第05話 自慢の妻です
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「あの……夕飯はやはり私が」
「いいからいいから! エリサさんはどしっと座っておいてくださいよ!」
にこにこしたリンに促され、エリサは落ち着かないように椅子に座った。
まだなにも来ていないダイニングテーブルを見て、エリサは内心で溜息を吐く。
確かに、あの青年ならば自分でも食べれる料理を持ってきてくれるだろうが。問題はそこではない。エリサ自身は、本当に粥だけで生活してもいいと思っているのだ。
「大丈夫ですよ」
傍らの声に、エリサが振り返る。
にっこりと笑うリンの顔を見ているうちに、エリサも仕方がないかと力を抜いた。
(嫌われるならば……早いほうが)
そんなことを思いながら、エリサはじっと扉を見つめる。
生き方は変えられない。自分でもなぜこうなったのかなど忘れてしまったが、この齢でも譲れないことはあるのだ。
そして、待つこと数十分。長い沈黙の果てに、食堂の扉が開かれた。
「お待たせしました。本日のディナーをお持ちいたしました」
そう言って入ってきた青年の傍らを見て、エリサは驚いて顔をあげた。
いつもの袴姿はそのままに、夫がエプロンをしているのだから仕方がない。
「と、トーゴさん! その格好は……?」
「いやはや、そんなに君に見つめられるとは。照れてしまうよ」
頬を掻くトーゴに、エリサは「すみませんっ」と視線を逸らす。
しかし、あの格好が示すことなどひとつしかない。それどころか、ご丁寧に蓋をした皿を抱えている。なんてことをさせるのだと、エリサはあっけらかんと立っている料理人を見やった。
「ハルキさん。まさか今日の料理は……」
「エリサ」
言いかけて、それはトーゴに止められた。見るとすでにトーゴが、エリサの前まで皿を持って運んできている。
目の前に置かれた白い皿に、エリサは困惑の目を落とした。
そして、優しく丁寧に乗せられていた蓋が開く。
「ふぁ」
思わず、立ち上る香りと温かさに声が出た。
皿の上には丸いパイのようなものが乗っていて、トーゴはエリサにナイフとフォークを取るように目配せする。
「トーゴさん……」
「いいから」
促されるがままに、エリサは食器をパイへと入れた。
その瞬間だ。切り口から、芳醇な香りが解き放たれる。
豆と、ミントと、それにチーズ。美味しそうな香りに、エリサのお腹がぐぅと鳴った。
「あっ、その! これは!」
エリサが赤面してトーゴを見やる。それに「恥ずかしがることはない」と微笑んで、トーゴは皿の名前を口にした。
「アオマメのフイユテ。ロックフォールのソース、ミントの香りと言うそうだ。はは、こんな洒落た名前の料理、僕には似合わないと思うけど」
柔和に笑うトーゴに、エリサは確信する。やはりこの料理はトーゴが作ったのだ。
見つめられながら、エリサはフイユテを口に運ぶ。
「……美味しい」
噛みしめた瞬間に、エリサは心の底から口にした。
豆の独特な香りと、ポクポクした口当たり。ままの豆と粗くつぶした豆が、異なる食感を口へと運んで来てくれる。
それだけではない。豆と相性のよいチーズ、それを纏めるミントの香り。全てがバランスよく、心地のよい食感と風味を与えてくれている。
勿論、技術としてはまだ拙い。不格好なパイに、心配性なのか全体的に火も通り過ぎている。けれど、そんなことは関係なく、エリサはその焼いて閉じ込められた香りに涙した。
「……なんだか、久しく『食べる』ということを忘れていた気がします。そうです。私は、美味しいものを食べるのも好きでした」
一すじの涙を流すエリサを、トーゴが見つめる。
食べ進めるエリサを見て、安堵よりも大きな熱いものがこみ上げてきた。
「なんだか、元気になった気がします。ふふ、食べたばかりなのに」
微笑むエリサに、傍らの春樹が口を開いた。
「豆は上質なタンパク質……お肉の代わりになるものです。それと、乳製品は栄養価も高くエリサさんの身体には必要でしょう。他にも、エリサさんが食べられるもので作る料理をトーゴさんにお教えしました」
説明に驚いた顔でエリサが春樹を見つめる。
「お肉の……代わりになるんですか?」
「ええ。豆類は畑の肉と呼ばれるほど滋養に富む食材です。粥だけの生活よりは、遙かにマシになるでしょう」
現代日本のベジタリアンならば当たり前の知識すら彼女にはない。彼女の葛藤や苦悩は、どれほどのものがあっただろうか。
けれど、知識を伝えてそれで済むならば、人は誰かとの関係で悩むことはない。
「エリサさん。……お伝えして、よろしいですね?」
春樹の視線に、エリサはぐっと押し黙った。
しかし、フイユテの皿の香りが、ほんの少しだけ少女に勇気をくれる。
この人ならば、いや、あの人ならば大丈夫だと、エリサはこくりと頷いた。
それを見届けて、春樹はトーゴへと向き直る。
「トーゴさん。エリサさんがなぜ以前のメニューを食べられなかったか分かりますか?」
質問を聞いて、トーゴはちらりとエリサを見やった。俯き、けれどその顔がしっかりと上がる。
「……いや、わからない。君に入っていた野菜を聞かれたが、皆目見当もつかない」
そもそも、それが分かっているなら今回の苦労はない。春樹とてそれは分かっている。けれど、この質問は二人にとって大切な問いかけだ。
「奥様……エリサさんが食べられなかった食材はカブとタマネギ。以前のメニューには、これらの食材が二つとも入っていました。豆や芋、それどころか一見無理そうに思える乳製品を口にするエリサさんが、これらの二つがダメな理由……」
エリサが、ぎゅっと食器を握りしめる。
そして、続く春樹の言葉に、トーゴは自分の耳を疑った。
「それは……これらの食材は、それらを採取して食べてしまうと植物そのものが死んでしまう野菜だからです」
根や球根。葉や芋と違い、それを取ってしまえば植物とて生命の維持ができなくなるもの。
心優しき少女が望んだものは、そんな誰も殺さない優しい世界。
「死ぬって、いや……そんな」
馬鹿な。その言葉を、トーゴは飲み込んだ。植物の死。そんなものを、自分は今までの人生で考えたことすらなかったからだ。
エリサを見やる。悲痛そうに顔を曇らせている少女は、まるで自分が人でないことがバレた化け物のように身を震わせていた。
「じゃあエリサ、君は……カブやタマネギを殺さないために」
震える声で聞かれた言葉に、エリサはただゆっくりと頷いた。
恐らく、エリサのこの考えをこの世界で理解できるものはほんの一握りだろう。その人たちですら、説明として理解できるだけで真に理解してくれることはないかもしれない。
宗教や戒律で縛られているわけではない。彼女はこの世界で、自分自らの意思でこの考えにたどり着いた。
厳密にいえば、稲は刈り取れば枯れ、葉物といえどその傷が元で腐ることはあるだろう。けれど、これは少女が苦悩の末に見いだした、生きていく上でのデッドライン。
「エリサ……君は……」
彼女が過ごしてきた日々を思い、トーゴは彼女以上に涙した。
初めて見る泣き顔に、泣いていたエリサすら驚いて涙を止める。
「僕は、君を妻に娶ったことを誇りに思う」
その言葉に、エリサはトーゴの顔をただただ見つめた。
受け入れられるはずなど、ないと思っていた。ただ、あの人に迷惑をかけるだけではないかと。
それを、あの人は誇りだと、そう言ってくれたのだ。
「トーゴさん。エリサさんは……」
「ええ」
料理人の声に、夫は頷いた。
感謝しても、しきることはないだろう。
「世界一優しい心を持つ、自慢の妻です」
きっと、自分は妻のようにはなれない。
涙を流して泣きじゃくるあの顔を見つめながら、愛しいと感じてしまう自分には。
◆ ◆ ◆
「トーゴさん。見てください、芽が出ています」
「おっ、ほんとだ。育つのが楽しみだね」
アサメ邸の一角に作られた、大きな畑。
庭のほとんどが柔土に変えられたその上で、二人は新たに芽吹いた命に笑顔を見せた。
「しかし、君が食べられる食材の種まで。ハルキさんには頭が上がらないな」
「ふふ、本当に不思議な方でした」
今まで、それこそ自分の親ですら理解してくれなかったというのに。
本当に不思議な青年だったと、エリサは風来の料理人を想う。
「僕も負けてられないな。今日はガガイモのグラタンに挑戦しようと思うんだ」
「トーゴさんたら。すっかり料理にハマりましたね。自分の分くらい、私だって作りますのに」
くすりと笑いながら、エリサは愛しの夫を見上げる。
彼は、こう見えて負けず嫌いなのだ。
料理を続けている理由も、自分のためだけでは決してない。
「私は、トーゴさんの料理が一番美味しいと感じますけどね」
「う、うん。その、なんだ。……精進しよう」
赤くなった顔に、エリサは楽しそうに笑った。
この芽が育ち、実を付ける頃、もしかしたら自分も新たな命を宿しているかも知れない。
そのためには、傍らの堅物をなんとかしなければ、とエリサはくすくすと微笑み続けるのだった。
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