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剣聖の称号を持つ料理人  作者: 天那
第一章
32/39

第32話 それ、いいですね

 食卓の上の料理にアイリッシュは小さく感嘆の声をあげた。


 一口サイズにナイフで切り、噛みしめて笑顔を見せる。


「美味い……これがハルキの料理か」


 箸でなぞるだけで切れそうなほど柔らかく仕立てられた、骨付きの豚バラ肉。それを炭火であぶり焼きに。


 タレが焦げて香ばしさを生み、同時にカリッと焼けた肉の表面とトロリとした脂肪の対比がアイリッシュの舌と鼻を楽しませる。


「スペアリブ、赤ワイン蒸し煮の炭火焼きです」


 彼女の「なんて料理なんだ?」という視線に、春樹は笑顔で応える。


 小さく頷いて、アイリッシュはもう一度豚肉を口に運んだ。


「うむ、さっぱり分からんな」


 言い切るアイリッシュに春樹も思わず笑ってしまう。


 名前からして、蒸した肉を更に炭火で焼いているのだろう。なぜそんな手間をかけるのか、理屈は分からないが、その理由は先ほどの肉の味が教えてくれていた。


「涙は止まりましたか?」


 春樹の一言に、アイリッシュの動きが止まる。一度目をつぶると、アイリッシュは優しげに微笑んだ。


「料理はさっぱりなわたしだが、美味いということくらいは分かる。……ハルキがわたしに料理を作ってくれるのは初めてだな」

「そういえばそうですね」


 近衛隊の食堂で、任務に同行した際に、様々なところで春樹の料理を口にしたことはあるが、こうしてアイリッシュに向けて作るのは初めてだ。


 肉の味を思い出し、アイリッシュは笑みを浮かべる。


「わたし好みの味だ。ガツンとしてて食いでがある。味も濃いめで……うん、今までのどれよりも美味い」


 つまり、自分に合わせてくれたということだ。とはいえ、自分には少々上品すぎる味と盛りつけに、アイリッシュは気恥ずかしそうに目を細めた。


「すまないな。わたしなんかのために」


 こうして食べてみれば分かる。春樹の目指す道もまた、寄り道などをしている暇はないのだ。


 料理を振る舞ってくれた真意は計りかねるけれど、この皿が答えなのだろうとアイリッシュは肉の切り口を見つめた。


「そうだよな。お前は……料理人だもんな」


 剣士にこの料理は作れない。そこに価値を見いだすというのなら、やはり自分に言えることはなにもないのだろう。


「……お前に、ひとつ謝らないといけないことがある」


 呟きに、春樹は不思議そうに顔を向けた。どうやら、先ほどの話とは別のことのようだ。


 言いにくそうに、しかしアイリッシュは真っ直ぐに春樹を見つめて口を開いた。


「わたしはな、お前のことを『料理もできる凄腕の剣士』として見ていたんだよ」


 間違ってはいないと春樹は思った。そして、アイリッシュがなにを言いたいのかも。


「その通りじゃないですか」

「いや違う。……お前は『剣の腕も立つ料理人』であって、剣士じゃない」


 言葉遊びのようだが、これは決定的なズレだったとアイリッシュは思う。自分だけではない、この世界のほとんどの人々が、春樹をそんな風に見つめていた。


「今更恥ずかしい話だが、お前の料理を食べてようやく分かった。……わたしたちはな、料理人を当然のように剣士の下に置いてたんだよ」


 だからこそ、目の前の青年が不可思議だった。


 あれほどの剣の腕を持ちながら、自分を料理人だと名乗る青年。そこに眉を寄せ首を傾げたのは、言ってしまえばそういうことだ。


 彼が怒るのも無理はないとアイリッシュは春樹を見つめる。


「お前をきちんと料理人として見ていたのは、タマモ様と……あとは同じ料理人のセリアくらいなものか」


 アイリッシュの言葉に春樹は「そうですね」と微笑んだ。


 本当はもう一人、あの剣の腕を料理人だからと納得したネコ耳の少女がいるのだが、訂正は無粋かと春樹はアイリッシュの言葉を静かに聞く。


「すまなかった。お前はわたしたちに、いつも料理人として戦っていた」


 参ったなと春樹は苦笑した。思わずこみ上げそうになったなにかを寸前で飲み込んで、恨んではないと春樹はこぼす。


 この世界を見れば分かる。料理人と剣士なら、そりゃあ花形はそちらだろうから。


「……剣聖に、興味がないといえば嘘になります」


 なにせ、聖剣の担い手になってしまった。なにかの責務が発生したのは明白で、それに自分は応えなければならないだろう。


「でもそれは、料理人としてでないと意味がないんです」


 もしスキルを以て引き抜いていたのなら、それに任せてもよいのかもしれない。けれど、あれを引き抜いたのは料理人としての自分だ。


 包丁へと変わった聖なる剣。この世界が自分になにをさせたいのか、春樹には皆目検討がつかない。


「そんなこと、出来るはずもないのに」


 春樹の告白に少し目を丸くして、そしてアイリッシュは小さく笑った。


「構わないさ。わたしも、お前は包丁の方が似合うと思う」


 彼女の言葉に春樹は顔を向けた。見つめ返され、アイリッシュがくすりと笑う。


 ようやく分かったと、アイリッシュは春樹を見つめる。続くアイリッシュの言葉に、春樹は目を見開いた。


 それは、彼のこれからを、少しだけ変える一言。



「剣聖の称号を持つ料理人。お前はそれを目指せばいい」



 その意味するところを考えて、アイリッシュは自分でもおかしくなって微笑んだ。


「そんなことできるかわからないけれど……料理人のまま、料理人として。お前なら、そんな夢みたいな未来も歩めるのかもしれない」


 それはつまり、この世界で最高の剣士が、剣士ではないということ。


 これ以上に愉快なことがあろうかと、アイリッシュは目の前の青年をじっと見つめた。あの領主様ならば、腹を抱えて倒れていることだろう。


「それ、いいですね」


 だから霞が晴れたような顔をしている春樹に、アイリッシュは嬉しそうに頷く。微笑む春樹にアイリッシュは「だろう?」と笑った。


 そこでふと春樹は目の前に座る女性が、騎士団長であることを思い出した。


「いいんですか? 団長さんがそんなこと言って」

「よくないさ。だからこれは……わたしとお前だけの秘密だな」


 くすくすと笑うアイリッシュの顔を見て、春樹は呆れたように目を細めた。


――料理人として、剣聖を目指す……か。


 荒唐無稽すぎて掴みどころのない話だ。しかし、そうでなければ意味がないように春樹は思った。


 自分の右手を見つめる。そこに宿る力は間違いなく剣士のもので、そして自分はこれからも料理人として生きることに変わりはない。


――それって、普通に剣聖を目指すよりも難しいのでは?


 とんでもないことに気がついて、春樹は苦々しく笑ってしまう。二足の草鞋でも履いて、スキルに邁進したほうが可能性としては高そうだ。


 そのとき、今更ながらにもうひとつ、春樹はどうしようもないことに気がついて笑ってしまう。


「……だったら、やっぱり俺が武踏祭で優勝しても意味ないですね」


 春樹の言葉に二人して顔を見合わせる。


 剣士として出場して、剣士として優勝して……よしんばそんなことを続けて剣聖になっても意味がない。


「そうなるな」

「ですよね」


 思わず苦笑してしまう。あの死闘はなんだったんだとかいろいろ思うが、その前にまずは言わなければならないことがある。


 誰にって、決まっている。目の前に座るアイリッシュにじっと目を向けて、春樹は小さく切り出した。


「やっぱり納得できないです」

「へ?」


 春樹はアイリッシュに一歩詰め寄る。

 決闘の後に流した涙。それに春樹は苛立った。理由は至極単純で、春樹はアイリッシュをまっすぐ見つめる。


 そう……理由は本当に単純で――


 彼女が、諦めてしまっているからだ。


「隊長、やっぱり貴女も剣聖を目指すべきです」

「ふぇ? いや、でもそれだとお前が……」


 そんなことは関係ないと、春樹はテーブルを思い切り叩いた。びくりとアイリッシュの身体が跳ね、春樹の顔を見上げる。


 少し意地悪だが、アイリッシュに蔓延る根は、誰かが払ってやらねばならない。


「どう考えても、料理人で剣聖目指すなんて無理ゲーより、隊長が目指す方がイージーです」

「む、無理げ? い、いや、でもわたしは」


 困惑するアイリッシュに、春樹は腰の包丁を押しつけた。いきなり手渡された聖剣を掴み、訳が分からずアイリッシュは春樹を見つめる。


――剣聖のスキルを持った自分を、彼女は破った。そんな彼女に目指す資格がないなんてことが、あるわけがない。


 息を吸い、春樹は腹の底から声を出した。


「アイリッシュ・スパニエル! あんたは、剣聖になりたくないのか!?」

「ッ!?」


 それは、彼なりの精一杯のエール。


 聖剣を握らせる、驚くアイリッシュが柄と鞘を思わず握り――


 そして、手元で鳴った小さな音に、アイリッシュは耳を疑った。


「――え?」


 そこには、僅かながら見える聖剣の刀身。距離にして数ミリの、けれど確かな証が窓からの月光に煌めいている。


 力を込める。それ以上は、まだ開かない。しかし目の前に開いた可能性は、確かに自分の前で輝いていて。


 アイリッシュの目に、あのときとは違う涙が浮かんだ。


「隊長、競争をしましょう」


 春樹の声に、アイリッシュは顔を上げる。


「俺が、料理人として剣聖になるのが先か……隊長が剣士として剣聖になるのが先か。恨みっこなしの、真剣勝負です」


 その言葉を聞いて、アイリッシュは思わず下を向いた。


 諦めてなお十七度も試したのは、誰かに背中を押して欲しかったからだ。


「隊長なら、大丈夫ですよ。……それでも、俺も負けませんけど」


 そう言って笑う春樹の顔は、もはや彼女にはよく見えず。


 ただ、頷かねばと、彼女は一生懸命に青年の方へ顔を向けた。



 ◆  ◆  ◆



「しかし、どういう風の吹き回しじゃ。……おぬしは、剣士には興味がないと思っておったがの」


 ぐびりとグラスを煽りながら、タマモは「ほう」と中身を覗いた。


 とろとろと、色鮮やかな液体が爽やかな味と香りを運んでくれる。澄んだ果実も美味いが、これはこれでありだとタマモはグラスを傾けた。


「スムージィとか言ったか、いと美味し。なんか身体に良さそうじゃな」


 飲み干して、最後の一滴をタマモは舌の上に垂らした。


 おもむろに視線をずらす春樹を愛しげに見つめつつ、ちょいちょいと尾でつつく。


「くく、不純の匂いがするのぉ。……おぬし、アイリとなんかあったかえ?」


 にやにやと、それはもう楽しそうにタマモが聞く。


 上司命令だと笑みを浮かべるタマモに、しかし春樹は口を開いた。


「二人だけの秘密なので」


 きょとんと、タマモの目が見開かれる。

 そして、我慢できないと腹を抱えた。


「かかか! それは重畳! いいぞ、俄然楽しくなってきたわ!」


 扇を広げ、タマモはそれを大きく振るう。


「妾のためなど言わぬわ! 己のため、アイリのため、好きに暴れてくるがいい!」


 目指すは武踏祭優勝。そのまま、どこまでも駆け上がれぃと、タマモは扇を春樹に向けた。


「あー、そのことなんですが。少しお願いがありまして」


 そんなタマモの勢いを、春樹は言いにくそうに両断する。


 出鼻を挫かれ、「なんじゃ」と睨んでくるタマモに、春樹は真っ直ぐ姿勢を正した。


「今度の武踏祭なんですが……」


 続く春樹のお願いに、タマモはまん丸く目を見開く。


 そして、心底愉快そうに目の前の料理人に笑みを浮かべた。


「前代未聞じゃぞ?」


 しかし、それを言うならば聖剣を引き抜いたことそのものが前代未聞。


 面白くなってきた。タマモは扇を春樹に向けながら、任せておけと笑うのだった。

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