よし、いい感じだ」
芯温を肌で確かめ、春樹は頷いて加熱を止めた。