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剣聖の称号を持つ料理人  作者: 天那
第二章
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第03話 お断りいたします


「娘さん……ですか?」


 春樹の質問にアサメはこくりと頷いた。


「まぁ、娘っつっても義理の娘よ。だが可愛い嫡男が見初めた大事な女房だ。できるだけのことはしてやりてぇ」


 そう言うと、アサメは扉の方へ目を向けた。タイミングよく小さなノック音が響き、開かれた扉から長身の青年が応接室へと入ってくる。


 春樹に向かって一礼すると、青年はピンと背筋を伸ばした。


「アサメ組若頭、アサメ・トーゴです。本日は手前共の急な押しつけにも関わらずご足労頂きありがとうございます」


 ハンサムだが、口調通りの堅物そうな見た目だ。

 ただどこか優しさも感じさせる風貌に、春樹も右手を差し出した。


「料理人の佐藤春樹です。……お父さんから、少しだけお話を聞きました」


 右手を取りながら、トーゴがアサメをちらりと見やる。首を小さく振るアサメを確認すると、トーゴはゆっくりと口を開いた。


「では、詳しい話は私の方から」



 ◆  ◆  ◆



「妻……エリサと結婚して、そろそろ一年が経とうとしています」


 庭園の魚がばしゃばしゃと音を立て餌に食いつく様子を見ながら、春樹はトーゴの話に耳を澄ませた。


「所謂見合い……悪く言えば政略結婚で祝言を挙げた妻ですが、私は出会った瞬間に見惚れました。一目惚れというやつです」


 背筋を伸ばしたトーゴの発言に、傍らで魚を見ていたリンが「わぁ」と目を丸くする。

 意外にもストレートな物言いをするトーゴを、春樹も面食らった顔で見つめた。


「はは、すみません。まだ新婚気分が抜けていないもので。……私が言うとただの惚気に聞こえるでしょうが、妻は本当に出来た女です。若い衆への声かけも優しいですし、面倒な挨拶回りも嫌な顔ひとつせずやってくれました。ただ……」


 そこで、トーゴの顔が難しい表情で曇りを見せる。

 言葉が止まったトーゴの続きを、春樹が小さく受け継いだ。


「食事に問題がある……ですか?」


 春樹の声に、トーゴはハッと顔を向けた。


「わかりますか?」

「まぁ、僕のような料理人に頭を下げる事といったらそれくらいしか」


 特段難しいクイズではない。というよりも、アサメは「飯を食わせてくれ」と言っていた。

 問題はどのレベルで「食べれない」かだが、さすがに重度の病人だとかだと春樹としてもどうしようもない。


 しかしひとまず話は聞くという春樹の顔を見て、トーゴはやや言い辛そうに話始めた。


「その……妻はなんというか、食の好き嫌いが激しい女性でして」

「好き嫌い?」


 思っていたよりも軽そうな言葉に、春樹は少し拍子抜けする。

 しかし、続いて出てきたトーゴの台詞に春樹はきゅっと目を細めた。


「妻は、肉や魚を食べないんです」


 弱ったように、トーゴは餌皿を返しながら首を捻った。


「ケンタウロスなど、確かに一部の種族の者は肉を食べないのですが、妻は普通のエルフですし。妻の偏食には私共も手を焼いているのです」


 腕を組み、神妙そうな顔でトーゴが語る。

 根深そうな話に、なるほどと春樹は内心で頷いた。


――ベジタリアンか……。


 現代日本では、特に珍しくはない人たちだ。

 けれど確かに、この異世界では理解は得づらい生き方だろう。


「お肉もお魚も食べないんですか? 美味しいのに」

「ええ。その他にも、妻は卵や魚介類もダメで。本当に野菜や穀物しか食べないのです」

「にゃっ!? た、卵も食べないんですか!?」


 リンの言葉に、トーゴが頷く。驚いたリンが「そんなの私生きていけません」と頭を抱えた。

 そんな二人の話を聞きながら、春樹は思案するように口元に指を当てる。


――卵は、まぁそうだろうな。


 エッグベジタリアンという考えもあるが、ここでは有精卵と無精卵の区別を付けるのは難しいだろう。魚介類も、魚がダメならば一律無理なのはそう変なことではない。


 しかし、この世界にもケンタウロス初め種族的にそもそも菜食の人たちはいるわけで、それならばベジタリアン用の食事を用意すること自体は難しくはないように感じた。


「なら、僕の仕事は奥様用に菜食メニューを用意することですかね? 個人的に、その好き嫌いを矯正することはお勧めしません」


 生き方や思想に深く関係する問題だ。今後のことを考えても、無理やり肉を食わせろという依頼ならば丁重に断ろうと春樹はトーゴに進言した。


「ええ、僕もそれには賛成です。妻を見ていると、どうも私にはただの好き嫌いには思えず。ならば夫として出来るだけのことはしてあげたい。なんなら、私が妻の食事に合わせてやってもいいとさえ思っています」


 そんな、力強いトーゴの言葉に春樹はおおと感心した。

 トーゴは愛する妻の理解に努めようとする人物だったらしい。父親と似た物言いが混じるトーゴの言葉を聞いて、「これならば大丈夫そうか?」と春樹は青年を見やる。


 けれど、続くトーゴの言葉に春樹は思わず片眉を上げた。


「ただ、私には最近妻がよくわからんのですよ」


 先ほどとは打って変わって、不安そうな、どこか自信なさげなトーゴの声に春樹は続きを促した。


「と、いうのは?」

「はい。というのも、妻の偏食には親父も一定の理解を示してくれまして。ケンタウロス用の食事を作る料理人をわざわざ雇ったんです。それで、最初は妻も喜んで食べてくれまして。これで一件落着かと思ったんですが……」


 そこでトーゴの口が一旦止まる。

 言いにくそうに、トーゴは目線を下げて続きを絞り出した。


「ある日突然、『これは食べれない』と言い出しまして。勿論、野菜だけで作った専用の食事です。味だって悪くなかった。当然あの日ばかりは、親父も怒り心頭といった様子でして。ついには妻に手を……」


 辛そうなトーゴの声に、春樹もリンも表情を曇らせた。

 話を聞くだけでは、アサメもトーゴもよくやってくれている。たとえベジタリアンの思想を知っていたとしても、当日のエリサの態度は納得しづらいものだったろう。


「夫として、庇うべきだったのでしょうが。私もあまりのことに動けず。……結局のところ、妻の偏食はただの我が侭な好き嫌いだったということです」


 悲痛な声でトーゴが話す。

 想定していた以上に根深そうな問題に、春樹はどうしたものかと眉を寄せた。


――多分、それは違う。


 春樹としてはなぜエリサが食事を拒んだのか大体の見当はついているが、これはそれをトーゴに伝えて、それでレシピを渡せば終わる問題ではない気がしたからだ。


「でも、それならばなぜ俺を? というか、奥様は今食事はどうなさっているんですか?」


 春樹の質問に、トーゴはただただ頷いた。

 疲れたように、けれど心配そうな表情を隠そうともせずに質問に答える。


「あの日以来、妻は自分で見窄らしい食事を作っています。本当に、少しの葉物と粥しか食べない。野菜だけ食べるにせよ、あれではいつか倒れてしまいます」

「なるほど」


 事態はどうも深刻なようだ。

 当然、ベジタリアンの食事は栄養の偏りが大きく、普通の人以上にメニューには気を払わなくてはいけない。


 なぜエリサが菜食主義になったのかは本人に聞いてみなければ分からないが、話を聞く限りでは栄養管理の知識はさほどないように感じられた。

 そもそも、考えてみれば肉体が元々菜食なケンタウロスとは身体の造りから違うわけで、やはり専用のメニューを組む必要があるだろう。


「貴方には、せめて妻に野菜の好き嫌いだけでもなくしてもらえるよう料理で説得して欲しいんです。嫌いな種類の野菜でも、料理が美味しかったら食べてくれるようになるかもしれません」


 そして、トーゴは春樹に向かって頭を下げた。


「この通り。どうか手前共の依頼を受けてやってはくれないでしょうか」


 この世界で彼らがどれほどの地位なのかは春樹は知るはずもないが、それでも一介の料理人に頭を下げるような人たちではないだろう。


 妻のために頭を下げられるトーゴを見つめ、そして春樹ははっきりと言い切った。


「お断りいたします」


 聞き間違いようのない春樹の声に、驚いたトーゴが顔を上げる。


 トーゴには悪いが、先ほどの依頼では聞くわけにはいかない理由がある。


「ですが、承知しました。奥様の食事、俺に任せてはくださいませんか」


 愛する妻のため、夫が頭を下げている。

 ここで退くわけにはいかないと、春樹は真剣な眼差しで口を開いた。


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