第31話 ただの八つ当たりだ
訳が分からなかった。
「え、ちょ……ちょっと待ってください! なんなんですかいきなり!?」
目の前に剣を投げつけられて、それで戦えと言われても納得ができない。
普段と雰囲気の違うアイリッシュを、春樹は面食らった顔で見つめた。
「……武踏祭の出場を、辞退したそうだな?」
「え? そ、そうですけど」
聞かれ、春樹は困惑げに顔を歪めた。それはその通りだし、なんならアイリッシュに譲った立場だ。
「そもそも俺は料理人ですし……アイリッシュさんは剣聖を目指しているんでしょう? だったら俺が出るわけにはいきませんよ」
本気で目指してもいない奴が、その枠を潰してはいけない。
しかしその言葉がどれだけ残酷か分かっていない春樹に、アイリッシュはくすりと笑った。
心優しい自分の部下に、アイリッシュは悲しそうに微笑みかける。
「相変わらず優しいなハルキ。……だがその優しさが、間違っているときもあると知れ」
アイリッシュが長剣を月夜に照らす。構えた剣に反射した月光が、彼女の表情を照らし出した。
その眼差しに、春樹はアイリッシュが本気であることを悟る。
「わたしが剣聖を目指しているとお前は言ったな? それは残念ながら間違いだ」
「え?」
春樹は思わず聞き返した。だって、剣聖の夢を語るときの彼女は、あんなにも誇らしげで――
そんな春樹の疑念の瞳を、アイリッシュは苦々しい笑いで斬り伏せる。
「わたしはな、ハルキ……『目指していた』んだ。自分が……わたしの剣が剣聖に届かないなんてことは、わたしが一番よく知っている」
それでも握る。夢に届かないと知ってなお、それでも剣は握り続ける。
夢破れてなお人生は続く。ならばよしと剣を置くには、彼女は大人になりすぎた。
「そんなわたしでもな、剣士として最後の意地ってものがある。……料理人風情にいらないと譲られた椅子で目指すほど、かつてのわたしが目指した夢は安くはない!」
一閃。振り払った切っ先が舞い散る木の葉を十字に切り裂く。
かつてと同じ場所、同じ技を振るう彼女に、春樹は自分の間違いを悟った。
――俺は馬鹿だ。
なんて勘違いをしていたんだろう。
ずっと、彼女が笑っていたから。笑ってくれていたから気づかなかった。
「ハルキ、これはな……ただの八つ当たりだ。才を持ちながらにして自分の夢を投げ捨てた男に対する、ちっぽけなわたしの小さな意地だ」
それでも目の前の青年を側に置いたのは、気に入ったからだ。
いつか分かってくれると期待もしていた。しかし分からされたのは、彼の夢を自分もまた理解していなかったという現実だけ。
だからこそ知ってほしい。自分の夢も。中途半端だった自分がたどり着いた、夢半ばな頂を。
「ワーウルフの特性を知っているか?」
春樹の返事を待たずして、アイリッシュは満月の空を見上げた。
視界に飛び込んでくる煌めく月の光。それらを一身に受け、アイリッシュは空に向かって雄叫びを上げる。
それは、美しくもどこかもの悲しい、一匹の銀狼が奏でる澄んだ遠吠え。
アイリッシュの眼光が、赤く月夜に染まっていく。
「いくぞハルキ、これがわたしの全力だ」
瞬間、アイリッシュの身体を春樹は見失った。
咄嗟に目の前の剣を取り、右側から迫るアイリッシュの一撃を防げたのは偶然だった。
――速い!?
不意を突かれたとはいえ、剣聖のスキルを以てして見失った。
けれど、第二撃、第三撃と、瞬く間に春樹の目はアイリッシュを捉えだす。
「どうしたハルキ! そんな打ち筋では、わたしの首は落とせんぞ!」
しかし押されているのは春樹だ。容赦なく春樹の急所を狙うアイリッシュに対し、春樹はただ守るだけ。
――死合うって……本気でっ!?
高速の斬り合い。既に何度死線を交わしたか分からぬほどの斬撃の中で、アイリッシュは自分の本気を易々と受けきる料理人に微笑んでいた。
(つくづく、甘い)
殺しに来ている相手なのだ。斬り伏せようと思えば簡単なはず。手こずっているのは、彼が剣士でないからだ。
だからこそ示す。思えば、自分もやはり甘かった。
(なんの代償もなしに、引きずり込もうとしたわたしが甘かった!)
夢を見たのだ。自分では叶えられない夢を、彼が叶えてくれるような夢を。
「っちょッ!?」
すべての防御を解き、春樹の剣撃を首へと受け入れたアイリッシュに、春樹は全力で腕を止めた。
剣聖のスキルを以てしても刃止めが利かない、自ら招き入れるタイミング。アイリッシュの首筋に食い込む剣の感触に春樹の目が見開き、そして――
そして、次の瞬間に、春樹は地面へと組み伏せられていた。
春樹の首横の地面にはアイリッシュの剣が突き立てられていて、鮮血を流したアイリッシュが眼下の春樹を睨みつける。
「わたしの勝ちだ。……どうして緩めた」
自分が本当に本気であったなら、春樹の首は飛んでいる。赤い目で見下ろしてくるアイリッシュに、それでも春樹は首を振った。
「できるわけ、ないじゃないですか」
剣士としての初めての敗北。そんなものは、やはり自分にとってはどうでもいい。
所詮、スキルはスキルなのだ。いくらご大層な能力を貰おうが、それを使うのは自分自身。剣士としての自分なんて、育てた覚えはひとつもない。
「……血、やばいですよ」
どう見ても致命傷一歩手前だ。放っておいたら彼女といえど命取りになるだろう。
けれど春樹を見つめたままに、アイリッシュは言葉を続ける。
「満月のわたしが相手でもな、足下にも及ばないような剣士が世の中にはいる。……そんな彼らに、わたしは勝ちたい」
ぽたりと、春樹の顔になにかが落ちた。
「だが、だめなんだ。わたしでは……そんなわたしが誰かに夢を託すのは、そんなにもいけないことか?」
本当ならば、自分だって。そんなアイリッシュの顔を春樹はじっと見上げ続けた。
「すみません」
なんて勘違いをしていたんだろう。
あえて風情と言い捨てられた料理人は、剣士として自分の現状を見つめる。慣れない言葉まで使って、彼女はなにかを確かめたかった。
神域の能力を貰い受けておいて、これだ。なにを勘違いしていたんだろう。
――スキルだけで目指せるほど、隊長の夢は安くねぇ。
それを、彼女にも知ってもらわなければ。
春樹はそっとアイリッシュの頬に手を伸ばした。




